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上七軒ぞめき その十三

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                       梅花祭

昭和の始め、松川二郎は『全国花街めぐり』の本編では上七軒を取り上げませんでしたが、京都の花街を総記で、当時の京都の八花街に触れ

祇園新地甲部遊廓 芸妓本位
祇園新地乙部遊廓 芸・娼妓両本位
先斗町遊廓    芸妓本位
宮川町遊廓    芸・娼妓両本位
島原遊廓     娼妓本位
上七軒遊廓    芸妓本位
北新地甲部    芸妓本位
北新地乙部    娼妓本位    

そして「芸妓本位の花街にも少数の娼妓あると同時に、娼妓本位の花街にも若干の芸妓が居る。例へば妓甲にも“太夫”が居るし、島原にも芸妓が居るの類である」と具体的な例を挙げ、京都の花街の仕組みを提示してくれました。

京都、大阪で最初に娼妓ゼロを実現したのは大坂の北の新地(曽根崎新地)で、明治四十二年、キタの大火のあと、芸妓一本で行くことを決めました。上記京都の北新地は、五番町遊廓を改称したもので、甲部、乙部(東部、西部)と分けて再出発したものの、この新しい呼び名は定着せず、人はその後も五番町と呼びました。

上七軒の歴史を語る上で、たとえごく僅かの存在だったとしても、芸妓本位花街の一角を担った、明冶以後の娼妓さんについて触れずに済ますことは私には出来ません。上七軒の芸妓さんが芸事に集中できたのには、一つには娼妓を廓内に抱えていたという側面もあるからです。

明冶二十七年の雑誌『花柳』にその年上七軒に在籍した三人の娼妓の紹介文が載ります。その内の一人大津出身、当時十八歳のつねの紹介文を抜粋します。

「上七軒に於て十数人の娼妓中一と云ふて二とくだらぬ人気者=流行妓=と云へば先づ指をおつねに屈するなり~略~女(じょ)は至て温順の如く見えて、其中に活発なる所あり、其言語の静かなる、客に対し丁寧を極め、大切を旨とし容貌も大いに良し、就中遊客の足を引くは実に此妓の得意とする所なり。此妓某客に招かれて或楼に行く座敷に掲げある額に、田夫採藻の画けるを見て大に郷里湖水の懐かしくなりホロリとこぼす一滴の涙に某客一層彼れが愛に恋着したりと。涙・・・涙・・・涙こそ実に男子の精神を狂わすの狂はすの狂水にぞあるなり。」

その後も二、三人の娼妓さんは常にいたようです。ところが大正十五年の『技芸倶楽部』で竹廼家柳枝の寄せた「遊廓唯一の公娼」という記事をみると、当時京都に千人以上娼妓がおり、祇園甲部に六十人、先斗町にも二十四人娼妓を数えたが、上七軒にはたった一人の娼妓しかいないと書いています。

そのたった一人の娼妓が奈良県出身の小太郎という芸名の妓で、元は酌婦で生計を立てておりました。ところがお兄さんが電車の車掌を勤めていた処、不幸にもこの兄が負傷し、家政を助ける為やむなく娼妓になったそうです。ただ、いたって内気の性格だったので、同業者の少ない上七軒を希望したとの事です。

小太郎は愛嬌のある、柔和な性格で、余暇に茶、花、裁縫を勉強していたと紹介されています、そして「一遊廓にタッタ一人の娼妓は他所には一寸類が無かろう。」と結んでいます。

昭和四年発行の『日本遊里史』には上七軒の娼妓は二人、しかし『京都府警察史第一巻』によれば、昭和七年、八年、九年とも上七軒の娼妓はゼロですので、昭和初年~七年の間に娼妓は上七軒の娼妓は居なくなったようです。

思えば、小太郎が上七軒最後の娼妓さんだったのかもしれません。そして関西では珍しい、大坂の北の新地に続いて、全く娼妓のいない遊廓が誕生しました。






by gionchoubu | 2015-08-30 10:40 | 上七軒 | Comments(0)