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米子灘町遊郭 一

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『鳥取県史』によると、安政五(1858)年八月米子灘町の廻船問屋のものたちが、他国の入港のとき、飯盛女を置いて接待させることを願い出たところ、灘町の廻船問屋のみに、制限数を設けて他国生れの婦人を雇うことを許しました(「御国日記」)と有ります。

『米子市史』(『新修米子市史』ではありません)によれば、米子には江戸期より灘町には飯盛女置き、港繁栄の一策として公許されていました。しかし次第に東西南倉吉町の宿屋町へ進出し淫を鬻いだので県は国の方針に基づき明治五年、指定地以外の娼婦を原籍復帰する様示達するよう申し伝えたと言います。

ただし極貧の子女で親が許せば例外としました。

当時米子にかなりの遊女がいたようで『西洋だんご夜相撲見立鏡』が発行され、相撲の番付仕立てで、遊女の出身地、町名、名前を記したものがありました。

鳥取は売女といったものに特に厳しい眼を向けた地域であったようで、明治九年に出された「娼舎設置願不許可のこと」を見ると、

「或は娼妓に類似するも東西の割烹店等に散居し、方言之を団子という。東京の地獄の如し。陰に客を引き、淫をひさぐ事数多之有る。風俗の乱るる実に論ずるに堪ず。娼妓の憎むべきも之に比すれば其の害の少なるを覚う。」

地獄とは私娼の事、つまり私娼が蔓延るよりは、まだ公許の娼妓の方が害毒が少ないと訴えているのです。

私娼の異名は沢山あるなかであえて地獄を用いた事でもこの県の売女に対する気持ちが汲み取れます。

さて、団子の由来には諸説あるようですが、『猥褻風俗辞典』で宮武外骨は

団子 出雲および因幡にて公娼私娼を言う。徳川時代の中期頃より始まりし語にて今(明治末期)なお行わる。団子のようによく転ぶ(売春に走る)との義なり。桂園子の『出雲なまりに』にも「ダンゴ―娼妓、酌婦、転ぶの意」あり。

『改訂 米子の伝承と歴史』生田彌範著によると、生田氏自身も上の説を由来と思っていたものの、江戸時代に境港で住み込み女中に「だんご」を持たせ船頭や船夫の機嫌をとった。船頭たちは思いがけない接待に歓び話がはずみ、そのうちに約束が出来上がって上陸がはじまる・・・という説を新説として紹介しておりますがどうでしょう、海の荒くれ男達が団子に喜び話が弾むとは私にはとても不自然に感じます。

「娼舎設置願不許可のこと」に戻ると鳥取県の鳥取町、米子町、境港、西郷港の様な場所に娼舎(遊郭)を設置し、梅毒の検査をし、厳しい規則を設け、相当の税金を徴収し、野合密売淫は排除し、県の風俗を正したいとの主張は受け入れられず持ち越しとなりました。

平たく言うと遊郭の設置が認められなかったということです。

実は明治五年の布令の際、原籍に戻った子女も多かったものの、反面又は弾圧の裏を潜り、宿出会と称する男女の密会野合が流行していたという背景があったのです。


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             印象的なこうもりの意匠のある建物、2010年撮影


by gionchoubu | 2018-10-16 11:09 | Comments(0)

とし夏菜、ふく美、とし桃、美恵菜、とし花

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                 2013 宮川町、とし夏菜
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              2013 宮川町、芸妓 ふく美、舞妓 とし
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                  2013 宮川町 美恵菜
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                   2013 宮川町 とし真菜
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               2013 宮川町 芸妓 とし花、舞妓 とし

by gionchoubu | 2018-10-13 14:52 | 宮川町 | Comments(0)

宮川町、とし純、とし夏菜、とし花、たね寿、とし輝、とし桃

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                   2012 店出し直後のあどけない、とし純さん。
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                   2012 とし夏菜さん
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                2012 芸妓、とし花さん、舞妓、とし輝さん
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                2012 芸妓、たね寿さん、舞妓、とし輝さん
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                2012 店だし直後でいつもおぼこい、とし桃さん

*前回まではニコンD40でしたが今回よりニコンD7000です。

by gionchoubu | 2018-10-12 11:16 | 宮川町 | Comments(0)

ふく恵、小凜、君友、富美珠、君綾、とし真菜

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                  2011 宮川町、ふく恵、小凜
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                  2011 宮川町、君友、富美珠
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                   2011 宮川町、君綾
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                   2011 宮川町、とし真菜

by gionchoubu | 2018-10-11 15:59 | 宮川町 | Comments(0)

とし輝、とし結、とし愛、とし夏菜、ふく里

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                        2010年 宮川町、とし輝
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2010年 宮川町、とし結さん
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2010年 宮川町、とし愛
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2010年 宮川町、とし夏菜
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2010年  宮川町、ふく里

by gionchoubu | 2018-10-10 11:23 | 宮川町 | Comments(0)

宮川町 ふく里、とし愛、富美苑

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2010年 宮川町 ふく里さん

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2010年 宮川町 とし愛さん

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2010年 宮川町 富美苑さん

by gionchoubu | 2018-10-09 13:28 | 宮川町 | Comments(2)

勅令九号

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旧五番町辺り

昭和22年1月14日 吉田茂総理大臣の元、ポツダム宣言の受諾に伴い内務大臣によって公布されたのが勅令9号です。

第1条 暴行又は脅迫によらないで婦女を困惑させて売淫をさせた者は、これを3年以下の懲役又は1万円以下の罰金に処する。

第2条 婦女に売淫させることを内容とする契約をした者は、これを1年以下の懲役又は5千円以下の罰金に処する。

第3条 前2条の未遂罪は、これを罰する。

『日本売春史・考』吉田秀弘著によると北海道と関西ではこの条例による検挙・裁判は多いいものの、他はきわめて少なかったとの事です。

なんだか良く分からない勅令で、単純売春は構わないが管理売春は駄目、という事なのでしょうが、婦女と契約をせず、婦女を困惑させなければ管理売春もOKのようにも私には受け取れます。

