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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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岐阜県養老町、高田の花街

岐阜県養老町、高田の花街_f0347663_12262023.jpg
岐阜県養老町の花街については、養老町図書館にて、町史他を調べましたが全く実態がつかめず、受付の方たちにお聞きしたら、図書館のホームページのリンクの『タキゾウくんの養老ノート』に記述があるとの事でしたので、参照させて頂きました。

養老町では昭和30~40年に花柳会が賑わったとの事でしたが、創立年代とかは分かりません、文面の内容からか考えて戦前から有ったとみていいでしょう。

置屋は、玉野屋(たまのや、北浦町)巽寮(たつみりょう、北浦町)蔦の屋(つたのや、城前町)吟月(きんげつ、島田)鈴竜(すずりゅう、城前町)そして、場所は分かりませんが2~3人の芸妓を抱えていた秀有の6軒でした。この他にも独立した芸妓・地方の個人置屋もありました。

年配の運転手の方が、今でも残る4軒を教えてくれました。置屋は客を入れることがないので、日本どこでも仕舞屋造りが多く、意匠・装飾は控えるのですが、示された置屋には画像で見る様に、お茶屋、料亭風に装飾された家もありました。

『タキゾウくんの養老ノート』によると、宴会は竹取姫の宿養老館、掬水、不忘園が多く、老舗の千歳楼は別格で一人の芸妓しか入るのは許されなかったといいます。

最盛期の昭和40年代には、養老町高田に芸妓47人、同じころ墨俣には100人近く、池野にも7,80人いました。

県事務所、保健事務所、警察関係、町村会、消防、農協関係の官庁のお客だけで花柳界は潤い、民間のお客は余り要らないという雰囲気だったというのが高田花街の特徴だと考えられます。

それでも、ライオンズクラブ、青年会議所、ロータリークラブ等の接待に利用され、200人を越える、建設組合の総会・懇親会には養老館が利用されました。

高度成長期は花街も忙しく、高田で宴会した後、柳ケ瀬まで飲みに行く人も有りました。不忘園や松園などの町屋での仕事も多く、地元の人も、会社の忘・新年会や事あるごとに宴会しました。

その他、花見、紅葉狩り、蛍狩り、又、ゴルフの遠征の泊り客の馴染の客もあり、野球拳が定番でした。

昭和50代後半には、置屋制度をつぶそうという動きが出てきました。これは座敷の花代は、料理屋に少し御礼をした残りを、検番と芸妓が所属する置屋で折半するので、これを置屋の摂取ととらえ、芸妓が独立すれば、花代は全て芸妓のもとに入るという論法ですが、いざ芸妓が独立すると、簡単にお座敷を休んだり、客から値切られたりと、いい結果が出ず、花柳界衰退の一因にもなった様です。

検番に関しては第二検番の記述があるので、二検番制度の様でしたが、地元でお聞きしたら、検番そのものをご存じなかったので、随分前に、置屋制度と共に無くなった様です。

養老町の置屋(制度でなく、芸妓住居の意味だと思います)は平成9年に全て廃業しました。
花街の南にあった廃業された旅館、丸京を訪ねご主人にお話を伺った所、丸京さんも芸妓が入る旅館で、現在もお一人芸妓さんが高田にいらっしゃるとの事です。

養老の花街は養老の滝がある養老では無く、一つ手前の美濃高田で降ります。
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この三軒は同じ建物
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丸京さん
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料亭跡との事



# by gionchoubu | 2022-03-02 12:29 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

江南市、布袋の喜楽園

江南市、布袋の喜楽園_f0347663_20414527.jpg


昭和九年発行『町史布袋町大観』の花柳界に、本町の花柳界は大正二年七月に、竹葉楼、さわや、だるま寿し、柏屋、新開亭、山口、十人の女中を含み喜楽連という名称で組合を組織しました。

大正九年に、公認布袋町喜楽連として認可されました。その時の組合長がだるま、副組合長、柏屋、評議員、竹葉楼と冨田屋、組合員は大正館、朝日屋、新角屋、成田家、藤丸屋、梅の家、だるま、竹葉楼、柏屋、とり仙、宮田屋、さわや、林家、山田屋、高砂屋で、芸妓十三人。

昭和三年に芸妓の花代を、本花一時間(遊興税小物料共)金八十八銭に、中花一時間(遊興税小物料共)金七十銭に値下げをすると暫時隆盛し、昭和八年に料理業者二十一軒、芸妓置屋十三軒、芸妓四十三人、女中・女給の数十六人、そしてさらなる発展を求め布袋喜楽連料理業組合と布袋喜楽連芸妓置屋組合に分離し、昭和九年に芸妓は五十八人になりました。

