花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

プロフィールを見る
画像一覧
通知を受け取る

カテゴリ

全体
上七軒
遊郭・花街あれこれ
先斗町
宮川町
ねりもの Gion Nerimono
舞妓・芸妓
祇園東
五番町
雇仲居
遊廓、花街の類形
京都の花街・遊廓
亡くなった滋賀の遊郭
五条楽園
私娼
島原遊郭
祇園
パンパン、赤線
島原、輪違屋太夫 賛姿語録
*リンク
未分類

以前の記事

2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月

お気に入りブログ

最新のコメント

> 今紫 改 文車さん ..
by gionchoubu at 11:47
花街ぞめき様 お久し振..
by 今紫 改 文車 at 17:02
> narahimuro..
by gionchoubu at 11:05
花街ぞめき、いつも興味深..
by narahimuro at 21:28
> きようすけさん ..
by gionchoubu at 11:54
島原どう筋の大店K旅館は..
by きようすけ at 14:55
> きようすけさん ..
by gionchoubu at 11:31
記事の定義によるとかつて..
by きようすけ at 09:04
記事の定義によるとかつて..
by きようすけ at 09:04
> tourisugar..
by gionchoubu at 18:06

メモ帳

最新のトラックバック

美は幸福を約束するものに..
from dezire_photo &..

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

米子灘町遊郭 一
at 2018-10-16 11:09
とし夏菜、ふく美、とし桃、美..
at 2018-10-13 14:52
宮川町、とし純、とし夏菜、と..
at 2018-10-12 11:16
ふく恵、小凜、君友、富美珠、..
at 2018-10-11 15:59
とし輝、とし結、とし愛、とし..
at 2018-10-10 11:23

外部リンク

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

歴史
近畿

画像一覧

タグ:輪違屋 ( 12 ) タグの人気記事

島原、太夫道中



f0347663_11212871.jpg
平成30年2月25日、私がまいまい京都のガイドとして20人の応募者の方を輪違屋にお連れしたとき、輪違屋の屋内で如月太夫子に太夫道中を再現してもらいました。

昭和28年4月19日、京都新聞

『艶麗、島原太夫道中』『供を連れ揚屋へ 花の4月21日 八文字ふんでシャナリしゃなり』

京名物の一つ島原太夫の道中が今四月の二十一日同郭内で行われ一般の鑑賞に供することとなったが、この行列は島原がこの地に移されてからおよそ三百年、その間の歌奴たちの風俗の移り変りを示すもので結髪、服具の着装などを各時代の風俗画家の遺作等により新しく考証、江戸時代の初めのものを除いては衣服その他ほとんど全部その時代の実物遺品を使用したところにこの時代風俗絵巻の特徴がある。

寛永時代から現代に至るまで七ツに分けたそれらの時代の結髪様式、頭飾具の意匠、形式寸法装着法などそれぞれ十分鑑賞に価するもので花車を先頭に寛永正保時代、貞享元禄時代、安永天明時代、文化安政時代、明治初期、現代と移り変わりを示している。

この島原の太夫のどうちゅうはどうして出来たかというに、島原に遊郭が設けられたのは寛永八十年(現文のママ)京都とその近在から容色にすぐれた女達が島原に集められ、各階層の人達がこの女達を相手に遊び楽しんだ。

そのころの音楽、服装などの流行は島原から始ったもので、ここの女達にも階級が出来てその最上級に位するものが太夫と呼ばれた。

当時の女達はこの位にあこがれる事、このごろの映画スターにあこがれるのと同一であった。

彼女達を相手として遊楽する場合は揚屋と称する家に彼女達を招く。太夫が自分の家から揚屋まで出かけるのに新造、かむろら多くのお供を引連れ八文字を踏んでしゃなりしゃなりと練って行ったものでまるでコシ入れのように太夫の身の回りの用具一切を持参に及んだものである。

