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米子灘町遊廓ぞめき 四

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                  これと同じ大黒さんを福知山の?崎新地で見ました。

鳥取県は、昭和二年、明治三十三年以来の娼妓取締規則施行細目を改正し、娼妓は昼間行き先を明示すれば外出自由になりました。

昭和五年刊『全国遊廓案内』の米子市灘町遊郭の欄には貸座敷三十三軒、娼妓は五十三人、陰店制で娼妓は送り込み制、そして三十三軒の貸座敷の名を記しています。

この中には『改訂米子の伝承と歴史』で料亭として書かれていた、田村、梅田、沖半が含まれておりますので、貸座敷の数から考えて娼妓と同じ位の芸妓がいたと考えられるので、この三軒は所謂お茶屋さんだったのかもしれません。

『公娼と私娼』昭和五年六月末の「貸座敷指定地調」でも貸座敷三十三軒、娼妓数五十六人とほぼ『全国遊廓案内』とほぼ同数を示しています。

昭和九年、鳥取県では明治三十八年の境、大正末年に倉吉の越殿町に続き米子も昭和十三年娼妓制から酌婦制に移行しました。

本来鳥取県の酌婦は「宴席に侍し、杯盤の斡旋をなすことを業とし、かつ歌舞音曲等、芸妓にまぎらわし所業をなすことを得ず」、というもの、文字通り考えると、世間話でもしながら只々お酌だけする職業という事になります。

しかし遊郭の中で芸妓と酌婦しか居ないなら酌婦に与えられた仕事は歴然としています。鳥取県は酌婦の名にかくれて、事実上は売春営業することを警察が黙認していました。

明治二十六年に公娼を廃止した群馬県でも、昭和五年六月現在、同県下に五十二箇所の乙種料理店(通称だるま屋)を指定地域として、乙種料理店三百四十八軒の中で私娼八百五十五人が酌婦の名目で客をとるのを県も警察も黙認していたのです。(『公娼と私娼』)

戦前、隠れ娼妓として酌婦が売春をしていたのは、遊郭指定地でない温泉地でも盛んに行われていた様で『湯河原温泉芸者一代記』井田真木子著にその様子が書いています。

『鳥取県史』では恐慌の影響とカフェーの発達に押されたことを、娼妓から酌婦に変えた理由に数えています。確かに昭和十一年に米子にカフェーが五十六軒、女給は百四十七人の記録がありますが、これには所謂喫茶店も含まれただろうし、恐慌とカフェーの蔓延は米子に限ったことではありません。

さらに酌婦への以降の理由は裏日本ならではの事情でした。それは表日本の遊郭が高い前貸金で裏日本の娼妓を取り込むことに対する対抗手段で地元保護政策だったというのです。

娼妓の年齢は十八歳以上と規定されたが、酌婦は十六歳からなれるので、年の若さで誘客を引き寄せることが出来る。さらに前借金が少なくすもので経営がやりやすかったから、と言われていました。

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by gionchoubu | 2018-10-26 16:18 | Comments(3)

京都パンパン赤線時代 五十

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                       四条通り

昭和27年6月15日 京都新聞夕刊

『少女を苦界へ 甘いシル吸うしゃく婦』

伏見署では十四日午前一時十分ごろ伏見区東柳町席貸太平席ことMYさん方しゃく婦WH(35)を営利誘かい、児童福祉法違反容疑で岡山市警からの手配により逮捕した。

同女は去る五月七日岡山市内で知合った住所不定A子さん(16)に就職方を依頼されたので“よいところに世話しよう”と姫路市梅ケ坪町席貸業新海楼YT方に紹介、その手数料としてA女より三千八百円を受取りその足で太平席に働いていたものとわかった。

昭和27年6月24日 京都新聞夕刊

『顔役はオレだ 夜の女に馬乗り、殴るケる』

二十三日松原署では東山区大黒町松原下ル山城町、露天商前科二犯MK(48)を傷害並びに横領容疑で逮捕した。

同人は露天商を営む傍ら団橋付近でポン引の親分をやっていたものだが、五月十一日午後十一時ごろ四条大橋付近で遊客のソデをひいていると、同区三条大橋東三丁目南入ル長光町無職SKさん(31)が“私達の商売を荒さんでおくれ”
と文句をつけられたのに腹をたて“この界わいの顔役はオレだ。コレがオキテだ”と同女の顔面を殴打したうえ足をからませて同女を倒し、馬乗りになり頭、顔をふみつけ顔、足などに一週間の傷を与えたもので、この他にも二十五年十一年ごろから四条大橋付近の屋台店の管理をしてやると左京区新丸太町七十五露天商秋田とめ子さん(44)ほか六人の業者から手にいれた保管料七千二百円のうち大半を横領、着服していた疑い。

昭和27年6月8日、京都新聞夕刊

『娘の友達まで誘惑“少女に売笑”の三人組』

堀川署少年係では東山区東大路松原上ル下弁天町TH(44)、同区六波羅三盛町浴場火夫TK(43)、同区安井小松町SM(41)の三人を児童福祉法違反容疑で調べていたが十七日書類送丁した。

