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大和郡山 洞泉寺遊廓ぞめき 三

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昭和三十三年四月一日売春防止法施行直前の『大和タイムス』を読んでいくと、施行後岡町の業者が料理旅館などに転業を望んでいるのに対し、洞泉寺は一斉に廃業する事を決めました。

その理由は「洞泉寺の場合、はっきり廃業を打出したのは、歴史が古いだけに、同所に巣食うダニとの縁を切る必要があり、これを無視してさらに水商売に転業したところで商売はできず、結局一時的にも廃業し、ダニとの縁を切ろうと考えてのことらしい」とあります。

これは遊郭とその筋との切ってもきれぬ関係を言い表しているものと推察されます。

しかし、結局廃業を決めたのは十六軒中七軒でその他は旅館、貸席に転業を予定しました。

『大和タイムス』昭和三十三年二月二十八日の「買春問題座談会」で洞泉寺特殊料理組合長は

「赤線業を返上した一個の社会人として申したい。政府の業界に対する切捨て御免は目に余るものがある。Nさん(奈良市木辻カフェー営業組合長)とまったく同感だ。わたしは転業について旅館をやる。ところがどこまでが恋愛行為で、どこまでが売春行為かわからない。アベックにいちいちたづねるわけしはいかないし・・・。宿を提供したら罰せられる。いちいちアベックにたしかめていたら旅館商売はお手上げになるだろう。

また風紀が乱れるという懸念をどうするか。米国の若い青年男女の無軌道ぶりになってもよいというのか。これだけならいいが、自由に愛人を求められない人が、性のハケ口をどう求めるか。性的犯罪がふえるだろう。赤線の女が青線、白線へ流れて、法を無視する人の手におちたら現在以上の悲運にみまわれるだろう。それこそ社会は混乱して濁流の世になるだろう・」

さらに同組合長は『サンデー郡山』でも、買春防止法に対し

「悪法であると反対である。従来からも私達は営業を醜業と思ってないし、業主と接客婦はあくまで一体一だ。今度の立法によって真面目な業者は廃業するが、法をおそれぬ無茶者の手によって依然同じことが行なわれよう。一番悪い婦女誘拐、タコ部屋など今でもあるがこれらのものが増加しよう。

母と高・中小学生を待つ接客婦は子供をために働き、一ヶ月最低一万円を送金している。この人が接客婦を廃めなければならならぬということは自由意志の束縛、人権蹂躙である。小額で欲求を充たせた特殊料理店の廃止でこれからは、相手を探すのに苦労し金も高くつく。この結果一般女子に対する性犯罪の増加も考えられる。市全体としては毎日五、六十万の金が落ちていたから他の業者も影響が大きい。」

組合長の意見は全国の赤線業者の買春防止法にたいするそれをほぼ言い尽くしているようで、即ち

一、 進駐軍が来たとき一般女性の盾となって女性を提供したのに、さらにこれまで多額の税金を納めてきたのに何の補償もなく業者を切り捨てるのは酷い。

二、 今後性犯罪が増え、青線、白線に女が流れ風俗取締りが難しくなるだろう。

三、 旅館やお茶屋に転業しても、旅館の宿泊者同士の自由恋愛、芸妓とお客の自由恋愛を見極めることは実質無理なのに、この点の当局の方針が見通せない。

四、 こどもや両親を養う為、生活苦のための従業婦の生活の糧を奪うことになる。

という事になります。




by gionchoubu | 2018-11-28 12:34 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)

大和郡山 洞泉寺遊廓ぞめき 二



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明治十一年、郡山に検黴所が設置され娼妓は毎月六回検査を受けました。

『奈良県統計書』によると、奈良県添上郡郡山洞泉町には

明治12 貸座敷12  娼妓61
  13    12    67
  14    11    50
  15    12    59
  16    13    57
  17    13    50
  18    13    53
  19    12    34

