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綾部、月見町ぞめき その二

f0347663_12254626.jpg
                   一番手前が蔵さん。2010撮影

月見町花街の関係者の方にお話を伺うことができましたので今回と次回は、花街時代の月見町と現在の月見町を較べてみます。

それでは昭和四十八(1973)年の住宅地図と聞き取りをもとにお茶屋さんを辿っていきます。お茶屋は殆どが南側に集中しておりました。まず北側を見ていきます。月見町に入ると最初に青空駐車場がありますが、以前は貸ガレージでした。その隣にあったのがお茶屋組合で、現在の月見町公会堂がその西半分に当ります。公会堂は建て替えられておりお茶屋組合の建物自体は現存しません。

住宅地図はお茶屋組合の隣にダンスホールムーンがあったことを示しています。以前は一軒おいて麻雀いこいがありました。その先に今と同じく料理・寿司の船半さんが見えます。現在はさらにその先の駐車場に塩見筝曲教室(琴・三味線)の看板がかつての花街の名残を伝えています。

次に南側の東から、現在の駐車場、元は稲野タバコ店、次の家が現在のお料理屋くらまえさん、そして次が現在お料理やの蔵さんです。かなり以前はお茶屋だったのですが、お店の人に聞いても、聞き取りでも当時の屋号は分かりませんでした。2010年に訪れた時五周年だったのを覚えています。現在の蔵さんとお茶屋時代の間は芸妓さんの住居でした。

そのお隣りがお茶屋三芳さんで2010に訪れた際二階和風ホーム三芳さん、一階が三休さんでしたが今は立て替えられ、玄関はガレージになっています。そのお隣の吉津さんはかつてのあら木さんで芸妓置屋と揚屋(お茶屋)を兼ねていました。前回載せたように、商工名鑑では旅館兼用のお茶屋時代もあった様です。

三芳さんのお隣の紅柄の佇まいの風情あるお宅は芸妓さんでも住んでいたのでしょうか、素人さんのお宅にはみえません。

その並びにかつてのお茶屋松葉さんで、大茶屋風の構えを残します。その隣は以前はニュークラブ月光がありました。そのお隣がバーボーンさんで昭和三十三年から現在も、元月見町の芸妓さんが守り続けています。.

お茶屋さんは基本一現(見でなく現を当てます)さんお断りですので、店構えに意匠などこらす必要がなく、せいぜい紅からや見越しの松ぐらいで、たいがい仕舞屋風の構えです。

それがお茶屋街として何軒の並ぶと、実に品のある、しっとりとした、どこか艶っぽい風情を醸し出すのです。是非月見町も今の姿を後世に伝えて欲しいと切に願います。
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                   松葉さん側から、2016撮影

by gionchoubu | 2016-02-02 12:28 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)

祇園東ぞめき 十三


f0347663_13293551.jpg

祇園東の区域の内、祇園北側347番地はすべて膳所藩の屋敷跡です。(グリーンが内その347番地で、ピンクは膳所藩屋敷の庭に祀られ現在も信仰を集める歓亀神社、赤の斜線が祇園会館です。昭和四十年代の地図にフィルターをかけました。

祇園乙部貸座敷組合事務所発行、昭和十四年九月十七日現在の芸娼妓一覧によれば、いろは順に並べられた芸妓之部の置屋五十八軒、芸妓数百九十人、たくさん芸妓を抱えたのが植辰の十三人、九二八(クニハチ、富菊の二軒西にありました)の十三人、近江福九人、木村九人などで、特筆すべきは、この木村にギ、勝助、また大市にギ、良吉など義太夫芸者が確認できたことです。関西の義太夫で名高かった花街は大阪では、堀江、京都では宮川町などですが、祇園甲部、先斗町でも戦後まで、義太夫芸者は一種独特の存在感を示していました。又、富菊、岡留、梅田、繁の家など現在のお茶屋組合の組員の名前もみえます。

娼妓之部をみると、置屋三十二軒、娼妓数百三十五人と、芸妓が娼妓を上回り、いよいよ芸妓本位の街が確立されました。また何軒かは芸妓、娼妓兼用の置屋もありました。

昭和十一年の貸座敷二百二十軒から、昭和十四年の置屋総数九十軒(芸妓置屋五十八軒+娼妓置屋三十二軒)を引いた百二十軒がこの時期の芸妓、娼妓を置かないお茶屋と妓楼のトータル数ということになります。