これを道中と呼んだ。そしてこの道中を道ゆく人達は今のレビューでも見るように足をとどめてながめたものである。

それが毎月二十一日に一種の式としてこの道中が行われるようになり。それが残って今では花の四月二十一日に行われるようになったものである。

そして道中後の同年4月22日の記事

『艶麗絵巻 島原の太夫道中』

京の春の年中行事の一ツ島原の太夫道中は二十一日午後三時から花曇りの空のもと可愛い、子供如く花車を先頭に行列は組合事務所を出発寛永、正保時代から年代順に文化文政、明治と移り玉袖、九重、美吉野、光扇、春日、君太夫と禿引舟を従えて八文字を踏みながら曲輪の中を練り歩き約一時間にわたり古典艶麗な風俗絵巻をくり展げて同四時過ぎ道中を終った。

昔にかえって無料公開というのが効いたのか数万の人が押しかけ道中開始二時間前に大門を閉じるという盛況であった。








by gionchoubu | 2018-04-22 11:34 | 島原遊郭 | Comments(0)

島原、輪違屋太夫 賛姿語録 その四

f0347663_12473318.jpg

f0347663_12571569.jpg
f0347663_12480094.jpg
f0347663_12495260.jpg
f0347663_12505173.jpg
f0347663_12545022.jpg
f0347663_12553337.jpg
                           マッチ
f0347663_12560191.jpg

外側より
f0347663_13055105.jpg

f0347663_13085148.jpg
f0347663_13093789.jpg
四方の花 慶応三年版 松の粧嶋原名妓譜

輪違屋

太夫 花窓太夫 花君太夫 雲井太夫 花香太夫 馴君太夫 八重雲太夫

転進 嬉野 一之 袖衣 袖鶴 袖咲 花桐 嬉衣 如月 稲積 一花 花鶴
   花月 柏木

芸子 ちか鶴 金弥 小君 春尾 政つる 登栄 民路 金子 くら 玉吉 ふく松 末吉 小なつ 小とく 玉の うの栄 品栄 友つる 来栄   梅勇 小つゆ 松香

女郎 君の 咲栄 小雪 はつ 松栄 雛路 小いと 歌栄 色香

今回は輪違屋さんの建物の中外の輪違紋を探してみました。


by gionchoubu | 2017-11-16 13:10 | 島原、輪違屋太夫 賛姿語録 | Comments(0)

島原ぞめき 島原太夫


f0347663_16185515.jpg
                       輪違屋 如月太夫

              


大変無責任な立場から申し上げると、芸能などの世界で、公的機関からそれなくしては維持できない額の補助がでると、その芸能は形骸化してしまうと私は思っています。

大変残酷ですが、これは芸能に限りません。

一時火が消えかけた上方落語に、もし当時お上から多額な公的資金が流れていたら、自助努力はなされず、現在の復活は有りえなかったと思います。

現在の隆盛の礎を築いた四天王をはじめ関係者の方々の血のにじむ様な努力が現在の繁栄に繋がったのだと思います。

この努力には芸を磨く努力と同じ位の営業努力が必要となります。この二つを同じ人に求めるのはなかなか難しく、矢張り、その芸能を愛する有能な営業部員を抱えるのが必要です。

昭和十一年三月一日発行の『技芸倶楽部』の『島原廓としては太夫を養成せよ 何よりもそれが肝腎』東山正著を読むと、

島原廓の太夫なるものは、矢張り相当貫目のあるものでなくてはならぬ。

左ればつまらぬものを、是が島原廓の太夫さんで候のと人前へ出したとて、「何だコリャ猿芝居の太夫見たいな」と、只だ笑われるまでのこと、幾多苦しい関を乗越へて、仮令少数ながらも、貫目のある太夫を絶へず養ふて来た島原廓の業者は同廓の為め大なる功績者である。

日本全国遊廓の創業地ともいふべき島原廓の名を、仮令昔ほどの旺盛さは無いにしても、此セチ辛い世に斯くも維持して来った事は大いに多とすべきである。

此は全く太夫そのものがあればこそで、太夫がなく単に普通の娼妓丈だけであったならば、迚も迚もこゝまで島原廓の名声は続き得ず、維持はできなかったであろう。

仮に島原廓を維持し得られたにしても、言ふにはいはれぬ島原廓古来の沽券は何処かへ消え失せてゐたかも知れぬ、其処に至ると島原廓と太夫、これのは特別の因果関係が刻まれてあるものと思はなければならぬ。

