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舞妓・芸妓そして島原太夫にまつわるエトセトラ その二

舞妓・芸妓そして島原太夫にまつわるエトセトラ その二_f0347663_16310891.jpg
                             巽神社にて祇園甲部の舞妓さん         

京都の舞妓さんといえば、だらりの帯、おこぼとかこっぽりと呼ばれる高下駄そしてぽっちりという帯留などが五花街共通のものとして挙げられます。

その中でもだらりの帯は舞妓の象徴として、祇園小唄でも、このだらりの帯が大変重要な役割を演じています。

このだらりの帯がいつ頃からあるのか知りませんが、私の知る限り、江戸期の文献で見たことはありません。ただし、明治初年に描かれた「京舞子の図」岸竹堂筆で、舞妓のだり帯姿がみれますので、幕末には舞妓風俗の一部として認知されていたと考えてよいでしょう。

明冶初期から中期にかけての舞妓の写真でも、これも私が見た限りでは前姿ばかりで帯の部分はいずれも確認できませんでした。尚、大正初期、長野仙之助氏が撮影した写真には綺麗に写っています。

渡会恵介さんは『京の花街』でだらりの帯に触れ「これは、掛けと垂れを同じ長さにして端を垂らした“ネコじゃらし”の変形で、京阪の商家の娘が、緋鹿ノ子ちりめんと黒繻子の腹合わせ帯びーいわゆる昼夜帯を、このダラリに結んでいたものが、さらにデラックス化したものである」と説明しています。

八百屋お七で有名な“お七結び”が帯の幅は違うものの、よく似ていますので、あるいはだらりの帯のベースの一つにあるのかも知れません

大阪のかつての舞妓装束をみますと、規模において日本最大の花街であった、宗右衛門町を中心とした南地五花街では帯を矢の字か、文庫結びをだらりの帯ほど長くたらした帯を締めていました。

京都のだらりが重なって一本に見えるのに対し、大阪の文庫は、木に止まった蝉の羽のように後ろから二本伸びていました。

このだらりの帯の名声をここまで高めたのは西陣の人たちで、旦那、若旦那は祇園や上七軒で遊ぶのは、商売と技術の参考になるとよくお茶屋にくりだしましたが、仕事の延長が遊びで、遊びの延長が仕事だった訳です。

だらりの帯は五メートル以上もあり、自分では締められないので、男衆さんか、お茶屋のお母さんが締めてくれます。

以前、パパラッチ的な週刊誌が、歌舞伎役者の方とだらり帯の舞妓がホテルの一室で密会!的なことで読者を煽っていましたが、専門的な技術がないと帯を締められないので、記者がほのめかしていた様な事は無いのです。

さて、だらりの帯の下に屋方の家紋が入っています。今でこそ舞妓は十五歳からでないとなれないのですが、昔は十歳に満たない舞妓も普通でしたので、お座敷の後、自分の屋型が分からなく途方にくれていると、通りがかりの人が、この紋をたよりに舞妓を送り届けてくれる役目を負っていました。

だらりの帯は舞妓のまいご札だったと言えます。

舞妓・芸妓そして島原太夫にまつわるエトセトラ その二_f0347663_16321618.jpg
                              猫に小判、斬新な意匠です。(祇園甲部)
舞妓・芸妓そして島原太夫にまつわるエトセトラ その二_f0347663_16340089.jpg
                                   お七結び
 
舞妓・芸妓そして島原太夫にまつわるエトセトラ その二_f0347663_16362503.jpg
                             この文庫を伸ばせば大阪の舞妓装束
                             


by gionchoubu | 2015-02-02 16:37 | 舞妓・芸妓 | Comments(10)