明治二十四、五年ごろ遊女が表通りに面する格子の中におり、これを遊客が品定めをするという張店は禁止されると、洞泉寺遊郭でも、貸座敷の中で娼妓を見せる陰店に改造しました。

又入り口に角行燈を出し、娼妓に全て客がつくと行燈をしまい、応ずる娼妓がいないことを遊客にしらせました。

ただこの陰店も大正十三年十月三十一日で禁止されると、以後は写真で娼妓を選ぶ様になりました。

その直前の大正七、八年頃は財界好況時代で洞泉寺遊郭も大いに賑わい、娼妓一人、一ヶ月に千円近い花代を稼ぐ妓おり、日々銀行に預けに行くのも決まり悪く、暫らく一室に為置いてかためて持っていくという話もありました。

妓楼の店構えも立派、客扱いも親切、気楽に遊ばしてくれると評判もよかったようです。

大正十一年に納屋と蔵が大正十三年に本館と座敷棟が建てられた川本楼が現在町物語館(旧川本邸)として一般公開されています。

見事な木造瓦葺三層楼で、三階は三畳の客間八室、四畳半の客間一室、八畳の客座敷、便所

二階は三畳の客間六室、四畳半の客座敷一室、九畳の案内所一室、髪結場とプライベートとおぼしき部屋が四室

一階は茶室、大広間、中庭、浴室、料理坊、帳場、仏間、会計部屋、便所など、

面白いのは娼妓溜の部屋が玄関を入ったすぐ左にあり、これは表向きは写真で娼妓を選ぶ事になっていたものの、所謂陰見世として、遊客は娼妓を実際目で見て女を選べた機能を持っていたのではないかと思います。

川本楼ができた大正十三年に陰店は禁止になりましたが、実際どのような状況だったかは今後の課題として残ります。

現在この建物は登録有形文化財として大和郡山市が所有、耐震工事の後、平成三十年一月より一般公開が始りました。

兎に角関西では、島原の角屋、橋本の貸座敷群、七条新地(五条楽園)と並び、遊郭に興味のある人なら絶対見ておくべきだと思います。

『全国遊廓案内』昭和五年発行によれば、すぐ近くの東岡遊廓より、建築に於いても、設備に於いても、その他あらゆる点において一歩譲っているとのこと。

貸座敷は十七軒で、遊興は時間制か仕切花制、廻しはとらず、娼妓は送り込みで、店は写真式、台の物は付かないと、東岡遊郭と同じです。

又遊興料金も東岡遊郭とほぼおなじでした。

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3階の客室
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台の物は別だ・・・

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陰店(娼妓溜)

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陰店から二階までの娼妓専用と思われる階段


by gionchoubu | 2018-11-24 11:24 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)

上七軒 大文字 勝奈さん その三

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                 2013年、梅花祭、勝奈さんのパート2です
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by gionchoubu | 2018-11-21 15:16 | 上七軒 | Comments(0)

大和郡山、洞泉寺遊廓ぞめき 一

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                   町家物語館 旧川本邸

奈良には赤線が三箇所ありました。一つは奈良市の木辻の遊郭、残りの二つが大和郡山市の洞泉寺(とうせんじ)と東岡(ひがしおか)の遊郭でした。

この二つの遊郭が郡山にもたらした税金は計り知れないもので、まだ赤線時代の昭和二十八年に当時の郡山町長が発行者として非売品として世にでた『郡山町史』では

「遊里の存在は都市の繁栄に影響するところ甚大であると共に社会風教に関連することは云うまでもないが、遠近より蝟集する遊客によって一般商家の営業に潤いを生じ、土地の殷賑を来し、延いて隆盛発展の因由となり、自然文化施設の促進を招来するものであるから、その起源や変換に関心を持つことは都市発達史上からも観過し得ないものである。」

