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花街 元林院ぞめき 三

花街 元林院ぞめき 三_f0347663_12535808.jpg
            左の建物が元林院検番事務所、右が元検演舞場

文芸倶楽部定期増刊「奈良の遊廓」変通子によると、客の方は京種の方が優なしくて良いのであろうが、元林院の抱え主は京都仕込みの芸妓を嫌がって、成るべく大阪から仕入れました。それで風格も遊び方も、言葉も、お座敷で唄う歌の様まで悉く大阪式だったといいます。

これを裏付けるように『全国花街めぐり』に、この地は子飼から芸妓を仕立てる事は殆どなく、自前の芸妓も希、大部分置屋の年期抱妓で「半自前」とか「分け(わけ)」という制度だったとの事でした。

お茶屋で一番名の通っていたのが木辻から支店をだした米浜、そして大西、愛三郎、勢開楼、萬玉楼らが名の通ったお茶屋で、置屋を兼ねているお茶屋は自分の所でも遊ばすが、口がかかればどこでも芸妓を送りました。

お花に行くとき、多くは人力車、歩行の時は十一、二の小女郎(こめろ)が小提灯を点して送り向かいをしました。

昭和57年の「奈良いまむかし12」で芸妓の光菊さんは、昭和のはじめ頃、夕方四時、五時には元院林の狭い路地は着飾った芸妓であふれ、稽古している三味線、太鼓の音が絶えなかったと花街の最盛期の様子を伝えています。

そして、芸妓は十歳から十五、六歳まで芸を仕込まれる、座敷に出る前には試験があり、警察の人やら置屋のおやかたの前で三味線や踊りを見せ合格して初めて座敷に出られる、と書かれていました。

しかし座敷に出られるのは二十五、六までで、それを過ぎるとあまり声がかからなくなったとも。

「お客さんは吉野の山持ちが多かったんですが、みなさん遊び上手でしたね。三人で来たら十人の芸妓を呼んでいました。自分も楽しみ芸妓も楽しませようという粋な人が多く座敷をうんと盛上げてくれました。」と光菊さんは当時を懐かしみました。

当時、芸妓は置屋に借金して住み込んでいるので、自由に外へも行かれず、黙って遊びにでも行くと借金がかさみ、もし逃げ出したら警察の力を借りてでも探されました。

芸妓の出先は菊水楼、魚佐、同別荘、沈利亭、四季亭、月日亭、武蔵野など、魚佐旅館は最近まで奈良の修学旅行旅館だったので、泊った経験のある人も多いいでしょう。

昭和3年4月26日の「大和タイムス」に奈良市制三十周年記念祝賀が近づいているので元林院検番の芸妓連は検番楼上の演舞場で西川師匠の振りつけで、祝賀踊りや、祝賀式当日公会堂で催す舞踊の稽古に勤しんでいる様子が写真入で記事となっていました。

京都式の歌舞練場という言葉を用いず、大阪、東京で使われる演舞場という看板が掲げられていたのも、なんとなく、大阪よりの気持ちが出ているようです。

出し物の予定は、興福寺の花、七福神、四季、青陽の壽、素囃子元禄花見踊などの予定でした。



by gionchoubu | 2018-12-09 12:56 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(2)