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先斗町ぞめき 九_f0347663_15531343.jpg
先斗町ぞめき 九_f0347663_15541286.jpg
                       現在の歌舞練場

昭和二年大林組により、木造の建物を一新して現在の鉄筋の歌舞練場が建てられました。天井を緞子の布で張り、廻り舞台のある立派な建物ですが、なにぶん限られた地所の中、土地の買収は困難を極めたようです。

先斗町の舞踊はもともと他廓同様篠塚流でした。明治四十五年の鴨川をどりのパンフレットをみても、篠塚流の橋本みと子が担当しているのが分かります。

大正十三年の鴨川をどりを調べると、前半を篠塚、後半が若柳といった具合で、公式に篠塚流から若柳流になったのが昭和二年、新歌舞練場竣工が流派の入れ替わりの期になった様で、その後暫らく若柳吉蔵が担当していました。

さらに、昭和十八年より若柳吉朗とあわせ尾上菊之丞の名が見えはじめ、現在は尾上流が先斗町の公式流派となっています。

温習会やおおざらえの外に明治の終わりから長唄を中心とした技芸研究を目的とした千代榮会や、大正には福富師匠の主宰の元に鳴物連が集まった先斗町紫紅会というのもありました。また義太夫が盛んで義太夫芸妓も羽振りをきかせていたといいます。

昭和初期の先斗町に戻ると、松川二郎は昭和四年刊『全国花街めぐり』で、京の遊びは祇園に止めをさすものの、これは余ほど祇園に馴染があってのこと、松川自身も新鋭気風の先斗町に足が向いたようです。

そして当時の代表的芸妓として湯口吉枝、長谷川卯の子、中川市龍、高野市弥、三上喜久弥、浅田市代を挙げ、娼妓は居ないと記しています

高谷伸は同年の技芸倶楽部で『全国花街めぐり』を全国の主要花街をほぼ把握した著述を今まで類例のない著述と推奨していますが、先斗町の代表的名妓として、美代、筆香を洩らしている、少数だが娼妓もいると苦言を呈しています。

丁度この頃、先斗のカラーが革新的なイメージに定着していくのですが、これは取締りがこの町の生え抜きであった出雲房二郎から寺井徹郎に映ったことで鮮明になりました。出雲房二郎が生まれたのは先斗町の著名な貸座敷であった瓢亭で明治二十八年の鴨川踊再興から百万円近い負債を双肩に築きあげた洋装歌舞練場まで四十年に渡り先斗町を取締りとして纏め上げてきた人です。一方寺井徹郎は遠州出身で、その進取の気質が積極的な諸政策を生んだと田中緑江さんは書いています。昭和四年五月十五年、鴨川踊りに英国グロスター公殿下が観劇し、寺井徹郎は殿下と握手し、先斗町一同大感激、大いに自分の新鋭策の力となったことでしょう。


by gionchoubu | 2014-08-12 15:57 | 先斗町 | Comments(0)