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宮川町 駒屋 千賀遥さん 一

宮川町 駒屋 千賀遥さんのお店出し間もない姿です。

芯の強さが表に出ない、はんなりとした舞妓さんです。

明治以前の祇園は検番がなく、検番機能をもった見世という幾つかのグループに分かれていました。

幕末の名妓に島村屋の君尾がおりましたが、この島村屋がその見世です。

芸妓、舞妓、娼妓が何十人も所属する巨大な置屋と考えた方がいいかもしれません。

今の大手の芸能プロダクションのような感じと思います。

井筒のように、お茶屋と見世を兼ねたところもありました。

舞妓さんのデビューである店出しの語源はこの見世にあると考えています。

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by gionchoubu | 2019-02-28 11:28 | 宮川町 | Comments(0)

地蔵盆と槙村正直

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                       祇園新橋火除け地蔵

昭和26年8月24日の夕刊京都新聞に載る田中緑江さんによる『地蔵盆の由来』を読むと、京都で今も盛んに催される地蔵盆がもっぱら子供たちによって行われるのは、地蔵菩薩が賽の河原に遊ぶ子供たちの保護にまで心を配る大慈悲心に対し、子供の方から慈愛の情をささげることに始まるといわれています。

ただし、そのことは文献にもなく確かな説ではないようです。

地蔵盆の起源は空也上人がつくった「地蔵和讃」が大人から子供に広がり、子供がこれを好んで称えたところから、地蔵そのものが子供の心にとりついていたものらしいとの事、地蔵盆の行事が始まったのは幕末から明治にかけてはじまったとも書かれています。

そして明治初年ごろ当時の京都府知事が迷信打破のため市内にある地蔵さんを全部うずめたのを後に水道工事、電車路線工事のとき掘り起こして各町内に配置したのが現在の地蔵さんでこれが約五千体とのこと。

果たしてこんな事があるのでしょうか?当時の知事というと槙村正直、『維新 京都を救った豪腕知事』明田鉄男著によるとこれは全くの事実でした。

槙村は明治五年七月、お盆行事は「文明の敵」とし、「お盆の行事は禁止」という布令をだしました。

知事によれば「七月十五日前後を以って盂蘭盆会(うらぼんえ)と称し、精霊迎(しょうりょうむかえ)、霊祭(みたままつり)などとして、未だ熟せざる菓穀をとりて仏に供し、腐敗し易き飲食を作て人に施し、或は送り火と号して無用の火をながし・・・」

大文字送り火を無用の火と決め付け、地蔵を全部埋めるなど、信心深くない京都の人さえ震え上がった事でしょう。信心深い大多数の都人にとって槙村正直は魔王のように映ったにちがいありません。

知事の考えによるとこれらの旧習は弊害であり「文明に進歩する児童の迷い」 を生ずる原因となるのです。

そのすこし前、明治四年一月の社寺上知令により、大寺院は境内地を除く大部分を失いました。清水寺にいたっては十五万六千坪のうち十四万三千坪が寺側に一銭の補償もなく取り上げられたのです。

このとき誓願寺、誠心院など多くの寺の領地を削りとって強引な工事で出来上がったのが新京極であり、健仁寺の.北側の土地を取り上げ祇園花街にただ同然のお金で渡したのが現在の花見小路四条南側の祇園なのです。

ですから花見小路の名づけ親も槙村正直をとされている所以となります。



by gionchoubu | 2019-02-26 15:05 | Comments(0)

名妓

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大正五年ごろ大和屋芸妓学校生徒たちの写真。後列中央が大和屋女将阪口ゆき前列左端が上方舞の名手、竹原はん


