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嶋原 輪違屋 桜木太夫 at Hygge

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                   前回の画像

第三回 嶋原 輪違屋 桜木太夫 at Hygge

開演 2018年 八月二十五日(土)十七時


料金 七千円(お飲物付)


嶋原の元貸座敷でカフェを営むHyggeさんが輪違屋さんの全面協力で、第

三回、桜木太夫の芸を堪能する会を催されます。


今回で三回目になります。


二年前に私も第二回に参加させて頂き、それがご縁で、まいまい京都『輪違屋コース』が実現したこともあり、今回も是非参加したいのですが、あいにく仕事で叶わず、そのあと輪違屋のバーのみ顔をださせていただきます。


当日は輪違屋の十代目御当主のお話、かしの式、お点前、舞が披露され、幕末史を飾った先代桜井木太夫の悠久の時にタイムスリップ、至福の瞬間に皆様を誘います。


質問等もあれば何でもどうぞ


ラフな格好でも全然OKです。其の後二次会として輪違屋さんのバーにもいけますよ。


お尋ね、ご予約はHyggeさんに直接メールで御願いします。


またはHyggeさんのフェイスブックを開いていただいて電話申し込みもOKです。


メール mail @hyggehygge.com


by gionchoubu | 2018-08-02 13:31 | 島原、輪違屋太夫 賛姿語録 | Comments(0)

日本画家 黒川雅子

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                         粧
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                         新春を舞う


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                          鼓の音
 
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                    宵待ち
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               輪違屋 桜木太夫


昨年のまいまい京都の輪違屋コースの参加者に日本画家の黒川雅子氏がいらっしゃいまして、今月の1月17(水)~23(火)大丸京都店6階 美術画廊アートサロンESPACEKYOTOアートスポットで“花に酔う 黒川雅子 日本画展”のタイトルで個展を開かれるとお便りを頂き、最終日にお伺いしました。


黒川雅子氏は大阪府出身で京都市立大学卒業されており、今回展示の作品は本の装丁にも使われているなど、幅広いキャリアの持ち主です。


絵に関する素養や審美感など何もない私にですら、透明感のある清楚な趣きだが、時には大人の女性の憂いを見せる舞妓達、しなやかで奥ゆかしく、そっと寄り添ってくれそうな(あくまで私個人の一種の妄想)芸妓、そして威厳を保ちながら、その艶やかさと豪奢さでで見るものを圧倒する島原太夫・・・とても心地よい時間と空間を感じさせてくれたのです。


画像の掲載を許可いただいたので、黒川氏の作品を幾つか紹介させて頂きます。



明日、2018年1月30(火)21:00

BS朝日、京都ぶらり歴史探訪 祇園物語 女が支えるた花街の彩(前編)で私(正脇良平)が八代目 中村 芝翫さんを
八坂神社、建仁寺、ゑびす神社にご案内します。












by gionchoubu | 2018-01-29 16:20 | Comments(2)

島原ぞめき ウィキペディア(Wikipedia)


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                   桜木太夫 at Hygge


以下英語のウィキペディア(Wikipedia)Shimabara, Kyotoの一部を和訳しました。(大分意訳しています)

島原京都

歴史

嶋原(島原、嶌原)は遊郭として1640年に設立され、後年花街となりました。現在は遊郭(日本では1958年に売春は法律で禁じられました。)としても、又1970年代より花街としても機能していません。

今や、京都の花街の一つと数えられる事はないものの、観光客が訪れるエリアであり、一軒のお茶屋のみ営業しています。

嶋原が出来る以前、豊臣秀吉の許しを得て、1589年に二条万里小路に最初の遊廓として二条柳町が誕生し、江戸時代になると、六条三筋町に移転、さらに1640/41年、嶋原に移りました。

嶋原が出来たのは、原三郎佐衛門が自ら娼家を始める為1640年に開廓、1958年に売春防止法の施行で遊廓としては終焉しましたが、芸者街として1970年代まで存続しました。

嶋原の名の由来には多くの説が存在します。島原大門が肥前の島原城の門とよく似ていたとか、その後、カトリックの拠点として居城を建設しようとした事から勃発した島原の乱に語源を求めるといった様な事です。

