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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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温泉芸者のすべて その六

温泉芸者のすべて その六_f0347663_16351447.jpg

江戸時代から色を売る芸者が多くいたのは周知の事実で『全国花街巡り』ではこれにかかるお金を特別祝儀という曖昧な言葉で表現しており、料金は経過時間の花代に上乗せされて請求されました。


飽くまでも芸妓は寝ないという前提なので、公に言うことはできない、公然の秘密見たいなものだったようです。

昭和30年の『全国女性街ガイド』渡辺寛著で、芸妓が温泉地で客と泊る記述があり、さらに料金が書かれている所を中心に抽出しますと、


北海道


定山渓温泉、一座敷五百五十円、泊り二千二百円

登別温泉、芸者の泊り二千五百円。


東北


岩代熱海、芸者だけが宿に入り、泊りは千八百円

東山温泉、泊りは十一時から二千円だが、一時間のお花三百円をつけないとよい妓は泊りに来ない

飯坂温泉、(百七十三名の内十五名の芸者は泊らず)泊りは十一時から九時まで二千五百円

湯野浜温泉、芸妓の泊りは千九百円に素泊り三百円。芸者・酌婦共に検診がないからご注意とのこと。


東海道


熱海温泉、最初の一座敷が八百円、泊りは素泊別が三千五百円。少しましなのを呼ぶには十時から四千三百円

伊東温泉、一座敷七百円、泊りは平均三千五百円。(百八十名の芸妓の)うち三十名ほどの名妓は泊ない。

熱川温泉、花代一時間三百円、泊り三千円

峯温泉、花代一時間三百五十円、泊りが二千二百円

土肥温泉、芸者花代は一時間三百円、泊り千七百円。

湯が島温泉、時間三百円、泊り三千円

修善寺、花代一時間三百円、泊り三千五百円(三千円もいれば二千円で泊る女もいる)


房州・常陸・野洲


鬼怒川温泉、花代一座敷七百円、泊り三千三百円

川治温泉、花代一座敷六百円、泊り二千八百円

 

甲信越


湯村温泉、泊りは素泊まりを入れ二千六百円

浅間温泉、花代二百円。泊まり二千円

伊香保温泉、泊りはおどろく勿れ四千円

草津温泉、宿に呼んで十時から三千円、花代は二百五十円


北陸


宇奈月温泉、花代は二百七十円、素泊まりを入れ二千円。

和倉温泉、泊りは安い方で千七百円

山中温泉、泊まり二千五百円

芦原温泉、転び芸者も百八十名。泊りは上のものが三千円。スッポン級が二千円。ほかに宿が素泊り四百円をとる。


大和・紀伊


白浜温泉、芸者の泊りが三千円、


山陽・山陰


有馬温泉、その宿に入る転び芸者が六十七人いて、泊りは素泊供で三千円とは少し高い。

玉造温泉。酌婦型の芸者が六十名。泊りが割に安くて千五百円。

皆生温泉、乙とは転び族。転ぶといっても顔は良し、歌はうまし。それで泊りが千八百円。

三朝温泉、花代二百円、泊り千五百円

浅津温泉、花代百七十円、泊り千六百円

城崎温泉、泊まりは家形でねて三千円(宿には入らない)

岩井温泉、千七百円で泊って行った。


四国


道後温泉、泊まり二千五百円。


九州


人吉温泉、花代は一時間六百円、泊りは二千円

阿久根温泉、一か月に十日ぐらいしか客をとらない


九州など転び芸者の記述が少ないのは、単に料金が書かれていないだけで、実際は他所と変わらぬ状況です。

芸者と寝るには、泊まり代が高いうえに、花代と素泊り(旅館代)がかかります。

芸者以外の酌婦、仲居、女中、パンマ(熱海などの按摩さん)、ダンサー、やとな、私娼は泊まり代と素泊り代のみです。


赤線・青線全盛の時代にあって、何ゆえ温泉地で男が遊ぶのかに触れた本には出合っていません。ただ私の意見として、赤線、青線は時間が細かく決められており、泊まりも普通早朝までの設定であり、どうしても日常の中の遊びという枠内になります。