花街史における昭和の巨人、大阪南地大和屋の主人、阪口祐三郎は自伝で芸妓の心得を書いております。その一部を紹介させていただくと

『お花に行く心得』

「往来にはドンな人が歩いていられるか判りません、将来大切なお客さんになられる方もまじっていられます、また一人を全体の芸妓さんの見本のように見られる時もありますから、往来を歩くときは廓の全権のつもりでいて下さい。さればとて、威張れというのではありません、“ツンとするな、シャンとせよ“です、あれでも芸妓かと後指をさゝれないようにして下さい」

『お座敷のつとめ方』

「ご挨拶が済んだら、まづ主客の別を見定め、客人を待遇することを忘れてはなりません。また同じお客さんの側でも上座のお客さんと、下座のお客さんがあります。この場合上座のお客さんを大切にすることは勿論ですが、同時に下座のお客さんをテラさぬように特に心懸けねばなりません。」

「お座敷の性質が判らねば充分なお取持は出来ません、自分で判らぬときはお茶屋さんでお聞きなさい、大体見知らぬお客から話かけ、見知りのお客を後廻しにするのが要領です。下座のお客さんを大切におもてなしすることは特に肝要です、これは将来大切なお客さんになられる方でもあり、また人気も下座のお方から出る場合も沢山あります。」

「勝手にお客さんを他所へお連れ出してはいけません、また芝居行、活動写真、買物などを、おねだりするのもいけません、殊に食べ物をおねだりするのは芸妓さんの一番の恥になります。」

「お客さんにお茶屋さんの道具を毀されるのは芸妓さんの落度です。酔うたお客さんのお世話をすることも勤めのうちです。朋輩の方がもて余すようなお客さんを上手に扱うことが出来れば一人前です。」

「正直ゆえに流行らぬお茶屋さんもなく、実意ある故に売れぬ芸妓さんもありません。小刀細工は長続きのしないものです。」

そして最後に

「名妓とは顔がよいだけでもなし、芸が出来るだけでもなし、お花を沢山売るだけでもなし、引いてからお客さんに惜しまれ、扱店(置屋)に惜しまれ、お茶屋さんに惜しまれ、朋輩衆に惜しまれるような人であります。」

蓋し、名言です。


by gionchoubu | 2019-02-21 11:04 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 七十三

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              五条楽園(旧七条新地)にあった新浅とみの玄関

昭和29年7月14日の京都新聞にヒロポン問題をあつかう三つの記事が載りました。

まずは京都府衛生部薬務課ではヒロポン中毒患者や密売買ブローカーを即座につきとめて動かぬ証拠にすることが出来る簡易試験液が完成し、又ヒロポンを所有していない場合でも、小便から探知でき患者の検挙に役立つ試験薬も目下厚生省に申請中だという記述があります。・・・さらに

『ヒロポン一掃 島原で追放実行委員会』の記事を要約すると、

全国に先がけて“ヒロポン追放は遊里から”とさきごろから結成準備を続けていた島原覚せい剤追放実行委員会の発表式が十五日午後一時から島原新地歌舞練場で行われ、府衛生部薬務課長、七条署長、市警本部保安課長、六条保険所長、下京民生安定所長、平安病院所長、島原貸席お茶屋業組合、同芸妓組合養柳会、同女中組合友愛会ら四百人が集結、啓蒙幻灯会の発会式に移り、友愛会長による“私どもはただ今から覚せい剤追放撲滅運動に努力します”と全会員を代表して力強く宣誓を行いました。

そして京都でのヒロポンの販売網に関する四人の証言がありそのうちの一人は明らかに中毒症状を持ち

「好奇心から覚えたが、パチンコ屋へ行ったらオレぐらいのは沢山いるさ。家に注射器をおいたら隠されるので家ではうたない。オレは顔が広いから店はいくらでも知っている。三ノ宮に二軒、内浜には五、六軒ある。日当をくれれば案内したっていいが、入口には若いもの四、五人見張りしているのでちょっと恐いぜ。」と証言していました。

