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大津、八町、四の宮、真町遊郭 その三

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真町は昭和25年西町と合併して真西町になりました。現在は長等一丁目

大津真町の温習会 大津市繁栄の一端

十月二十七、二十八の両日午後五時から大津市大黒座で真町(しんちょう)遊廓の温習会が左記の番組通り催され、二日目に往って見たが文字通りの満員、長唄「秋の色種」が今や終らんとする時であったがいづれも充分の声量を発揮し、舞「越後獅子」は富龍が病気休演で富鶴の一人舞であったが至って軽く達者に演って退け、吉次の「来るか」も千代香の「好た水仙」も中々好い聴物だった。

常磐津「紅葉狩」は能く練習が積まれて全体の意気カッチリ、舞「京人形」は小龍の人形は美くしい人形、人形らしい人形、富勇の甚五郎は動き過ぎる程能く舞い、両妓共格好の配役大当り、素囃子「多摩川」は小蝶と富鶴が段調、一同の意気能く会い、堂々たる多摩川を聞かし、哥澤振「綱上」は富蝶の振、哥澤としては少々硬はなかったか、併し其処に得もいはれぬ味のある好い振りを見せ殊に地が渋味の中にハンナリ好い咽喉を利かし舞「奴道成寺」は小蝶の振り確かに舞の人、而もアレ丈の坊主、アレ丈の地方、大切として中々の大舞台、正に当日の圧冠であった。

実は余久しく真町の温習会を観なかったが、今年久々見聞する事を得た四十名に足らぬ同廓の芸者が、誰も彼も共に平素技芸の練習に熱中し、況して温習会前となっては数日間殆ど不眠不休の猛練習で、舞踊が花柳輔好、長唄が杵屋君雄、常磐津文字春、鳴物が田中徳次郎、哥澤が哥澤芝弥三の各師匠で、弟子が熱すれば,師匠も熱し、そして真町芸妓の技量を斯様に発揮し得られたは真町其もの、大なる成功であり、大にしては大津市繁栄の一端であらねばならぬ、殊に舞台装置といい、衣装、かつら其他有らゆる設備に就いては多額の費用の惜しまれていない事を想像す、不況時にもかかわらず同廓としてこの奮発は芸術向進の上からも亦土地繁栄の上より見るも大に歓ぶべき現象であると感じた。

舞 子寶三叟

舞 月の巻

秋の色種

舞 越後獅子

紅葉狩


舞 京人形

素囃子 多摩川

振 綱上位

舞 奴道成寺

以上『技芸倶楽部』昭和六年十一月号に現在まったくと言ってか語られる事のない真町芸妓の心意気を見る事が出来ました。

尚、大黒座はもと稲荷新地にあったものが小川町に明治二十一年に移ったもので、二十八年にはさらに石橋町に移り千名収容になりました。



by gionchoubu | 2018-08-07 11:40 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)

島原ぞめき 島原太夫


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                       輪違屋 如月太夫

              


大変無責任な立場から申し上げると、芸能などの世界で、公的機関からそれなくしては維持できない額の補助がでると、その芸能は形骸化してしまうと私は思っています。

大変残酷ですが、これは芸能に限りません。

一時火が消えかけた上方落語に、もし当時お上から多額な公的資金が流れていたら、自助努力はなされず、現在の復活は有りえなかったと思います。

現在の隆盛の礎を築いた四天王をはじめ関係者の方々の血のにじむ様な努力が現在の繁栄に繋がったのだと思います。

この努力には芸を磨く努力と同じ位の営業努力が必要となります。この二つを同じ人に求めるのはなかなか難しく、矢張り、その芸能を愛する有能な営業部員を抱えるのが必要です。

昭和十一年三月一日発行の『技芸倶楽部』の『島原廓としては太夫を養成せよ 何よりもそれが肝腎』東山正著を読むと、

島原廓の太夫なるものは、矢張り相当貫目のあるものでなくてはならぬ。

左ればつまらぬものを、是が島原廓の太夫さんで候のと人前へ出したとて、「何だコリャ猿芝居の太夫見たいな」と、只だ笑われるまでのこと、幾多苦しい関を乗越へて、仮令少数ながらも、貫目のある太夫を絶へず養ふて来た島原廓の業者は同廓の為め大なる功績者である。

