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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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温泉芸者のすべて その九

温泉芸者のすべて その九_f0347663_16092208.jpg
獅子は恐し小鳥は小さし鴨の程よい片山津
  鴨は浮寝の柴山潟に鴨と浮き寝をしてみたい・・・片山津節

『全国遊廓案内』昭和五年、では遊廓ではない山中温泉、片山津温泉、山代温泉、粟津温泉を北陸の四大歓楽地と位置づけ、芸妓の特別祝儀は十円見当で一泊していく、其の間は絶えず傍に付きっきりで、酒の相手から、唄のはやし、話の相手から、散歩のお供にまで付いて行くという女房気取りで、一種独特の情緒がある。と書いています。

大正八年宮武外骨『猥褻風俗辞典』のしし(獅子)の項で、加賀の山中温泉、山代温泉にて湯女の事で、昔一反風呂敷の浅黄地をカツギの代わりに被ったのが獅子の姿に似ていた、と説明があります。

昭和四年『全国花街めぐり』で松川二郎は山中と片山津温泉の二か所をとりあげ、妓を山中でシシ、山代で太鼓の堂、片山津で鴨、粟津で小鳥の異名を持つと書いています。

さらに片山津では、「鉄砲かついで来た片山津、鴨も打たずに空(から)戻り」の小唄を紹介しています。つまり、片山津にきて芸者と同衾せず帰る客を揶揄するもので、それだけ芸妓を一夜妻にすることが当たり前の世界でした。
    
昭和二十九年『風流抄』の「加賀の湯女」で売れっ子作家の船橋聖一は北陸の温泉街を訪れ、山名のよしの屋、片山津の矢田屋、山代の大野屋、粟津のかみやへ泊まり、シシの情報に探りをいれますが、こういった一流処は、湯女の制度を、風紀上、経営上、運営上非常に嫌っているようで、女中、芸妓にきいても要領を得ず、山中で、文中名前は伏せた旅館に、夕食を済ませて出かけようやく目的であるシシ達がいる女中部屋に案内され、シシの一人から、女中としての仕事で精いっぱいなのに夜の御用も要求され、決して自らの希望でないことを聞き出しています。

又別の女中に「今のように一泊さんばかりじゃァ情がうつらないでしょう。昔は、短くて一週間、長い方は、二十日でも一ト月でも逗留したと云うから、そりゃァ情も涌くわ」と語らしています。


昭和三十年『全国女性街・ガイド』で渡辺寛は山中温泉では二ページほど全編一番と言って良いほどの行数をとり、芸妓ではなく女中が一夜妻として旅客に侍る様子を物語風に情緒を込めて語ってくれました。

赤線時代も終了して久しい昭和四十五年4月10日号の明文社『週刊実話と秘録』では、山中温泉には八百人の女中、芸者さんも百五十人程いるものの、売春防止法実施以降相次ぐ警察の手入れで、三流旅館で女中さんに頼むと、なんとかシシを照会してくれる程度・・・山中は有名になりすぎて、警察の取り締まりが厳しく、むしろ片山津の女中さんや、山代の芸者さん、あるいは女中さんに湯女の伝統が残るという事でした。

同年檸檬社『別冊プレイパンチ』3月号の江見仙吉のルポによると、シシの値段は宿泊別で七千円ほど、しかしシシの手元には四千円ですが、以前は80%が中間で消えたとのことでした。渓流近くの高級旅館は応じず、街中の安宿にその風が残るという事です。
温泉芸者のすべて その九_f0347663_16084610.jpg

加賀の山中おそろし所よ 夜の夜中にシシがでる
鉄砲かたねて来た山中でシシも打たずに空もどり・・・山中節



# by gionchoubu | 2021-09-10 16:11 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

温泉芸者のすべて その八

温泉芸者のすべて その八_f0347663_22330345.jpg
今回も同じ年、昭和四十五年二月一日発行双葉社『強烈のエロチシズム!衝撃の問題小説特集!』の「特別企画 日本縦断温泉芸者ピンク度全調査!」から抜粋しました。

北海道・湯の川温泉・・・後家芸者の深情け
八十人の姐さんたちはいずれも芸達者で、鳴物、長唄、清元なんでもござれで花代は一時間千二百円。芸者の半数が亭主持ちで、トーちゃんは遠洋漁業で一年の七、八月留守にするので、客相手に空閨の穴埋めをするようになった。