内浜は旧七条新地辺りなので、三ノ宮も神戸の三ノ宮でなく内浜のすぐ近くの旧七条新地三ノ宮町のはずです。

とにかく遊里、パチンコ屋に患者が多かったのは容易に想像できます。

この日の同紙夕刊にも『酌婦に焼火バシ 七新の暴れポン中男逮捕』の見出しがありました。

これは通行人や接客婦にささいなことから因縁をつけ、つぎつぎに傷害事件を起こしたヒロポン中毒の二十三歳の男が七条署に逮捕されました。

逮捕されたYTは二之宮通七条上ルでHさん(二十二)を呼び止めていいがかりをつけ“生意気だ顔をかせ”と殴り刃物で刺した事件がきっかけとなりましたが、上ノ口通加茂川西入ル貸席業Yさん(二十一)が“やくざ者はきらい”といったのを耳にし、帳場にあった焼火バシを持って遊客と就寝中のYさんの部屋に侵入“二度とみられぬ顔にしてやる”と焼火バシで火傷を与えたことを自供、さらに余罪を追及している。

同人は極度のヒロポン中毒で、七条新地のヤクザ仲間として持て余され、逮捕のとき、手錠をはめたまま同警察裏口から逃げ出したり、取調べに黙秘権を行使して係官をてこずらせました。



by gionchoubu | 2019-02-16 16:03 | パンパン、赤線 | Comments(0)

上七軒 大文字 勝奈 七

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by gionchoubu | 2019-02-12 16:19 | 上七軒 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 七十二



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現在島原ギャラリーたんとん(旧松葉

京都新聞夕刊 昭和29年5月21日

『お花がかゝらへん あっせん業者廃業 宙に浮いた新研芸妓』

街の芸者ヤトナ“新研芸妓”の正式あっ旋業者が相次いで急せいしたため全市約三百人の新研芸妓の営業が全く宙に浮いた形となっている。

新研芸妓は通常街芸妓として特定の地域のみを営業とする廓芸妓と区別され全市の貸席、料理屋などの求めに応じて宴席に侍るため重宝がられ、年々その需要は増加しているが、この新研芸妓の斡旋に当る業者は職安法第三十二条(有料職業紹介事業)による労働大臣の免許を必要とし、従来京都にはこの正式業者は東山区下河原月見町京都新研芸妓取扱所(楠ツヤさん)下京区木屋町仏光寺下ル木屋町新研取扱所(志摩伝之丞氏)の二者があったが、去る十日志摩氏が死亡、同日付で廃業したため同氏のもとで働いていた約百人の芸妓は一時的に楠さんの斡旋下に入ったが、つづいて十四日楠さんも脳いっ血で急逝、廃業届を出したため市内に正式業者は全くいなくなった。

このため市内三十余寮(旧称クラブ)の新研芸妓三百十二人、(登録者)は斡旋機関を失い暫定的に楠さんの取扱事務所の手を経て営業を続けているが、厳密にいえば違法行為になる。

監督に当る七条職安所民営課では営業を中止させれば三百人の新研芸妓はたちまち口が干上がるばかりかパンパン化の恐れもあり、といって一方この違反行為をいつまでも黙認もできず困っている。

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さて売春防止法完全施行あとの新研芸者の動きは如何だったのでしょう、以外に花街とうまく連携をとり、サブ的な役割をもった雇仲居(やとな)さんもおりました。

また『遊女と街娼』錦織剛男によると、

芸妓の売春は、単純売春が多いが、新研(芸妓)とか観光(芸妓)とか、雇仲居などのように芸を売り物にしていない連中は裏稼ぎをすることになり、

セット制 表面は料理屋、奥で売春

ドリンク制 飲屋で世話され旅館に行く

シモタヤ売春 旅館と連絡してやる。

といった形式の売春をやることになる。

ヤトナと新研芸妓と町芸者と酌婦と接客婦はイコールで結ばれる場合もあるし、そうでない場合もあったのであります。



by gionchoubu | 2019-02-08 17:21 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 七十一

