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花街 元林院ぞめき 六

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                      たまきさんの店内から
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   外から

現在カフェーを営む“たまき”さんはもと元林院の玉喜席という芸妓置屋でした、昭和31年に今のママのおじいさんがショットバーに改業し店のなまえもタマキに改名しました。

ところが心無い人がマに線を付けタヌキと店の看板に悪戯をしたので平仮名のたまきにしたとの事です。

店の門構えは狭いものの、京の町屋同じで奥に長く中庭をはさんだ向こうは中二階建ての構造で、置屋時代には十人ほどの芸妓さんがおり、菊水や奈良ホテル等にお座敷かよいをしました。

色々、いろいろお話を伺いましたが、置屋時代、お馴染みの商店街の玩具屋の旦那が遊びに来て子供におもちゃをくれたそうです。

本来置屋に客が入るのは好ましくなく、祇園ではアブラムシなどと言われていました。

元林院では別に咎められた行為ではありません。ただ芸妓は絶対芸妓姿を置屋では見せなく、玩具屋さんも、玉喜席で一服したあとは、座敷でその芸妓を揚げたそうです。

ショットバーになってからは元芸妓が洋装でショットバーの接客係りとして働き、全員が結婚などで片付くまで店は面倒をみたそうです。

現たまきさんでは美味しいコーヒーを頂くことが出来ます。なんとなく入りにくい店構と私には思えましたが、お話好きのママとケーキ目当ての若い女性のお客さんが入れ替わりこられておりおすすめです。

さて、『写真アルバム奈良市の昭和』樹林社、には奈良ホテルが米軍にレクリエーション施設として接収されている期間中の昭和26年頃、奈良ホテルの進駐軍のパーティで接待する元院林の芸妓の写真が載ります。

さらに昭和29年ごろの写真では、元林院の芸妓置屋・京豊の芸妓たちと主人が全員胸のB.Socksの名が入ったおそろいの野球ユニホーム姿で収まっています。これは京富の主人の父親の野球好きが高じ仮装した時の記念のようです。

また、昭和30年代には元院林の中学適齢時のため、三笠中学校に特殊学級が設けられ、毎日正午から4時まで勉学に励み中学卒業資格を得ることが出来たと書かれていました。

昭和三十三年二月二十四日の大和タイムスによると三月五日に奈良市丁別館にて元林院芸妓組合主催『邦楽会』の番組決定の記事が載り、出演者として小紀美、里菊、豆らく、若太郎、お染、玉喜久、ひで丸の名が見えます。

昭和30年代には芸妓数は50人を切り、昭和43年のオイルショックを機に高度成長期も終わりを告げ、同52年の奈良市庁舎移転による人の流れの変化は、元林院の置屋経営に大きな打撃を与えることになりました。

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                    奥はトイレのドア
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                 玉喜席の玄関前、お抱え芸妓、一若と宝恵籠
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玉喜席、人丸と男衆


by gionchoubu | 2019-01-27 15:48 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)

先斗町ぞめき 五


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                  1月7日先斗町を正装で歩く舞妓さん

やがて幕末の風雲の中、勤皇、佐幕両派入り乱れて先斗町でも遊興し、その中には、水亭の常連であり木屋町で難にあった本間精一郎、瓢亭(いまのいずもや)で芸妓小勇と浮名を流した平野国臣、後藤像二郎も丸梅の芸者小仲に熱をあげたといいます。

ちなみに先斗町には五十四本の路地があり、五番路地、十五番路地とか数字が打たれておりますが、これは土地にうとい勤皇方の志士が便宜上つけたといいますが、確証はありません。(当時の番号や路地の数といまのそれは違うようです)

慶応三年版(1867)『四方のはな』によれば、大政奉還前夜先斗町には、四軒の見世があり、安政と比べると近江屋と浅井屋が無くなり、大もんじ屋に芸子80人、遊女(娼妓)19人、大こく屋に芸子28人、舞子12人、義太夫(芸妓)5人、遊女(娼妓)30人、津の国屋に芸子13人、遊女(娼妓)10人、浜むら屋に芸子20人、義太夫(芸妓)2人、遊女11人の名を確認することができます。

明治五年、槙村正直参事(後知事)の号令で、京都博覧会の余興で始められたのが都をどりですが、この年、もしくは翌六年に催されたのが先斗町の鴨川をどりです。この開催初年に関して、緑江さんを含め殆どの書物は五年とかいていますが、『京都先斗町遊廓記録』と明田鉄男の『日本花街史』のみは翌六年(尤も第四章では明治五年)と書かれております。『京都先斗町遊廓記録』は先斗町の倉田保之の手によるもので、特に鴨川をどりの記載に詳しく、信頼性は非常に高いものの、鴨川をどりのパンフレットも明治五年を第一回としています。

この倉田保之自身、明治二十八年より大正四年まで鴨川をどりの作歌を担当していました。ちなみに明治十一年から十六年までは、府知事槙村正直の右腕であった明石博高(あかしひろあきら)が担当していました。

