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島原遊郭ぞめき 角屋の餅つき

島原遊郭ぞめき 角屋の餅つき_f0347663_11512272.jpg
                         菊川太夫

宝暦七年刊の『一目千軒』の「餅搗の事」・・・餅つきも紋日也、これは揚屋の祝ふ事也、これも日限不定なり、宝暦七年は1757年、このころは島原の揚屋の行事だったと思われます。

しかし廓の餅つきは、現在手に入る資料、書籍を見渡しても、ごく僅かに大阪新町の吉田屋の餅つきの話を見かける以外、総てが角屋の餅つきに関するものです。

そこで今回は角屋側、即ち『角屋研究、第21号』で青木亮人氏が財団法人角屋保存会、中川清生理事長のご教示を中心に纏められた「昭和の島原、太夫道中のひととき」の三、“道中、餅搗などの「見残した夢」”を参照して書かせて戴きます。

同稿によると、矢張り“本来は各揚屋が内輪で正月の鏡餅や雑煮用の餅をついたものであり、公の行事ではなかった。しかし、次第に揚屋に縁の深い太夫や芸妓、幇間らが手伝いに来はじめ、そこで芸妓が舞などを披露するようになり、それが噂を呼んで贔屓客らも見に来るようになったため、たとえば角屋では毎年十二月二五日に公の行事として催すようになったものである。”かつては島原の他の揚屋でも行われていたようです。

さらにその後“餅搗の終盤には男衆や太夫、芸妓などが臼に集り、「千石や万石や」と掛け声を三度かけながら臼の周りを回り、最後は幇間が「打ちましょう、もうひとつせ、祝うて三度」(上方の手締め)を行い、全員で「おめでとうさんどす」と唱えて行事を終える”と纏められています。

田中緑江さんも、「角屋の餅つき」の一部始終を詳しく書いた記述があります。

十二月二十五日、普段角屋に出入りの芸妓達は二つに分かれ、外出着姿で角屋の一階の広い台所に集り、戸棚前に赤毛氈を敷き、見物客を竈側に座らせ、一方は休むまもなく、長唄、常磐津、小唄、清元、浄瑠璃を演奏し、踊ります。もう一方の芸妓は内玄関の庭で本職がついた餅を仲居たちと持ちこねを手伝いました。

踊りの方は「十二月」「梅の春」「万歳」「梅にも春」「廓の寿」「としま」「末広狩」等、以前太鼓持が居たころは、この太鼓持が裸踊りを合間に入れたりしました。

その間太夫衆は奥座敷で、打掛を着ないままこれを見ていたようです。

最後に近くなると、玄関で芸妓数人が三味や鼓で、餅つきに合わせて三番叟や十二月を弾き、千石万石と祝詞を述べ、来客一同に搗きたての善哉を振る舞ったと有ります。

『京の花街』渡会恵介著では、昔は、太鼓持ちが芸妓さんの舞の間に裸踊りをやり、最後に杓文字、れんげ、火箸で囃し、臼の縁を叩いて浮かれまわり、太夫たちも打ちかけ姿で餅こねを手伝いました。仲居は総てお歯黒として赤前垂を締めていました。

角屋の餅つきは近年、角屋を離れ島原の歌舞練場に移り、さらに大門外で時折り催されているようです。画像の餅つきは数年前、祗園のくろちくで催されたものです。

角屋の餅つき・・・この「見残した夢」が「見果てぬ夢」となり、再び嶋原傾城町に、叶うなら角屋に戻ってくることを強く望みます。


by gionchoubu | 2016-07-17 12:32 | 島原遊郭 | Comments(2)