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                  五条楽園(七条新地)お茶屋、新浅とみ                   

昭和29年4月28日の京都新聞によると、京都に修学旅行で来た学生や市内高校生の中に飲酒したり遊里通いするものが目に余る状態なので、市警察本部が取締りに乗り出し、悪質な学生は家裁送庁、悪質な業者は行政処分をする強硬方針でのぞむことにし、既に相当数がブラックリストにのっていたとの事である。

そのうちのいくつかを挙げると、

同月七日に七条新地内東辰巳楼仲居FH(53)は北海道の高校三年生三人を燈楼させ、同新地内岩見楼でも3月に市内高校生N(18)を十数回登楼させました。その後この少年はヒロポンをおぼえ家出して岩見楼から通学していました。

中書島遊廓第四末高楼でも腕時計をカタにとり市内高校生を遊ばせた事が判明、また東山区川端三条YM(53)は北海道美唄某高校生二年二人に酒を飲ませた他、市内で数件の悪質飲食店、バーがマークされていた。

つづいて同年5月6日の京都新聞の夕刊の記事をそのまま紹介させていただきます。

『この日、少女売る 福祉法知らん顔の男逮捕』

「五日の子供の日、児童福祉法の存在すら無視して昔ながらに未成年少女の売買で私腹を肥やしていた男が七条署に逮捕された。

五日午前零時ごろ下京区島原遊廓内を歩く少女連れの男を同署員が調べたところ神戸市長田区四番町元仲仕YK(42)と、Tに言葉巧みに誘いだされた同町A少女(16)で、同遊廓に売り込みの途中と判明した。

昨月二十四日ごろ下京区七条新地内貸席業SK(44)方へ接客婦を世話すると持ちかけ、世話料名義で一万二千百六十円をとって少女二人を連れ込み、あらかじめ逃走方法を教えておいて逃がすなど悪ラツ詐欺も働いていた常習人身売業者であることが判り、詐欺容疑及び職安法、児童福祉法違反現行犯で逮捕した。」



by gionchoubu | 2019-02-06 15:38 | パンパン、赤線 | Comments(0)

祇園のお化け、ひょっとこ踊り

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明治三十八年、島原角屋の十二代中川徳右衛門が出した『娜婀娵女』(はなあやめ)に節分の夜の見出しが有り

“節分の夜、土龍(もぐら)のもたぬ呪なりとて、太夫より端女郎、禿、仲居に至るまで思い思いの異装をこらして五人、十人団体を組み手に手に鉦太鼓を打ち鳴らし「土龍殿は家にか、海鼠(なまこ)どののお見舞いじゃ」と囃したてヽ家々に入り、裏まで通り抜けて踊り狂ひ、賑かに其夜を徹したり。今の節分の夜に芸娼妓や少女が丸髷に結ひ代へ、年増や老婆が島田に結ひて壬生の地蔵に詣でづるは此習慣の遺りしものなり。”

私が節分の花街おばけを島原発祥と信ずる所以となります。土竜は農作物の大敵、土竜の天敵とされる海鼠で土竜を退治する・・・と言った意味を持つのでしょう。

さて、昨晩夜8:30に辰巳神社をお囃子たてながら、奇妙な踊りに狂じながら祇園町を練り歩く、おかめ、ひょっとこ、稲荷の集団がありました。

これならモグラも悪霊も恐れおののき悪さは控えるはず、私はここに本物のお化けの精神が宿ると感じ、この異形の一行を追いました。

実は私も一人おばけの姿で祇園町を歩きました。

昭和初期、娼妓が週一健康診断(性病検査)で訪れる今は無き八坂病院の横の電信柱に身をひそめ、これといった娼妓に声をかけ、橋本遊廓への鞍替え、引き抜きを目論む小悪党の姿で・・・

誰にもわかって頂けないだろうと虚しいうすら笑いを浮かべながら・・・
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by gionchoubu | 2019-02-03 12:24 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)