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奈良 洞川の游所

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                      2010年の画像

『奈良県の地名』平凡社で洞川(どろかわ)村は天(てん)の川の支流山上川流域に立地、女人禁制の修験道の根本道場山上ヶ岳への登山口として古くから知られている、とあります。

洞川と書いてドロカワと読ませるのは瀞川の義か?と書いているので語源もよく分からないようです。

天保九年安田相郎の『大和巡日記』によると、彼が聞しに替難所、危事の至極也と述べる大峰山登山の後「夫より洞川に来る。町有。甚以宜町柄、山中に存掛も無之町也。百余軒有。茶屋皆大也。小宿の本陣位の茶屋也。此辺紅花盛多し」と相当な賑いがあった事が伺えます。

ちなみにこの旅で彼は大和郡山も寄り「郡山よりは家宜也。支度いたし相尋るに、飯盛なとのころぶ処と見へて、客舎の坐取彼是遊里の如し」

遊廓の類型でいうと郡山の遊所の起源が飯盛女が春を売る街道型ならば、洞川(どろかわ)にあった遊所は精進落とし型の典型になります。

広辞苑によると精進落とし=精進明けで意味は、精進の期間が終わって肉食をすること、であり精進落としの後に女性に接するのは一つの慣わしといったわけなのでしょう。

精進落としだから・・・と言って周りに女郎買いが正当化される風土があったと言うことでしょう。

精進落型の遊所というと何と言っても伊勢参りで大発展を遂げた伊勢古市の遊所を挙げれます。非合法ながら、官許の江戸の吉原、京の島原、大阪の新町の三大遊廓と肩を並べ、日本四大遊廓の一角を占めたことでもその繁栄を知ることができます。

金比羅さんの琴平の遊廓も明らかにこのタイプに属するはずです。その他三重の高田専修寺で栄えた一身田遊廓、京都の壬生寺の境内に遊女屋があった壬生遊廓などもたぶんにその要素を感じられます。

いつから洞川に、大峰山の修験者の精進落としの遊所があったかは分かりません。江戸期は幕府領でもあったのでその頃はどうだったのか、経緯は色々調べたものの全く分かりません。江戸期の遊所番付にも載りません。

非合法であったのは間違いなく、奈良県の免許地ではありません。旅館がそういう役目を担ったというネット情報もありますが私が聞き取りしたところ、画像の建物がその遺構で一階は料理屋、二階にびっしりと布団が並べられており、それはそれは賑やかで、今からでは想像も付かないほど繁盛していました。

今の観光案内所の辺りにもそういう建物があったという情報もありました。

売春防止法成立後も営業を続けており、以前は九州、四国の女性が多かったが、昭和四十年代になると外国人にとって代わったとのこと。

たぶんフィリピンからのじゃぱゆきさんと言われた人たちなのでしょう。

芸者遊びは下市、上市で遊廓の役目を追ったのが洞川と教えてくれた人もいました。

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                     同じ建物、最後はスナックだったようです。

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                       内部の様子
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                        町の様子
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                        旅館
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                      街並み


by gionchoubu | 2019-04-18 12:58 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)

遊廓、花街の類形 その五

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                       麻吉旅館
精進落し型 江戸の吉原、大阪の新町、京の島原を日本の三大遊廓と評することがあるのですが、これらはいずれも公許の色里、非公許ながらこれに伊勢の古市を加えて日本四大遊廓と唱えた事があるのを見ても、どれほど伊勢の古市は認知され、大変な集客力があったのが分かります。(古市を省き、長崎の丸山を入れ四大遊廓と言うこともあります。)

古市は現在の近鉄伊勢山田のほど近く、かつての参宮順路の要所を閉め、その遊女の起源は、平氏が西海で滅んだ後、その残党の一部が志摩の磯部や度会南島などに潜伏、人目を極端に怖れ最低限の暮らしに甘んじていたものの、その彼らが後に生活苦から娘を遊女に差し出したという言い伝えがあります。

その後、徳川時代の初め頃、非合法ゆえ三田奉行は風紀振粛の為遊女追放を発令すれども効果なく、寛文、延宝の頃には、各茶屋に二名の茶汲女の名目で遊女を置くことを黙認、廓楼は店の前に茶釜を据えながらも堂々と営業を続け、元禄時代になると、茶屋と称しながら高級遊女を抱える大楼も数件出来、繁華な町並みが形成されました。

古市が全盛を迎えるのは、名古屋で第七代尾張藩主、異端の殿様と喧伝された宗春が失脚、彼が独断で興した名古屋の西小路、鍛治町、古渡一丁目に出来た遊廓も同時に廃止、この時古市の出店も故郷に余儀なく戻るのですが、この名古屋時代に、京、大阪の娼家と交流で得たノウハウ、センスを持ち帰り、折りしも寛政の大火で灰燼に屈した古市を好機と捉え、神明づくりの大楼をどんどん建て、大阪の新町を差し置いて日本三大遊里の一つと唄われる位の繁栄を見て、全盛期を迎えたのです。

どうして古市を神社門前型に分類しなかったかと言うと、ここを訪れる人は、娼家かよいを精進落しと唱え、古市の遊女達も、宮めぐりの済まぬ前に登楼した客と分かれば、これを断ったといいます。

しかし「伊勢参り大神宮にもちょっと寄り」という歌があるように、伊勢参り、伊勢参り、と全国の人々が押し寄せる中、目的は古市で大神宮は口実という不届者が沢山居たわけであります。

面白いのは、古市で一夜を過ごすと翌朝、妓楼から手拭と妓より手紙が届き、もう一回泊まる(これを裏をかえすと言います)風習が慣例化して、客は一日こそ参拝に費やすが、妓楼から迎えに来るのでもう一泊、都合三泊逗留することになったそうで、この風は明治ごろまで有ったそうです。

しかしさしもの古市も旧街道が利用されなくなると衰退の一途を辿り、太平洋戦争で焼夷弾が撒かれ灰燼、唯一戦災を免れた仲之地蔵町(仲之町)麻吉一軒が旅館として残すだけになりました。その蔵には、侍が花代が無いにも関わらず登楼した為、やむなく残していった多くの刀があるそうです。

猶、歌舞伎でおなじみの『伊勢音頭恋寝刀(こいのたばね)』の舞台は古市の油屋にて実際起きた刃傷沙汰で、当時備前屋、杉本屋と並んで大楼の一角を担っていたこの油屋も戦争で消失、今はその場所を示す石柱を残すのみとなりました。

もう一つ、奈良県、大峯山の西麓に位置する洞川温泉は、修験道龍泉寺の門前町として発達し、沿道に並ぶ旅館には「精進落とし」の客を相手とする遊女などもいて夜遅くまで賑わいました。花街は麓の上市、下市があり、ここで芸妓遊びをしました。
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                  洞川で当時の遺構ですが、無人です

参照:伊勢古市考、野村可通、・艶本紀行東海道五十三次、林美一



by gionchoubu | 2014-11-05 12:50 | 遊廓、花街の類形 | Comments(2)