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五条楽園芸妓組合

f0347663_12184180.jpg

前々回書いたように、昭和三十八年の京都の職業別電話帳は芸妓紹介所として雇仲居、新研芸妓の紹介所と一現(見)さんお断りのお茶屋を二つの職種と分けて掲載されておりますが、後者に以前当ブログでも紹介した宇治、橋本、中書島の花街が載りますので順番に見て行きます。

まず宇治には宇水園、ふくや、山水、洛巽亭と個人名の五軒が名をつらねます。宇治は花街のみの歴史で、娼妓はおりませんでしたので、宇治の旅館に入る芸妓置屋と見てよいでしょう。

一方は橋本には、中之町に京山、昌英?、西幸福、初菊、前田楼そして小金川にも第五一橋が登録されています。橋本の芸妓は戦前に消滅しており、売春防止法の時代は娼妓ばかりでいたので、このお茶屋はいわゆるヤトナ系専門置屋だったと思います。橋本は売春防止法以後、温泉旅館街を目指しましたので、旅館に擬似芸妓の需要は大いにあったでしょう。

中書島には愛乃家、第三末高、近江家、とんだや、叶良家、中時、日乃出、山種、ふじや本店、美芳と八軒の個人名の登録があり、これらは芸妓のいる本茶屋と芸妓置屋、新研芸妓の席貸、置屋と私は見ています。

上記の置屋、お茶屋などは昭和四十八年版でも六割ほど残りますが、昭和五十八年版で認められるのは中書島の美芳と宇治に突然現れた銀杏庵のみです。逆に言えばこの頃まで花街の伝統が中書島と宇治には残っていたことになります。

さて、京都市の中央に戻り、職業別により昭和四十八年の芸ぎ紹介を参考にして、個人名や判断の難しいお店を除いた昭和後期の雇仲居倶楽部や組合を見ると・・・

あこや倶楽部 東大路松原上東
御池倶楽部 高台寺門前下河原、下河原八坂鳥井前下
京都新研芸妓東山組合、京都雇仲居従業員組合、下河原月見町
祇園クラブ 下河原八坂鳥居前下
寿栄吉倶楽部 東大路松原上
辰巳倶楽部 東大路松原上東
玉川クラブ 下河原八坂鳥井前下
正城倶楽部 下河原八坂鳥居前下
弥坂クラブ 東大路松原上
森田屋 清水4
あこやは嘗ての阿古屋新地、辰巳も昔あった辰巳新地由来でしょう。

あさひ倶楽部 西木屋町五条下
五条楽園芸妓組合、五条楽園芸妓置屋組合、西木屋町五条下
高瀬クラブ 木屋町五条下
次郎長 三ノ宮上ノ口上
大喜倶楽部 上ノ口二ノ宮西
第一倶楽部 加茂川上ノ口上
おとめ 加茂川六軒上
福の家倶楽部 加茂川六軒西、加茂川六軒下
丸八クラブ木屋町六軒東
ミヤコクラブ 東木屋町六軒下

上木屋町芸妓置屋組合 二条木屋町東生洲町
西京倶楽部 木屋町三条上
翁クラブ 木屋町御池上
忠兵衛 三京河原町上東
二条星ノ家 木屋町二条
二条クラブ 二条木屋町東

上より下河原〜松原東大路郡、五条楽園郡、上木屋町郡と三つのグループに別れ、かつて雇仲居倶楽部の密集地であった高瀬川沿い仏光寺〜松原間の倶楽部が下木屋町の検番もろとも消滅しているのが見て取れました。




by gionchoubu | 2015-09-28 12:18 | 雇仲居 | Comments(0)

猪崎新地ぞめき 福知山音頭

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  平成20年、宮川町の京おどり第五景名花のうたげで福知山音頭が踊られました。右から二番目にとし花さん。

福知山といえば福知山音頭が大変有名で、大槻正治郎著『ドッコイセ物語』によると、福知山音頭の歌詞「福知山での大金持ちは、木屋か塩屋かよろず屋か」でも歌われている塩屋の当主で、能や狂言の名手でもあった塩屋三右衛門が福知山音頭の振りのいわばルーツとなり、その指導を受けた四派が誕生しました。

米伝流・・・創始者、下柳町の大槻伝助
佐山流・・・ 〃 、下紺屋町の佐山治郎兵衛
塩喜流・・・ 〃 、下柳町足立喜兵衛
岡や流・・・ 〃 、一井平と妻のかつ

米伝流は野趣で男らしい踊りで人気が有り、米伝流と塩喜流は米伝より少ししなやかで、穏やかな動き、そして舞や踊りの要素がある、しとやかな振りが最後の岡や流で、岡やかつさんが、猪崎新地の芸妓の師匠として指導にあたっていました。

峰山、宮津新浜、舞鶴朝代などの近くの花街がいわばメジャーの若柳や花柳流であったのに対し、福知山の花街が地元で育まれた流派であったのは猪崎の特殊性といえるでしょう。米伝流や塩喜流も花街が猪崎移転前の下柳町から派生したのを考え合わせると、福知山音頭の隆盛には福知山の花柳界が密接に関係していたと考えられます。結局一般の踊りも自然に岡や流になり、次に人気のあった米伝流で踊る人も殆ど見られなくなったといいます。

新地の最盛期には、盆の八月十四日の夕刻、猪崎から、結い立ての髪も美しく、揃いの浴衣、揃いの帯、色の裾除け、麻裏の草履ばきの二百人の芸、娼妓
の一団が、赤いタスキを掛けた舞妓を先頭に、鼓や十人以上の三味線、同じく赤いタスキを掛けた近所の女の子達をしたがえ、踊りを揃えて音無瀬橋から広小路の踊り場まで入場する姿はそれはそれは評判になり、多くの見物人を呼びました。

その後、新地へ美妓連が戻ると、各貸席前のいたるところで、娼妓も芸妓もお客さんにお花をつけてもらい踊り、朝の四時まで踊る妓もあったそうです。

さて、終戦後、猪崎新地も進駐軍のアメリカ兵をとりこんだり、そこそこ賑っていましたが、昭和三十三年の売防法施行後遊廓としての生涯を終えました。廃止間もない頃は、酒に酔った客が、何とか裏口営業でもないかと、うろつきに来ることもありましたが、娼妓はもうどこにも居ませんでした。

芸妓の方も検番が無くなったので、町芸者の形で残りはしましたが、昭和の終わりには殆ど居なくなりました。

再び福知山音頭より

√福知千軒流りょがこけよが、一町残れよ土手の町、ドッコイセードッコイセー、トコドッコイセドッコイドッコイセー、トコドッコイドッコイドッコイセー、この一町は最初に福知山に花街が誕生した、あの下柳の町を粋人が歌詞に加えたと言われています。

粋人の願い虚しく下柳も殆どが土手に戻り、猪崎新地もごく普通の静かな町の安らかな時の流れに身を任せるようになりました、ごくたまにうろつきに来るものが有ったとすれば、昔の遊廓を何故か放っとけない、私のような者だけになりました。

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by gionchoubu | 2015-06-25 14:40 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)