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壬生遊廓

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               直進の道が仏光寺通りで右が南側、左の道が千本通り

壬生遊廓に関しては『京都府下遊廓由緒』の記述と、それをもとに少し説明と地元の人の聞き取りを試みた緑江さんの『亡くなった京の廓』があるぐらいで、新撰組の屯所の周辺にあったにもかかわらず、すこし離れた島原での新撰組の逸話は出てくるものの、壬生遊廓の話は見かけません。

滝沢馬琴は1802年の羇旅漫録において都の遊所の一つとして壬生を挙げています。

ところが、天保前の『諸国遊所競』は版元が大阪なので、京都市内の遊所は名の通った所はもちろん下級遊所の代名詞である白梅図子(番付ではしらみの辻)、さらには今出川、三かん寺、三王うら、御霊うら、六はら野などのマイナー極まり無い遊所が顔を出すのに壬生遊廓は載っていません。

さて、『京都府下遊廓由緒』によれば、壬生遊廓の起源は北条高時が執権の時代、正和元壬子三月(1312)寺の家来で大念仏を開莚の時、境内に茶店を作り茶汲女を置いたのが始めとされます。

その後、有名な壬生狂言の折には繁昌しましたが、宝永年中(1704~1710)女性の境内宿泊を禁じ、以来茶屋は日没で店じまいになりました。それ以後は門外で営業を続けました。

この少し後、元文二年(1737)『洛陽勝覧』で博望子は壬生寺境内の茶屋に触れています。壬生寺の紹介は「宗旨真言律、本尊地蔵菩薩、作定朝、霊験、世に知れたる所なり」と手短に済ませ、興味は専ら境内の茶屋の様で、

「此内に茶屋あり。つり物、出会物宿也。又は呼者も有なり。料理は精進なり。酒代・飯代は折によるべし。

丸尼 一匁五分、但座敷代七分、お酒あかり候得は、座敷代なし。
呼者 一匁八分 二匁
同  二匁八分より銀壱両

是は町方のおこし元衆也。前方よりお約速之日限無相違参申候。茶屋女房と能々御工面。右は日の内斗也といふて初夜切也。

阿野田 若狭 八文字 鳥羽 丸

同寺門の茶屋大黒屋一軒あり。

是も右同断、料理魚類遣ひ申候。夜はいつ迄なりとも。大秘事也」

壬生遊廓を語る場合、この資料は吟味されるべきだと思います。出会物宿は後年、関西では盆屋といわれた男女密会の安宿で、壬生が盆屋の発祥の地だという説もあります。東海道中膝毛に「それより、壬生寺に参って、ここによしずをたてた、怪しげな安宿に引こまれて、その夜の宿とさだめ一泊した。あくる日、嶋原を見物し、朱雀野より、丹波街道をよこぎり、淀の大橋をに着いた。これより、下り船に乗って、大阪へと行くことになった。」とあります。

『京都府遊廓由緒』は維新後の様子を「明治三庚午三月壬生村水茶屋共遊女屋ニ粉敷致渡世一旦差止候処同四年七条新地出稼之筋ヲ以遊女屋渡世差許候事以下略ス」で短くまとめています。

壬生遊廓の娼家があったのは壬生寺の裏、千本通りに面した東側と、仏光寺通りの南側で『京都遊廓由緒』の付録地図に十四軒の遊女屋が主人の名とともに描かれています。

緑江さんによると、壬生遊廓は毎月二十一日の弘法さんと二十三・四日の愛宕詣で、そして四月、五月の壬生狂言の二十日間に賑ったそうです。しかし明治十二、三年には全部無くなり今は全くその面影はありません。

遊廓は神社仏閣の賑わいで発生することが多いとされるのですが、殆どが神社で、お寺の賑わい目当てで発生した遊所は少数だったと思います。


by gionchoubu | 2015-12-23 11:27 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)