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花街ぞめき 3

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昨日再びとし菜穂ちゃんと写真をとりました。
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by gionchoubu | 2019-05-31 11:04 | 宮川町 | Comments(0)

横浜 真金町 赤線

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『危険な毒花』常盤とよ子著、37ページ、真金町夕暮、昭和28年撮影


曙町のすぐ側を流れている河を渡ると、こヽはまた有名な真金町。その昔の遊廓である。

かつて女郎衆の名で通った女達は特殊カフェーの女給さん。それが店のホールから「ちょっとちょっと。お眼鏡さん・・・」と呼びかけているのだが、その脇にデンと腰を降ろしているのは、ギュウ太郎に取って代わったヤリ手婆ア。

これを除いたら、昔の面影らしいところはミジンも見られない。ヤリテ婆こそ今日の女郎屋を象徴するものだ。

女郎衆ならぬ女給さんは、洋装、和装いろとりどりで、どれも劣らぬ美人ぞろい。おまけにこヽは戦後復興が遅れており、最近になってポツリポツリと建ち始めた家ばかりだから、ホの香もかぐわしい本建築。設備も整っているし、間取りも良いから、ぐっしょり濡れるにはもって来いだ。

マワシは取るには取るが、余程売れる女以外は殆どなく、客足の低調なところから、女は一人でも余計ひきつけようと、サービス本位。これは店も同じである。

店の数は大体五・六十軒。女は百四・五十名で、さして活況ないものヽ、常連を擁して堅い稼ぎをしている。

そのなかには嫁入り道具も一揃い持っているし、貯金も三十万からあるという豪華な女もいるから、いまどき女郎衆などといってアナドルことは出来ない。

料金はショートタイムが三百円〜七百円、泊まりは八百〜千五百円見当だ。こヽも曙町と同じように、不夜城であることは変わりがなく、中華ソバ屋の淋しいチャルメラの音を聞いているうちに、いつしか朝になってしまう。

女中さん、女給さん入用、衣服貸与高級優遇す、貼紙が至るところに見られる。(これは曙町も同じ)が、これはひと皮むけば女郎衆希望者を募っている貼札、昨今女郎衆僅少の折柄、経営者が考えた窮余の一策。

ひっかかったが最後、はてしない泥沼が大きく口を開けて待っているのだ。淪落の女性は、こうしたところから芽生え、外見華やかに装っているに過ぎない。

参照:『青春タイムス 新日本艶笑地図』青春タイムス社、昭和二十六年七月号『新日本艶笑案内ヨコハマの巻』より



by gionchoubu | 2019-05-26 11:23 | Comments(0)

神戸RRセンター

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神戸RRセンター

昭和二十七年六月奈良県ユネスコ協会がRRC反対を結託して県会・市会に呼びかけ、代表を陳情に上京させました。

これを契機に九月には、労組、宗教団体、学生、婦人、青年団体等地元六十数団体がRRC廃止期成同盟が廃止を叫び、活発な大衆運動に発展していきました。

これに対する特飲業者、売春業者による妨害と脅迫も激しくなり、このため特に廃止同盟の責任者の二人にはゆすりと脅迫状だけでも十五通に及んだといいます。

しかし新聞、ラジオなどあらゆる報道機関がいっせいにこの問題を取り上げ全国民の世論に大きくクローズアップされるに及び、ついに米軍も二十八年五月、まず京都に申し入れし市長に断わられると、大阪府下に移転を申し込みました。

大津の西南軍指令部は府知事、大阪市長、大阪商工会議所会頭に対しRRCの候補地を依頼したものの、大阪市内に適当な場所は無く、布施、堺、茨木に打診、ことごとく反対運動に合い頓挫しました。

そうこうするうち、八月十二日突然神戸の神港ビルに移転すると新聞に発表されました。

九月十二日には湊川公園で労組、民主団体、婦人会など六十団体、三千人が集まり反対を決議、引越しが予想された九月二十二日には二百人の教員が神港ビル前に座り込みしましたが、警察の干渉で中断。そして翌日の九月二十三日にRRセンターは神戸移りました。

このゲリラ的な移転には、神戸市長や県知事の認証なしには不可能で、裏工作があったのは間違いないでしょう。

新しい神戸RRセンターは奈良の二、三倍の収容能力があり、二、三千人が収容できるものでした。

結局神戸に移ったものの、奈良RCCとおなじく大阪のG組が暗躍、大掛かりな資金を背景に一千万円の買収資金をばら撒き神戸の業者に対抗、RRセンターの従業院から警察、米軍関係者まで抱きこんでいるとされていました。