さらにこの年、六月一日より診療所を設置して芸妓の全身検査を行い衛生施設の改善を図ったとあります。これは明らかに性病検査が意図、近くに遊廓が無かった事もあり、芸妓も娼妓の役目を負ったのでしょう。さらに検番も新設中でした。

これに先立昭和七年には布袋洋食組合昭栄会が、入船食堂、八千代食堂、さゝや食堂、さわや食堂、ミヤザキ、日ノ出軒、成栄食堂で発足、昭和九年に女給十二人、町史布袋町大観に、劇場前のさゝ屋が、布袋代表的設備のカフェーとして、栄町のキャフェー日ノ出軒の宣伝が載っていました。

昭和三十三年の『江南市商工名鑑』に芸妓置屋として、布袋栄町に芸妓斡旋所が載ります。

料理志だし・・・栄町に千代鶴、本町一に木村屋、本町四に末広

料理・・・栄町に米本、大正館、新いろは、いろは

料理旅館・・・本町三に新角屋の名が見えます。

『江南市史』の(明治、大正期)地図には栄町~本町二、三丁目に布袋座、料理大正館、料理いろは、旅館柏屋を始め、料理屋、人力車、置屋が顔を並べますので、この辺りが花街だった事が分かります。
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割烹末広さん
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布袋座
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キャフェ―日ノ出軒
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# by gionchoubu | 2022-01-31 20:50 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(2)

愛知県、江南市、盛遊連

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朝日通りにあった料亭朝日屋、新年の挨拶参り

現在の江南市には二つの花街がありました。古知野と布袋に有りました。江南市は合併で誕生した市なので、主要部分を占める古知野町と布袋町に有ったという方が正しいでしょう。名鉄江南市駅も元は古知野駅でした。

『写真集 明治大正昭和』の「養蚕景気で栄えた料芸界」によると古知野に花柳界が生れたのは明治三十五年に七軒の料亭と二人の芸妓で始まり、大正八年には芸妓十二名になり芸妓組合設立、芸妓組合も設立、昭和四年には野口雨情作詞「古知野小唄」が誕生、コロンビアレコードで宣伝されました。

昭和九年当時には芸妓数は七十余名にのぼりました。

その場所を探るに昭和三十三年の『江南市商工名鑑』をみて関係らしき業種を探るに、

芸妓寮(置屋)として古知野丸輪町に松月、米新玉、本町三に加須美と福月寮、新町二みどり寮

待合として愛栄通りに金波

料理・仕だし・旅館は古知野本町一、二、三、四、栄町、丸輪町、宮町、天神町、昭和通り、愛栄通り、そして宮田に有りましたが、本町三に多く見られました。

又特殊飲料として丸輪町に三光、朝日町にスズヤがありました。

花街の場所は『江南市史』に古知野座を中心とした通りが花柳会の中心で昭和十二、三年まで繫盛したとあります。又古知野駅(現江南駅)前に人力車の帳場があり、五、六台の車が駐留しており、芸妓の新妓廻りにも利用されたとも有りました。

同史の大正期の地図を見ると、古知野座が古知野神社の上辺りに描かれており、周辺には上記の商工名鑑(愛栄通り)に載った見晴料亭の他うなぎや、都屋、ちとせ、ことぶき、橋本置屋、きかく(亀鶴)置屋があります。さらに本町~丸輪町にかけて、かすみ置屋(前述の加須美と思われる)米新玉置屋、商工名鑑末広本店(丸輪町)がありますので、花街は愛栄通り~本町三あたりと思います。ただ町名変更があったみたいで、Google,ヤフー地図を見ても今一つしっくりいかない感じも持ちました。

『江南市史』に、昭和に入って古知野花街の組合(券番)が盛遊連だったので、その名を取って町を盛遊連にしようという声が上がったが、いかにも道楽の街という感じが良くないと、立ち消えになったと有ります。

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                              大正期の花街辺り(江南市史)





# by gionchoubu | 2022-01-30 18:15 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

温泉芸者のすべて その十

売春防止法が昭和31年4月1日に施工されて以来、トルコ、旧赤線、温泉マーク旅館とポン引等色んな形で売春は引き継がれましたが、その大きな受け皿になったのが、温泉地です。

これは、温泉地の業者は運命共同体であり、住人も何らかの形での共同体の一員である故、住民による告発が少なかった事が考えられるのと、警察も都市部の取り締まりを第一義と考え、温泉の取り締まりが当初、おざなりになった事も挙げられると思います。

ただ、そのあたりの温泉の風俗の状況は、現在となっては風俗雑誌に頼るしかありません。

全国を又にかけて調べるライターの取材費はどこから出てくるか、という疑問もでてきます。

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檸檬社『別冊プレイパンチ』昭和45年3月号の記事「全国温泉芸者名まえと値段オール・ガイド」を書いた江見仙吉氏の記事は、双葉社『小説劇場』昭和45年2月1日発行の「温泉芸者ピンク度全調査」(著者名無し)と酷似しており、同じソースを基にしたのは間違いありません。同じ著者が情報を提供して報酬を得たものと考えますが、業界に疎い私には、その辺りの事情もよく分からないというのが正直な所です。

