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京都パンパン赤線時代 三十四_f0347663_10355615.jpg

昭和26年4月11日 京都新聞

『始った「春まつり」 練る太夫さん』

京の春の行事の一つとして、島原の太夫道中が十一日から五日間毎日午後一時から二回行なわれるが、十日にはその総稽古が同歌舞練場とその前の広場とで行なわれた、

最初美吉野、玉袖、雲井、薄雲、君、吉?太夫らの「かしの式」にはじまって芸者の長唄舞踊「春」「世界」常磐津「戻り駕籠」などがあり同歌舞練場から向い側の六坊へと会場を移し、かむろを従えて、例によって太夫は八文字をふみながら練り歩いたが、同期間中歌舞練場に茶席をもうけ藪内流で太夫のお点前を見せ、角屋、輪違屋などの門外不出の遺墨、遺品を陳列する。

昭和26年4月11日 夕刊京都新聞

『これも宣伝であリンす』

散る花を追うて十一日から五日間午後二回、島原では太夫道中が行なわれるが、それに先立ち同郭では宣伝のためとあって十日太夫の街頭進出を行い、当日の衣しょう姿で各方面にあいさつに向った。

昭和26年4月14日 京都新聞

『フォックス・トロットだね 高松宮両殿下、太夫道中御覧』

聖徳太子一千三百三十年忌記念事業の催しに西下中の高松宮、同妃両殿下は十三日午前九時五十六分着の国電で入洛、おそろいで五条坂清水六兵衛氏邸を御訪問、六和、六兵衛両氏の御説明で工房を見学、楽焼に興ぜられ辞去された。

午後は高山市長の御案内で一時半、新町竹屋町下ルの便利堂をご訪問、午後三時半からは島原太夫道中を御観覧になり、内八文字をふんで練る太夫の昔ゆかしい情緒を賞賛ぜられて後、郭内角屋へお立寄りになり、青の間で京大法学部教授猪熊兼氏の説明をきかれながら薄雲太夫のお点前でご一服。

「あの内八文字という歩き方はフォックス・トロットに似ているね。頭も衣しょうもさぞ重いだろうし立居振舞が大変だね、このかっこうでは騒げないだろう」

と後歓談、つづいて松の間で君太夫、薄雲太夫の“かしの式”を御覧になった。




by gionchoubu | 2017-09-24 10:37 | パンパン、赤線 | Comments(0)

島原遊郭ぞめき 太夫道中5

島原遊郭ぞめき 太夫道中5_f0347663_11081067.jpg
昭和二十四年の道中、簡略化されているのは松本楼が戦前に焼失しましたので、
松本楼が面していた太夫町を省いたのでしょう。

前回は、昭和二十四年の太夫道中の文化・文政時代までの女人の時代風俗をみてきました。今回はその続きで、

明治初期時代 新造 勝代、太夫 駒太郎、太夫 富貴
ここまでが島原芸妓による太夫の扮装で、以下が現役太夫による道中になります。

現代 九重太夫 禿、青木喜久子 同、高井昌子 引舟、千代

   玉袖太夫 禿、高田正美 同、松本善江 引舟、清子

   美吉野太夫 禿、青木功子、同、西本幸子 引舟、満子

   光扇太夫 禿、細村君子、同、若村和子

   尾上太夫 禿、中田薫、太田洋子、北村智栄子、筆蔵京子、小川ハル子、長谷川トシ子、北村ナガ子
 引舟 婦美子

昭和二十四年の『島原太夫道中しるべ』に「八字を踏む由来」(内八文字)が載っています。他の資料等であまりこの件に触れていないようなので抜粋しておきます。

太夫が道中に「八字」をふむ由来について種々言い伝えられているが、何分大きな頭飾りや、大きな着物、打掛を着ているので早く歩けない、当時は御所の人、寺院の僧侶などが正装をして「静かに練りあるく」場面が往々にしてあったので、この風習が島原にも取入られたものと思われる。

この後京都新聞を追いかけると、戦後二回目は昭和二十八年に行なわれています。この翌日の京都新聞を見ますと「後三時から花曇りの空のもと可愛い、子供の如く花車を先頭に行列は組合事務所を出発寛永、正保時代から年代順に文化、文政、明治、現代と移り玉袖、九重、美吉野、火扇、春日、君太夫と禿引きわたり古典艶麗な風俗絵巻をくり展げて同四時過ぎ道中を終った。昔にかえって無料公開というのが効いたのか数万の人が押しかけ道中開始二時間前に大門を閉じるという盛況であった。」

そして、私が調べた限り、島原の廓内で最後となった道中が昭和三十年のもので、矢張り翌日の京都新聞に「三本歯でシャナリ二年ぶりの島原太夫道中」が載ります。

このときも島原の芸妓が寛永〜明治間の太夫風俗に身をかため練り歩いた後、現役太夫である初音、小車、九重、美吉野、玉袖がきらめくカンザシ、素足に黒塗りの三本足の高ゲタ姿で練り歩きました。