京都では何度も摘発が行われました。売春の温床は勅令九号だけで取り締まるのでなく、たとえば昭和25年9月には貸席に酌婦として五番町に女を斡旋した二人を職業安定法違反と詐欺容疑で逮捕する事により、水際で食い止める努力がなされていたものの誠に氷山の一角で正にいたちごっこの感があります。

又、女が赤線で働くとき、未成年なら斡旋した者には児童福祉法違反が有効でやはり昭和二十六年、福岡から都会生活にあこがれ家出してきた十五と十七の未成年を同じく五番町に斡旋したとして貸席業の女が取り調べを受けています。

同じく昭和二十六年、伏見の女が同じく伏見の女二人を北海道によい働き口があると言葉巧みに話しかけ、つれだそうとした所、婦女誘拐容疑で捕まっています。

同年、祗園の旅館の女は自ら三人の女を抱えていた上、女学生やオフィスガールを客席にはべらせ、住込女中に売淫を強いていたとして勅令九号とあわせ風俗営業取締法違反容疑で検挙されていました。

昭和二十七年の新聞を読むと、西陣貸席組合が五都市で接客婦の募集広告を出し、その内名古屋市では“女子接客係募集。十八歳から二十八歳まで。収入最高。写真同封紹介を乞う”の募集を出したのを問題視した西陣商業安定所が労基局に連絡したものの、接客婦は労働者でなく、自前業者であるとしてお咎め無しになりました。

当局は接客婦が実態は殆ど労働者であるのは分かっていても、募集広告を直接労基法で取り締まる事は出来なかったのです。

ただし、婦女子をこういった職場に就かせた場合、労基法第六条、中間窃取排除での取り締まりは可能のようでした。

同年、京都市警保安課はポン引、街路婦、貸席、旅館業者を京都風紀取締条例施行後初の取り締まりで、悪質な十九人を同条例、勅令九号、性病予防法、風俗営業取締法などで書類送庁しました。

勅令九号は売春撲滅が目的なら現場にとって不備な法律であった観は否めません。





by gionchoubu | 2018-10-08 12:15 | パンパン、赤線 | Comments(0)

嶋原遊郭ぞめき 島原トルコ温泉

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昭和28年9月25日京都新聞夕刊

『トルコ城の虜』

“うーん、痛てててて・・・”見ようによればどうともとれる夫婦ゲンカ、女性対男性のレスリング、いやいやそれはその・・・と怪しい想像をたくましうするむきもあろう。

そのいずれもはずれており、そのいずれもが当っている。陰陽は相殺し、紙に裏表があるように。

これは最近各地に店開きしたトルコ風呂である・麗人のアンマに悦に入っていると夫婦ゲンカの種をまき、レスリングのようにセミ・ストの女性三助にもみたくられ、はては怪しげな気分を起すわけだから、あれこれめぐらせた想像はいずれも当っており、いずれもはずれているわけ。

だがトルコ風呂は入場料五百円をとられ一般的には「高値」の花なのが欠点、そこで京都の島原トルコ温泉が二十七日から大衆トルコを始めるという次第。

入場料百五十円。これで現在の一日八十人の入浴客をもっとぐっと増やそうというねらいらしい。

うかうかつられて行くとトルコ風呂ならぬトリコ風呂になる恐れもある。(写真は島原トルコ温泉にて)

何度も書きますが当時のトルコ風呂はマッサージ風景が新聞に躊躇いも無く載せられるほど健全なものでした。

それにしても京都新聞に載ったお客とトルコ嬢の写真はいろんな意味で衝撃的です。

昭和三十九年発行『遊女と街娼』錦織剛男を見ると、島原でトルコ風呂に転業した三軒、とありますが、当時の住宅地図を見ても上記の島原温泉一軒のみです、今まで見てきたように他の二軒は新京極の美松トルコと西木屋町、松原上ルのトルコ温泉だと思います。

住宅地図で確認できるのは現島原商店街の中、壬生川通りから東南の一筋目南の魚屋さんのところにあった島原国際劇場とそこから二筋東北の路地を入った所で今駐車場の所にあった島原映画劇場の二軒の映画館と島原国際劇場の四軒東にあったパチンコプラザという小さなパチンコ屋です。

このすこし後昭和二十九年ごろから社会問題となってきたのが覚せい剤のヒロポンで、昭和二十九年の七月十三日の京都新聞をみると、七条新地で覚せい剤追放の運動が始ったのに呼応して島原遊郭の貸席組合でも組合長、上村新悟組合長を中心に「覚せい剤追放実行委員会」を組織、役員会を開いてヒロポン撲滅の対策を練りました。

週二回の検診と共にヒロポン患者に眼を光らし、治療と密売業者締め出しに努力「ヒロポンの温床」の汚名を返上するよう尽力する運びになりました。

続いて七月十六日の紙上でも、全国に先がけて「ヒロポン追放は遊里から」の掛け声の元、島原貸席お茶屋業組合、同芸妓組合養柳会、同女中組合友愛会ら四百人が集合、友愛会長による「私どもはただ今から覚せい剤追放極滅に努力し使用いたしません。右誓います。」と全会員を代表して力強い宣誓を行いました。



by gionchoubu | 2018-10-02 14:29 | 島原遊郭 | Comments(2)