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祇園甲部の太夫

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                     吉野太夫花供養での島原太夫道中

以前ちょっと書かせて頂きましたが、祇園甲部に太夫さんがいた時期があります。これは明冶十九年島原遊廓が営業不振に陥り、祇園の末吉町に小林という置屋を含んだ三軒か島原から支店を設けて太夫を置いたのが最初です。

明冶十九年というと、祇園が完全に甲部と乙部に分裂した翌年で、さらに祇園が下河原を吸収したり、二条新地廃止を受けて二条新地から祇園清井に業者の一部が移ってきたり・・・どさくさ紛れという訳ではないでしょうが、あの豪奢に着飾った太夫さんが祇園町を行きかう姿は・・・祇園町の人も、祇園で遊ぶ人も、どう対処したらよいのかさぞかし迷ったことでしょう。

江戸期において、幕府公認の島原は京都遊廓の根本とされ、祇園も先斗町も上七軒も皆島原の支配下にあり、各遊所は島原に上納金を納め、芸者、遊女の監察までも皆島原から発行されたのですが、明冶になり総からく廃止、気がつけば島原は、繁華街から遠く離れた足場の悪い、京都の一遊廓になった訳で、言わばある日突然、古式豊かが古色蒼然に変わったのです。

その後、明冶二十七年には小林のみ残り、後の二戸はなくなり、代わりに三景楼が新たに太夫を抱えました。

この明冶二十七年に、松原警察署の主任警部が祇園新地甲部取締人を召喚してある苦言を呈しました。

それは、「近年、祇園町新地甲部区域内にて、縄手通り及祇園町通りは往来頻繁にして、殊に内外貴顕紳士の通行多きを以って、娼妓のうちにも太夫の如き打掛姿又は巻帯姿の者、昼夜を分たず、堂々と通行するは風俗取り締まり上、甚だ不体裁なれば、此両通りを通行する者は宜しく注意し、其醜態をして人目に触れざる様にすべし云々」というものでした。

祇園の太夫さん、まさか島原道中のように、傘持ち、二人の禿、今でいうマネージャーといえる引船さんを引き連れて歩いたものではないでしょうが、あの格好で公道を歩けば、警察も放っておくわけには行かなかったのでしょう。

甲部取締りは事務所で協議、以後縄手通り、祇園町を通る太夫は人力車か駕籠に乗せてお花にいくことを競技中、との事で、この記事が載った『花柳』に後日談はありませんでした。

大正四年の都をどりのパンフレットに揚巻太夫、高尾太夫、住染太夫、小車太夫、小町太夫ノ五人の太夫が赤襟を返して載っています。

娼妓である太夫が何ゆえ都をどりのパンフフレットに・・・という疑問がわくのですが、確か太夫はお茶のエキスパートでもあるゆえ、都をどりのお茶席でお点前を披露していたとどこかで読んだ記憶があります。

京都五花街で、祇園甲部が都をどりで、先斗町が鴨川をどりでのお茶席で芸妓が赤襟を返すのは、この二花街が過去御所でお茶席を設けた名残ではないか、と以前、私は述べましたが、都をどりで、赤襟を返した太夫がお点前を披露したなら、都をどりのみに関してなら、甲部芸妓の赤襟は太夫の影響を受けたと考えることも出来るでしょう。



by gionchoubu | 2015-07-05 15:11 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)

赤襟を返す


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                                 都をどりにて
歌舞伎『助六由縁江戸桜』をご覧いただくと、揚巻を中心にズラット並んだ吉原の花魁たちの見事な艶姿、この花魁たちが、それぞれ豪華な衣装で並ぶ中、皆一様に赤襟を返す姿が、色とりどりの着物姿に、見事なアクセントを付けているのに気づかれることでしょう。

この赤襟を返すのは本来島原の太夫の風習ですが、歌舞伎の世界では、どうしたものか、東も西も遊女の証しと見なされているようで、遊女の側面の強い大阪歌舞伎での茶屋の娘は赤衿を返しますが、同じ場面に出る仲居さんなどは襟を返しません。

そもそも、何故島原太夫が赤襟を返すかは、遊女の最高位であった昔の島原太夫は、十万石の大名と同位の正五位の官位を持ち、禁色の赤を身にまとっていることを見せ、御所に入所出来る事をアピールしていると言われています。

ですから、官位と無縁な花魁さんなどが、赤襟を返すのは、一種のファッションのようなもので、歌舞伎の世界でも花魁が赤襟を返すのに眉をひそめる人もいました。

不思議な事に、京都五花街のうち、祇園甲部の都をどりと、先斗町の鴨川をどりの芸妓(以前舞妓と書きましたが芸妓との御指摘受けましたので書き換えました)さんのみが、幕間のお茶席でこの赤襟をかえすのです。

実は明治十年、京都の花街が、博覧会協会が仙洞御所の酔花亭にてお茶席を設けたことが有り、この時編み出されたのが、椅子を用い海外の方にもお茶を楽しんで頂くための立礼式で、現在五花街の〜踊りのお茶席は皆、この立礼式(りゅうれいしき)の作法で接待しています。

この時島原太夫も抹茶の接待をしましたが、もし、その京都の花街が祇園と先斗町の芸妓のみであり、島原太夫の赤襟の風を取り入れたと考える事は出来ないでしょうか?

ただ、この二花街の芸妓の赤襟が御所でお茶席を設けたことによるものか、どの文献で見たことも、聞いたこともなく、私が密かに思っていることだけで、何も証拠たるものが無いのであしからず。(実際関係者に、そんな馬鹿なと一笑された事があります、ただ理由は説明されませんでした。)

さて、そもそも、この太夫の襟返しですら、いつからあったものか触れているものに出会った事がなく、江戸期の太夫の絵姿を見ても、この赤襟に出会った事は、私の経験としてありません。

五年程前、常照寺の「吉野太夫花供養」で、質問コーナーみたいな場があったので、おそるおそる、如月太夫にこの質問をしました。

太夫もご存知なく、きっと私のことを、眼鏡の「面倒くさい奴がいる」と思ったに違いないのですが、表向きはにこやかに、しかも毅然と「こんどお会いしたとき屹度お答えしようぞ。」みたいな事を太夫言葉でおっしゃいました。

ところが向こうは正五位、こっちは平民、個人で太夫にお花をつけるなんて、とてもとても・・・

「今度って、一体どういう状況なんだよ〜」と言いたい気持ちで一杯です。

参照:京の花街「輪違屋」物語、高橋利樹

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                                    如月太夫


by gionchoubu | 2015-01-26 11:35 | 舞妓・芸妓 | Comments(6)