一方温泉では、芸者を朝遅くまで一緒に芸者と過ごせたので、その辺りが、リゾート雰囲気に併せ、一夜妻のように、言わば情も交せた面があったのでは、と私は想像しております。



# by gionchoubu | 2021-08-30 16:35 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

温泉芸者のすべて その五

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浪江洋二著『カメラルポ 温泉芸者 お座敷ゲームとモテる遊び方』1964発行、によると、温泉芸者という言葉が持て囃されるようになったのは昭和38年に出た―世にもすざましい女―『温泉芸者』が出てからという事なの調べてみても、今の所、この新書版の手掛かりありません。

浪江洋二氏によると、温泉芸者の魅力は「旅の恥はかき捨て」にあり、団体客の宴会客に侍り、踊ったりお酌をして廻るだけでは食べていけない、さらにオフシーズンともなれば、その宴会すらなくなるので、シーズン中にいかに客を二次会のお座敷に呼ばれお客に散財させるかが鍵となるわけです。

そこで大人の自由恋愛に発展というのが客と温泉芸妓の最終目的になります。ただしこの自由恋愛にはおカネが絡むわけです。

ただ一次会で、露骨なお色気を発散すると、それはそれで後から同輩や先輩芸者にこっぴどくやられるので、そのあたりのバランスは難しく、故持って温泉芸者の団結力は薄かったとのこと、この点は、皆で自分たちの花街を盛り立てようとする一般の花街と大きく違うところでしょう。

さらに花街のちゃんとした芸者は、決して酒に呑まれず、飲みすぎても崩れそうな名自分を抑える色気が魅力の一つだが、すぐ応じるのが温泉芸者の性質という事になります。

ただし温泉芸者も二種類あり、温泉地で育って芸者になるのは余りおらず、地方から流れて来た芸者が殆どでその比率は1対9で、地の芸者は意外にお堅く、いわゆる温泉芸者のイメージは流れ芸者にあります。

当時の伊豆の芸者は戦前東京で水商売をしていいパトロンをもち二号生活を送っていたが、戦後の混乱でパトロンを失い、都会の芸者になるほどの芸もなく温泉芸者になったものが多かったようです。

温泉芸者の特性の一つに、都会の芸者に対する劣等感があります。
温泉には必ずといって良いほど、宴席で踊るその土地の小唄か何かあるわけで、流れの芸者とはいえ、踊らない訳にはいかないでしょうし、矢張り芸への憧れはあって当然でしょう。

どこの花街にもシーズンオン・オフがありますが、地元のお客が何かと支えてくれるものです。ところが一現の温泉客相手の温泉芸者のオフは深刻で、流れの芸者も他所にまさしく流れていっているものの、地の芸者もお茶を引きっぱなしで、その時が、客としては、いわゆる狙い目という事になります。

芸者は衣装代、組合費、お稽古代などの持ち出しが多く、時間の束縛も、検番というお目付け役もあるので、温泉芸者を含む芸者がこの後氷河期に陥るのは、自明の理なのですが、この時期が意外と早く訪れた理由も今後触れていくことになります。

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                      今回の画像は『快楽天国~ピンクチラシと昭和お色気雑誌の世界~著者 𠮷岡里奈 協力カストリ出版から

# by gionchoubu | 2021-08-24 15:52 | Comments(0)

七夕に寄せて

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2021年8月8日(日・祝)12時より、祇園会館 4階
牛禅・East Avenue 323 にて 七夕に寄せて
ご昼食と芸妓・舞妓の踊り鑑賞が催されます。
参加費:おひとり 9.800円
主催:あたしゑ京 お問い合わせ 075-551-0230
ぜひご参加下さいませ。


# by gionchoubu | 2021-07-28 15:10 | 舞妓・芸妓 | Comments(0)

飛騨高山花岡遊廓

昭和六年『公娼と私娼』内務省警保局の岐阜県の欄には、大野郡大名田町には営業者十三軒に娼妓数五十三人になっています。昭和十一年に高山町と大名田(おおなだ)村が廃止して高山市が成立しているので昭和5年『全国遊廓案内』にも大名田町花岡遊廓になっているのもこの為です。