徳川の時代、嶋原は“御免の町”(公許の遊郭)、あるいは単にthe quarter(町?)とのみ呼ばれました。

これは、都の至る所にいた私娼と、嶋原で遊ぶ上流階級の人々とを区別する為でした。

嶋原は徳川家により日本の大都市に設営された三つの遊郭の一つで、指定区域にのみ売春を許す目的で公許にしたのです。

その三か所とは即ち京の島原(1640設立)、大阪の新町(1624~44設立)、江戸の吉原(1617設立)の事です。

この様な体制による規制は、売春という物に対して、道徳面から網をかけようとした物でなく、都市の中である種の行いに対し、世間の目から隔離しようとして生まれたと考えられます。

同じように、歌舞伎、浄瑠璃などの娯楽も幕府によって管理され続きました。そして芸者というものが1700年代に遊廓に付随して現れた時、島原にも芸者が生まれ、島原も芸者街の側面を持ちました。

明治維新により、天皇が京都から東京に移ると、経済的に宮廷に支えられていた多くの伝統文化も窮地に陥りました。

五花街が現代の京都に順応しているのに対して、島原は維新後百年をかけ徐々に衰退し、1970年代島原花街は解散、それによって現在、島原の伝統的な行事等は殆ど見られなくなってしまったのです。

他の花街が人の集まる市の中心地に出来たのに対し、島原は市の外れに設営され、不便で孤立した状態が続き、これも衰退に拍車をかけました。

他の京都の花街のように、島原も19世紀の終わりには歌舞練場が出来、青柳踊りも毎年開催されました。

青柳踊りは明治六年から明治十三年まで催され、明治十四年は行なわれませんでした。これは島原での踊りそのものの衰退も原因しています。

歌舞練場ができたのが明治六年そして昭和二年に移転しました。戦後は遊廓事務所として使われ平成八年に取壊されました。

---------------------------------------------------------------------------------------------------

これは日本語のウイキペディアを英訳したものでなく、独自に書かれた労作です。

但し、ここでは訳していませんが、輪違屋の創業を元禄元年と書いています。実際は元禄年間が通説で創業年は特定できません。

また明治六年には歌舞練場はありません。たぶん女紅場と取り違えたのでしょう。又、二代目の歌舞練場が出来た(移転した)のも昭和二年でなく、大正十五年十一月二十日です。

青柳踊りの開催年もわかっておらず、明治六~八年であろう、というのが識者の見解です。明治六年~十三年の根拠を知りたいです。

しかしながら、概ねよく纏められていると言うのが実感です。

ただし、日本語版のウイキペディアと同じ間違いをされています。輪違屋さんの太夫さん以外の方が輪違屋の太夫として画像に収められています。しかも太夫=花魁として

A present-day tayu (oiran) from Wachigaya in Shimabara




by gionchoubu | 2017-06-21 11:31 | 島原遊郭 | Comments(0)

島原遊郭ぞめき 桜木太夫とHygge


 
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    島原 Hyggeさん(旧貸座敷)


幕末の名妓 と呼ばれ、
その源氏名は長らく使われてこなかった。
桂小五郎、伊藤博文の深い馴染みであり、
大田垣蓮月の歌友の一人でもあった。
後に尼となり、西賀茂にて隠棲したという。。。

この名跡を襲名した現在19歳、
平成の 桜木太夫 が輪違屋の全面協力により、
ここHyggeにおいでくださることになりました。
現在も営業を続ける 輪違屋 において、
太夫を拝謁することはそう簡単なことではありません。
京都 島原の文化を、ここ島原のHyggeにて体験できることはまたとない機会だと思います。

8月1日(月曜日)
19:00〜20:00

内容

*説明(お話し) 《輪違屋十代目当主》
*かしの式、お点前、胡弓、舞 《桜木太夫》
*お話し等(質問などあればなんでもどうぞ。)


料金
お一人様 五千円 (お飲みもの付き)

参加希望の方はメール、またはお電話でも承ります。
「太夫イベント参加希望」と明記の上、
お名前、ご連絡先を添えて下記までお願いします。

mail@hyggehygge.com
tel 075-708-7956


-------------------------------------------------------------


以上、Hyggeさんのフェイスブックから貼らして頂きました。勿論私も申し込みさせて頂きました。かしの式は過去一回だけ拝見したことが有りますが、その後中々見る機会がありませんでした。

