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甲府若松町の花街
甲府、穴切遊廓

『中近世 甲斐の社会と文化』の金子誠司「甲州柳町の飯盛女」によると、甲府の遊廓は甲州道中の宿場が宿の助成を理由として、新柳町に飯盛女が近世中期以後度々願いだされ、そのたび期限付きで許されましたが、明治三年に新柳(新柳町遊廓)に公認され、柳町の幾つかの旅籠屋も移りました。
『全国遊廓案内』昭和五年刊によるとその後明治四十年の大火で全焼、明治四十一年に代官山の仮営業所から穴切町に移転、穴切遊廓として誕生しました。
店は陰店で、娼妓は居稼ぎ、遊興は時間制で廻しは取りませんでした。費用は一等から四等まで区別があり、芸妓も呼べました。
一等店は一時間一円四十銭、二等店は一円三十銭、三等店が一円二十銭、四等店九十銭で共に台の物は含みません。
一等店は甲子楼一軒、二等店は大黒楼と八幡楼の二軒、三等店十六軒、四等店芸井楼と遊月楼二軒の合計二十一軒でした。
『公娼と私娼』昭和六年、内務省警保局によれば業者二十一軒に百五十九人の娼妓がいたので、これは一軒一軒の妓楼はかなり大きなものだったはずです。
『甲府市史通史編第三巻近代』によれば、貸座敷組合は業界不振を理由に昭和七年値下げを断行、上記一等店一円四十銭が一円二十銭に四等店九十銭が七十五銭になりました。
ちなみに、全国遊廓案内、公娼と私娼、甲府市の貸座敷数、制度、料金が整合性がとれており、この県において全国遊廓案内は正確であると言えます。
穴切新地にも芸妓がいたので、昭和四年『全国花街めぐり』松川二郎にも記述が有りました。
同誌によれば、東西七十五間、南北八十間に限られた方形の一区画で、大門を入ると緑樹の植込を中央に和風二階建て二十一軒の妓楼が軒を連ね相接し、緑樹の間に五十余個の電灯が燈り雅趣を沿え、大門の外に付属の小料理屋と芸妓屋が櫛灯していたとの事です。
ただ、全国遊廓案内と違い一等店は甲子(きのえ)と大国、二等店が八幡と京巴になっていました。
昭和二年、遊興制度は時代の趨勢に鑑み、それまでの酒食本位から、娼妓本位に移行、仕切制(昼・夜、午前・午後各六時をもって仕切る)、半仕切(仕切をさらに二分)
と時間制の併用で、時間制で三円、半仕切で五、六円といった所でした。
『甲府市史通算編第四巻現代』によれば、戦災で焼失した穴切遊廓は占領軍の公娼制度の廃止令に従って十三軒の業者は解散したものの、公娼地域から特殊飲食店、つまり赤線として存続しました。
昭和三十年、甲府警察署で穴切特飲街の二十五人の接客婦(平均年齢二十三才、未婚者二十名、既婚者五名)を招いた実施調査では、接客婦になった理由は貧困の為と答えたものが二十四人、ほぼ全員でした。
売り上げの取り分は業者六分、女性四分が二十一人、五分五分が四人という事でした。
『全国女性街ガイド』昭和三十年渡辺寛著では、戦前の穴切遊廓が焼けてから分散し、通人はこれを紫水晶と呼び、穴切町から仲町、錦町にかけ百軒、その数四百三十名。
さて、今回訪問した際、年配のタクシーの運転手の方の聞き取りによれば、穴切遊廓の跡のアパートには赤線時代からの侠客が住み、赤線終了後も大きな喧嘩とかあったそうです。又画像の辺りには昭和50年頃まで大門が遺っていたそうです。
温泉芸者のすべて その十一

東映温泉芸者シリーズの第一弾は昭和43年6月公開の石井輝男監督『温泉あんま芸者』芸で身をたてる芸妓と恰好は芸妓だが色専門のあんま芸妓の対立で座敷でビール瓶を使った野球拳などが見られます。粟津温泉ロケ、女優、橘ますみ、三浦洋子、男優には金子信夫、由利徹、蘆屋雁之助等

第二弾は昭和44年6月公開の『温泉ポン引女中』南紀白浜温泉、ホテル・ニュー白浜ロケ、新婚さん誘致のイメージアップ派の旅館によるピンク系旅館の問い詰めの場面ありました。芸妓は一瞬映るだけでした。女優橘ますみ、葵美津子、男優に岡田真澄、林真一郎、中田ダイマル・ラケットも。監督荒井美三雄

第三弾、昭和45年8月公開『温泉こんにゃく芸者』片山津温泉、たかやま紫雲荘ロケ、片山津温泉の芸者衆の郷土芸能的なお座敷踊りが見られる。女優女屋実和子、男優が上田吉次郎、常田富士夫、小松方正、小池朝雄、荒木一郎、殿山泰司と脇が贅沢、話としてもシリーズ一、二の出来ばえ。監督中島貞夫

第四弾、昭和46年7月公開『温泉みみず芸者』舞台は西伊豆土肥温泉、なんといっても、全国の花街で、半玉が着物の裾を徐々に上げるチラリズムのお座敷遊び「浅い川」の場面があります。女優(新人)池玲子、(新人)鈴木美樹、男優、芦屋雁之助、由利徹、小池朝雄、名和宏、殿山泰司、山城新伍、大泉崑、田中小実昌、小島慶四郎と豪華。監督鈴木則文。こちらも見応えあり。

第五弾昭和47年『温泉スッポン芸者』冒頭が京都のストリップの殿堂DX東寺、舞台は城崎温泉、シリーズ第五弾、作家の田中小実昌と芸者の野球拳が見られる。仁義なき戦いシリーズが始まる前年の公開で、金子信雄、名和宏、山城新伍、川谷拓三、クレジット無しで菅原文太らの主要人物が伸び伸びと演技しているのが興味深いさらに、笹沢左保、菅貫太郎、岡八郎、殿山泰司、団鬼六、福地泡介、由利徹、月亭可朝、大泉滉と超豪華、主演女優は杉本美樹
監督鈴木則文。私としてはシリーズ一番好きな作品。

最終第六弾、昭和48年7月公開『温泉おさな芸者』伊豆天城温泉郷が舞台。タコ八郎が芸者のはだけた股をパターで狙うお座敷ゴルフの場面あり。女優は深田ミミ、沢リミ子、男優は大泉混、太宰久雄、山城新伍等。監督鷹森立一。

そして東映の温泉芸者シリーズ終了後、日活ロマンポルノとして『信州シコシコ節♨芸者VSお座敷ストリッパー』が昭和50年に封切られました。舞台はストリップで全国的に有名な信州・上山田温泉で、浅草ロック座を代表する日舞ショーの宝京子の一座も出演、お座敷ストリップや花電車を披露しました。監督白井伸明、俳優は秋津令子、高橋明、谷本一、庄司三郎、丘奈保美、吉川マリ
この温泉芸者を題材にした映画郡が封切られた昭和43年から昭和50年が日本全国の温泉芸者の桃色世界のピークと思います。関東以北の映画舞台が無いのは東映の6作品の内5作品が東映京都作品だったからと思います。
温泉芸者が性の対象になったのは、昭和33年売春防止法が施行されてから、トルコ風呂と並んで、その受け皿になったからなのでしょう。全国の赤線、青線に対する警察の取り締まりは、その威信をかけ、過酷を極めました。
赤線も青線が町の一部だったのに対し、温泉地は言わば丸ごと運命共同体で、住人はなにかしら温泉経済と繋がっている訳で、言わば住民による告発が声として当局に届きにくかった側面があったと思います。