ちなみに倉田保之は、『京都先斗町遊廓記録』に「又た年々続きて興行ありしには相違なくとも十三年まで即ち二回目より七回目迄の内に御代の四季といえると猶ほ題なき番組あるも年号記しあらねば何年のとも判明せず。」と書いています。鴨川をどりのパンフレットに、

第一回 明治五年  三月十五日〜五月十五日   雲井の庭
第二回 明治六年  三月二十日〜四月二十五日  御代の祝
第三回 明治七年  三月一日〜四月五日     四方の花
第四回 明治八年  三月五日〜三月三十日    源氏のをもかげ
第五回 明治九年  三月二十日〜四月十五日   花くらべ
第六回 明治十年  三月十五日〜四月十五日   四方の詠
第七回 明治十一年      上        三やしろめぐり
第七回 明治十二年      上        都のなどころ
第八回 明治十三年 三月一日〜三月二十五日   花づくし
第九回 明治十四年      上        御代の四季 

と明記されているので、後日全ての題が明らかになったと思われ、どうも五年のほうに軍配が上がるようです。。


by gionchoubu | 2014-08-08 12:30 | 先斗町 | Comments(0)

祇園ねりもの 三十五



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昭和三十二年 先行燈 園の賑

前述のように、この時撮られた多くの写真がプリントの状態で、祇園東御茶屋組合でつい最近発見されました。鉛筆で裏に番号が書かれていたのですが、あまりそれにはとらわれず、私のほうで資料などを基に、出来るだけ忠実に順番通り再現させて頂きました。

ねりものは本来暗くなってからがその真価を発揮するのですが、これをフィルム時代の当時に夜の様子として収めるのはかなり難しかったと思います。明るいレンズがあったとしても、当時フイルム感度がISOでなくASA表記で、画像も荒れていない所から判断すれば、当時手に入りやすかったはずの100かせいぜい200程度、夜、しかも動く被写体を撮るにはかなり厳しい数字です。さらにまだストロボが無く、一回一回マグネシウムを焚くフラッシュを使用するには技術と経験とお金が必要、アマチュアの出る幕は非常に少なかったと思われ、これが私自身、ただでさえ少ない祇園ねりものの写真の中でも、夜を写した写真を殆ど見ることが出来なかった理由です。

さらに、夜に市役所前で所望の舞をしている写真、殿と猩々がどうも下駄を履かず足袋で練っていそうな事、又化粧、結髪の様子も収められ興味は尽きません。

廓旗、先行燈 園の賑、石鳥居

金棒引(つる文、美代丸*吉春)*は置屋

前列芸妓

先囃子三味線(茂勇、幸べん、照葉*植辰、小万、米十)

先屋台、先囃子、太鼓(叶弥、つる和)鉦(つる羽、栄、つる福、ふみ子)笛(品子、お吉)

一月、松の寿、万才(久勇*佐々木初)

同、才三(美代文*吉春)


by gionchoubu | 2014-08-04 16:41 | ねりもの Gion Nerimono | Comments(0)

祇園ねりもの 三十

それでは祇園東(当時乙部)単独によるねりもの計五回の内の第一回めの前半を紹介させていただきます。

昭和十一年 七月十日、行燈題 園の賑、先囃子三味線は屋台の前を三味線を弾きながら歩き、太鼓外の鳴物は屋台の上に座って囃しました。先囃子の三味線四人、太鼓二人、小太鼓三人、大太鼓一人、銅拍子二人

正月 松の壽、万才 ともえ 朝子、才三 木村 若常
年の端に、御代をことほぐ万才楽の、目出たき初春の風俗、万才、才三の服装は、江戸時代中期の浮世絵に依りて意匠す、万才は熨斗目の素襖、才三は反古染友禅模様の廣袖の小袖に紫縮緬の頬かむり姿。(高島屋謹製)

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祇園東お茶屋組合に保管されている人形
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二月 箙の梅、上歌 久壽
源平合戦記の中の、かの生田森の若武者梶原源太の軍中の風流、待鳥帽子に腹巻着けたる勇壮なる武装。(大丸)
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三月 関の花、小野小町、高里 末吉
かの逢坂の古関に縁ある小野小町の花の姿を、平安朝時代の若き上臈の晴装、汗彩姿として表はし。それに衵姿の女童三人を配す。(大丸)

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四月 追分の藤、ふぢ娘、大富 久吉
かの大津絵のふぢ娘、俳聖芭蕉の「筆のはじめは何佛」の句を色糸の縫にした小袖に、江州水口製の「つゝら笠」といふ、元禄時代の町娘外出姿。(大丸)

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五月 三河杜若、在原業平、松村 三玉
かの八つ橋の故事に依り、在原業平朝臣の官服姿を、古来よく描かれたる直衣、布袴にて表はす。添ふるに水干姿の童二人。(大丸)