このため外出した兵隊は、ポン引きによってタクシーに乗せられ、神戸市警の担当区域外である芦屋川、住吉川まで運ばれ、ここで別の高級自動車でリレーして大阪におくられるか、あるいは三宮駅から大阪、奈良、京都方面に向かいました。

参照:『占領と平和運動』佐藤公次著


by gionchoubu | 2019-05-22 12:39 | Comments(0)

Lui ルーシー&伊藤久順

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以前からランチで、最近は夜もおいしい料理旨ーいお酒を頂いている古川町商店街の万両さんで昨日ライブがありました。

Lui・・・ボーカルのルーシーさんとギターの伊藤久順さんのユニットで関西を中心に活躍をされており、私自身、ひさびさにグルービーな歌と演奏を堪能しました。

今後のスケジュールは...
http://lui-music.com/でみれます。

また行こーと。

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by gionchoubu | 2019-05-18 12:23 | Comments(0)

花街ぞめき 2

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       昨日、宮川町駒屋のとし菜穂ちゃんと写真に納まりました。
        東京出身の舞妓さんです。

by gionchoubu | 2019-05-15 11:44 | Comments(0)

奈良RRセンター その五

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裏口から逃げてはみたけれどここまで警戒済みではもう観念

大和タイムス、昭和28年1月22日『国際的歓楽地R・Rセンター前を急襲』『米貨百ドルなど押収 夢心地の女給ら取調べ』

奈良市西郊尼ヶ辻にR・Rセンターが設置されて以来その周辺部に駐留軍相手のキャバレー、カフェーなどが続々開店しているが、いまでは異国たっぷりの町が現出、ここを舞台にパンパン、女給、ダンサーあるいはカフェーのマダムなどによってさかんにドル、外国タバコなどの売買がおこなわれ、さらに多数の覚せい剤常用者などがあって悪の温床となりつつある確証をにぎった奈良市署では、これが摘発と、とかく非難の的となっているセンター街の粛清をめざして、二十一日午前十時、石川捜査、上野防犯両課長が指揮し、吉川刑事係長以下正、私服警察官約五十名が七班に分れて急襲した。

現場についた各捜査官はカフェーモロチャことN・Tさん、同ラッキーことO・Mさん、同ボレロことS・O氏、同日米ことM・Hなどキャバレー、カフェーをいっせいに家宅捜査し、米貨約百ドル、外国タバコ約百個、ヒロポンアンプル約六百本を押収、同十一時すぎ捜査を打切り専売法違反、外国為替外国貿易管理法違反、覚せい剤取締法違反などの容疑で、カフェーボレロ経営者S・O氏(46)ら女給、ダンサー、マダムなど女を主とした二十名を連行取調べ中である。

この朝奈良市署では午前八時ごろから準備態勢に入り、午前十時を期して一挙に出勤したが、夜遅くまで営業をおこなうこれらの業者では、午前十時といってもなかば夢心地で、突然の取締りに着替えもできず、すそをはだけた寝乱れ姿のままで『どうぞお調べ下さい』と観念するマダム、便所に行くとみせかけ便所の中へタバコを捨て、見つかって拾い上げようというダンサー、下着にオーバーだけを着て裏口からこっそり抜け出してはみたが待ち受けた警官につかまってベソをかく女給などもあって朝のカフェー街は一時大騒ぎを演じた。

この記事の後、同年5月18日の大和タイムスに載る『すでに20名逮捕 大規模なポン引団 G組』を見ると、奈良R・Rセンターに送り込まれたアメリカ兵を網の目のように捉え、パンパンの巣に投げ込む組織が機能していたことが分かります。

百数十名に及ぶポン引きを抱え、西成、ミナミ、梅田付近のスラム街を拠点としたG組は、まず帰休兵が朝鮮からR・Rセンターにつく日を極めて正確にキャッチしました。

警察は、おそらくセンター内の駐在軍要員に一味が潜り込んで情報をつかみ的確に伝達するのだろうと考えていました。

組織は本隊、出勤、会計係、護衛隊に分かれており、本隊は護衛隊に守られR・Rセンターの前で客を獲得すると自家用車で大阪に急送する。護衛隊は他の客引きを脅しつつ本拠地に連絡する。連絡を受けた出勤係と会計係は配下の女を集めて備えました。