青森・浅虫温泉・・・チョンガー向きの昆布巻き芸者
宿に女中が少ないので、給仕に芸者を呼ぶ方がいいと旅館がすすめる。コブマキ芸者を呼ぶと即戦、即決、帯をしたまんまというから、チョンガー族に高く評価されている。一時間千円。置屋がなくて、アパート通勤芸者。

山形・寒河江温泉・・・サクランボ芸者の猛烈サービス

宮城・鳴子温泉・・・風呂線地帯の草餅芸者
草餅芸者と呼ばれる彼女ら風呂を利用して客をとる戦術は有名で、別称を風呂線地帯ともいう。

福島・飯坂温泉・・・男性天国炬燵プレイ
芸者は百八十名、十月五日の温泉祭りでは、ねじり鉢巻きに粋なはっぴ姿綺麗どころが総出で神輿を担いで、黄色い声を張り上げて練り歩く。

群馬・磯部温泉・・・カステラ芸者の上位サービス
ひところ、せんべい芸者で有名だったが、今はグッとモダンになりカステラ芸者が二十人ほどいる。戦後二十四年に「大塚」のほか四軒の置屋ができたが、今は十軒ほど。

神奈川・箱根湯本・・・ドッキング芸者にパンマ攻勢
強羅の八十名、宮ノ下の五十名に対して湯本には百五十名の芸者がいる。箱根芸者はチト高く、ワンセット一時間三十分の花代三千円。

静岡・修善寺温泉・・・お座敷外のプレイ芸者

愛知・三谷温泉・・・ドライバーに弱い三河芸者
きれいどころの芸者が八十人

石川・山中温泉・・・三億円で74手を披露
柳橋スタイルのネエさんは百三十人いて、ここの芸者をシシ芸者と呼んでいる。喜楽家の照葉は、「いま、フリー・セックス時代でしょ。あたしは男のコを可愛がってやるけど、そうだね。三億円くれれば、七十四手のスペシャル・サービスの熱演すっけど、そんな客ってまだこないねえ」


三重・有久寺温泉・・・山の温泉で海女芸者と
芸者は長島町に二十人

鳥取・三朝温泉・・・ラジューム芸者のその味は
ゲイシャは百人いて、ラジューム芸者といって放射線のようにとろかすので有名。

愛媛・道後温泉・・・SEX戦線ますます激烈
地元の芸者は六十名、玉代は二時間で二千円、番頭に芸者のハント料をたずねると、「それがねえ、旦那、明し花になると二万円で」「ひえーッ」





# by gionchoubu | 2021-09-03 22:34 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

温泉芸者のすべて その七

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昭和四十五年4月10日号の明文社『週刊実話と秘録』に「ワイドアナ場情報 春の慰安旅行に帰りはここでバッチリ!」の特集があります。

東北地方・・・旅館は前もって予約すると面倒な事になる、なぜなら旅行案内書に載っているのは一流旅館では、芸者は入れない。駅前タクシーに乗り、芸者が入れる風俗営業許可のある旅館に連れていってもらう。

おもしろく遊ぶには七時前に旅館に着いて、女中さんに直接芸者に連絡とってもらうのが必要。七時以降だと芸者は検番に出ており、検番を通すと花代をつけお座敷に呼ぶ必要があるのと、希望が叶う芸者が来るとは限らない。一夜のお相手をしてくれる芸者は、十時以降に芸者勤務を終え、個人として来てくれるという事になります。一夜の遊びは六~七千円ぐらい。

芸者は殆ど地元出身ですれていない。ホステスは新潟あたりの流れ者が多く、すれっからしで、高いカクテルなどをがぶ飲みされるおそれがある。ただ芸者と張り合ってるので、「俺は芸者遊びは好きじゃない」みたいな事をいうと、うまく誘えるかも、との事でした。

中部地方・・・形原温泉は百二十人の芸妓がおり、花代が二時間で二千円。お遊びは相手次第で確率は六~七十%。ショートで七千円、泊まり最低一万円。西浦温泉は芸者五十人で、一宮や豊橋あたりも紡績工場から転職した集団就職組の女工さんあがりの芸妓が多い。