この号の別冊プレイパンチに「芸を売らずに肉体を売る若い芸者たち」三戸部輝氏の記事に都市部を含む芸者遊びの流れがでてきますので、今回は当時の温泉芸者遊びを紹介します。

当時の芸者には、子供の頃から芸を仕込まれ、唄う、踊る、弾く、芸者と違い、「第二芸者」格好のみ芸者で色を売る専門で、特に温泉に沢山いらっしゃいました。


皆生温泉では、芸を見せる芸者の芸妓組合以外に、第二芸者の共立検番があり、コツとしては、検番を通さず、内湯旅館という連れ込み専門旅館に、宿の女中さんを通して手配してもらうという事でした。

時々、花街跡や温泉を訪れて聞き込みをすると、検番が二つあったという話を聞くことがありますが。この第二芸者の検番を疑った方がいいかもしれません。

新潟の月岡温泉に至っては、旅館三十軒そこそこに、芸妓置屋が四十軒もあり、ヌード劇場も、パチンコもバーもない田んぼの中に検番すらない温泉芸者、そこに芸を求める客など居なかったのは想像に難くはありません。

浜松のステッキ・ガールも赤線終了後は、第二芸者の呼び名で四百五十人も在籍しており、タクシーの運転手を介在して旅館に呼べたとの事でした。


# by gionchoubu | 2021-10-27 22:00 | Comments(0)

アルサロの歴史

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昭和二十五年八月十五日、大阪千日前に開店したのがアルサロ第一号「ユメノクニ」です。アルサロはアルバイトサロンの略、接客女性の素人っぽさを営業のウリにした業種で、女子学生、OL、主婦などを固定給で雇ったのが画角的でした。

当時、カフェーやキャバレーの世界で、従業婦に固定費を出すのはあり得ぬことで、オープンする時「女にゼニ(固定給)出す?お前アホか」と言われたそうです。

毎日新聞のみで「ビール娘募集」の広告を出すと、三十人の採用に対して、九百人の応募があったといいます。

この年十二月、池田蔵相の「貧乏人は麦を食え」発言でわかる様に終戦直後の貧困を引きずっているなか、女性の社会進出のハードルは高く、かといって素人女性が自分の意志で赤線・青線を選ぶ道もあったでしょうが、踏み込む勇気の無かった女性も多かったでしょう。ソフトのイメージに固定給のビール娘は随分魅力的に映ったのだと思います。

当時のアルサロの募集広告に「上品な純喫茶スタイル。お迷うならずデパートにお勤めになる気持ちで安心しておいでください。」というのがあり、この辺りの事情をよく著していると思います。

さて、お客である男性の気持ちをアルサロは如何につかんだのか?当時赤線、青線、街娼全盛の中、小泉信一氏は赤線を「疑似恋愛」のルーツと位置付けています。

江戸期の出会い茶屋、明治以前からいた、楊弓店の矢場女、大正以降のカフェーの女給、そしてアルサロ、今のキャバクラに至るまで、日本にあいてプロでない女性と遊ぶ伝統の一環と私は思います。
昭和二十八年には東京でアルサロ第一号「赤い靴」がオープン以後続々と開業しました。

昭和三十年『全国女性街ガイド』で渡辺寛はアルサロを大阪見物の一つでキャバレーの大衆化されたアルバイトサロン、御堂筋横の令女プールに三百名もおり、主に学生、店員、未亡人の内職で三十パセントは素人的、指名して夜食に誘い、交渉すれば三人に一人は確実との事でした。

このアルサロの最盛期が昭和三十三年頃、売春防止法で行き場を失った女性の一部が流れ込みました。しかしこの働き手のアルサロ人気は結果従業員のプロ化を推し進め、素人と疑似恋愛を楽しむという本来の魅力を失い衰退していったのだと思います。

昭和四十七年の大阪万博のあと、寮や託児所をそろえ、その日の給料はその日に渡すミニサロンの進出で、アルサロもヒルサロなどの
新機軸を打ち出しましたものの、昭和四十七年、千日前のビル火災で営業中のアルサロ「プレイタウン」で多くの犠牲者を出したことも、衰退を促した一因とされます。

現在十三に一軒残る「アルサロふうりゅう」是非応援したいものです。

参照:『裏昭和史探検』小泉信一:『アルサロ盛衰記』磯田敏夫
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                                  昭和三十三年三月の朝日新聞

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# by gionchoubu | 2021-10-02 15:02 | Comments(0)