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夏目漱石と遊廓 その一


夏目漱石と遊廓 その一_f0347663_11411804.jpg
                        道後温泉

坊ちゃんが数学の教師として松山に赴任して早々、松山市から汽車で十分ばかりの温泉のある町にいき、その温泉に入った帰り、温泉地の遊廓の入り口にあって、大変うまいという評判の団子屋で一服しました。一夜明け学校に赴き、一時間目の教室にいくと、

「団子二皿七銭」と書いてある。

二時間目の教室いくと、やはり教室に

「遊廓の団子旨い旨い」と書いてある。

この温泉が道後温泉なのは皆が知る処で、この遊廓とは嘗ての松ヶ枝遊廓です。『全国遊廓案内』によれば、遊廓が許可されたのが明冶十一年で、昭和の始めごろ、朝日楼、新開進楼、夢の家等二十九軒貸座敷があり、内四軒が居稼ぎで、残りの二十五軒が送り込みとあります。居稼ぎとは芸娼妓が、抱え主の家で客を取って稼ぐことで、送り込みとは娼妓が置屋から揚屋に派遣されることです。

娼妓の過半数は二枚鑑札で、酒席へは旅館からも呼ぶことが出来ました。二枚鑑札とは一人の女が芸妓と娼妓の仕事両方の鑑札(免許)を持っている事です。

又、坊ちゃんが赤シャツを称して「彼奴(あやつ)の親父は湯島のかげまかも知れない」会津生まれの山嵐が「湯島のかげまた何だ」と尋ねると江戸っ子の坊ちゃんは「何でも男らしくないもんだろう」と答えています。

湯島天神の遊廓は、加藤藤吉の『日本花街史』によれば、江戸時代は富くじの興行場として、又東叡山の僧侶達の隠れ遊びの男色の町で、陰間茶屋が軒を並べていました。坊ちゃんの言ったように、たしかに男らしくなかった様です。明治時代には花街となり、俗に梅鉢芸妓が席に呼ばれました。

うらなり君の送別会の時には坊ちゃんも参加しました。小説では松山第一等の花晨亭という料理屋の五十畳の広間が会場だったとの事でした。そして宴たけなわ、

「おれの前に来た一人の芸者が、あんた、なんぞ、うたいなはれ、と三味線を抱えたから、おれは歌わない、貴様唄って見ろといったら、金や太鼓でねえ、迷子の迷子の三太郎と、どんどこ、どんのちゃんちきりん。叩いて廻って遭われるものならば、わたしなんぞも、金や太鼓でどんどこ、どんのちゃんちきりんと叩いて廻って逢いたい人がある」という下りがあります。

これは岩波書店の『漱石全集第十三巻』の断片、明治三十八・九年に同じ文句があり、そのすぐ前にも漱石は「畳たゝいてねー、くどい様だが、ようきかしゃんせ、悋気で云うのぢゃなけれども、一人でさしたる傘ならば片袖濡れよう筈がない。」という粋な唄が書き留めております。しかしながらこっちの方は何処にも使われなかったようです。

松川二郎は『全国花街めぐり』で松山の花街の欄を設けています。代表的な料亭に梅廼舎、明治楼、亀の井の三軒を挙げ、梅廼舎がもっとも規模が大きく設備も整い、市内一の料亭と書いていますが、この坊ちゃんが芸妓に唄わせた花晨亭のモデルが梅廼舎です。

坊ちゃんの記述を見ると、漱石も松山赴任時代、なにかの折実際この松山一の料亭の席に附いたこともあったと思います。

窮屈そうに座っている夏目金之助の所在無げな姿が目に浮かぶようです。

坊ちゃんと違いその席で決して松山芸妓を貴様呼ばわりしなかったのを、私は断言できます。
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                   以上、松ヶ枝遊廓跡辺りの風景

by gionchoubu | 2015-12-19 11:46 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)