ただし旅館に芸者は入るが、一夜のお相手は連れ込み旅館や片原のカーホテルに行く必要がある。料金は旅館での花代等ゝ含めると安く遊んで二万円。

三谷温泉にも五十名ほどの芸者がいるが、ズバリの確立は片原。西浦より落ちる。

山陰地方・・・皆生温泉には、自前芸妓ばかりの共立検番と皆生芸妓検番、両方合わせると百五十人、ただ一夜のお相手をしてくれる芸者は決まっているので、座敷で交渉成立は無理、宿の女中さんに相談すると、検番を通さず直接置屋と相談してくれる。置屋には要望に応じる芸者さんをも抱えており、十五軒ほどある内湯温泉の看板のある簡易旅館で芸者と待ち合わせをする。オールナイトで八千円ぐらいとの事。

北陸方面・・・山中や片山津の芸者さんは他から流れてきたものも多いいが山代温泉は殆どが地元出身で情が深く親切。

男が一人で行けば、黙っていても「お客さんなら、若くて現代的な姐さんがいいわね」と、向こうから持ち掛けてくれるので、話下手でも交渉する手間が省ける。

十時から泊りで一万円、簡単に遊んで五千円、こちらから好みを言って女中さんに五百円ぐらいチップを渡すのがいい。

とにかく、全体的にみると、一流、二流の旅館はさけ、早めにチェックイン、仲居さんにチップをあげて相談するのが賢く、やすく遊べる極意だと感じました。


# by gionchoubu | 2021-08-31 21:46 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

温泉芸者のすべて その六

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江戸時代から色を売る芸者が多くいたのは周知の事実で『全国花街巡り』ではこれにかかるお金を特別祝儀という曖昧な言葉で表現しており、料金は経過時間の花代に上乗せされて請求されました。


飽くまでも芸妓は寝ないという前提なので、公に言うことはできない、公然の秘密見たいなものだったようです。

昭和30年の『全国女性街ガイド』渡辺寛著で、芸妓が温泉地で客と泊る記述があり、さらに料金が書かれている所を中心に抽出しますと、


北海道


定山渓温泉、一座敷五百五十円、泊り二千二百円

登別温泉、芸者の泊り二千五百円。


東北


岩代熱海、芸者だけが宿に入り、泊りは千八百円

東山温泉、泊りは十一時から二千円だが、一時間のお花三百円をつけないとよい妓は泊りに来ない

飯坂温泉、(百七十三名の内十五名の芸者は泊らず)泊りは十一時から九時まで二千五百円

湯野浜温泉、芸妓の泊りは千九百円に素泊り三百円。芸者・酌婦共に検診がないからご注意とのこと。


東海道


熱海温泉、最初の一座敷が八百円、泊りは素泊別が三千五百円。少しましなのを呼ぶには十時から四千三百円

伊東温泉、一座敷七百円、泊りは平均三千五百円。(百八十名の芸妓の)うち三十名ほどの名妓は泊ない。

熱川温泉、花代一時間三百円、泊り三千円

峯温泉、花代一時間三百五十円、泊りが二千二百円

土肥温泉、芸者花代は一時間三百円、泊り千七百円。

湯が島温泉、時間三百円、泊り三千円

修善寺、花代一時間三百円、泊り三千五百円(三千円もいれば二千円で泊る女もいる)


房州・常陸・野洲


鬼怒川温泉、花代一座敷七百円、泊り三千三百円

川治温泉、花代一座敷六百円、泊り二千八百円

 

甲信越


湯村温泉、泊りは素泊まりを入れ二千六百円

浅間温泉、花代二百円。泊まり二千円

伊香保温泉、泊りはおどろく勿れ四千円

草津温泉、宿に呼んで十時から三千円、花代は二百五十円


北陸


宇奈月温泉、花代は二百七十円、素泊まりを入れ二千円。

和倉温泉、泊りは安い方で千七百円

山中温泉、泊まり二千五百円

芦原温泉、転び芸者も百八十名。泊りは上のものが三千円。スッポン級が二千円。ほかに宿が素泊り四百円をとる。


大和・紀伊


白浜温泉、芸者の泊りが三千円、


山陽・山陰


有馬温泉、その宿に入る転び芸者が六十七人いて、泊りは素泊供で三千円とは少し高い。

玉造温泉。酌婦型の芸者が六十名。泊りが割に安くて千五百円。

皆生温泉、乙とは転び族。転ぶといっても顔は良し、歌はうまし。それで泊りが千八百円。

三朝温泉、花代二百円、泊り千五百円

浅津温泉、花代百七十円、泊り千六百円

城崎温泉、泊まりは家形でねて三千円(宿には入らない)

