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五番町ぞめき 七

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左(現イズミヤ)が喫茶マリアのあった場所

私が千中(せんなか)こと、千本中立売に住んでいたのは昭和50年からの4年間で、ここで大学生活を送りました。水上務の『五番町夕霧楼』は読んでいたので、ここが五番町の遊廓跡のすぐ傍と知っていましたが、別にそういった雰囲気は感じ取られず、ただ、やたら個人経営の飲み屋や喫茶店が多い町だと思ったぐらいです。

木村聡著『赤線跡を歩く、完結編』を開き、当時青山均さんが撮られた写真を見ると、大和楼や石梅楼といった貸座敷の建物を含め、まだまだ残っていたはずで、私も数え切れない程その前を通ったのですが、全く記憶にありません。今考えると写真の一枚でも撮っていたらと悔やまれるものの後の祭りです。

旧五番町遊廓内で覚えているのは、元五番町の検番跡に建てられていた成人映画専門の千本日活と、餃子と肉団子定食を良く食べた、カウンターだけの中華料理屋、ぎょうざ天国ぐらいです。スッポン料理の名店、大市は覚えていますが、遊廓の区域の先になります。

こちらも遊廓区域外となりますけれど、むしろ西陣京極がいい雰囲気をだしていました。筋を入るとすぐ左に食堂兼、喫茶店のマリアがあり、異常に朝早くから営業していました。朝六時には開いており、競馬新聞を読んでるおっちゃんがコーヒーを啜っていました。当時湯豆腐定食が天羅つきで350円でした。

筋をはさんだ向かいに太陽軒という小さい中華料理店もありました。当時、京都で冷麺が有名だったのは今出川の太陽軒です。ところが雑誌の取材の記者が、西陣京極の太陽軒に間違えて取材にこられ、たまたまそこに居合わせた私がその様子を見ていると、当然雑誌側にたいする店側の応対がちぐはぐなもので、私も、あの太陽軒はここではありませんよ、と言うのも憚れ、随分居心地悪かった記憶があります。この太陽軒の冷麺はその後ちゃんと、その雑誌に載っておりました。

さらに進むと突き当たりの手前右、照明なしの暗闇で一階はソファー、二階に桟敷のような、矢張りソファーの椅子が無い不思議な喫茶店があり、がんがんプログレッシブロックのレコードをかけていました。当時ロック側からジャズに接近した音楽をプログレッシブロックと呼んでおり、エマーソン、レイク&パーマーが代表格、逆にジャズからロック側にアプローチしたものをクロスオーバーというジャンルで呼んでいました。ベイスギターのスタンリークラークが好きでした。それにしても今なら消防法で絶対通らない、ほぼ暗闇の喫茶店でした。

西陣京極には西陣キネマと西陣大映という成人映画館あり、西陣キネマは洋物専門でした。さらに千中ミュージックというストリップ劇場もあり、若手の登龍門の劇場と噂されていました。今考えると、一流の踊り子は決して出ない、という意味だと思います。

千中ミュージックのすぐ先に今も現役の京極湯があります。学生の噂では、ストリップの踊り子がその京極湯によく訪れるとの情報が飛び交っていました。ただ私を含め、誰も千中ミュージックに行ったという話しは聞いたことがありません。

私たちが行ったのは千本日活の方で、当時300円でした、先日前を通ると現在も500円で入れる様です、日活ロマンポルノ、東活、大蔵映画などが頭を過ぎります・・・続く



by gionchoubu | 2016-07-28 15:21 | 五番町 | Comments(6)

五番町ぞめき 五

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                        北新地の紋章

花街研究家だった加藤藤吉は『紋章の研究』で、「紋章は梅花一輪馥郁と咲き綻んでいる中に、北の字が描かれた。極めて優雅な紋章だが、いわずと北野天神の梅鉢の梅と北の新地を表現したもので、流石に伝統のある染色界を背景にする花街の紋章とうなづけるもので、花街の紋章としては素晴らしい傑作といえよう」と激賞しています。

「西陣ぞめき」、高谷伸(作曲)、若柳吉兵衛(振付)、杵屋弥助(和楽作曲)、佐藤隆世(洋楽編曲)

√ハァー春はうれしい桜のうたげ「キタ」、燃ゆる篝に花が散る、花が散る
 ホイキタ平野の掛床机、ホイキタ、ホイキタ、ホイキタ、踊りゃんせササ
踊りゃんせ

√ハァー空の黒雲、からりと晴れて「キタ」、心も清き鈴の音、鈴の音
ホイキタ平野の神の前、ホイキタ、ホイキタ、ホイキタ、踊りゃんせササ
踊りゃんせ

√ハァーもみじ彩る、野山にまさる「キタ」、西陣織の美しさ、美しさ
ホイキタさかんなをさの音、ホイキタ、ホイキタ、ホイキタ、踊りゃんせササ
踊りゃんせ
 
√ハァー山もいろかも真白に染まる「キタ」、なかに輝く黄金色、黄金色
ホイキタ雪の金閣寺、ホイキタ、ホイキタ、ホイキタ、踊りゃんせササ
踊りゃんせ

√ハァーいつも賑はふ、廓の灯「キタ」、三味や太鼓のさんざめき、さんざめき
ホイ北新地、北新地、ホイキタ、ホイキタ、ホイキタ、踊りゃんせササ
踊りゃんせ

『技芸倶楽部』より

『朱雀第19集』に俗曲考―花街五番町元芸妓よりの聞き取りー森雅樹に、戦前から昭和二十七、八年まで五番町で芸妓をつとめたかたから聞き取り、実際お座敷で歌われた端唄、小唄の歌詞を載せています。