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六月 鎌倉山の時鳥、静御前、北つね とよ
京の白拍子静が、頼朝、政子の召によりて鶴ヶ岡の社前に、歌舞を演ずる男舞の風姿。その服装は、時代考証に依らず、大略後世の能楽風俗にて表す。(高島屋)

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by gionchoubu | 2014-07-29 14:59 | ねりもの Gion Nerimono | Comments(0)

祇園東ぞめき 一

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私が好きな言葉に“ぞめき”があります。かつて遊廓の中を冷やかして歩き回ることを“ぞめく”と言ってその名詞がぞめきだったのですが、いまではわずかに「二階ぞめき」のように落語の世界でのみ聞ける言葉になりました。
そもそも“ひやかす”という言葉自体も吉原から出た言葉、紙漉き職人が紙を作る時に紙を冷やす工程があり、その間吉原で花魁の品定めなんかをしながら時間を過ごしたのが語源と言われています。

文学博士、湯沢幸吉氏の『廓言葉の研究』によれば、現在京の花街で“〜です”の用法で使われる“おす”も廓言葉の丁寧語で自立動詞・補助動詞として分類されています。

さらに一時期の東京の上流階級の言葉のイメージがある“ざんす”“ざます”も本来は廓(さと)言葉でした。

この様に遊廓・花街の言葉が現在に沢山生きているのはあまり知られていません。料理屋ででてくる所謂“お通し”や居酒屋の“付け出し”、お客が居ない時に“お茶を引く”や盆、正月などを“紋日”といったりするのもこの世界からきました。

迷信が生んだのがエテ公の“エテ”、お客が去るのを暗示する猿を嫌ったのです。

真偽の沙汰は不明ですが、歌舞伎で役者として女性が禁じられ男性が演じるようになったとき、まだ少年の役者見習いを“部子”(へこ)と呼んだりしたのですが、この美少年の部子に入れ込み、金も精も根も使いはたすのが“へこたれる”の語源になったという説も有ったりするのですが、中でも出色なのが、今やコンビニでも買えるお寿司、助六の言われです。

助六は元和時代、京都の中京区にいた実在の侠客で、当時の容色才芸ともに秀でた総角(あげまき)という島原太夫と浮名を流し色んなエピソードを残しました。これを江戸に舞台を移し脚色されたのが歌舞伎の『助六由緒仇桜』なのです。総角は揚巻とも書くので、江戸っ子のしゃれっ気でおいなりさんと巻寿司の折り詰めを“助六”と呼んだというのが由来になりました。
話が出来すぎで、ちょっと信じがたいのですが、これも廓言葉の可能性は大いにあるのです。


それでは300年弐わたる祇園東の歴史をぞめいてみます。
現在一般に祇園東と呼ばれる京都五花街の一つ、正式には祇園東お茶屋組合が祇園の母体と事実上袂を分ち合えたのが明治十四年、祇園の大部分が祇園甲部と名乗り、分離した所が乙の字をもらった後、明治十九年祇園乙部五業組合が出来て完全に独立、さらにその後明治三十三年祇園乙部貸座敷組合と名乗りました。


by gionchoubu | 2014-07-14 16:37 | 祇園東 | Comments(0)

祇園ねりもの 十八




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文政元年(1818) 緑江さんが実施の年に入れておられない、長秀の絵番附が存在します。


文政元とらのとし 祇園神輿洗祢り物絵客列書 長秀画

先はやし 太鼓 万や 小ゆう、井上や 今つる

三味線 うぢや 若貴、△屋 まの、京いづゝ屋 ふき、同 琴治、

      新や くま、同、若葉

一 蛍かり町娘は千賀 かつ、花ひしや? 笑冶

一 白酒うり 新や 梅冶

一 せんだく女 さくらい屋 小瀧、付添 粂仙人 京や 竹冶

一 女うかひ 井上や つる梅

一 風流さる廻し 京や 小左枝

一 ぬひ物寺小 近江や ひな冶、付添はでっちひな松

一 曲付 琴冶、 同 琴江?

一 風流紅うり ならや 初の

一 豊玉姫 いづゝや 今つる

一 つゝれのみき新七役 万や 松江

一 女鉢の木 白たえ 三升や ゆき、西明寺はなか、玉づさは 鹿気

一 白木やお駒 腰元姿 京いづゝや 八重松

一 とびん いづゝや 光枝、いかけは力松

一 錦帯はしけいせい 高間戸 禿はいま、同 さくらいや とら

一 融汐汲 三升や 小か野                 山左はん

練り子は歌舞伎などの役柄、歴史上の人物と並んで、江戸期は当時の生業を映したものも多く見られます。
練り子は全員非常に穏やかな表情で描かれています。洗濯女と付添は裸足で練っています。女鵜飼の船と鵜はどんな仕掛けになっていたのでしょう。先囃子鼻の下が黒いのは気になる所です。






by gionchoubu | 2014-06-29 11:34 | ねりもの Gion Nerimono | Comments(0)