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京都パンパン赤線時代 二_f0347663_12295657.jpg
昭和二十一年五月二十五日の京都新聞の記事によると、当時の京都の花街が二つの大きな問題を抱えていた事が分かります。紙面の見出しは

所長さん立合いで 前借証書焼払い 検黴先づ祇園芸妓に あちこちで大恐慌

まずは公娼廃止に伴う置屋と、元娼妓の間に残るの前借金の問題でした。これは宮川町で100万円、祇乙で90万円、府下旧十遊廓の稼ぎ人は1,600、前借金は合計で890万円に上っていたのです。

前借は遊廓によって棒引きの手続きがとられた所や、ぐずついている所や色々でした。
宮川町では既に借金は棒引き、その後そこで働こうと、郷里に帰ろうと、本人の自由意志に任すと榊取締は明言、妓乙の松村取締も小寺松原署立会いのもと、五月二十四日に前借の証書を焼き払いました。

因みに京都で廓から娼妓が居なくなり純然たる花街になったのは上七軒が最初、続いて先斗町、祇園甲部だと思います。昭和一桁代にまず、上七軒、先斗町の順です。大正十五年五月一日『技芸倶楽部』の祇園新地甲部芸舞妓及娼妓名簿をみると、61人の娼妓の名を確認できます。この後甲部の娼妓は暫時減少して行きました。

もう一つの問題、それは昭和二年法律第四十八号として発令された花柳病予防法による芸妓の扱いです。花柳病、その三で、芸妓、雇仲居、酌婦、女給、料理屋、宿屋、果ては女髪結にまで検黴の網を拡張するという噂がたった事を書きましたが、結局そのままで、娼妓以外の検黴は棚上げ常態でした。

今度は違います。カフェー、旅理屋の仲居などに先駆けて、芸妓の検黴が二十三日の各廓組合の役員会で本決まりになり、祇園では舞妓から実施することに決まったのです。

この検黴を実施されるのは十八歳以上、三十歳未満の芸(舞)妓で決まり、祇園、先斗町、上七軒その他の遊廓の姐さん達は大恐慌、なかには鑑札を返上するものまで出ると予想されました。

除外されるのは有夫、もしくは正式の旦那を持っている芸妓で、その場合組合の取り締まり、席主(置屋の主人)そしてその旦那の認証が必要となります。

そして検黴の結果、罹病者の取り扱いについて、遊廓組合が保険組合を作り、その経営の元、八阪病院の分院を作り、これを入院せしめる事に決定、各遊廓とも一両日中に芸妓、席主を集めて言い渡すことになりました。

さてこの結果は如何に、当時の警察と花街の綱引き、次回六月二十二日の京都新聞に載っていましたので、次回お知らせ」します。

意外な結果が待っていたのです。





by gionchoubu | 2017-06-27 12:33 | パンパン、赤線 | Comments(0)