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奈良 下市の花街

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                      下市、本町あたり

わが国手形流通の嚆矢とされる“下市札”で知られる下市村は天明八年(1788)の下市明細帳写によると家数1、088(内寺14、庵4)内260軒が明家、高取410、水呑400、人数3186と、ほぼ同時期の上市の倍の規模があり、「大峰山、天川、十津川への往還に而旅籠屋凡拾軒斗り御座候」と飯盛り女郎が旅人の袖を引く土壌があった事を伺わせています。

『奈良県警察史 明治・大正編』によれば

明治も年を重ねるにつれ、奈良県下で料理屋・飲食店が増加するにつれ風俗上目に余る行為も多くなり明治二十一年六月二十六日「料理屋飲料店取締規則」を県令で定めました。

この規則の主な内容は、料理屋または飲食店営業をしようとする者は

① 所轄警察署または分署に届出をすること

② 客が求めても午後十二時以降日の出までは歌舞音曲を禁止すること

③ 客または芸妓を宿泊させないこと

④ 芸妓でない者に芸妓類似行為をさせない

またこれまでの営業所も警察署、分署に届出が必要になりました。

明治二十七年三月、下市警察署長として赴任した松園警部は、着任以来料理屋、飲食店営業の取締りを積極的に行い、業者四軒を処罰したところ、料理屋、飲食店主らが警察署非難の投書をしたり、警察署攻撃演説会を開いたりの行動にでました。

その後色々あり、結局警察側が折れる形で下市警察署は廃止され、上市警察署下市分署(松園下市署長は下市分署長)となり騒ぎは収まりました。

そして明治二十九年四月に県令三十四号で、酌婦を雇い入れ使用するときは所轄警察署または分署に認可を受けること、等の条項が発令されたところをみると、芸妓でない者に芸妓類似行為をさせないという二年前の規則は後退したようです。

そして同時に酌婦に風俗を乱すような行為があった場合、酌婦雇い入れの許可を取り消す事がある、と釘をさしています。

つまり、芸妓まがいの者が酌婦という名で私娼として風儀を乱す・・・後年大阪、京都、奈良で一大勢力をもった半私娼の擬似芸妓、すなわちヤトナ(雇い仲居)の萌芽をここにも見ることができると思います。

さて、聞き取りによれば戦後下市にあったのは花街ではなく、特殊飲料店の鑑札を掲げる赤線でもなく(地元の方は赤線と呼んでいた様でいたようです)飲料店の名目で私娼をとりもつ青線でもありませんでした。

すくなくとも千石橋の本町側に三軒、渡った側に一軒女を置いた店があり、そこに客は通うスタイルをとっていました。

女は個人名で呼ばれており、立派な庭をもつ家もありました。

当時は下市にも映画館が二軒あり、夜は斬った張ったの刃傷沙汰が絶えなかったといいます。

女は妾になる事もあり、足抜きするものもあり、地元のある人は“兎に角肝が据わった”という表現でその女性たちを言い表しました。

お客の中にはお隣の五条のお百姓の倅もおり、米を持ち込んでお代とし、遊んで帰ったという逸話もお聞きしました。

これも時代というものでしょう。

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by gionchoubu | 2019-04-12 12:20 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)