遊郭にここまで肯定的な市史、町史、県史は見たことがありません。

さて、同史によると、郡山の傾城町はもともと雑穀町の南辺にあったのが元和年間、水野日向守信之の城主時代、洞泉寺の北の元牢屋敷跡に移されたらしい。ただその次の城主、松平下總守忠明が入部の際悉く追い払って田畑になった、とあります。

元和年間(1615~1620)といえば京都では島原以前の六条三筋時代、江戸で元吉原が開廓された時代、まだ奈良の木辻遊里が公許になる以前の話であります。

さらに大阪の新町遊郭も営業前です。郡山の遊所が城代による公許のものだったら、幕府でなく藩許の遊郭としては屈指の歴史を持ったことになります。

一度無くなった洞泉寺の遊里はいつの頃か再び廓になりました。ただ遊所番付には載らず、柳沢淇園も触れず、どんな様子だったか分かりません。

郡山藩は、三重の亀山、丹波笹山、大阪高槻、滋賀の膳所藩とあわせ、御所の守護を主とした京都月番の後火消役を務めており、京屋敷をもっておりました。これが洞泉寺の遊郭にも何らかの影響を与えたかもしれません。

幕末頃には尾張屋、越後屋、錦仙、笠亀、石橋屋、泉熊の六軒が店を並べており、吉原のような張見世があり素見(ひやかし)格子が作られ遊客は格子によりそって遊女と冗談口をきくような雰囲気だったといいます。

洞泉寺には、以前孤忠信に扮する千両役者は必ず参拝したといはれている有名な大和の源九郎稲荷があります。


by gionchoubu | 2018-11-18 17:33 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(2)

大和郡山 岡町ぞめき五

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               廃墟の間に立つ違和感の多い公衆電話

昭和三十三年二月五日の『山和タイムス』によると売春防止法施行前に、郡山芸者斡旋所では芸者の通称“あかし花”を廃止すると発表しました。

これは売春防止法、風俗取締法の完全施行から料理屋が午後十一時で営業をうちきるので、必然芸者の“あかし”もご法度となったもの、で今後芸者があかし花を別にして生活がなりたつかが最大の問題となっている、という記事がのりました。

『全国遊廓案内』によると明し花は・・・芸、娼妓を客室に一夜を明さす時に附ける代金、という説明がなされています。

戦前でも芸妓の売春は当然法律違反で、娼妓の鑑札を持った女のみが合法で、芸妓で男を取る場合は芸妓鑑札と娼妓鑑札両方持つ、いわゆる二枚鑑札が必要でした。

花街では一部の芸妓を除き売春は広く行われていました。ただこれを公にするのはタブーで、『全国花街めぐり』で松川次郎はこれにかかる費用を特別祝儀という言葉で以って全国の芸者の相場を知らせてくれました。

勿論一流の花街は別で、例えば東京の新橋では「特別祝儀の利くのは無論三流以下の妓で〜」とあります。

大和タイムスにこの記事が載った時にはすでに娼妓は存在せず、旧娼妓は酌婦の名目で客をとっていました。

大和郡山の岡町に芸妓がいたのは、郡山東岡、岡町検番があった事でも間違いなく、この岡町検番が出した『新地 岡町小唄 郡山行進曲』(大和郡山市立図書館所蔵)が有りますので紹介させていただきます。