島原廓の貸座敷業者は直接太夫に関係のあると無いとを問わず、島原廓に太夫を養成するといふ事に就ては相倶に大に力を致さなければならぬ筈、そして太夫の貫目のドシドシ向上する事に盡さなければなるまいかと思う。

さうあってこそますます島原廓が世に知られ島原廓が繁盛するのである。若し過って島原廓に一人も太夫が居らないとしたならば、夫こそ古来世に知らされ来った、而も京都著名の古名所たる島原廓は自然廃滅して終ひ、古来幾多の難関を乗越し、こヽまで維持し来った先輩に対しても相済まない次第。

だから其の処を能く熟慮あって、島原廓の業者諸君は直接間接を問はず太夫の養成に協力一致、ますます土地繁栄に努むるの心掛けが肝要であるかと思う。

***********************

この記事から八十年経ちました。今でも島原の輪違屋に太夫の伝統を遺すには、人に言えぬ苦労があったことでしょう。

左ればつまらぬものを、是が島原廓の太夫さんで候のと人前へ出したとて、「何だコリャ猿芝居の太夫見たいな」と、只だ笑われるまでのこと・・・

幸いな事に、輪違屋さんお抱えの太夫さんは、この言葉の正反対にいらっしゃいます。


by gionchoubu | 2017-10-11 16:22 | 島原遊郭 | Comments(0)

島原ぞめき まいまい京都 輪違屋コース

2017年9月18日、台風一過、まいまい京都ご一行様を私が輪違屋さんにご案内しました。如月太夫ご機嫌麗しゅう、輪違屋十代目御当主も、快くほぼ一見さんの皆様をお迎え頂きました。

館内による太夫道中、かしの式、抹茶のお点前、胡弓の演奏、舞い、お座敷拝見、如月太夫子、禿ちゃんとツーショット等々盛りだくさん、そして太夫と御当主と歓談しながらの宴となり、前回、前々回同様大盛り上がりになりました。

参加者二十名の内、北は福島県、南は鹿児島県からと十都道府県に渡り、皆さん初対面ながら打ち解け和やかな雰囲気のまま幕を閉じました。

アンケートをとらせて頂いた所、10点満点で20人の内19人が10点でお一人のみ8点でした。次回開催できるなら全員満点を付けて頂けるよう努めます。

f0347663_14364249.jpg
f0347663_14370154.jpg
f0347663_14372559.jpg
f0347663_15223716.jpg
                     百年前の見事な内掛け
f0347663_14380448.jpg
                      桂小五郎の書
f0347663_14383071.jpg
                相手から背後より襲われるのを察知するギヤマン

by gionchoubu | 2017-09-19 15:44 | 島原遊郭 | Comments(2)

まいまい京都 輪違屋コース

f0347663_15413744.jpg
f0347663_15420305.jpg


以下の日時で輪違屋さんのお座敷に如月太夫を御招きします。

お馴染みさんは別として、一般募集で輪違屋さんに一見(一現)さんがお座敷に挙が

れる機会は現在まいまい京都の企画のみだと思います。

太夫道中、お座敷拝見、かしの式、舞、演奏も素晴らしい感動を呼びますが、如月太夫、

輪違屋十代目御当主高橋利樹さんとゆっくりお話ができるのがなによりと・・・

浮世場離れの別世界をご堪能ください。

くれぐれも魂を抜かれないように・・・




予約あと少し→すいません定員になりました。

http://www.maimai-kyoto.jp/program/machiaruki/17au039/


9月18日(月)11:30~14:30

【輪違屋】粋を極めた芸妓の最高位・太夫さんとお座敷遊び
~幕末の空間が残る格式高き島原唯一のお茶屋、十代目当主がご案内~





京都で唯一、幕府より公認を受けた
格式高き花街・島原。
そのなかで今も営業を続け、日本でただ一軒
太夫を抱えるお茶屋が、輪違屋です。

襖に道中傘を貼りこんだ「傘の間」や
本物の紅葉が塗り込まれた「紅葉の間」、
近藤勇の屏風など、新選組や志士たちも遊んだ
幕末の空間で、太夫さんとお座敷遊び。

島原の太夫は、知識、品格、遊芸と
すべてにおいて極上、大名や公家たちの
お相手を務めた芸妓の最高位。

可愛らしい禿を引き連れ練り歩く
「太夫道中」や顔見せの儀式「かしの式」、
お点前、舞・胡弓などの技芸。
京料理やお酒を味わいながら、
粋と艶を極めた
絢爛な饗宴を堪能しましょう。

