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京の銭湯史 その五_f0347663_10511881.jpg
 一条風呂

今一度、中世から近世にかけての京都の町衆の風呂屋事情を見てみます。京都洛中洛外図の上杉本(1574以前)に描かれた風呂は一条風呂とよばれた公衆浴場で、今の中京区の革堂のすぐ近くにあったとされます。

時代で言えば、この頃、湯は貴重なものと想像され、客は柄杓を用いて体に湯を掛けていた有様が見てとれます。又白装束の髪洗女も中年以上の様で、単に入浴のお世話係りだったようです。

延宝九(1681)年完、藤本箕山がそれまでの三十三年をかけて完成させた『色道大鏡』に「風呂屋女篇」があり

「都はさすがなれば、寛文(1660年代)の初めに、風呂の四天王あり。所謂亀屋の佐津・丁字の吉・丁字の百合・清水の小七是なり。其なかに佐津こそ、殊にすぐれたれ。容貌きよらかにして、装ひ古今に独歩なり。鼬鼠論にくはしくこれをのす。風呂女は、板にたつとたゝざるとあり。是人によらず、家によりてかはれり。板にたつとていやしまれず、たゝざるとて貴しともせず、唯善悪不二と見るべし。但よきとてもあしきとても、自然盃の友なるは、京師のをいへり。」

板にたつ・・・髪洗女として風呂場に立つ、事と思われます。何れにせよ、風呂屋座敷でお酒の相手をしていた事が分かります。

所謂、が付けられる程、亀屋の佐津は人の口に上ったのでしょう。

貞享二(1685)年の『京羽二重』の宝永板(1704~1709)を見ると、当時の風呂屋は

松屋  室町五條ル町
扇   松原堀川東ヘ入町
清水  川原町二條上ル町
堺   松原通からす丸東へ入ル
+大夫  西洞院魚の棚下ル町
柳   西六條木つや橋下ル町
+丁字  高くら六角下ル町
和泉  小河三条上ル丁
大和  車屋町押小路下ル町
伊勢  四条大宮東ヘ入丁
+柳   堀川一條角
釜風呂 冨小路高辻上ル丁
同   同せいくハんし上ル町
同   いのくま綾小路下ル町
同   とミの小路竹や町下ル町
塩風呂 車屋町二條上ル町
同   間ノ町御池下ル町
同   東洞院松原上ル町
池田  川原町三条下ル二丁目
+ゑびす 東洞院六条魚棚下ル
櫻   ゑびす河柳のばゝ西ヘ入
塩風呂 祇園町

少し前に載せた、約三十年後、元文二年(1737)の『洛陽勝覧』と+が一致し、湯女を置き、風俗営業をしていたものと思います。又、丁字風呂は色道大鏡の丁字風呂と同所と思えます。

つまり、当時の京都の風呂は大方が大衆浴場で、ほんの一部が風俗営業をしていたものと思います。釜風呂は蒸し風呂、塩風呂は塩の効能を求めたもので、共に湯女とは無縁と思われます。

そしてソープランドの遠い祖先の風呂屋は、御免の傾城町、島原から苦情が殺到したのは間違無く、

宝永元(1740)年「京都御役所向大概覚書」に有るように、

一、風呂屋あかかき女之事、前々相定之通三人に過べかざる事。

一、 二階座敷を構候儀遊所に紛敷相聞へ候、二階座敷可為無用候、但勝手物置之儀不苦候事。附、向後作事いたし直し候節者絵図可指出事。

一、 火之元之儀、度々被仰出候間、風呂相仕廻候儀暮六つ切に可仕候事。

のお達しがありました。

そして、風呂屋の二階に座敷が有り、四人以上の湯女を置き、遊所として営業していた事が明白となっています。






by gionchoubu | 2017-05-17 10:53 | Comments(0)