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遊廓、花街の類形 その十三

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開拓型
 江戸時代の北海道の遊里は港型がすこしあったぐらいでしたが、明冶になって開拓型、そして漁港型と言える遊所が現れました。

北海道の開拓事業を至上命令に官員、屯田兵、土工夫、囚人が国家事業として送られたのですが、基本これらの人は男達で、この厳しい環境の中、囚人は別として彼らに居づいて仕事をしてもらう為には遊廓は必要かつ絶対条件でした。

「此の地開びゃくのはじめ、花の都の東男の職人ども多く来ませしかど、まだその頃は人家もなく、まして女もあらざれば殊更に冬の肌寒く、独り寝の夢冷やかかく、もぼろしに都の親戚(みより)思い出て、目にちらつき仕事も手につかず、一人逃ぐればまた一人、一夜一夜にカマド減ず」開拓当初の札幌の様子を新聞記者が書いており、これが当時の職人の現実でした。

そして明冶四年、札幌の野原の真ん中、一面薄野の原に誕生したのが薄野遊廓だったのです。「女郎屋、また開拓の一端といわざるべきや」といったところで、松本十郎判官も根室に赴任するやいなや、遊廓を認めました。

室蘭は安政頃より、数件の旅館が遊女をおき、港型の遊里を形成していた様ですが、明冶五年開拓出張所が設置されると、新開地である新室蘭の沢町、常磐町に移転、さらに明冶二十年に屯田兵の輪西移住、炭磺鉄道会社の工事が始まると幕西に移転、開拓型の遊廓として生まれ変わりました。

苫小牧浜町遊廓もこの流れで、女で居住民を繫ぎとめる目的で開設したようです。

漁港型 江差も松前藩の頃は港型遊里にて、私娼といわれる女達が渡世していましたが、安政年間頃から繁昌し、輪通い小路に一時的に貸座敷が許可されたり、影の町に遊里が出来たりしたのですが、明治二十五年に新地が出来ると、影の町、切石町、上野町の業者が移り、芸妓、娼妓をおく遊廓が形成されました。

鰊漁期には魚夫、船頭、役人、商人、鰊仕込親方、廻船問屋が江差遊廓を陰に、表に支えました。

余市に沢町遊廓が誕生したのは、安政年間といわれ、魚場の繁栄はそのまま遊廓の繁昌につながり、その後全盛期には辻村楼一軒で、芸娼妓併せて四十名を数えたと言います。その他新今楼、梅川楼、柳田楼、さらに芝居小屋の亀遊座などが建ち、芸妓は江差、娼妓は東北地方から集まり、大正には料理店も並び、三、四、五月の漁業中は漁夫が二千人近くに膨れ上がり、海が時化れば、貸し座敷はこれらの漁夫で占められました。

其の他の北海道には、名を馳せた遊里に函館、小樽、旭川、根室などがあり、その他中小の遊里もいくつもあり、樺太にも豊原町遊廓、真岡町遊廓があり、樺太を含む北海道の遊廓総てが廻し制で、娼妓は居稼でした。

参照:北海道遊里史考、小寺平吉著


by gionchoubu | 2014-11-27 12:09 | 遊廓、花街の類形 | Comments(0)