固く閉ざされた「一見さんお断り」の世界へ。
花街を知り尽くした十代目当主の
レクチャー付きなので、
初めての方や女性の方もご安心を。


※飲酒を伴うため、ご参加は
20歳以上の方に限らせていただきます。

開催日時
2017年9月18日(月)11:30~14:30頃
※開始10分前にはご集合下さい。
集合場所
JR「丹波口」改札口前
※手旗を持ったスタッフがお待ちしております。
参加費用
28,000円 (保険料含む) ※料理、お酒付き
定員
20名(先着順・要予約)
注意
・靴下を着用してご参加ください。
・催行人数10名に満たない場合、開催日の7日前までにツアー中止をお願いすることがございます。
参加予約
ページ下【参加予約はコチラから】ボタンをクリック
または、まいまい京都事務局までお電話ください。
電話:075-462-2312
(受付時間10:00~18:00 ※水・日・祝は定休日)

  • 参加費は当日集合時にお支払い下さい。お釣りのないようお願いします。
  • 参加予約後のキャンセルは、この日の為に準備を重ねてきたガイド・事務局ともに、とても悲しい思いをいたします。キャンセルのないようお願いいたします。
  • 開催3日前以降のキャンセルは、キャンセル料をいただきます。
    ⇒キャンセル料について詳しくはこちら
  • 歩きやすい服装と靴でお越しください。
  • 日除け、虫除け対策は各自でお願いいたします。
  • 雨天決行です。警報や注意報が発令されるなど荒天時は中止します。中止の場合は、開始時間の2時間前までに連絡いたします。



コースルート

【距離:約0.5km】JR「丹波口」 → 1.島原西門跡 → 2.島原住吉神社 → 3.歌舞練場跡 → 4.輪違屋(お座敷遊び) → (解散)

ガイドさん

高橋 利樹 さん

輪違屋十代目当主。幼き頃より太夫や芸妓とともに暮らし、三味線や鼓の音を子守唄代わりに育つ。太夫や芸妓に芸事を教えるため、自らも芸に精通する。著書に『京の花街 「輪違屋」物語』。
⇒京の花街「輪違屋」物語(Amazon)

担当コース:

担当コースを全てみる



正脇 良平 さん

祇園の旅館「ギオン福住」支配人。祇園甲部、祇園東、宮川町の芸舞妓の手配、また自らお座敷の司会進行を手がけ、花街文化に親しんできた。全国200箇所以上の花街・花街跡を訪問。現在は専ら「祇園ねりもの」(もう一つの祇園祭として江戸時代中期より絶大な人気を博すも、昭和35年を最後に途絶えた芸妓による仮装行列) の復興を目指して活動中。
花街ぞめき(ブログ)

担当コース:


by gionchoubu | 2017-08-17 16:02 | 島原遊郭 | Comments(0)

島原ぞめき ウィキペディア(Wikipedia)


f0347663_11245074.jpg
                   桜木太夫 at Hygge


以下英語のウィキペディア(Wikipedia)Shimabara, Kyotoの一部を和訳しました。(大分意訳しています)

島原京都

歴史

嶋原(島原、嶌原)は遊郭として1640年に設立され、後年花街となりました。現在は遊郭(日本では1958年に売春は法律で禁じられました。)としても、又1970年代より花街としても機能していません。

今や、京都の花街の一つと数えられる事はないものの、観光客が訪れるエリアであり、一軒のお茶屋のみ営業しています。

嶋原が出来る以前、豊臣秀吉の許しを得て、1589年に二条万里小路に最初の遊廓として二条柳町が誕生し、江戸時代になると、六条三筋町に移転、さらに1640/41年、嶋原に移りました。