島原遊郭ぞめき 太夫道中5_f0347663_11073387.jpg
『島原研究』「昭和の島原、太夫道中のひととき」に載る島原太夫道中巡行図



by gionchoubu | 2016-08-11 11:08 | 島原遊郭 | Comments(0)

島原遊郭ぞめき 太夫道中3


島原遊郭ぞめき 太夫道中3_f0347663_12202284.jpg
左より引舟、太夫、傘持

昭和四年刊『全国花街めぐり』で松川二郎は名物「太夫道中」とした一文があります。

「花も漸やく盛りをすぎた四月二十一日に毎年行われる。此日は午前中に大門が閉るから、見物人は朝早くから弁当持参の一日がゝりで出かける。両側の家の階上階下は勿論、中央に太夫の通る道幅だけを明けて、路上に莚や茣蓙を敷いて座りこんでいるところは、まるで御大典拝観の騒ぎそっくりである。それで道中の始るのは欠伸も品切れになった午後の三時過ぎ、先づ八名の芸妓に依って曳かるゝ花車がやって来て、次で禿二人を露払として、太夫は右手に裾を持ち、左り手は斯う懐中に入れて、例の三枚歯黒塗の高下駄を素足に穿いて、カラン、コロン、外八文字を踏んでやってくる。髪は立兵庫もあり、横兵庫もあり、勝山もあり、いろいろである。“曳舟”と名づくる介添が付添ってゐて始終着付などを直してゐる。後ろからさし傘を持った男がつゞく。道中は二丁足らず、出場の大夫は年々の編成の都合にもよるが大抵十五、六名から十七、八名である。最後に善美を尽した真打の太夫が八人の禿を連れて、数万の瞳をながし目に、?々娜々として練ってゆく。これを“傘止”と云ひ、傘止めに出れば爾後間もなく、屹度落籍されるという伝説が、昔から此の里には信ぜられてゐる。」

実をいうと外八文字は花魁の足運び、太夫が歩むのは内八文字、曳船は本来引舟を充てるのですが、そんな事より、松川は実に見事に太夫道中を短い文で再現してくれています。

太夫道中に知識の乏しい現代人にも、その様子が手にとるように分かるのは、一つには松川が島原に精通している訳でもないので、我々に近い目線で、物珍しい行列を興味深く眺めたことが挙げられると思います。何度も太夫道中を見た人なら、返って書けない文章だと思います。当然希代のルポライターとしての観察力、文章力があって書けた名文だと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

島原太夫道中は午後三時過ぎに花車から始ります。島原廓の周囲は丸太で厳重に柵が巡らされ、さらに警備員、警官、憲兵、消防士が警戒、取締りを行うので、大門からの入場しか出来ません。

特別入門の許可があれば別ですが、一般の入場は基本十時には定員で締め切られ、島原内に入れません。仮に朝の七時に入場できたとすると、道中が始るまで八時間も待つことになります。

お茶屋の馴染みの紹介客なら、昼過ぎに許可の印を見せて入場できますが、一般客には大変な忍耐が必要とされ、それでも大変な人気でした。県外は勿論海外からの見物も沢山いました。

太夫道中までの時間、人々は、弁当、鮓、みかん、パンの行商から買い求めたり、郭内で販売された番付などを見ながらじっと待つことになります。

角屋の塀外に救護班と7、8人の看護婦が待機しており、太夫がよく道中に、その衣装と髪飾りの重さに耐え切れず卒倒するのに備えてのことでしたが、見物人の介護にもあたりました。

この太夫道中、実は昭和七年まで、一般観覧料は無料でした。この年初めて赤券五十銭、黄券一円を数日前から売り出し、丸物百貨店では商品の景品に供したといいます。この年有料化になりましたが、例年のように10時にはすべて売り切れました。

この年まで太夫道中は赤字続きで、運営費、設備費、警備、救護班、諸々は総て組合や貸座敷の持ち出しでした。

昭和七年の道中が始ったのは午後三時で、一番柝、二番柝、三番柝響くと、歌舞練場から花笠を冠った十数名の少女と派手な元禄模様の粧ひを凝らした若い芸者衆が花車を曳き、間も無く桔梗屋の羽衣太夫が現れると「羽衣さん好いで」の掛け声がかかり、続いて青木楼の菅太夫、同、尾上太夫、輪違屋の胡蝶太夫、菊春楼の雲井太夫、山中楼の大井太夫、菊春楼の高砂太夫、山中楼の小紫太夫、青木楼の君太夫、小島楼の光春太夫、傘止めは青木楼の浦島太夫で、総て終わったのは午後四時半でした。

参照:『技芸倶楽部』、大正十五年五月号と昭和七年の五月号





by gionchoubu | 2016-07-25 12:29 | 島原遊郭 | Comments(0)