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ヤトナは何処に?

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昭和八年の職業別電話名簿に安井神社境内に東山花壇とやとな安井倶楽部本店が載ります

芸妓は花街という籠の中に、地盤区域を定められ、重税を課せられ、その行動範囲から、服装、髪型、生活様式にいたるまで、あらゆる所でがんじがらめの枠にはめられ、さらに芸の裏づけがなければ明日がないという厳しい条件がつきまといます。

そこで行くと、その前身が酌人という冠婚葬祭や宴会の雑役をこなしてきた雇仲居は、全く違う職分だったわけです。問題は雇仲居の一部が芸妓の職分を侵し、擬似芸妓として、宴会に侍り、さらに、この擬似芸妓分野が本職となってしまった事にあります。

結局、戦後にいたって雇仲居とは、三味線を携えて座敷に呼ばれて、簡易芸妓としてお客を遊ばす、もしくは芸の素養もなく、ただ酌婦として呼ばれ、お客の求めに応じ金銭でもって夜のお供をする・・・という二つの流れが出来たと思います。

本来雇仲居の本分は酌婦でなく酌人にあるわけで、擬似芸妓も擬似地方も、ましてや、宴席は隠れ蓑で夜のお供が主になる雇仲居が主流になるとは、大正四年、京都で最初の雇仲居倶楽部である「やとな倶楽部」を立ち上げた主幹、鷲尾彦次郎の本意では無かったはずです。

その会則によれば、当倶楽部の会員は諸礼式、謡曲、茶道、音曲等の教育が行き届き、品行方正、どんな厳格なご家庭に呼ばれても大丈夫・・・しかるに戦後、厳格な家庭の一軒でもヤトナを家に招きいれた奥さんはいらっしゃったでしょうか?

現在京都で五花街は健在、舞妓は京都の代表としてお座敷は勿論、行政に、コマーシャルに、映画に、テレビのバラエティーに、引っ張りだこ、外国人の人気も大変なもの、つらい修養は報われました。

一方、花街最大の敵言われ、安くて便利、電話一本でどこにでも現れたヤトナは何処にいってしまったのでしょうか?

やとなの首を締めたのは本分を忘れたヤトナ自身であったのだと思います。 

昭和に入って、遊廓、花街業者がヤトナの次に怖れたのは、モダンなカフェーの女給達でした。カフェーの設備は近代的、当時洋画で見られる銀幕世界の中で、タンゴやチャールストンを一緒に踊ってくれる洋装のカフェーの女給のほうが、花街にとって次元の違う脅威でした。

結局ヤトナを呼んだ男達は誰よりも移り気で無節操、カフェーの女給、キャバレー嬢、ピンクコンパニオンなど、その時代の魅力で飾られた女性達にその趣向をなんの躊躇いも無く変えてしまったのです。

やとなの本分である行儀作法で冠婚葬祭を取り仕切る酌人としての立ち位置を振り返ったとしても、省みる事のなかった元の職場は他の業種に完全に奪われた後、ヤトナの帰る所はどこにもありませんでした。


by gionchoubu | 2015-10-05 15:46 | 雇仲居 | Comments(0)