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上七軒ぞめき その九

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大正末〜昭和初期の上七軒の芸妓

この頃の上七軒の業者を見て見ますと、貸座敷(お茶屋)二十八軒、芸妓六十七人、娼妓八人、屋形(置屋)十二軒(『京都土産』、明冶二十八年)で名妓にうめ、繁八、歌子、菊勇、こう、愛吉、小歌、しな、照香、ひで、が挙げられています。

そして明冶四十五年、業者三十五軒、芸妓六十四人、娼妓三人(京都市統計)、その後もこの数字に大きな変更がないのが他の花街との大きな違いです。

『京都土産』に「時々舞踊の催ありて芸能精妙の評高し」とあるように、昔から上七軒は芸の質の高さでつとに名を馳せてきましたが、その背景を『日本花街志』(昭和三十一年発行)で花街研究家の加藤藤吉は西陣の糸ヘン客の社交場として立派に独立出来たことを第一に揚げ、芸妓数は極めて少人数ながらも上七軒で生まれ、上七軒で死んでいく、郷土色に富んだ気風があり、東京辺の花街には絶対味わえない楽しい温かさがあると書いています。

『京の花街』で渡会恵介さんも終戦直後、阪神あたりの旧廓から上七軒の名を慕って鞍替えをする芸妓があっても、客には「あれは、よその妓や、呼ばんとうきやす。」と生え抜きの芸妓からは受け入れられず、定着しなかったと書いておられます。

大正十五年の『技芸倶楽部』で野上金太郎が「上七軒の芸妓」という文を寄せて、当時の様子を詳しく伝えていますので紹介させて頂きます。

明冶三十年代後半に筆者が温習会を見たとき、確かな記憶ではないが歌舞練場はもっと北にあったとの事、また閉会したのが午前三、四時ということでその技芸熱も知れようというものです。

この思い出話の中でも、前回の多楼の話が出ており、やはり裏の離座敷に傘の様な天井があり、主人は中々の皮肉屋、始終何かに憤慨しており、筆者もしばしばこれを聞かされたそうです。

このお茶屋の娘はお瀧という芸妓がいて、美人の上舞巧者で一流株、さらにお瀧の妹芸妓に大藪てるという舞に秀でた若い芸妓や、お瀧の妹分で三味線巧者で瀧栄という芸妓も印象に強かったとの事です。ただし大正十五年にはこの名物御茶屋も無くなっていました。

野上金太郎は続けます、「私は上七軒芸妓の芸熱に強い事を今におき忘るヽ事は出来ない、また忘れようにも忘れられない、夫れは其後幾星霜を経るとも上七軒芸妓の芸熱の決して低下して居らないのみか、ますます昇騰しているからであろう。此は私が言うまでもなく広く諸君ご承知の事であろう。

上七軒遊廓は京都市内の北西部に偏しているから以前は市の東南部から見て、何だか遠隔の地に行く様に思われたが、現在は電車もあり自動車もあるから往復には易々たるものである。左ればこそ以前上七軒の遊客は多く西陣方面の人に限られていた様であったが当今は其方面ばかりの人でない、随って上七軒芸妓に馴染む人が非常に多くなった、そして上七軒に遊ぶ人は概して技芸界の好事者である、近頃上七軒芸妓ますます向上の一原因も亦其処に存するかと思ふ。」と長年上七軒を見てきた人の声で妓風を語っております。


by gionchoubu | 2015-08-22 13:19 | 上七軒 | Comments(0)

上七軒ぞめき その八

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                    上七軒の芸妓さん、梅花祭にて              

上七軒の青楼に告ぐ 乾玉山人

“上七軒は日に日に盛況を呈せり、吾輩も亦た上七軒の遊客の一人なり。如何に上七軒とは云いながら、青楼の不注意なる向多し。吾輩の常に感服せざる事多し其は他にあらず。芸妓に貰ひの多い之なり。

貰ひとは纒頭(ぽち)の貰ひを云ふにあらず。例へば、甲客が一人の芸妓を招く時、其芸妓其客の座へ来り座して一言二言咄すかと思ふ間もなく一寸誰々さんをお貰ひ申ますとて其芸妓を連れ行く、次に又一人の芸妓を招く是亦た同様の事あり。

之を貰ひと称すとか、此貰ひの都度、花は踊って十本が十五本となる事あり、甚だしきは態(わざ)と花を踊らす為めに此貰ひをして、又暫時して出て来たり再び貰ひをなす。一人にして幾度も此の如き事と為す時は、貰ひの為め踊る花は実に多しと、之れ上七軒第一の弊害ななり。

之れを改良せざれば上七軒の盛況の実を見る甚だ難し。併し芸妓不足なればと弁ずれば夫れ迄なりとも。能く其内情を知るものは此口実を以て瞞着されては居らぬなり。

次に貸座敷にて、座敷に野風呂を置く向の少なさ。之が娼妓処ろならば、其様な事を言ふに及ばざれども、常に芸妓の客を以て重とす、即ち散財客の多き上七軒の貸座敷に、其等の備へ不完全なるを以て何時も酒の燗はぬるく、又た間の抜ける事多し。宜しく注意して少し座敷の体裁―客に不快を与えぬ様ありたき事なり。聊か感ずる処ろあり花柳誌に投じて上七軒の青楼に注意を促す事然り。”

貰いはとは、その芸妓の旦那の特権で、旦那になると総て検番に登録され、この登録された旦那から、他の座敷へ出ている芸妓へ貰いがかかると、どんな事があってもお茶屋はその芸妓をその旦那の元へ芸妓を帰さねばなりませんでした。

芸妓を呼べばしょっちゅう貰いがかかり、いつもぬる燗を出され、自分の意に沿わねばペンネームで雑誌に苦情を寄せる乾玉山人は、上七軒にとって歓迎されざる、扱いにくい遊客だったのかもしれません。


上七軒の多楼(おおのろう)

“上七軒の貸座敷中、多楼と云うは彼の多(おおの)たきの実家なり。構造左して大ならざれども、此土地では先ず屈指の青楼なり。座敷の清潔なるが上、離れ座敷あり、殊に庭園には四季の草木繁茂し、誘客をして時々運動せしむに足る。此楼に一の名ある座敷あり。

其は傘の間と唱へ天井の傘形となり居るが故なるべし。就中遊客をして座興を増さしむるは仲居お愛にあるなり。お愛年未だ二十才の上を一ッ二ッ・・・・・実に其名に背かざる愛嬌物なり。

尚ほ、此お愛女の外にお榮女と云へる年齢十五歳の娘の時々宴席に酌す。其美其愛後世多望の女子と云うべし。まだ此外にお絹といふ別嬪あり、客の足繁亦無理なし。”

抜粋:明冶二十七年、雑誌花柳より


by gionchoubu | 2015-08-20 16:14 | 上七軒 | Comments(0)