さらに本隊は兵と女がはいったバー、旅館からマージンをとり、護衛隊も他の客引きに「客をゆずるか、そうでなければ金を出せ」と脅し、暴行、傷害を働きました。




by gionchoubu | 2019-05-14 14:24 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)

横浜、曙町、赤線、青線

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カストリ出版の渡辺豪さんが復刻した『青春タイムス 新日本艶笑地図』(じゃぱん・えろちっく・びゅーろー)昭和二十六年七月号『新日本艶笑案内 ヨコハマの巷』の記事が以下の文章、そしてその二年後の曙町の様子を捕らえたのが女流写真家、常盤とよ子著『危瞼な毒花』の二枚の写真です。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

名高い曙町は、中郵便局の脇をちょっと入ったところ。戦前からあったところに、戦災後逸早く名乗りをあげただけあって、建物はおそまつだが、女とこヽに漂う雰囲気はいっぱし。

しかし、一時は二千四、五百名からいた女が、昨年の九月には百数十名に減ったというさびれ方で、このうちには

「パンパンの方がよっぽど稼げるわ」といって出ていったものも少なくないという。

そこで彼女達は、

「あたしたちは週二回キチンと検診を受けいろいろ取締りも激しく、かえってお客の病気を心配するくらいです。パンパンの人たちは随分と病気で病院に送られると聞いています。同じ境遇の女としてあたしたちは何も敵視するわけではありませんが、病気は結局他人ばかりでなく、自分自身を破滅させるものです。そうした無自覚な人たちがあたしたちの職場近く、ひどいのになると、なかまで入ってお客をひっぱるに至っては言語道断です。パンパンの人たちにもっと徹底した衛生的な取締りをすると共に、地域的な制限を加えるか、さもなければあたしたちの地域的な制限を解いてほしいと思います。」

と、生活権をかけて当局の善処方を要望したものだ。が、それから間もなく風紀取締条例が出たものヽ、一向に変化はなく依然としてパンパンガールに食われ放し。その数はいままで百五、六十名。店はざっと六十軒位である。

ネオンサイン、蛍光燈の下でさんざめく彼女達は、平均二十才前後、その大半は家庭の事情から、こヽに来たのだという高女卒はざら、なかには専門学校出のインテリ女もいて、うかつに口を利いたらボロが出るし、それにサッソウと通勤で稼ぎに来ている女もあるというから、世の中変われば変わるものだ。

料金はショートタイム四百円〜七百円、泊りは千二百円〜千九百円で絶対マワシを取らないというのがその昔からのシキタリ。

その代り朝は九時〜十時になるとベルが鳴るか、バアサンに嫌応なしに起こされるから、この店ちょっと味気ない。

明るいうちの五時頃から、明方の二時、三時頃まで店を開けているところがあるから、酔っぱらいやアんちゃんの良い遊び場になっており、終夜女の黄色い声と、男の怒号が聞こえ、それがハタと止んだときは既に朝であるが、そのためか、こヽばかりはコリントゲーム屋、射的屋などが殊のほか繁盛している。

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by gionchoubu | 2019-05-09 12:08 | Comments(0)

奈良RRセンター その四

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或る農家でのパンパンとアメリカ兵がバーで遊んでパンパンハウスに入るまでの動き

奈良R・Rセンター周辺のパンパンの宿舎は尼ヶ辻一丁目に多かった(三十四戸中三十十戸)のはセンターにアメリカ兵が何時に帰ってくるか分からず、帰った時すぐボーイが彼女らを集められる位置にあったからに他なりません。

そしてパンパンの三分の一が自分の住処にアメリカ兵を連れ込んだといいます。

画像はパンパンに土地を貸していたある貧農家の見取り図で、パンパンとアメリカ兵は敷地内にあるバーで遊んでから台所を通り、家の土間を通り四畳ほどのパンパンハウスに行きました。

家の中を通り抜けるのは、入り口通りを使うとMPにつかまるからでした。バーからハウスまでパンパンとアメリカ兵が抱きついて土間を通るので、持ち主の母親は子供達を部屋の隅に押しやったといいます。