岩井温泉、千七百円で泊って行った。


四国


道後温泉、泊まり二千五百円。


九州


人吉温泉、花代は一時間六百円、泊りは二千円

阿久根温泉、一か月に十日ぐらいしか客をとらない


九州など転び芸者の記述が少ないのは、単に料金が書かれていないだけで、実際は他所と変わらぬ状況です。

芸者と寝るには、泊まり代が高いうえに、花代と素泊り(旅館代)がかかります。

芸者以外の酌婦、仲居、女中、パンマ(熱海などの按摩さん)、ダンサー、やとな、私娼は泊まり代と素泊り代のみです。


赤線・青線全盛の時代にあって、何ゆえ温泉地で男が遊ぶのかに触れた本には出合っていません。ただ私の意見として、赤線、青線は時間が細かく決められており、泊まりも普通早朝までの設定であり、どうしても日常の中の遊びという枠内になります。


一方温泉では、芸者を朝遅くまで一緒に芸者と過ごせたので、その辺りが、リゾート雰囲気に併せ、一夜妻のように、言わば情も交せた面があったのでは、と私は想像しております。



# by gionchoubu | 2021-08-30 16:35 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

温泉芸者のすべて その五

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浪江洋二著『カメラルポ 温泉芸者 お座敷ゲームとモテる遊び方』1964発行、によると、温泉芸者という言葉が持て囃されるようになったのは昭和38年に出た―世にもすざましい女―『温泉芸者』が出てからという事なの調べてみても、今の所、この新書版の手掛かりありません。

浪江洋二氏によると、温泉芸者の魅力は「旅の恥はかき捨て」にあり、団体客の宴会客に侍り、踊ったりお酌をして廻るだけでは食べていけない、さらにオフシーズンともなれば、その宴会すらなくなるので、シーズン中にいかに客を二次会のお座敷に呼ばれお客に散財させるかが鍵となるわけです。

そこで大人の自由恋愛に発展というのが客と温泉芸妓の最終目的になります。ただしこの自由恋愛にはおカネが絡むわけです。

ただ一次会で、露骨なお色気を発散すると、それはそれで後から同輩や先輩芸者にこっぴどくやられるので、そのあたりのバランスは難しく、故持って温泉芸者の団結力は薄かったとのこと、この点は、皆で自分たちの花街を盛り立てようとする一般の花街と大きく違うところでしょう。

さらに花街のちゃんとした芸者は、決して酒に呑まれず、飲みすぎても崩れそうな名自分を抑える色気が魅力の一つだが、すぐ応じるのが温泉芸者の性質という事になります。

ただし温泉芸者も二種類あり、温泉地で育って芸者になるのは余りおらず、地方から流れて来た芸者が殆どでその比率は1対9で、地の芸者は意外にお堅く、いわゆる温泉芸者のイメージは流れ芸者にあります。

当時の伊豆の芸者は戦前東京で水商売をしていいパトロンをもち二号生活を送っていたが、戦後の混乱でパトロンを失い、都会の芸者になるほどの芸もなく温泉芸者になったものが多かったようです。

温泉芸者の特性の一つに、都会の芸者に対する劣等感があります。
温泉には必ずといって良いほど、宴席で踊るその土地の小唄か何かあるわけで、流れの芸者とはいえ、踊らない訳にはいかないでしょうし、矢張り芸への憧れはあって当然でしょう。

どこの花街にもシーズンオン・オフがありますが、地元のお客が何かと支えてくれるものです。ところが一現の温泉客相手の温泉芸者のオフは深刻で、流れの芸者も他所にまさしく流れていっているものの、地の芸者もお茶を引きっぱなしで、その時が、客としては、いわゆる狙い目という事になります。

芸者は衣装代、組合費、お稽古代などの持ち出しが多く、時間の束縛も、検番というお目付け役もあるので、温泉芸者を含む芸者がこの後氷河期に陥るのは、自明の理なのですが、この時期が意外と早く訪れた理由も今後触れていくことになります。

温泉芸者のすべて その五_f0347663_15482366.jpg
                      今回の画像は『快楽天国~ピンクチラシと昭和お色気雑誌の世界~著者 𠮷岡里奈 協力カストリ出版から

# by gionchoubu | 2021-08-24 15:52 | Comments(0)