THは去る五月五日自宅付近に住むA少女(17)が中京区屋町二条下がるH旅館で売笑婦をしていることを知り松原署に申告、同旅館を児童福祉法違反で摘発させておきながら、その後A少女を自宅に住込ませ近所のSM方で客をとらせていた。

またTKは自分の長女B子のもとに遊びに来ていた近所のC子(17)をもて遊んでうえ、長女といっしょに二人をTHのもとに住込みさせ同様売春行為をさせ同様売春行為をさせていた。

THは少女達の収入金の半分を席貸に払い、残り半分から四割の手数料を取り、更に食事代として一日百五十円をとるなど悪ラツの限りをつくしていた。



by gionchoubu | 2017-12-06 15:04 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 四十七

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『色街へ労基局の悩み 接客婦が取締れぬ 労働者か自前業者か 判定問題また蒸し返し』

労務省の通達に従い人身売買の取締まり対策を立案している京都労基局では旧遊廓の内部へも監督のメスを入れるか否かで協議を続けている時、上京区西陣新地の貸席組合が名古屋で行った接客婦募集広告をめぐって旧遊郭の彼女達は果して労働者か、自前業者かの判定問題がむし返されるに至った。

西陣貸席組合では名古屋、広島、徳島など五都市から接客婦を募集する広告を某広告取扱業者に依頼、名古屋市では既に二回にわたり“女子接客係募集。十八歳から二十八歳まで。収入最高。写真同封紹介を乞う”旨の広告が掲載され、十人から照会の手紙が同組合に舞込んだ。

これを知った西陣職業安定所では早速関係者を招いて調査したところ組合側は、“彼女達は自前の業者で労働者ではなく、大阪地検の調べでも実によくやっていると褒められた”事を強調した。

職安所では上労働監督署に連絡したところ同署では“一般的には労働者でない”との意見をもっているため職安所では労働者でなければ就職あっせんを行なっても違反でないとして調査を一応打切ることに決定したものの、これを伝え聞いた京都労基局では人身売買取締り対策と関連があることから、旧遊郭の接客婦を労働者として扱うか否かについてはあらためて検討を加えることになったもの。

労働省の通達によれば、彼女達が自前業者であるか否かについての判断基準として十項目の原則が示されているが、旧遊郭の接客婦達は建前上、自前の業者になっているに拘らず、実態はほとんどが労働者であることは判っているけれども、直接取締る法規がなく日本の社会的習慣でもあるため放置されている形である。

本地労基監督者談

悪質な人権の拘束があれば労基法から取締まるが非常に困難な問題なので人身売買取締り対策の中に旧遊郭を含めるかどうかについても研究しておりまだ結論をえていない。局としては名称は何であったも十原則に適合しなければ労働者と認める。

昭和27年 4月18日 京都新聞

『“良い仕事”は売春 京娘を売り飛ばす 被害者逃げ帰り発覚』

“よいもうけ口がある”と京娘を五人北海道の特飲ハウスに売り飛ばしていた非道の人身ブローカーが被害者の一人が逃げ帰って来たことから発覚、七日川端署に検挙された。

東山三条大橋東三丁目巽町大工TT(23)は“北海道によい勤め口がある。進駐軍相手の上品なバーで給料も非常に良い”と左京区浄土寺銀閣寺町103藤川ヨシ子さん(21)と友人の同北白川近藤ミヨ子さん(21)―何れも仮名―をだまし、北海道千歳郡千歳村の特飲ハウス(OG方)に周旋、謝礼金として二万一千円を受取っていた疑いで被害者のよし子さんが左京区浄土寺西田町飲食店増田春子さん(40)方に逃げ帰り川端署に“友達を救ってください”と訴え出たもの。

ヨシ子さんの話

昭和二十三年成安高等学校を卒業後、家業の花売りを手伝っていたが、許婚者に捨てられ悲観のあまり家出、前記増田春子さん方に身を寄せていたが、成安女学校時代の友人近藤みよ子さんから北海道の話を聞き、昨月十五日寺尾につれられて京都駅を出発、十七日OG方に着いた。

飛行機のあるところで家はバラック建。他の女の子が六人おり、いずれも京都から連れられて来られ、そのうち寺尾が三人つれて来たとのことだった。

店の主人が“借金を全部払ったから家の娘になって働け、どんな約束で来たか知らんが家は男と寝てもらうのが商売”と聞かされビックリ。

返して欲しいと泣いて頼んだが寺尾は“お前たちは遊びに来たのかそれなら借金を返せ”と借りもせぬ二万一千円の借金の返済を迫り、二人をセメたてたうえ十八日よる帰ってしまった。

友人のみよ子さんが“わたしはどうせ身を落した見だから借金はかせいで返す。あなたは素人娘だからこんな目にあうのは気の毒だから逃げなさい”と時計をくれたので三千円で売払い旅費を作り、二十五日京都に帰って来ました。どうかみよ子さんほか四人を救ってください。

同署では直ちに国警を通じ北海道の所轄警察署に連絡、軟禁されている京娘四人の救助方を依頼した。



by gionchoubu | 2017-11-21 15:54 | パンパン、赤線 | Comments(0)