『高山市史第三巻』の遊廓の始まりよると、明治元年十一月一日「梅村知事は高山町に貸座敷業を許可し川西に有明楼、空町に江戸善、片原町に鶴夢楼を置き、三軒の抱娼妓は七人でした。この家は翌明治二年二月二十九日の梅村騒動の際打ち壊しにあい以後廃業した」とあります。

そして『高山市史下巻』には明治二十一年七月十一日に、高山町の三人と、大名田村の七人の計十人が連名で知事宛遊廓地新設貸座敷営業を願い出て、同年十二月に至り許可があったので、廓地の町名を花岡町と唱えたき故取締人往佐一郎より郡長宛届でました。

十二月二十一日届出分が取締り住佐一郎の常盤楼、娼妓千代鶴外十二名、高瀬清蔵の鶴夢楼、娼妓松風外二名、藤田政吉の松寿軒、娼妓花園他三人でした。
昭和五年『全国遊廓案内』では大名田町花岡遊廓では、貸座敷の許可地は三千五百坪に妓楼十二軒、娼妓は五十二人、店は写真式(客は写真で娼妓を選ぶ)娼妓は居稼ぎ、廻しはとらず、娼妓は甲、乙、丙で料金が変わりました。

昭和二十四年の『高山市民時報』によると、花岡廓は特殊婦人のため事務所の一部(かつての共同炊事場)を共同浴場改築する事になり、工費は約五十万円との事でした。

昭和二十五年発行の『東海北陸社交歓楽街 有名舗 電話早見表』によると花岡組合に山形屋、和喜本、仙人楼、金盛楼、三喜楼、曙、梅本、甲子、いろは、ト一の十軒が載っています。

そして昭和三十三年三月二十日発行の『高山市民時報』に「花岡園の店じまい」が有り、花岡園の特種飲料店十二軒の三十五人の女性達が三月二十五日に組合事務所で解散式をあげる予定との事でした。

業者の内旅館転業で改築中が五軒、会席料理屋転業一軒、理髪店一軒、思案中が五軒で、女性の内実家に帰るのが二十四人、結婚が六人、高山に落ち着くもの一人、料理店勤め三人、未定一人でした。
今回旅館かみなかさんに宿泊させて頂き、お手持ちの資料によると、
最初の常盤楼(初代取締り)時代は別の経営で、その後末広楼、甲子(きのえ)かみなか(上仲)楼と店名を変更されました。

又、他の店は三喜楼、いろは、金盛楼、梅本、仙人楼、和喜本楼、ト一楼、旭楼、鶴夢(かくむ)楼、あけぼの、山形屋、金亀の計十三軒と事務所でした。

日本全国の赤線業者が解散後、その多くが旅館に転業しました。ビジネス旅館ならまだしも、観光旅館への転業には、特に団体旅館としての転業は、大浴場、大宴会場、バスの駐車場、調理場確保、妓楼には押し入れがないので、布団部屋の確保、消防法の対処、大きくて六畳間の客室問題と、事実上改築が必要と思われます。

第一その土地に観光資源があるか、さらに旅館街が観光に便な場所にあるか、個人にしろ団体にしろ、風俗環境から脱却できるか、など観光旅館としての転業には多くの問題を抱えます。

そこえ行くと花岡園は高山が観光地として非常に魅力的な資源を有し、高山駅からすぐの立地、朝市や古い町並みも徒歩圏、朴葉味噌や飛騨牛などの特産にも恵まれ、さらにディスカバージャパンの波にのり、旧遊廓地で観光旅館として成立した非常に珍しいケースと思います。

花岡の特殊性はもう一つあります。花岡には芸者が一人も居ませんでしたが、花街が隣接していました。いろは旅館の所の大門(画像)からつき当りまでが遊廓、突き当り右の区域が芸者町でした。京都などでは、遊廓と花街が同居していましたし、同じ町に遊廓と花街があった場合も、別の場所に存在する例をよく見ますので、遊廓、花街が隣接していたのは、珍しいと思います。

