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九条の里と桂女

九条の里と桂女_f0347663_10195085.jpg
                        時代祭りの桂女

江馬務の『桂女の新研究』によると、桂村の古い飴屋、遠山氏の家に伝わる文書、さらに同村の小寺文書、原田文書、中村文書とも桂女が神攻皇后に従いお産に奉仕したと書いており、さらにその先祖を桂姫(遠山氏伝説)や勝浦姫(小寺文書)に求めるが定かでないと書いています。

応神天皇がわが国に帰化し弓月君の子孫である秦氏が桂の里にも密接な関係を持ち、桂の里は倭、支、韓人の混合地であったのだろうとしています。

その後延暦の平安遷都以来、新都の産所となり、都の婦人がお産をする所になりました。昔はお産を自家ではなく、産屋を立てるか郊外にでてする風習があり都では桂がその地に選ばれ、桂女がお産のお手伝いをしました。

そして室町時代に桂女は都へ鮎と飴を売りにまわるようになりました。現在の時代祭りの風俗がこれです。桂女は桂包という白布をの形で頭に巻いていますが、これも諸説あるものの、お産の奉仕の時髪をまとめる役目を負ったと言う合理的な説明があります。

滝川政治郎は『遊行女婦・遊女・傀儡女』で桂女は加茂川に移り住んだ傀儡子の一派で、江口・神崎に住み着いた遊行女婦と源流は同じとしています。そして遊女クグツを擁する傀儡子族は朝鮮から渡来た白丁族としていますので、帰化人に桂女の先祖を置くのは江馬務と同じです。

宮武外骨が『猥褻風俗辞典』で桂女を「山城国の里より出ずる遊女なり。畠山記にいわく、この間公方の御慰に参り、舞歌などしける桂の遊女の装束を着せまいらせ、若君を桂に作り、かの遊女の中に入れ、敵陣の前を通りける。敵の方にも桂遊女を見知りたる人多ければ、左右なくこれを通しける。」御陣女郎の名も持つ桂女の別の面もうかがわせます。

この『畠山記』の下りは江馬務も紹介しており、遊女化した桂女がすでに室町時代に居たことは明白だとしています。

そして今回の本題に入ります。

京の廓の最初は足利義満の時代応永四年(1392)金閣の出来た頃に東洞院七条下ルに傾城町が公許されて「九条の里」と呼んだという言い伝えがあります。

田中緑江さんもどうして七条にあって九条の里と呼ばれたかの理由を探しあぐねておられました。

武田完二著『趣味史談遊女の時代色』に桂の里があったのは九条の西、大井川のほとりであったと書いているように遊女桂女の本拠地は九条の延長上にあったと考えられます。

私は、九条の里は桂の里だった可能性、そしてもし七条東洞院が九条の里ならば、ここの遊女が九条の桂の里の桂女で形成されていた為こう呼ばれた可能性を考えています。


by gionchoubu | 2015-12-25 10:25 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)