取締りにはセンターにMPの詰め所があってMPと奈良市警で当たっていたものの“義務的に廻っている”にすぎませんでした。

R・Rセンターが国家的な存在なのに、取締が地方警察に押し付けられている感がつよく、実際、タバコ、酒、ヒロポンなどの取締りも見て知らぬ振りという非難の声も上がりました。

売春婦登録簿による出身地調査票をみると、閉鎖前388人いたとされるパンパンの30%が大阪方面出身です。同調査では大阪Nの住友ビルからRRセンターが奈良に移転してきたからだろうと分析しています。又出身地は日本全国1都2府34県におよんでおりました。

パンパンハウスが集中していた尼ヶ辻一丁目の全人口が190名であることを考えると、この町内のパンパン密度は以上というしかありません。

ある家では両親が若夫婦を納屋にいれ、七つの部屋を15人のパンパンに貸しており、町内でも呆きられていたようです。

パンパンの衛生意識は低く、センターが開かれた当初は入浴させる家は一軒もなく、彼女らは井戸端や炊事場で行水をして凌いでいました。

又、女たちは強制的に週一回の検診を受けなければならず、これをクリアーすればN・E・Sと画いたバッジを胸につけており、アメリカ兵はこれをもとに交渉しました。

ただこの実効性ははなはだ疑問で、それが証拠にパンパン自身が性病を恐れサラの兵隊を求めたことでも伺い知れるのです。

参照:古都の弔期 奈良R・R・センター調査報告書 奈良R・R・センター調査団


N・E・Sバッチ受領の為の『女子従業員名簿綴事務所専用帳』

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by gionchoubu | 2019-05-05 10:58 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)

奈良RRセンター その三

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            旧尼ヶ辻の一丁〜四丁にその面影はありません。
            現在の尼ヶ辻西町、北町、中町は全く別の場所なので注意が必要。


現在の町並みから奈良R・Rセンター及び当時の周辺の様子を想像することはできません。三条通りが拡張され、当時急造された建物も、私の見た限りありません。パンパンの入ったとされる農家自体も殆どなく静かな住宅地となっています。

また町名も変わっています。昭和四十一年の住宅地図によると、当時奈良R・Rセンター及び周辺にあった尼ヶ辻一丁目〜四丁目、横領竹花町は現在、三条大路三、四丁目、西大路三、四丁目等に町名変更されています。

大阪市しかり、大津市しかり、奈良市でも惨い町名変更が滞りなくされておりました。

さて、R・Rセンターの東に側に隣接した尼ヶ辻一丁目においては三十四戸中三十戸とほぼ90%がパンパンに部屋貸しをしており、四畳半、六畳一間を一人四千円から五千円が相場でした。

何丁目か分かりませんが、Yさんはバーユニオンに土地三坪ほどを貸しました。その三坪の土地にはトタンでバラックが建てられ、連れ込み宿になりました。

その利潤の分配はパンパン所有者二割、小屋経営者三割、パンパン五割であり、一泊使用はまれで法をくぐった一時間〜二時間の時間貸しで一時間二千円が相場でした。

一丁目で儲け頭とされた別のバーの経営者は自動車二台を所有し、夫人の奈良へのお使い等は高いハイヒールをつっかけてハイヤーを飛ばす豪華さでした。

センターが開設された当時部屋を貸すにしても人目をはばかっていた村民も、閉鎖前では「もうけへんのは、かいしょなしや」という意識の変化があったといいます。

R・Rセンターの西側の尼ヶ辻三丁目には如月ホテル(二十八年二月建設、経営者は橿原の人、桜ホテル(二十七年十月建設、経営者は大阪の人)があり、大阪や京都に行くことができない兵隊が利用しました。

京都まで足を伸ばす兵隊が特に宿泊に利用したと言われるのが洛陽ホテルでR・Rセンター責任者R・エリクソンとの連絡でタクシーのリレー制がとられ、これに利用されたのが京都駅前の弥栄タクシーだったという事です。

噂によると、「京都はうまいことしはりました、奈良にもあれば・・・」と奈良側の春日ホテルに交渉した者もいたが、春日ホテルは「後ほどの事もあって」と断わったという事です。

参照:古都の弔期 奈良R・R・センター調査報告書 奈良R・R・センター調査団

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   当時 都跡小学校の児童でパンパンごっこがはやりました。
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                旧三条からRRセンターのあった拡張後の三条大路をのぞむ。


by gionchoubu | 2019-05-03 11:11 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)