桜木太夫について最近私も当ブログで紹介させて頂きましたが、補足させて頂きます・・・

輪違屋の天神から太夫に昇格した桜木太夫は教養に富み、中でも和歌と書道の道に優れ、幕末の三名花の一人と謳われました。

森孫六(後に勤皇方に滋賀の石部で惨殺されました)が女房として迎えたいと云った時、太夫が堅気さんの家庭に入ってもうまく行く筈がないので、もし、私を愛してくれているなら妾にしてください、と頼み受け入れられました。

桜木太夫の心音を良しとした輪違屋は、茶碗にさくら木と銘を入れたものを配して毎年四月二十五日に桜木忌を行ったそうです。

いろもかも うき世のほのかに すみ染めの
          そでもこころも かろくなりぬ

年月の 忍車の ゆきやらで
          うしそとひとり 音にこそなけ

輪違屋には桜木太夫が詠んだ短冊がのこるそうです。

参照:田中泰彦著、京を語る会発行、『幕末京都の女性辞典と銅版画』






by gionchoubu | 2016-07-10 11:44 | 島原遊郭 | Comments(2)

島原遊郭ぞめき 輪違屋

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輪違屋、近藤勇の書

輪違屋の高橋利樹著『京の花街「輪違屋」物語』によると、壬生の屯所にいた新撰組が島原に遊びにきていたが、壬生浪に太夫の芸を見せたところで、何のことか理解してもらえなかった。諸国から礼儀を知らない乱暴者たちがやってきて、島原も随分荒れた、と、新撰組を好意的に書いておりません。

輪違屋には「江都撃剣匠浪士近藤勇籐原昌宣」の署名が入った直筆の書が掲げられておりますが、当時はまだ置屋時代、どうも輪違屋の太夫が角屋さんにいって書いてもらったらしいと打ち明けておられます。

近藤勇が島原で馴染みになったのが深雪太夫です。本名はおわか、天保四年金沢に生まれ、京都三本木のお茶屋で奉公の後、十六で島原木津屋から若太夫と名乗っていたようです。近藤勇はよほど惚れていたようで、元治元年、大阪新町の織屋に住み替えさせた後、七条醒ガ井興正寺の下屋敷の休憩所で囲いました。

輪違屋で幕末から明治にかけて輝いたのが桜木太夫でした。安政二年に発刊された宮古現存和歌者流梅桜三十六家選で桜木太夫が紹介されている他、九条武子著の連月には門下生として桜木太夫を挙げており、和歌・書道にも優れた作品を残しています。

歌人として知られた東町奉行同心森孫六は、和歌を大橋長広に学び、輪違屋の桜木太夫のもとに熱心に通い、この教養に富んだ太夫を女房として迎えたいと申し出ました。

しかし太夫は、自分は遊女ですから堅気の方の家庭に入ってもうまく行くはずがありません。奥さんはちゃんとした人をもらい、自分は妾にしてください、と頼みました。その意を汲んで、孫六は桜木太夫を妾として迎えました。

輪違屋ではおのれを弁えたえらい妓という評判になり、茶碗にさくら木と銘を入れたものを配して毎年四月二十五日に桜木忌を行いました。

森孫六は文久二年、九月二十三日、職務として安政の大獄で志士を捕らえたため、勤皇の暗殺団に石部の宿で大河原十蔵、上田助之丞、渡辺金三郎と共に殺され、森、渡辺、大河原の三人の首は粟田口の刑場で晒されました。

桜木太夫は、青年時代の伊藤博文とも馴染みをかさねて居り、晩年は髪を下ろして加茂のあたりに住んだとされています。

慶応三年版『四方のはな』松の粧嶋原名妓譜によれば

輪違屋 花窓太夫、花君太夫、雲井太夫、花香太夫、馴君太夫、八重雲太夫、転進十三人、芸子二十二人、女郎十人

桔梗屋 光人太夫、光扇太夫、高砂太夫、転進十二人、芸子十五人、女郎六人

木津屋 転進三人、芸子二十五人、女郎六人

亀屋 転進三人

井筒屋 馴扇太夫、転進四人、芸子三人


by gionchoubu | 2016-06-01 12:24 | 島原遊郭 | Comments(0)