岡町小唄 谷しめ子作曲

一、古ゝは郡山さくらの頃を
   赤い白いのかほさへおぼろ
    うかれてるよな花吹雪ヨ

一、駒止めさくらに城址跡のお宮
   お堀めくれば龍華山よ
    春の郡山花の里ヨ

一、夜のとばりが廓を深めりゃ
   白い襟足イットの香り
    恋の岡町灯がおどるヨ

一、つらい浮世をたれ故赤く
   咲いて咲かせた廓の花は
    霧の情でよみがへるヨ

一、古ゝは郡山廓の夕
   鹿乃鳴く音はき古へをせぬが
    いきな音じめが耳につくヨ

祗園小唄のように四季が入ると年中お座敷で踊れますが、岡町小唄は春のイメージが強すぎるようです。

郡山行進曲 谷歌水 作詞曲

一、行きによろうか戻りによろか
   ゆきも帰りもよらずにやすまぬ
    あの子待つ街ホンニソダソダ恋の街

一、足をとめるは駒止めざくら
   思い残すは城跡のお宮
    妾しやあなたとホンニソダソダ気を残す

一、更けりやいや増ちて想ひは募る
   つのる思ひに逢へない夜は
    わざとうかれてホンニソダソダ泣くわたし

一、誰に語ろぞ妾しのハート
   秘めた乙女のあのカーフラブよ
    あなたありゃこそホンニソダソダ苦労する

一、心一すじ矢田町通り
   蝉もさ、蝉もうかれて通る
    通りや賑うホンニソダソダ柳町


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                      以前の画像
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                    現在のその裏側(奥の旅館の裏)
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       東岡町の近くの山新地、大門湯(かつて遊廓入り口に大門があったか?)
       東岡町銀座・・・新聞に載れどどの辺りか不明、NTTの電話機とともに
       未消化のまま、一旦東岡町遊郭跡を離れます。


by gionchoubu | 2018-11-14 15:26 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)

大和郡山岡町ぞめき 四

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圧倒的な存在感で見るものを威圧した東岡の木造三層楼、今は存在しません。

買春防止法完全施行直前、昭和33年2月28日、29日の『大和タイムス』に「いかに迎える 生涯最悪の日」の題で関係者による座談会がありました。そうです遊郭業者にとっては途方に迷う刹那の瞬間が目の前に迫ってきていたのです。

其の中で郡山市岡町特殊料理組合長のM氏談

「岡町の転業は旅館、料理屋、カフェーとわかれるがこれも進んでやるわけではなく、前途の不安に胸の内は暗い。

行政に携わる人は暖かい気持ちでみてほしい。

働いていた女の子には力を入れるが、業者は切り捨て御免ではこまる。

転業のために家を改造しようしても金はなし、今後もうかるかどうかもわからない。

かりに旅館を始めても、この“よろめき時代”だ。使っている女がよろめいたらどうなるか。必ず前が赤線だったか

らとイロ目でみられるだろう。」

同岡町特殊料理業組合事務所員F氏談

「多額の税金を苦しい中からさせておきながら、こんどは一挙に大ナタをふるわれる。

取締まりにはよほどの考慮をしてほしい。方々に痴漢が出没するのではないか。現に郡山高校の学園前でさえも暴行さわぎを起したことがあるではないか」

道路取締法を完全に適用したら商売はお手あげになるという。

臨検などのむつかしい問題もある。当局としても温情ある態度をとってほしい。」

そして赤線施行を六日後にひかえた岡町の様子を三月十日『大和タイムス』では

「二十四業者のうち営業を続けているのは約半数しかなく、寒々とした門灯のあかりの下で、うずくまって足ゴタツに暖をとる引子のおばあさんたちがそのまま岡町特飲街の表情をあらわしているようだ。

玄関入口と接客婦控室の間にはカーテンをつけている。

ときたま酒に酔った客が入っていくとめんどうくさそうな顔をした引子が仕切りのカーテンを開けて見せてくれる。

だまって出ていこうとしても後から呼びとめもせず、また同じように足コタツにあたっている。

そして午後十一時には客があってもなかっても“閉店”してしまう。」

投げやりな引子の様子を映し出していました。


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              10年前には画像を撮るのが憚れる雰囲気でした。


by gionchoubu | 2018-11-11 12:46 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)

上七軒 大文字 勝奈さん その二

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            2013年二月梅花祭、お見世出し3カ月後の勝奈さん
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by gionchoubu | 2018-11-10 14:02 | 上七軒 | Comments(0)

