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水口遊郭ぞめき 石倉新地

水口遊郭ぞめき 石倉新地_f0347663_14440034.jpg
当時の貸座敷、志乃ヽめ旅館

慶応から明治初年にかけてはますます栄え、この時代は水口女郎の名が街道筋の話題を賑わしたといいます。

しかし明治維新後に藩主加藤氏が去り、鉄道敷設、さらに海路の便が開かれ、旅人は旧街道を通らなくなり商況は大いに衰えました。

そのため『甲賀市史第四巻 明日への甲賀への歩み』を見ると明治二十二年西村利一が初代水口村長に就任すると、遊郭と米穀取引所の設置を計画し村では誘致が難しいと町へ昇格させました。

明治二十年頃から遊郭設置の願書を県二再三提出するも中々認可されなかったので、兼ねて県会議員もかねていた西村は県の警察部の機密費削減を復活させる代わりにとの条件を出し、とうとう明治二十七年新遊郭の認可をとりました。

これが石倉新地で街道筋の飯盛旅籠で余命をつないでいた女郎や町に散らばっていた遊女をあつめて明治三十二年に町外れに誕生したのです。

明治三十二年一月十一日付けで、水口遊郭創業事務所から十五日に丸金楼で開業を祝う宴席の案内が発送されています。(甲賀市蔵)

昭和三十三年三月一日の滋賀日日新聞によると、このとき町の有力者だった中村又兵衛、荒川松冶郎、中西伝兵衛、大村利兵衛らが発起人として尽力したといいます。

新遊郭の設置にあたっては、かつての飯盛旅籠の一部で女郎屋として余命をつないでいたもの等、町にちらばっていた遊女を集め、旧本陣の一部を取り壊し四軒の遊女屋を建てました。中でも長盛楼は吉原遊郭の大まがきを真似て豪壮な建築でした。

そして遊郭の入り口にあたる中島町に米穀取引所もでき、遊郭は大いに賑わいました。ただし米穀取引所の方は運営が難しく、日露戦争直前の不況もあり、明治三十六年に解散しました。

明治末期から大正にかけて業者も二十軒に増え、芸妓約三十人、娼妓約二十人の花街に成長し、芸妓は京都の祗園とも交流も深く名妓と呼ばれるものの少なくありませんでした、と紙面にありますが、『滋賀県八日市市八日市新地遊郭』三露俊男著が公的資料に実数を求めた資料では貸座敷数が明治四十一年に十一軒、大正元年十三軒、昭和元年十五軒(娼妓二十一人)となっており、こちらの数が正しいはずです。

この頃が石倉新地の全盛期で、政党はなやかな頃、選挙となれば廓も大繁盛、芸娼妓も政友派、民政系に別れ互いに道で出会っても口もきかないという始末。
貸座敷も看板こそあげませんでしたがこの両党にわかれました。

こういった環境にあった彼女達はなかなか気骨に富み、町の繁栄策とあれば自腹を切って盛装をこらして町を練り歩き、総出の手踊りなども買ってでました。

こういった気前のよさにうつつを抜かし入れあげた町の一流どころに倒産騒ぎが相次いで出来たものもその頃でした。

ちなみに『大阪を中心とさせる近県電話帳大正十二年用』によれば登録業者の貸座敷業として一力楼、磯の家、東雲(しののめ)楼→現在の志乃のめ旅館と思われます、長勢楼、旭楼、宇気世楼、梅の家、萬花楼の八軒が載ります。




by gionchoubu | 2018-05-20 14:49 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)

水口遊郭ぞめき 宿場女郎

水口遊郭ぞめき 宿場女郎_f0347663_15154077.jpg
   水口宿

渡辺寛は『全国女性街ガイド』の貴生川の欄に「国宝的な草葺きの女郎屋が六軒建っていて、女たちも古典的存在。草津線で草津から三十五分のちか間にあるのに、お訪(おと)なうものは風ばかり。」の一文に誘われて以前貴生川を歩いたもののそんな雰囲気は微塵もありませんし記録も一切残りません。

思うにこれは貴生川町を含むその先の水口町の石倉新地を指していたものと思います。

水口の遊里は明治に誕生したこの高倉新地とその前身にあたる江戸時代に東海道五十三次の一宿であった水口宿の宿場町の遊里の時代がありました。

愛知の岡崎宿や吉田宿などと同じように、水口の遊里は城下町型と宿場型の二面をもつ複合色里でした。つまり遊客は街道の通行者以外に城下に住む侍、町人達もなじみとなっていたと考えられます。

『東海道名所記』に宿場女郎が旅人の胸倉を捕らえ無理に家に引き込み

「これはいかに、まづ物を言わせよ」

と旅人を有無を言わせず捕らえる様子が書かれているそうだし、

淫水亭開好という物騒な名の人が書いた『東街道五十三次』の水口に

「此宿にやどりをもとめ翌日は早都入りにて道中のおじゃれも今夜かぎりと、めしもり二人呼て大洒落にしゃれ、其夜は主従とも陰茎骨かぎり犯のめし、足も腰も口も陰茎もはっつり草臥打伏(くたびれうちふし)けり。」

と、明日は京都に入るので、羽目を外すのもこれが最後と、これまた物凄い事がかかれているそうです。

年代的に遊女関係を中心に水口宿の歴史を見ていくと、

慶長六(1601)年東海道に宿駅宿次制がとられ、水口宿は本宿ときまる。

やがて飯盛女の名で遊女が跋扈したらしく

寛文九(1669)年の代官、猪飼次郎兵衛条々には「一、遊女一切抱置候間鋪事、」という一項がはいります。

その後また次第に飯盛女は盛んになったので。

明和九(1772)年三月再び藩主加籐氏から町奉行の手で禁止されました。

十年後の天明二(1782)年旅籠屋から「宿場維持の為相当の冥加金を納入するから飯盛女を置かせてくれ」と嘆願するとこれが認められ一戸あたり五人の遊女(飯盛女)が認められました。

幕府令では一戸あたり二人なので、ずい分思い切った政策といえるでしょう。

ただしそれ以後藩士が旅籠屋へ出かけて遊興することは厳禁されました。

参照:艶本紀行 東海道五十三次 林美一著






by gionchoubu | 2018-05-14 12:36 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)