日本全国遊廓の創業地ともいふべき島原廓の名を、仮令昔ほどの旺盛さは無いにしても、此セチ辛い世に斯くも維持して来った事は大いに多とすべきである。

此は全く太夫そのものがあればこそで、太夫がなく単に普通の娼妓丈だけであったならば、迚も迚もこゝまで島原廓の名声は続き得ず、維持はできなかったであろう。

仮に島原廓を維持し得られたにしても、言ふにはいはれぬ島原廓古来の沽券は何処かへ消え失せてゐたかも知れぬ、其処に至ると島原廓と太夫、これのは特別の因果関係が刻まれてあるものと思はなければならぬ。

島原廓の貸座敷業者は直接太夫に関係のあると無いとを問わず、島原廓に太夫を養成するといふ事に就ては相倶に大に力を致さなければならぬ筈、そして太夫の貫目のドシドシ向上する事に盡さなければなるまいかと思う。

さうあってこそますます島原廓が世に知られ島原廓が繁盛するのである。若し過って島原廓に一人も太夫が居らないとしたならば、夫こそ古来世に知らされ来った、而も京都著名の古名所たる島原廓は自然廃滅して終ひ、古来幾多の難関を乗越し、こヽまで維持し来った先輩に対しても相済まない次第。

だから其の処を能く熟慮あって、島原廓の業者諸君は直接間接を問はず太夫の養成に協力一致、ますます土地繁栄に努むるの心掛けが肝要であるかと思う。

***********************

この記事から八十年経ちました。今でも島原の輪違屋に太夫の伝統を遺すには、人に言えぬ苦労があったことでしょう。

左ればつまらぬものを、是が島原廓の太夫さんで候のと人前へ出したとて、「何だコリャ猿芝居の太夫見たいな」と、只だ笑われるまでのこと・・・

幸いな事に、輪違屋さんお抱えの太夫さんは、この言葉の正反対にいらっしゃいます。


by gionchoubu | 2017-10-11 16:22 | 島原遊郭 | Comments(3)

橋本遊郭ぞめき その五

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左、隅田川、男 小野席恋香 おくみ 石原席小糸
唄 吉二、三絃 九二八、登司子、梅松、駒栄、秀勇、三太

右、日高川三面、面売 石原席豆一
唄 小石、百三、三絃 登司子、繁子、糸次、若竹

城南橋本遊廓歌舞奨励会(昭和二年技芸倶楽部十二月号より)

京阪沿線橋本遊廓では橋本倶楽部と称する演舞場に等しい建築物があっても何分娼妓が多数の為め、ツヒそれに圧せられて芸妓達の技芸を磨く費用の出所がなく、又その倶楽部も料理屋本位の旅館経営を目的としている。

其処で芸妓側の有志者が奮発組織したのが養昭会といふ、謂ば技芸練習の団体、そして高橋某といふ長唄師匠を迎へ、舞踊師匠はこれまで通り八幡に住居する石原某で全員が稽古に精を出し発会式と云ったやうな歌舞奨励会を十一月五、六の両日前記の倶楽部で開催した、感心なのは舞踊はすべて衣裳附大道具入、夫にも拘はらず無料公開。

芸妓を多数抱えて居る楼主がチビリチビリ盃を傾けながら喝采を絶叫する、夫ればかりではなく、誰か賞めないか、喝采をせないか、成駒家とか、高麗家とか、何とか声をかけるものはないのか・・・と。

兎に角斯うした、一粒選りの奨励会が催されたのは何処かに声援家があるからだらう・・・など思はせたが長唄はまだ感興を惹くまでには至って居らない、併し舞踊は思ひの他(少々見くびっていたかもしれぬが)の出来栄、中にも「鞍馬獅子」の郷の君、喜三太は特に光っていた。

踊る妓は言葉もハッキリ、此廓の味を高く買って遣らねばなるまい。写真以外の番組は、

松の名所(舞)恋香(唄)小石(三絃)九二八、登司子、吉二 
さらし女(舞)三長(唄)吉三、三太(三絃)九二八、繁路、君香、種栄
長唄 秋の色種(唄)吉二、〆奴、松代、小石(三絃)九二八、時二、春千代、君香
保名(舞)金丸(唄)松代(三絃)政次、駒栄、一奴、加壽一
長唄 時雨西行(唄)時二、松代、長六、百三(三絃)登司子、君香、糸次、梅松
長唄 俄獅子(唄)三太、三長、権八、良一、加壽一(三絃)時二、信次、秀勇、駒栄、繁路

