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枚方の遊郭 枚方宿

枚方の遊郭 枚方宿_f0347663_13432716.jpg
                       枚方宿

江戸の日本橋から京都の三条まで東海道五十三次があります。この京都から大阪に至る、伏見、淀、枚方、守口の四宿を加えて東海道五十七次といいました。

この大阪までの四宿は淀川が併走しているのが特徴で、伏見から下り船を利用する者が多く、それが元に片宿で呼ばれました。

旅籠屋は天明(1781~89)から天保(1830~44)にかけ増加し、飯盛女も天明に4名であったものが寛政(1789~1801)には127名以上に増え、枚方留女、隠売女躰(いんばいおんなてい)売女芸子躰などと呼ばれ、在郷に不似合なほど諸事華美をつくし、奢侈の風を増長し、旅籠屋は茶屋遊所同様となりました。

元禄四年、二月二十八日、オランダ領東インド会社の随行者であたエンゲルベルト・ケンプェルは

「此処には多数の旅亭・飲食店ありて、そこにて少数の銭にて茶を喫し、酒を飲み、又種々の温かき食物を得べし。

(是等の宿屋及び公衆の立寄る家々は)各戸に化粧したる若き私窩もあり(戸口に立ち、旅人を見蒐けて呼び込みつつを以て、容易に其と知らるるなり)

又、文政九(1826)年三月十七日に枚方を通ったフィリップ・シーボルトは

「枚方は一大村なり。大坂の住民が遊楽地としてよく来る所にして、そのため町は遊女にてうまりたり、それは余が我一行に一時間も先立ちて、少数の同行者と此町を歩み通りて、町の人々を好奇心より戸の前に喚起でしために、いよいよ多く目に入りしなり。」と書いています。

枚方宿は岡新町村、岡村、三矢村、泥町村の四村から成り、近世後期、三矢村では旅籠屋が置屋の役割も呼び、「子方呼屋」と称する小楼へ飯盛女を置り込んでいた。

想像するに、旅籠屋は飯盛女の名目の遊女を自所で旅人の相手をさす以外、席貸である子方呼屋に飯盛女を送り込み、在郷の者の相手をしたのでありましょう。

文政時代十一軒あった煮売屋はもともと仕出屋として旅籠屋や子方呼屋にも料理を仕出ししていました。

しかし天保になると煮売屋自体が料理茶屋になり、飯盛女が送り込まれる様になると子方呼屋の方は衰退を余儀なくされた様です。

その後は旅籠屋と煮売屋との間には「札代」の支払や料理の仕出をめぐって対立が絶えず、村方の仲介で和談が成立したりしていました。

参照:枚方市史研究紀要 第八号 『近世枚方宿と飯盛女』福山昭・山口尚子著

枚方の遊郭 枚方宿_f0347663_13441804.jpg
                      枚方宿の本陣、旧三矢村


by gionchoubu | 2019-07-25 13:48 | 亡くなった大阪の游所 | Comments(0)