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祇園ぞめき その十六

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立て看板には小花とあります・・・当時は芸妓にこういった漢字を普通充てないのですが・・・

高杉晋作に祇園の芸妓いづつの小りか有り・・・は田中緑江さんの著述などで存じ上げていましたものの、それ以上の話はなかなか出てきません。

慶応三年版『四方の花』をみると、確かに祇園のいづゝ屋の芸子に小りかの名があるので、史実を裏付ける資料となるでしょう。この年、いづゝ屋には芸子、まい子が三十五人、義太夫芸妓が六人、新内が一人所属していました。

ただし、前年の慶応二年版『全盛糸の音色』では小りかの名を確認出来ない事も付け加えておきます。

この時、祇園で芸妓の見世は井筒、嶋村屋、若松屋、京屋、鶴屋、万屋、玉屋、井上屋、三浦屋、近江屋、三桝屋、ときわ屋、鶴井筒、柳屋、東いつゝ、八尾屋そしていづゝとなります。

一力茶屋以上とも言われ、祇園一と称された井筒茶屋といづゝはともにイヅツと読むので混同されますが全く別の屋形です。

見世とは見番機能を備えた置屋のようなもので、この見世には基本客ははいりません。客がはいるのは一力、富美代などのお茶屋で、この見世から芸妓や舞妓を呼ぶわけです。

ですから、晋作はいづゝから呼んだ小りかとお茶屋魚品などで遊んだのです。

ただし、井筒の用にお茶屋でありながら、見世でもあるという家もありました。祇園は明治になり、この見世は解体、検番制になりました。大阪では、戦後まで扱い席という名で、このシステムは残りました。

東京ではこのような制度を聞いた事がありません。この〜席は大阪以外、奈良、和歌山でも私自身確認しておりますので、関西独特のものでした。

さて、小りかですが、短い乍らこれを載せたのが『技芸倶楽部』昭和二年五月一日号の「維新と京美人(三)」東山西人で、その部分を抜粋します。

「魚品(うおしな)は元々長州藩のお出入りであったので、維新前後には長州藩のお出入であったので維新前後には長州出身の人が沢山この家で遊んだ。

だから一時魚品を称して長州茶屋と呼んだ位、殊に長州の高杉晋作の如きは連日魚品に尻を据え、気に入りの芸妓数名に囲はれ、昼となく夜となく、乙な爪弾を肴に盃を重ね、放談諧謔の裡密かに天下の形成を視察した。

今日も亦早朝から二階座敷に陣取った高杉、敵妓(あいかた)は井筒の芸妓小りか、此は井筒の店でも屈指の美人、高杉は小りかの愛嬌のみが気に入ったのではない。

常に高杉の意を能く汲み、高杉の為め佐幕党の内情を探知する才の持主であったからである。

そして高杉の意に叶ふた主要の点は其処にあった。小りかは高杉の意を迎ふる為めには密かに身命を賭して、佐幕党の内情探査に努めた。

高が芸妓ではではないか、何程の役に立つものかと頭からケナス事は出来ない
。假令家業は芸妓であっても時と場合には生じか男子の及ばぬ働きを為た。

況して高杉から種々国事を説き聞かされては、一生懸命の四字を真面目に生かしてゐた。高杉は日を経るに従い小りかを愛するの度が自然強くなった。」

なんとなく小柄で、負けん気の強そうな、そして利発が走った細面の若い女性の顔が浮かびます。

それに愛嬌まで加われば、晋作にとって小りかと過ごす時間は、狂おしいほど国事を憂える身にとってこの上ない癒しと、日本を動かすバイタリティの源となったでしょう。


by gionchoubu | 2017-06-15 13:51 | 祇園 | Comments(3)