さて、終戦直後の祇園はアメリカの進駐軍のせいで様子が一変し、闇市もでき、GIが横行、祇園乙部では進駐軍を立ち入らせない様、off limit の看板をだす店が目立ったそうです。

昭和二十四年、乙の字を捨て祇園東新地と名称を変更し、花街の紋章も八つの団子丸の中の乙を東に変えましたが、現在は八つの団子のみです。祇園甲部は今でも分裂の際に考案された八つの団子の中に甲の字を当てていますが、両花街の団子の意匠はもともと水茶屋時代、祇園社頭で売られていた茶店時代の由緒から草案され、八の数字は、橋本、林下、末吉、清本、元吉、富永などの甲、乙またがる八町の結束を表現しているという説があり、もしこの説が正しければ、紋章のなかで甲乙が仲良く同居していることになります

昭和二十九年八月一日現在の祇園東新地事業組合員名簿をみますと、その数百六十六軒、昭和十四年の芸娼妓置屋の合計九十軒にくらべ多いいのは、単純に芸娼妓を置かない、お茶屋専業、貸席専業の館の数が含まれるからに違いありません。ここで現在も営業の福屋、中勇、田中浪(田中菜美)、叶屋、栄政の屋号をみることが出来ます。

昭和三十年八月発行、渡辺寛著、全国女性街ガイドの祇園乙部の項に、芸妓五十四人、女中(娼妓)百三十二人、お茶屋百七十人、置屋二十軒、芸妓一時間の玉代は一席いくらといい、芸妓一時間三百円、大きな屋形(置屋)としてあげられた九二八、植辰、吉春、大和屋は昭和二十九年の名簿で確認できましたが、榊初は確認できません。同じように大きいお茶屋北千代、古梅は確認できましたが、中照というお茶屋は確認できませんでした。

昭和三十三年、三月十六日、いわゆる売防法完全施行の直前、祇園東新地お茶屋から、現在の祇園東お茶屋組合になり、この時点で、お茶屋百四十軒、接客婦百三人となりました。

『亡くなった京の廓』田中緑江著によりますと、昭和三十三年頃の代表的な芸妓として、岡留の豊治を筆頭に、愛みつ、叶二、つね香、市子、幸三、市づる、豊和、真知子、幸宥、つる文を挙げています。

昭和四十七年の組合員名簿での会員お茶屋は六十一軒、売防蓬が実施されてからわずか十五年の間に半数以下になっているのは、時代の流れ、ライフスタイルの変化、レジャーの多様性といくつも理由は挙げられるのでしょうが、日本全国の花街、遊廓から娼妓関連の貸座敷が消えてしまったように、当然祇園東からも娼妓が消え、伎楼もなくなりました。

ちなみに、この頃の花代は一本十五分、一時間四本立てで千三百八十六円が定法だが、実際は五割増しが常識、宴会花は祝儀をふくめて二時間七千五百十三円の勘定でした。

さらに昭和五十七年の名簿ではお茶屋数は二十七軒、この中で、たとえば中畑という新橋筋、林下町にあったお茶屋はこのあと十年ぐらいで廃業、二階建て木造のお茶屋は地下一階、地上五階、三十ものスナック、バーがひしめくビルになっていますが、バブルの中、お茶屋だけで、この敷地を維持するのは、固定資産税だけでも大変だったと想像できます。

現在、平成二十五年の祇園東お茶屋組合員名簿に載るのは、福家、榮政、叶屋、
田中菜美、ほりたに、繁の家、梅田、中勇、岡とめ、富菊、まん、の十一軒であります。

乙部時代からの取締は初代中村乙吉氏、小山友次郎氏、佐伯寅蔵氏、山下寅吉氏、西川繁三郎氏、村上治郎吉氏と続き、富森菊一氏、富森多津子氏、梅田明子氏、岡嶋良一氏、そして現在は中勇の中西三郎氏が取締を務めます。
(ただし村上氏と富森氏間の取締は不明)



by gionchoubu | 2014-09-01 13:41 | 祇園東 | Comments(0)