嶋原が出来たのは、原三郎佐衛門が自ら娼家を始める為1640年に開廓、1958年に売春防止法の施行で遊廓としては終焉しましたが、芸者街として1970年代まで存続しました。

嶋原の名の由来には多くの説が存在します。島原大門が肥前の島原城の門とよく似ていたとか、その後、カトリックの拠点として居城を建設しようとした事から勃発した島原の乱に語源を求めるといった様な事です。

徳川の時代、嶋原は“御免の町”(公許の遊郭)、あるいは単にthe quarter(町?)とのみ呼ばれました。

これは、都の至る所にいた私娼と、嶋原で遊ぶ上流階級の人々とを区別する為でした。

嶋原は徳川家により日本の大都市に設営された三つの遊郭の一つで、指定区域にのみ売春を許す目的で公許にしたのです。

その三か所とは即ち京の島原(1640設立)、大阪の新町(1624~44設立)、江戸の吉原(1617設立)の事です。

この様な体制による規制は、売春という物に対して、道徳面から網をかけようとした物でなく、都市の中である種の行いに対し、世間の目から隔離しようとして生まれたと考えられます。

同じように、歌舞伎、浄瑠璃などの娯楽も幕府によって管理され続きました。そして芸者というものが1700年代に遊廓に付随して現れた時、島原にも芸者が生まれ、島原も芸者街の側面を持ちました。

明治維新により、天皇が京都から東京に移ると、経済的に宮廷に支えられていた多くの伝統文化も窮地に陥りました。

五花街が現代の京都に順応しているのに対して、島原は維新後百年をかけ徐々に衰退し、1970年代島原花街は解散、それによって現在、島原の伝統的な行事等は殆ど見られなくなってしまったのです。

他の花街が人の集まる市の中心地に出来たのに対し、島原は市の外れに設営され、不便で孤立した状態が続き、これも衰退に拍車をかけました。

他の京都の花街のように、島原も19世紀の終わりには歌舞練場が出来、青柳踊りも毎年開催されました。

青柳踊りは明治六年から明治十三年まで催され、明治十四年は行なわれませんでした。これは島原での踊りそのものの衰退も原因しています。

歌舞練場ができたのが明治六年そして昭和二年に移転しました。戦後は遊廓事務所として使われ平成八年に取壊されました。

---------------------------------------------------------------------------------------------------

これは日本語のウイキペディアを英訳したものでなく、独自に書かれた労作です。

但し、ここでは訳していませんが、輪違屋の創業を元禄元年と書いています。実際は元禄年間が通説で創業年は特定できません。

また明治六年には歌舞練場はありません。たぶん女紅場と取り違えたのでしょう。又、二代目の歌舞練場が出来た(移転した)のも昭和二年でなく、大正十五年十一月二十日です。

青柳踊りの開催年もわかっておらず、明治六~八年であろう、というのが識者の見解です。明治六年~十三年の根拠を知りたいです。

しかしながら、概ねよく纏められていると言うのが実感です。

ただし、日本語版のウイキペディアと同じ間違いをされています。輪違屋さんの太夫さん以外の方が輪違屋の太夫として画像に収められています。しかも太夫=花魁として

A present-day tayu (oiran) from Wachigaya in Shimabara




by gionchoubu | 2017-06-21 11:31 | 島原遊郭 | Comments(0)

島原ぞめき 島原太夫と吉原花魁

f0347663_13583879.jpg
                 島原太夫 かしの式

ネットで島原太夫に関する声を拾ってみましょう。

「島原太夫は吉原の花魁とおなじ様にお客をとっていたか?」

「太夫は技芸の最高峰である」

「太夫には正五位の身分があった」

・・・などなど、その他も色々・・・私に言わせてもらえば、正五位の身分は一先ず置いておいて、答えは・・・全てイエスであり、全てノーであります。

だいたい350年前の島原太夫と100年前の島原太夫と現代の島原太夫を一つの太夫像と捕らえる事がそもそも間違であり、どの時代の太夫を指すのかによって答えは自ずと変わってくるはずです。