中京の踊りの流派は名古屋の西川流が占めていますが、ここは東京の西川流との事でした。

さて、廓内の環境ですが、かみなかさんの向かいが小間物屋で、中央分離の白線の所には、柳、松、桜が植えられていました(画像)、つきあたり、今の左の病院は当時も廓の病院でした。右の駐車場には今は有りませんが、娼妓さんがお参りした神社もありました。
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石燈籠のあるこの部分は当局により洋風にせよとのお達しがあり喫茶室にしました。

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以上一階と庭
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昭和三十一年ごろ当時のご主人は従業婦すべてを養女にしました。
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一回広間にて朝食は勿論朴葉味噌
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二階私の泊まった部屋が十畳で妓楼にしては広すぎでは?と女将さんに質問したら、この画像の部屋と私の部屋を二つに分けて客室にしたとの事でした。
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唐破風の月の間、奥が亀の間
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牡丹の間
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萩の間
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娼妓は居稼ぎでしたので、ここに住みお客が入りました。
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# by gionchoubu | 2021-07-25 18:10 | 亡くなったその他の遊所 | Comments(0)

温泉芸者のすべて その四

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                            道後温泉                          

『全国花街めぐり』昭和四年、松川二郎でとりあげられた温泉花街として、伊香保、伊東温泉、小川温泉、山中温泉、片山津温泉、道後温泉、別府、鳴子温泉、湯田川、湯の浜、東山温泉、花巻温泉なので、この中で別府温泉が温泉花街の性質を良く表していると思います。

「温泉地とのことで客筋が全国の寄せ集めであると同様、別府の芸妓も亦実に多種多様、全国からの寄り集まりで系統というものがなく、よく言えば日本中の粋を集めている。而して事実美人も相当集まって来ては居るが、遊覧地特有の何処となく落付かぬ、薄っぺらなところがあって、」と書いており、又、中央政界の立場や一流の実業家等が骨休めにやってくるので、普通無名の客は客を客ともおもわないという風があり、聊か情合に乏しいともあります。

『全国遊廓案内』には貸座敷五十七軒に娼妓は四百七、八十名で一大遊廓と有ります。

道後温泉の欄では、このあたりでは、松山芸妓が一番上品で、次が道後の町芸妓、松ヶ枝町(道後温泉)は一番下品、ただし、旅へ出て、バカ騒ぎをして遊ぶのも面白い、治外法権の別世界、徹宵、太鼓をたたいて大ぴらに騒げる所は他にない、底抜け騒ぎを演じ、そして泊まり込むと、温泉花街の面白さを書いています。

『全国遊廓案内』には松ケ枝遊廓は元湯女と称して、温泉旅館の女中が娼妓の役を帯びていたものを、風紀取り締りの必要上、明治十一年に遊廓が許可され、二十九軒の貸座敷に六十三人の娼妓がいて、その過半数が二枚鑑札と述べられています。

そして町の隅々まで遊山気分に溢れていて、花柳界には新開地の様な活気とざわめきが有ったとも有ります。

温泉地に遊郭があるのは少数派で、『全国遊廓案内』では
福島の飯坂若葉遊廓に貸座敷が七軒、娼妓五十人、(公娼と私娼では二十九人)芸者も同じ位、
湯本町遊廓は温泉と炭鉱の町で貸座敷五軒

岩手県の花の巻遊廓は芸妓兼酌婦兼娼妓の様な役割の女がいるとの事

山形県赤湯温泉は湯治客が多く妓楼三軒に娼妓は十三人、
湯温海村温海遊廓には娼妓二十人、芸妓もいる。
湯田川温泉遊廓には妓楼三軒、娼妓三十五人。
湯の浜温泉では海水浴場も兼ねる。

別府、道後以外の温泉地遊廓は比較的規模が小さく、東北に集中しているという事実も浮かび上がりました。
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# by gionchoubu | 2021-06-24 13:42 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)