「からかさ」「ちょんこ節」「さのさ節」「東雲節」「どんどん節」は原曲を下ネタアレンジしたものですが、ここで紹介するのをためらわれますので、興味のある方は京都右京中央図書館までお出向きください。

「五段返し」も長唄「越後獅子」の中の一説の良いとこどりらしく、全国でご当地の替え歌があったようです。

「五段返し」

京都名所を芸者引き連れて 祇園円山清水八坂南禅寺に
知恩院に黒谷真如堂三十三間堂銀閣寺に金閣寺に北野天満宮
平野神社に参詣して嵐山高尾に永観堂下賀茂上加茂御所の遊苑地
京極眺めて四条に出て御座れ参りましょう鳥新で一杯飲んで帰りゃ○○屋で
大うかれ(間 適当に)トンカラトンカラトンカラトンカラ トンカラ
お客は戻って芸者舞妓は大騒ぎ(散財しょ 流連しょ 毎晩しょ)

その他「京のわらべ唄」は北の一条戻橋から二条、三条から東寺羅生門を歌ったもの、又「まちがい節」では円山公園にあって花街の人の信仰を集めた弁天さんが出てくるのが興味を引きます。


by gionchoubu | 2014-09-10 15:12 | 五番町 | Comments(0)

五番町ぞめき 一

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                     昭和初期の五番町の芸妓

堀江に対する長六茶屋、島之内には難波新地や、髭剃と呼ばれた南阪町、曽根崎新地には編笠茶屋・・・江戸期には大阪の一流花街はすぐ傍には上等とはいえない遊廓も栄え、庶民の遊所となっていました。

京都も同様で祇園には膳所裏、そして奥座敷上七軒が西陣の旦那衆のプライベート花街なら、職人が通ったのは今の千中辺り、水上勉の『五番町夕霧楼』でも知られた、五番町でした。この作家が五番町との思い出を綴った『五番町遊廓附近』では、まだ彼が十八、九の等持院に修行中に初登楼した頃の話から、八千代、バット等の千中の呑み屋の思い出、金閣寺を焼いた林養賢が放火のすこし前に五番町に登楼して、妓に「もうすぐ大変なことをやってみせるぞ」と予言した話、赤、青の化粧ガラスをはめこんだ石梅第一、第二の華やかな戸口の店と格子戸のしまった大玄関に水を打ち、西陣の問屋の入り口のような構えの大店、奥村楼の対比の事など、数少ない五番町の貴重な証言になっています。

正式には内野の四番町の三石町と西連寺南町と五番町ですが、語呂がいいのか人々は皆五番町といいました。嶋原を根本とする京都遊所系譜によれば、この内野五番町、四番町は北野上七軒と出稼ぎ地という位置付けで、大正元年区域を改め、一番町の中、四番町に面する表側、中立売通りに沿った表側を除いた
五番町、三軒町の一部、そして白竹町、利生町が営業地となりました。そして大正三年、大阪の高級花街、北之新地(曽根崎新地)を意識したのか、五番町は北新地と改称しました。これは区域の拡張とともに、五番町の名称では通信上、その他多大の不便を感じた故といいますが、その後も北新地は定着せず、皆五番町と呼びました。

享保の末年には茶屋株を得、その後旅籠株や煮売株も得て茶立女の名目で、北野神社や愛宕山の参詣筋として天明年間には大変賑わったようです。

天保前の遊所番付ではこの五番町は前頭の上位、先斗町よりも、上七軒よりも上位に置かれているので、その繁盛振りは我々の想像を超えていたものとおもわれます。しかしながら、名を残す妓とか、歴史に残る事件とか、何も伝わっていません。

正式に遊女渡世が許されたのは安政六年、北野七軒の出店としての許可を得て
慶応三年冥加金(税金のようなもの)で幕府より営業が認められましたが、翌年には明治政府になし崩しに引き継がれた格好です。猶、慶応三年の『四方の花』に五番町として千代屋に芸妓四十六人、遊女十一人の名が収録されています。

五番町は娼妓本位のイメージがつよいのですが、意外にも維新前までは芸者稼業で、その後娼妓はお隣の下の森から移転した業者が抱えていたもので、上記『四方の花』の千代屋は丁度その過度期に当たるものと思われます


by gionchoubu | 2014-09-05 14:44 | 五番町 | Comments(0)