大和郡山 岡町ぞめき三

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奈良県には赤線地帯が3箇所ありました。奈良市の木辻に一箇所、そして人口二万の大和郡山には岡町と洞泉寺の二箇所もありました。

赤線廃止のニュースは、趣旨に反対するものは殆どないものの、成立にこぎつけるのに、マリヤルーズ号事件以来八十年以上かかりました。

売春撲滅を願う婦人団体とこれを悪法ときめつけた赤線業者のギャップは天と地ほども違ったのです。

売春防止法完全施行二年前『サンデー郡山』に竹山岡町組合長の談話が載ります。

「法案が決まるまで反対したが、成立すれば法治国民であり法を守るべきである。マッカーサーの指令により占領の始った時に吾等は廃業を覚悟したが、軍隊に慰安婦を出せという政府の要求があり、吾々も一般婦女子の防波堤の積りで協力した。その後次官通達で黙認ということで今日まで営業してきた。

組合本部では転廃業の国家補償か、融資を陳情することになっている。まだ二ヵ年猶予期間があるので、今の処すぐにどうすると言うことはないが、一日も早く目鼻をつけた方がよいと思っている。組合の廃業によって飲食店などは淋しくなるだろう。」と切迫感は感じられず、どこか他人事のようである。

また当時の水田市長も同書で

「人道上から見てもやむをえない当然の法案であるが現実の問題としては赤、青線区域の売春行為が撲滅されるかどうか、郡山としては市の経済的利益という点を考えれば痛手である。」

京都の八幡市は橋本遊郭が廃止になった時税収の三分の一が跳んだといいます。二つも遊郭、赤線のあった郡山市の損失は想像に難くありません。

売春防止法完全施行の昭和三十三年四月一日の前、洞泉寺遊郭が三月三十一日で完全廃業を決めたのに対して、岡町に二十六軒の赤線業者は旅館などに転業を目論でいました。その内訳は旅館16、料理店5、カフェー1、廃業3、アパート1というものでした。

この岡町の方が全国的な赤線業者の一般的な態度で、いずれ赤線は別の形で再興されるとタカをくくって言わば旅館なども偽装転業で様子を見るというのが本音でした。

さらに業者は女性との出会いの場所を提供するだけ、そこで自由恋愛や“一夜だけの恋愛結婚ならさしつかえない”という抜け道も考えていました。

ちなみに売春防止法以外に取り締まる当時の方法は、勅令九号(婦女に売淫させた者等に関する勅令)刑法、民法、労働基準法、女子年少者労働基準規則、職業安定法、児童福祉法、性病予防法、風俗営業取締法、軽犯罪法、旅館業法、道路交通取締法、道路交通取締法施行令の十三が大なり小なり関係していたのです。

参照:大和タイム




by gionchoubu | 2018-11-08 14:58 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)

大和郡山 岡町ぞめき二

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昭和二年八月二日の『大和タイムス』によると、郡山の料理業者より成る共栄会が東岡の花代一時間一円に対抗するため、一時間八十銭で新検を立ち上げる様県に許可願いを出したところ、東岡と同じ一円で許可されました。

『全国遊廓案内』昭和五年刊によると、郡山東岡遊廓は娼妓百九十人

旭楼、今村、竹島、藤近、千歳、大阪楼、都楼、笹の屋楼、壽楼、岡吉楼、ヨカロー、揚喜楼、御多福楼、河卯楼、寶山楼、駒川楼、恵比須、第三清月、錦水楼、清月楼、寶栄楼と貸座敷二十一軒。

娼妓は送り込み、廻しはとらず、台の物は別会計、遊興は時間制か仕切り制で、たとえば日没から十二時まで七円でした。

さて、この時代、廃娼運動が盛んに行われておりました。

昭和三年、女権同盟が各方面へ公娼廃止を訴えたすぐ、昭和四年島原の娼妓が堀川へ自由廃業の駆け込み訴えた事があり、この年の十二月、大阪地裁は橋本遊郭瓢楼娼妓の自由廃業無罪判決が下されました。