私は大きく、

一、六条三筋~島原~江戸期

二、明治時代~昭和三十三年、

三、昭和三十三年~現在・・・と分けて考えています。

一、 江戸期において、特に六条三筋~島原移転暫らくの太夫、つまり吉野太夫や夕霧太夫や八千代太夫の時代は、まさしく妓女の最高峰であり、技芸の最高峰であり、庶民がやすやすと近づける存在ではありませんでした。お客も太夫には礼を尽くして接し、太夫の方にも、客への拒否権があったり・・・これを女郎の最上位である花魁と較べるのは、まさしく失礼というものでありましょう。江戸末期でも、幕末の三名花の一人、輪違屋の桜木太夫は和歌、書道に深く通じ、教養に富んだ太夫でした。太夫は天神の中から価する者が昇格しました。この時代の島原は文化人のサロンでもありました。

二、 長らく王城の地の唯一の傾城町として、幕府の後ろ盾で日本三大遊廓の一角を占めた島原ですが、明治になると、今まで支えてくれた大名、豪商、しょっちゅう宴会を組んでくれた藩も姿を消してしまいます。又、法律的にも太夫の存在は認められておらず、ステータスは平娼妓と同じ、客も古雅な趣は尊んだものの、太夫を技芸の最高峰と信じる無邪気な人はあまりいなかったでしょう。
太夫も一から育てるのでは無く、娼妓の中から見込みがある者を太夫として売り出し、高く売っていたに過ぎませんでした。

三、 昭和三十三年、売防法の完全実施で、太夫も娼妓のたがをはずされ、自由の身になりました。しかしながら長らく娼妓の時代に甘んじた当時の太夫に、高い芸を求めるのは酷というものです。ただし六花街の一つとして島原の芸妓は、温習会も催し、非常に高いレベルにありました。
                           
そして、花街として京都五花街と芸を競った環境の中で、六歳から芸の道に入り、小唄、長唄、常磐津、地唄、踊り、太鼓、鼓の七種の芸能者である十代目輪違屋当主自ら師匠として輪違屋の太夫に稽古をつけています。

長い島原太夫の歴史の中、現役の如月大夫、薄雲太夫、桜木太夫は、私の意見と付け加えさせて頂きますが、廓という重い言葉から解き放たれた太夫として、のびのびと活躍されており、島原は新局面にあると思います。

私が危惧するのは、これからの島原なのです。




by gionchoubu | 2017-06-11 14:00 | 島原遊郭 | Comments(2)

島原ぞめき 仮宅 その三

f0347663_14151342.jpg
f0347663_14170782.jpg
1, 輪違屋は現旅館の畑中さんの所 2,ゑび屋 3,亀屋 4,桔梗屋、以上揚屋(傾城屋)
5,は揚屋の角屋

今回の『島原仮宅名寄一覧』では桔梗屋(源助)、輪違屋、亀屋、ゑび屋の後に、桔梗屋(冶助?)大坂屋、橋屋、井筒屋の四軒の置屋(ただしお抱えの妓の名は一切書いておりません)も書かれています。

さらに、角屋、たんばや、ふぢ屋、ゐづつ屋、一文じや、桔梗屋、八文じや、橋屋を含む十一軒の「揚屋仮宅通覧」が載りますものの、悲しいかなその他の揚屋の読み方が私には分かりません。

そして一番の収穫が、「島原仮宅之全図」三五園戯編、翠松園筆(合っているのでしょうか?)傾城屋(置屋の事)三角印、揚屋丸印、茶屋四角印で描かれている事です。茶屋は芸子が入った筈ですが、祇園の茶屋との競合はどんなだったかも分かりません。

現代地図と併せて載せますが、当時は東大路が無く、八坂神社より北を小堀(こっぽり)通り、この地図の一番下の道路にあたる、八坂神社より南は八軒町(或は藪の下)と呼ばれていました。今のような幅今の新橋通りや新門前通りほどの幅の小道で、市電を通す為、今の道幅まで拡張されたのは明治四十五年のことでした。

