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by gionchoubu
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祇園ねりもの 一

昭和十一年祇園乙部(現祇園東)によるねりものの番付
二年前、昭和のねりもので使用された屋台二台が、八坂神社で保管されていることが話題に登ったことなどがきっかけで、昨年観亀神社宵宮祭での当時のねり子衣装展示につながり、新聞の記事にもなりました。
また、三回に渡り、江戸時代の京、大阪の廓のねりものの資料を嶋原の角屋さんが公開された事、さらに臨川書店より、福原敏男氏、八反裕太郎両氏の祇園祭・花街ねりものの歴史が出版された事などなど、ここ一、二年は少しばかりですがねりものの話題が世間にでました。
花街のねりものというと京都の祇園、上七軒、嶋原、大阪の島之内、坂町、北之新地、新町が挙げられるのですが、祇園ねりもの以外を見渡してみると、浮世絵、番付などは多少残るものの、研究者も少なく、その実態、背景などはなかなか見えてこないのが実情です。
ここで地元以外あまり紹介された事がない、かつて三重県に存在した、非公許の遊里ながら江戸の吉原、大阪の新町、京都の嶋原と並び称された伊勢の古市にて第二次大戦までは催された練物について『伊勢古市考』(野村可通著、三重県郷土資料刊会)がまとまった記述をされているので紹介させて頂きます。
古市では練りと称され盂蘭盆にかけた、八月十四、十五、十六日の祭りの最終日の夜に盛大に行われたもので、練り子がしずしずと歩く人練りではなく、総檜材、縦十五尺横七尺程の舞台に人が乗った練り屋台を若者が担いで練り歩いたもので、この練り屋台は町内単位の町方と杉本屋、備前屋の大楼が出し、舞台の上に乗るのは大方が芸妓、娼妓あるいは子供たちで、人形と呼ばれ、練の進行中は瞬き一つ出来ない約束で、休憩までの十分、二十分は目が血走っている状態、休憩時間人形は卵を飲まされたり、化粧を直してもらったり一騒動だったのことです。
練り舞台は前面と正面の二辺に三段式で、無数にローソク立てが釣るされると針金で固定され、そこに百匁ローソクが立てられました。後昭和に入り電気やガスに替わったのですが、本来ローソクを立てるべきと作者は述べられています。
練りの進行は進行役の拍子木が鳴り終ると、「イヤー」という掛け声と共に前囃子が始まり進められました。行列は古市と大書した高張提灯、麻の紋付に黒羽織の町役員、青年連の前囃子、そして屋台、芸妓による後囃子の順で構成されていました。
青年連は揃いの浴衣、揃いの角帯、揃いの豆絞りの手ぬぐいで先頭は太鼓二人、続いて鼓四人が二列、さらに太鼓一人と鐘一人、笛二人、三味線四人が続き、大太鼓一人のみ枠外で合いの手を勤めました。後囃子の芸妓の方も同じスタイル、同じ陣容だったのですが、あくまでも先導者の補助的役割であったそうです。
それぞれの演し物は舞台上の生きた人形に合わせ、たとえば「お祭り左七」の様に決められるのですが、町内に適当な女性がいなければ、杉本屋、備前屋などの大楼から候補を玉代を払って借りてきました。
とにもかくにも古市の練りは豪華絢爛、訓練された活人形の芸術美にあり、それぞれの町内から出発した一行が終点の長峰神社に着く頃は、夜もかなり更けていたようです。
伊勢の古市は伊勢参りの口実として寄られた遊所として知られるのですが、京の花街の接点として伊勢地方では良く見られる笑門とかかれた一種の注連縄が、今でも祇園を含む京都のお茶屋でいくつも見られます。
そして祇園の都をどりが古市の伊勢音頭を参考として、明治五年に第一回が行われたのですが、このあたりの事情は後日書かせて頂く機会があると思います。