*大阪では置屋の事を~席といいます。奈良や和歌山でも席は使われました。
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上、鞍馬獅子、郷の君 石原席千代三、喜三太 大君席千歳
唄 小石、百三、三絃、登司子、小初、政次、長六、春千代

下、吉原雀、女 石原席鈴太郎、男、奥西席君香
唄 〆奴、三太、小石、三絃 登司子、駒栄、豆数、梅松
by gionchoubu | 2014-12-22 11:51 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)

雇仲居の学校

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昭和三十年に封切られた夫婦善哉は昭和初期ごろの大阪の風情を映したもので、主演は森重久弥、寄り添うのは蝶子という元北之新地の芸妓でヤトナとして家計をささえる淡島千景

大正十四年の『技芸倶楽部』35号で、この雑誌の記者が「雇仲居の学校」という記事をかいています。これによれば、京都で始めて雇仲居倶楽部ができたのが大正四年の秋で、場所は四条高倉西といいますから大丸のすぐ近く、今の繁華街のど真ん中といった所です。

この時代背景としては後大典前で経済は活況を呈し、飲食業も大繁盛で雇仲居を受け入れる下地は整っていたようです。この最初の倶楽部には元祇園の芸妓で東文龍も雇仲居として働いていたとの事です。

そして雑誌が発売された頃には、やのなの数も増え、府令により雇仲居取締規則も発布され、五条部内に二十、西陣署部内に八、中立売署部内に十一そして川端、堀川両署に七箇所、計五百人のやとながいました。単純に計算すると、一つの倶楽部に十人強のやとなが所属していた事になります。

そして仏光寺河原町西に全市雇仲居組合の取締事務所があり、矯風会という、雇仲居の学校もありました。この学校の前身は大正九年に二条木屋町のお寺の座敷で仮設されたのが最初で、大正十一年に組合事務所に移されました。

この学校の授業を見ると、大阪の便宜芸者としてのやとなのイメージとかけ離れた、大変厳しいもので、仕事の合間、市内の雇仲居は全員月四回以上はお昼の三時間近い時間授業を受ける義務があり、四回以下は過怠金を取られる仕組みになっていました。

この授業を総て書き留めると初等科である梅組科の内容が、

梅組科

起居態度、起居動作、進退の作法、立礼、座礼、庭園を散策する時の心得、戸障子及襖の開閉作法、洋式扉の開閉作法、座布団の出し方、火鉢の進め方、煙草盆の出し方、菓子の出し方、茶の出し方、引菓子紙の折方、排列の順序、炭の次ぎ方及寸法、碁盤の出し方、料理箱硯箱取扱心得、書籍色紙短冊の取扱心得、扇子の進め方心得、団扇の進め方心得、座敷へ案内及送り出しの心得、二階へ案内及送り出しの心得、階段にて会った時の礼、携帯品預り方心得、帽子及肩掛の渡し方心得、傘及洋杖の渡し方心、座敷上下、取次ぎの心得、送り出しの心得、自他履物の心得、来客に対し手洗いの作法、人の前を通ずる時の礼、人に行き会った時の礼、途上の礼、椅子に掛ける時の心得、賞状の受け方、刃物取扱いの心得、自己化粧心得、袴の名称、公衆の場所、陶磁器洗浄の仕方、大酔は如何にして手当てすべきか。

梅組科で徹底的にやとなの心得、行儀作法を教えました。梅組科が初等クラスとすると、随時科、竹組、松組、御礼式は上等クラスというべきもので、これも記すと、

随時科
 
会席膳組立の心得、本膳・二の膳・三の善・組立ての心得、折詰及縛り方の競技、箸紙の折方及び水引の掛方、洋服の取扱心得、袴の紐結び競技、礼式しをり目次質問。

竹組 

茶道、華道、花器と花台の名称

松組

置物飾り方、床の間装飾、日本間の装飾、掛物種類の取扱心得、屏風の種類と取扱心得、祝儀に忌む花の名称

婚礼科

三々九度盃の伝、其他儀式一式

やとなと言うと、時代が生んだあだ花、擬似芸者のような扱いを受ける記述も見かけるのですが、京都に於いては、この時代の雇仲居は芸妓にも劣らぬ、いや芸妓以上の厳しい行儀作法を目指していたようです。








by gionchoubu | 2014-09-23 11:43 | 雇仲居 | Comments(0)