さて、刈宅中値段は、勿論私に読めませんが、幸い『日本庶民生活資料集成 第二巻』富本繁太夫の「筆満可勢」という日記の天保七年の二月二十三日の所で「嶋原假宅中値段引札なす。」として現代訳が載っています。

一、太夫 昼金二分 夜金三分 約束金三分

一、天進(神) 朝より暮迄 暮より四つ迄 約束金二分
        四つより明迄 金一分宛 
       但し花一本金一朱宛 送込二本詰夜四時限にて花売なし 

一、 芸子 昼二十匁 朝より昼時迄十匁
     夜二十四匁  
     昼より暮迄、暮より四つ時迄
     四つ時より明迄 十六匁宛
但し花一本二匁宛
                                  
一、端女郎 約束二十四匁     
      朝より暮まで、暮より四つ迄 十四匁宛
      四つより明迄
      但し花一本二匁宛 
          
一、鹿恋  朝より昼迄 五匁 約束正味十三匁
      昼より暮迄 暮より四つ迄 正味六匁宛
      四つより明迄 但し花一本一匁宛
      

f0347663_14200045.jpg
f0347663_14202473.jpg
f0347663_14213149.jpg

by gionchoubu | 2017-06-07 14:16 | 島原遊郭 | Comments(0)

嶋原 輪違屋

f0347663_15080136.jpg

まいまい京都のガイドとして、1月29日(日)と2月26日(日)の二回に渡り、参加者の皆様を輪違屋にお連れしました。

輪違屋十代目当主高橋利樹氏の説明を聞きながら、如月太夫による太夫道中(ただし一般道路での道中は市の許可が必要なので屋敷の中で)、御客さんとの初顔合わせで行われる儀式“かしの式”、抹茶の御点前、胡弓の演奏そして舞、が厳かな雰囲気の中で進んでいきます。

そして皆様を、御当主の説明によるお座敷拝見のグループと、もう一方のグループによる、如月太夫と禿とのプライベートショットの写真撮影タイムを交互にしました。

そして、そして、一番の楽しみである、太夫と御当主自らお持て成し頂きながらの宴会・・・お料理は大門前の乙文さん・・・ここからは先ほどの緊張から解きはなれ、即妙、絶妙、歓喜の時間が訪れます。

二度とも、即時キャンセル待ち、応募者の皆様は京都の方より府外の方が多く、男性より女性が多く、なにより以外だったのが、まいまい京都としては、非常に高額な設定(実は大変なお値打ち)にも関わらず、20代の女性が何人も参加されていた事です。

花街、遊郭としての島原に対する関心をもって参加された方ばかりでなく、太夫を絵画のモデルとして、あるいは着物や結髪に対して興味のある方、新撰組を含む幕末の舞台としての島原を感じたい方などなど・・・日本古今最格式がある傾城町の懐の深さを見せつけられた思いです。

私としては、一応、JR丹波口から住吉神社、旧歌舞練場を案内したり、宴会後に大門の説明をしたり、一応ガイドらしい事はしましたが、座敷に入ってからの心情は他の参加者とあまり変わりなく、一番愉しんでしまいました。

さて、輪違屋さんは明治以後一時期“養花楼”と名乗っており、他の島原の揚屋さんも、一様に長松楼(角屋)、紫籐楼、桔梗楼、万春楼、旭楼など、すべて~楼としていたのに疑問をもっていました。これは楼をつける事で、官許の貸座敷であることを示す必要があった、という事です。

また、この中には青木楼は含まれていません。これは青木楼が大正年間に創業した為だからです。

宴会の座敷の私の上には“養花楼”と書かれた額がありました。

f0347663_15082715.jpg
f0347663_15084766.jpg
f0347663_15090919.jpg

by gionchoubu | 2017-02-27 15:09 | 島原遊郭 | Comments(2)

島原 輪違屋

f0347663_12264390.jpg


ほんとうの島原の太夫の素晴らしさを知って頂きたく、まいまい京都のコースの一つとして、以下のプランが実現しました。

高額の設定(実は大変なお値打ち)で催行に不安があったのですが、即日定員のお申し込みが有りました。

私の意見としてですが、出来れば今後も続けたいと思っております。


*******************************************************************************************


1月29日(日)11:30~14:30

【輪違屋】粋を極めた芸妓の最高位・太夫さんとお座敷遊び
~幕末の空間が残る格式高き島原唯一のお茶屋、十代目当主がご案内~

Share (facebook)



