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京都の花街の舞踊

京都の花街の舞踊_f0347663_12150642.jpg
                 四条河原町、六条三筋の遊女の舞い

大正十二年二月一日号の『技芸倶楽部』に日本の舞踊と京都の舞踊の歴史が詳しく出ていましたので紹介させていただきます。

日本の舞踊の根源は天照大神が天岩戸にお篭りになった際、その注意を惹きたもうため天細命(あめのいずめのもこと)が舞い歌われたことで始った事から神楽舞、田舞(たのまい)来目舞(みめまい)倭舞、東舞(あずままい)吉志舞(きしまい)小懇田舞(をはりだのまい)隼人歌舞、五節舞、鳥子名舞、筑紫舞、殊舞(たつのまい)

等でこれが祇王、祇女、佛御前、静御前などの白拍子の舞巧者に繋がりました。

その後慶長年間に出雲の阿国が神楽舞を崩した“やや子踊”を五条河原で興行し人気を博し、その後名護屋山十郎と馴染みになり二人共稼で三条川東に舞台を移しました。

この阿国歌舞伎が江戸に渡り江戸歌舞伎の根源になり、猿若の舞、志賀山の踊りとなり水木、藤間の諸流と別れました。

その頃京の舞は舞芝居の名の元に大頭舞(おおがしらまい)の余流を酌むものが幽かに命脈を保ち、男舞としては寛文中に御免の名代として仕形舞太夫(しかたまいだゆう)が正徳、享保中の頃四条河原で興行しました。

寛文七(1667)年に大頭柏木(おおがしらかしわぎ)が女舞御赦免となり代々名代となり、これらの余流が弟子をとり盛んに稽古をしたのが元禄時代なので京都の舞踊は元々曲舞から出たものでありました。

此処まで読むと、篠塚流や井上流が現われる1800年頃以前、島原も祗園も大頭舞だったのでしょう。

それでは篠塚が現われて大正十二年までの花街の舞は/で区切っています。

上七軒 篠塚流→篠塚流と花柳流/→花柳流

先斗町 篠塚流+井上流→篠塚流+若柳流/→尾上流

宮川町 篠塚→楳茂都流/→若柳流

島原 篠塚流(一時井上流入る)→西川流/→花柳流

北新地(五番町)篠塚流

七条新地 篠塚流

祗園乙部(祗園東) 井上流→藤間流

祗園甲部 篠塚流+井上流→井上流

伏見中書島 篠塚流





by gionchoubu | 2018-09-04 12:18 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)

五条楽園ぞめき その十二

五条楽園ぞめき その十二_f0347663_13531529.jpg

一般的に出雲の阿国が慶長八年(1603)、男装で茶屋の女と戯れる「かぶき踊り」を披露したのは四条河原とされていますが、『東海道名所記』には五条橋の袂とあります。

それ以前より、交通の要所であった五条は、見世物や芝居の興行地で賑っていました。どうしても我々は現在の感覚で考えるので、なかなか受け止めにくいのですが、阿国が慶長九年、次に選んだのは、北野天満宮の門前町で、今の常識では中心街から遠く離れている場所ながら、ここも当時は遊興の地で大変賑い、勧進の名目で色んな芸能の催しがありました。

四条河原が栄えるのは、時の京都所司代板倉勝重が、ここに特権として芝居株を渡してからです。芝居株や茶屋株を当局が許すのは、都市政策として力ずくでその地を繁栄させる場合があり、大阪の道頓堀がまさにその大成功例で、この切り札をもともと栄えている五条橋詰めや、北野の門前に持ってくるようなもったいない使い方を当局がするはずが無い、とまで言えると私は考えます。

六条河原は、もともと罪人の処刑地で、本能寺の変、関が原の戦いでも敗者の処刑が行われました。七条新地が元々妙法院が支配していたのに対し、七条新地に挟まれる形で存在した六条新地は雑色領であり、これが後々の混乱を生むきっかけとなります。

その後、享保十三年(1728)六条新地の高宮町と菊屋町の西側に米会所が設立され、高瀬川で運ばれた米穀の取引が始まります。この辺りは賑わい、これは明冶四年、米会所が十禅師町に移転、さらに明冶十九年、錦小路通東洞院下がる、西魚屋町に移転(大丸百貨店のすぐ北)に移転するまで続きます。

移転の理由は、日出新聞の記事でも述べられていませんが、もはや米の運搬の動脈としての高瀬川にこだわる理由が無くなったという背景と、矢張り遊廓に接するとあれば、色々不都合な事があったと推測されます。七条側は大反対、すったもんだの後の移転となりました。

しかしもし、七条米商会所がこの地で繁栄したなら、七条新地の存続のほうが難しかったと私は思います。なぜなら、ものの常として、なにか事あることに移転の憂き目を負ったのは、いつも遊廓側でした。

ちなみに明冶二年に菊浜小学校が開校しますが、落成開業式に、京都府権大参事、槙村正直も臨席しています。菊浜の名は七条米浜と菊屋町からとりました。

私の調べた限りでは、江戸期~明冶期にかけて六条新地の区域は一度も遊里化しておらず、少し前書きましたように、大正元年八月二十三日、京都府令第六号の一節として、高宮町、菊屋町、富松町(高宮町に面せる表側)平岡町(高宮町に面せる表側及菊屋町に面せる表側)つまり六条新地の北側が、七条新地に組み込まれて始めて遊廓になり、その後五条楽園に引き継がれたものと思います。



by gionchoubu | 2015-05-30 13:53 | 五条楽園 | Comments(0)