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タグ:湯女、垢掻女、髪洗女 ( 1 ) タグの人気記事

大阪の湯女風呂


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天和二(1682)年刊、『好色一代男』井原西鶴著のさし絵、男が出入りしている所が柘榴口と言われるもので、奥の小部屋が一種のサウナ状態だったと思われます。褌姿でいる所から考えると、湯には入らなかったと思います。垢掻女に素手で垢をだしてもらい、最後に湯でからだを流した・・・あくまで想像です。


湯女の起源は建久二(1191)年、仁西上人が有馬温泉を再興されたときとされ、有馬に十二の坊舎(今でも~坊という旅館有り)を設け、それぞれの坊に年長の大湯女と年少の小湯女を置き、諸国から来る欲客の世話をさせたのが始りとされています。

『有馬温泉記』に「昔の湯女は白衣紅袴の装束をつけ、歯を染め眉を描きて、恰も上臈の如き姿をなし、専ら高位公家の澡浴せらるる前後、休憩の折に当り、座に侍りて或は碁を囲み、或は琴を弾き、または和歌を詠じ、今様をうたいなどして、つれづれを慰むるを以てわざとせり。」

貴人に接したという当初の江口・神崎の遊女の流れと、平安末期の白拍子という歌舞芸能の遊女群、有馬の湯女などの芸能、教養に重きをおいた遊女達の伝説は、その後、六条三筋の傾城町や初期の京の島原や大坂の新町の、遊女を尊び、時には市井の女を地女と呼んだりするという、江戸の中期にはすでに形骸化した、中世の高級遊女のおぼろげな姿を浮かび上がらせてくれるのであります。

『歴世女装考』によると、「天正十八(1589)、大阪にも、風呂屋といふ事いできて湯女とて、女ども入り来り客の垢をすり髪をあらふ。故に髪洗女ともよべり。髪を洗へば結ひもする故常に櫛をさす。此湯女宝永(1704~1709)中比にいたりては容色を飾り、浴客等が酒のあひてもなし、櫛一枚は常なりゆゑ塗櫛を二枚さして客の多きを見せ、頭かざりとも湯女のしるしともしたるなりけり。然して、稍色を売るにいたり、大湯女、小湯女の名目ありて、大湯女は酌をとり、小湯女は垢をすり髪を洗ふ。こは慶安、承応(1648~1654)の間なり。かくて追々湯女の淫風浪花はさらなり・・・」

延宝九(1681)年完、藤本箕山がそれまでの三十三年をかけて完成させた『色道大鏡』に「風呂屋女篇」で、箕山は江戸では非合法の遊女を置く風呂屋が吉原を圧迫するほど発展したので、「承応二(1653)年八月より風呂屋女停止となりて、ちりちりにわか(別)る。」と述べました。そしてその多くは吉原に吸収されました。

一方「かみがたも、其程々につきてにぎはゝしかりつれど、品をとろへたり。されども、さすが都の風呂には、やうやう垢かき女とて僅の数さだまり、是をゆるさしむ。大坂是におなじ、風呂屋は数さだまり、洛陽に十五軒、大坂に十六軒、この外制する処なり。」

江戸では風呂屋女が制限無く増え、勝山や市野などの歴史に名を残す名妓まで現れました。ところがあまりの繁栄が幕府の怒りを買い、撲滅の憂き目を見たのです。一方京都、大坂では、湯女は売女の主流となる事が無かった故に、細々とその風俗営業が一部黙認されました。

しかし、「大坂の風呂女は、つたなくふつゝかなる事、茶屋女にをとれり。聊か遊興のさたに及ばず。」と箕山は決め付けています。



by gionchoubu | 2017-05-24 14:26 | Comments(0)