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嶋原遊廓ぞめき 西新屋敷傾城町

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  旅館金波さん跡

幕末、維新物での逸話の多くは作り物で、その後歴史小説家によって面白可笑しく書かれた話が一人歩きしたものです。だれ某かが作った事になっている都都逸や唄なども、作者が分からないのをいい事にそれらの歴史上の著名な人物が作ったことになっており、それに纏わる話なんかもついて回っています。

ただし此れを全部つきつめてこれは嘘だ、あれも嘘だと書き並べても虚しいだけで、又、歴史物語も嘘をはがすと全然地味な話になるだけですので、これはこれで良いのではとも思います。ただし事実はべつの所でまとめておく必要もあるでしょうが無視される様な気がします。

島原の由来についてです。島原という町名はなく、正式には西新屋敷傾城町で中之町、上之町、中堂町、太夫町、下之町、揚屋町の六町からなります。この後祇園新地外六町とか祇園新地内六町とかも開発されましたので、この六という数字は何か特別な思いがあるのかもしれません。

昔は舞などの習い事は六歳の六月六日から始めるのが良いとされ、実際多くの人がこの故事に習いました。

島原が六条三筋(ここにも六が顔をだします)の廓から移されたのは、板倉所司代が馬で市中を見回っていると、金蒔絵の立派な駕が通りすぎました。この女乗物で外出の時は所司代に届けでる事になっていたので、不思議思った板倉でしたが、とりあえず馬から下りてこの駕籠が過ぎるのを待ちました。

当然公家の奥方だと思い、帰って調べました。そして乗っていたのが六条三筋の太夫だと分かり板倉は激怒、「町に廓があるからこのような不都合がある。即刻朱雀に移転せよ。」「今夜から明けろ」と命じたのです。

寛永十七年(1640)のことで、この移転騒ぎが寛永十四年の肥前島原の乱が起こったときの大騒ぎに似ているから、又島原が三方海で、出入り口が一つ、さらに天草島原の城も出入り口が一つ、これが塀でかこまれ、出入り口が一つの西新屋敷の傾城町の状況とも合わせ島原と呼ばれるようになったと言うわけです。

この由来は馬琴の享和二年刊『羇旅漫録』にも文政十三年刊『嬉遊笑覧』寛文初年刊『浮世物語』にも書かれ、さらに宝暦七年刊、島原の百科全書といえる『一目千軒』にも「又今島原と呼ぶは、肥前の島原さはがしき時節に六条三筋町を今の朱雀野に引きたる故、異名を斯は付たり。古名は新屋敷とも柳町ともいふ。」江戸期のおいてもこの三説は不動のものだったようです。

はたして板倉所司代は一時の激情のみで島原移転を命じたのか、そしてそもそも島原の名前の本当の由来は・・・次回です。




by gionchoubu | 2016-04-22 11:35 | 島原遊郭 | Comments(0)