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五条楽園ぞめき その十九

五条楽園ぞめき その十九_f0347663_10595296.jpg

五条会館、すなわち旧五条楽園歌舞練場の屋根の一番上の瓦に巽の文字が浮かびます。この巽の由来は多分これまで誰も触れておらず、実際五条楽園の元御茶屋のご主人もその由来をご存知ありません。

明治二十四年の七条新地組合規約謄本を見ると、明治十九年の七条新地五業組合規約が載り、第一章、第二条に「組合事務所は七条新地区域巽女紅場構内ニ設置ス」と書かれており、私が調べた限りこれが五条楽園の前身、七条新地で最初に巽の文字が使われた記録になります。

しかし、何ゆえ巽なのか?

祗園の例でみますと、巽橋や辰巳神社は御所から見て巽の方向にあるので、巽(辰巳)が充てられました。同じく明治初めに無くなった辰巳新地も御所からみて辰巳にあるのが由来と考えられます。

宝暦八年、今の北野上七軒の真盛町から南京極町、文化十年に平居町に茶屋株借受の形で後年五条楽園(七条新地)に遊所が誕生しました。

つまり、五条楽園(七条新地)は、その母体にあたる上七軒の巽方面に当たるので、巽をシンボルにしたのであると私は考えます。

京を語る会発行の『京都遊廓見聞録』に、昭和二十二年一月、会員の自治経済、衛生、教養、互助親睦を目的として七条新地巽会が結成され、さらに『都の華』なる月刊新聞も発行され、会員も三千人を数えたそうです。

巽は戦後もこの地で行き続けていたのです。

五条楽園ぞめき その十九_f0347663_11005388.jpg
もう一つのシンボルといえる五条楽園の紋章は七条新地時代にはなかったものです。五条楽園歌舞練場が建てられた大正四年から昭和三十三年までもなく、売春防止法の後、五条楽園が歩みを始めて作られた紋章です。

この紋章は五を意匠としたものと五条楽園では伝えられています。ただしどうしてこのデザインが五と読めるのか、わたしが尋ねた関係者も首を傾げるばかりです。

どなたかご存知ありませんか?

五条楽園贔屓様より以下の御教示頂きました。有難うございます。

五の字の3画目の始点を垂直に上に1画目に接するまで延ばし、全てをまあるく収めると、写真の座布団を90ど回転させた紋章に出会えます。



by gionchoubu | 2016-10-23 11:01 | 五条楽園 | Comments(2)