京都で唯一、幕府より公認を受けた
格式高き花街・島原。
そのなかで今も営業を続け、日本でただ一軒
太夫を抱えるお茶屋が、輪違屋です。

襖に道中傘を貼りこんだ「傘の間」や
本物の紅葉が塗り込まれた「紅葉の間」、
近藤勇の屏風など、新選組や志士たちも遊んだ
幕末の空間で、太夫さんとお座敷遊び。

島原の太夫は、知識、品格、遊芸と
すべてにおいて極上、大名や公家たちの
お相手を務めた芸妓の最高位。

可愛らしい禿を引き連れ練り歩く
「太夫道中」や顔見せの儀式「かしの式」、
お点前、舞・胡弓などの技芸。
京料理やお酒を味わいながら、
粋と艶を極めた
絢爛な饗宴を堪能しましょう。

固く閉ざされた「一見さんお断り」の世界へ。
花街を知り尽くした十代目当主の
レクチャー付きなので、
初めての方や女性の方もご安心を。


※飲酒を伴うため、ご参加は
20歳以上の方に限らせていただきます。

開催日時
2017年1月29日(日)11:30~14:30頃
※開始10分前にはご集合下さい。
集合場所
JR「丹波口」改札口前
※手旗を持ったスタッフがお待ちしております。
参加費用
28,000円 (保険料含む) ※料理、お酒付き
※当日集合時にお支払いください。お釣りのないようお願いします。
定員
20名(先着順・要予約)
※催行人数10名に満たない場合、開催日の7日前までにツアー中止をお願いすることがございます。
参加予約
ページ下【参加予約はコチラから】ボタンをクリック
または、まいまい京都事務局までお電話ください。
電話:075-462-2312
(受付時間10:00~18:00 ※水・日・祝は定休日)

  • 開催3日前以降のキャンセルは、キャンセル料をいただきます。
    ⇒キャンセル料について詳しくはこちら
  • 定員で締め切りますので、お早めにご予約ください。
  • 予約申込後のキャンセルは、この日の為に準備を重ねてきたガイド・事務局ともに、とても悲しい思いをいたします。キャンセルのないようお願いいたします。
  • 歩きやすい服装と靴でお越しください。
  • 雨天決行です。警報や注意報が発令されるなど荒天時は中止します。中止の場合は、開始時間の2時間前までに連絡いたします。



コースルート

【距離:約0.5km】JR「丹波口」 → 1.島原西門跡 → 2.島原住吉神社 → 3.歌舞練場跡 → 4.輪違屋(お座敷遊び) → (解散)

ガイドさん

高橋 利樹 さん

輪違屋十代目当主。幼き頃より太夫や芸妓とともに暮らし、三味線や鼓の音を子守唄代わりに育つ。太夫や芸妓に芸事を教えるため、自らも芸に精通する。著書に『京の花街 「輪違屋」物語』。
⇒京の花街「輪違屋」物語(Amazon)

担当コース:準備中

担当コースを全てみる


如月太夫 さん

輪違屋に所属する太夫。太夫の名前は『源氏物語』の帖や人名から付けることが通例となっている。

担当コース:準備中

担当コースを全てみる


正脇 良平 さん

祇園の旅館「ギオン福住」支配人。祇園甲部、祇園東、宮川町の芸舞妓の手配、また自らお座敷の司会進行を手がけ、花街文化に親しんできた。全国200箇所以上の花街・花街跡を訪問。現在は専ら「祇園ねりもの」(もう一つの祇園祭として江戸時代中期より絶大な人気を博すも、昭和35年を最後に途絶えた芸妓による仮装行列) の復興を目指して活動中。
花街ぞめき(ブログ)

担当コース:

担当コースを全てみる


満員御礼につき、予約受付は終了いたしました。
キャンセル待ち予約はコチラから。



by gionchoubu | 2016-12-04 12:27 | 島原遊郭 | Comments(2)