時を同じく昭和三年五月一日の『大和タイムス』に以下の広告がのりました。

芸娼妓自廃手続代理 借金と稼業は別個の問題、何時でも自由に廃業や結婚はできます。お知らせなさい助力いたします。*郵券十銭封入申し込みあれ*
* 自由廃娼論一部贈呈* 大阪此花区 嶋村某

そしてこの記事が出た翌年の昭和四年八月一六日の『大和タイムス』に

「郡山の娼妓が二人自由廃業をくはだつ 旭楼と笹の家のへ妓 楼主側は大狼狽」

記事の内容は郡山の東岡遊郭旭楼の抱え娼妓(19)が登楼客で社会主義者のKと謀り自由廃業を企てたので楼主は狼狽、Kと折衝中、

楼主側“本人は全く自廃などのことは知らず主義者が扇動したものですと語っている。一方Kは「本人の自由意志を束縛しているものであくまで合法的に自廃を実行せしめる」といきまいている。”

また同遊郭の笹の家の娼妓(21)は買い物と称して出たまま逃走、大阪婦人ホームに駆け
込み自廃を希望しているので同楼は婦人ホームに交渉中とのこと

新聞記事の文面は楼主側についていると考えざるを得ない表現が有り、当時の世間の風潮が知れて興味深いものです。





by gionchoubu | 2018-11-06 14:46 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)

大和郡山 岡町ぞめき一

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かつて奈良県、大和郡山の東岡町に、岡町という色里がありました。検番も岡町検番。人は東岡遊郭と呼ばず、岡町へ行くと言っていたはずです。

岡町は芸者と二枚鑑札の娼妓のいた遊郭で、その昔、菊屋(後の菊水楼)、坂井楼など十軒あまりの店があり、芸妓にも菊屋の小米、坂井の叶など芸達者なるものがおり、中でも菊屋の小豊は流行妓で、奈良の菊水楼はこの妓の力で建ったと言う噂があったほどです。

しかし廃藩置県後凋落して、明治十三年頃には僅かに京咲、京富の二軒の芸妓置屋になりました。その後竹島もできましたものの、それ以外の建物は取り壊され、娼妓も減少、遊郭廃止される方向に進んでいきました。

以上が、『郡山町史』と昭和八年四月一日発行『郷土研究上方 上方遊郭号』を併せた既述です。

『奈良県警察史 明治・大正篇』、添下郡東岡町の表に

明治12 貸座敷 16  娼妓 61
  13    16    95
  14    15    94
  15    12    80
  16    13    66
  17    13    54
  18    13    46
  19    12    28

貸座敷は芸妓置屋、お茶屋、娼妓置屋、妓楼を含んでいますので、明治十三年の貸座敷16軒は矛盾しておりません。

そして郡山町史と郷土研究上方の既述を裏付けるように、六年後の明治十九年に娼妓数は95人から28人と三分の一以下に激減しています。

それから京咲と京富が聨合して富咲楼という遊女屋を営みましたが上手くいかず、明治の末に、その後を受け継いだ藤近楼によってなんとか命脈をつなぎました。

この間明治二十八年「県令五十号」を以って、東岡は奈良市の木辻、同じく郡山の洞泉寺と併せ貸座敷営業区域の確認がなされました。

そして郡山の金魚界の中心であった小松氏が立て直しに苦心し、大正十三年、十四年に清月楼、小松氏自身の錦水楼が順じ開業しました。

この頃表参道を除く大字東岡全体が貸座敷地域の指定を受けました。

大正十年ごろ大軌鉄道(現近鉄)が開通、近郊近在はもとより河内方面の客の迎え入れができるようになり、岡町は大いに賑わいました。

娼妓は東岡に設置された県立奈良病院郡山出張所で健康診断を受けました。

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by gionchoubu | 2018-11-04 11:54 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)