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大津 甚七町 稲荷新地

大津 甚七町 稲荷新地_f0347663_17273007.jpg
                         甚七町

大津百町の一つ甚七町の由来は、年代は未定なものの、ここに多くの土地を所有していた川屋甚七に有ると言われ、既に元禄年間(1695~1703)にその子孫が遊女屋を始めたと言う事です。

十五年の年月をかけて享保十九(1734)に完成した『近江輿地志略』の「稲荷社」に、

甚七町に在り~略~一年妖狐あって甚害をなす事あり。

狐は稲荷の使者なるを以って稲荷神を勧請す。

祭神は山城国稲荷神と同体也。今境内に茶屋をかまへ略遊女の類を隠しおく事もありとなむ。

享保十二末年の秋の頃より始めしとかや。

神社の境内不礼不敬不義の罪恐るべし。

この厳しい言い回しは、編纂者の寒川辰清が膳所藩の儒学者であったのと、この地志が十一代膳所藩主本多康命の命で編纂された為でしょう。

同じく柴屋町遊廓を述べる際も、広邑には必傾城町あるべき事なれども心得違ひにて身を亡し家を乱るに至る。若き時は血気未定らず慎むこと色にありとの戒め忘るべからざるの第一也・・・と地誌には必要ない小言じみた事も書いています。

さらに、宝暦十(1730)年の『大津珍重記』にも、当町稲荷新地に料理茶屋あり、と記されています。

明和元(1764)年京都町奉行の許可を得て新規遊女屋株三十軒となり年々冥加金を納めて営業しました。(享和七年に大津代官支配から京都奉行支配となりました。)

ところが天保の改革で全国の遊所のほとんどが禁止された時、甚七町の二十四あった茶屋も禁止となりました。

この時甚七町にあった店は丸屋、玉川屋、広島屋、井上屋、近江屋、鶴屋、大阪屋、中島屋、河内屋、柏屋、松本屋、鯉屋、山田屋、八百屋、青地屋、松屋、但馬屋、玉屋、己待屋、魚屋などで、遊女屋は宿屋又は他の業に転ずることとなりました。

甚七町近辺は別に相撲や他の興行もよく行われ、又賭博なども盛んで、遊女屋廃止後はしろいもじという若い女を抱えて他人に媒合(男の間をとりもつ)者がありました。

白首、白鬼、白女などは皆遊女の異名で、白湯文字は天保の頃より京都、大阪、筑前、伊勢、能登にて私娼を言い表していたので、しろいもじも白湯文字の事だと思います。

参照:『大津市志市下巻』大津市私立教育会編纂




by gionchoubu | 2018-07-22 17:28 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)