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京都パンパン赤線時代 六十五

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  ごく普通の街並みの山上町でした。

今回は昭和二十八年の奈良と大津のパンパン事情を見て見ましょう。

昭和28年2月18日、京都新聞夕刊

『夜の女が多くて困る“基地の子ら”深刻な訴え』の冒頭記事を紹介

「奈良の町ではパンパンが多くなってかないません、近くのちかちゃん(四つ)とのりちゃん(四つ)とりつ子ちゃん(五つ)がパンパンのまねをします。パンパンの名前をたくさん知っています。(小学二年大西奈保子)」

昭和28年5月9日、京都新聞

『流行るパンパン遊び 夏を控え親はビクビク』

「私達のこんな姿を子供たちにみられることは食わんがためとはいえ誠に申訳ないと心を痛めています」、大津市内のある小学校の目と鼻の先を根城としていた進駐軍相手の街路婦が学校を訪づれこうもらしていた。

遅まきながら純潔教育がやかましく叫ばれる最近、街をゆく進駐軍相手の街路婦の姿態は依然教育界の大きな悩みの種である。

このような環境の中にあって子供たちの小さな夢は果たしてゆがめられないだろうか、児童福祉週間にあたり進駐軍の街大津市内の実態を探ってみた。

大津市内の進駐軍相手の街路婦はザッと百五十人、このうち専業?は百人そこそこで残り五十人程度は昼はオフィスガールやタイピストとして勤めているいわゆるヨルバイト組(大津市警調べ)といわれる。

市内でも最も多い山上町は全戸数の三分の一に当る葯五十軒がこれらの宿で、志賀方面はわざわざ新築した家を二軒も提供して荒かせぎをやっているところもあって子を持つ親たちをハラハラさせている。

一時は空け放しの室を子供がのぞいたとかで親がびっくり、青少年問題対策協議会に持込み、家主に抗議お申込んだ結果、カーテンまたはすだれをつけることを条件にやっと話合いがついた(滋賀里)や、札束を型取った新聞紙片を男の子と女の子が取引一定数に達するとOKと来るパンパン遊びやお医者ごっこと称する裸遊びも流行した(長等校管内)事例もあって、夏を控えてまたまた父兄たちの関心を高めている。

「小学校の場合は中、高校生に比べて影響は少ない、世間で騒ぐ程のことはない」というある小学校長のように楽観論もあるが、一主婦の如きは「夏になると山辺などに子供を連れてうっかり散歩もできない。子供の教育という立場から考えると思わずリツ然とする」と顔をしかめ、また一面ある小学校の女教師のいうように「パンパンそのものよりピカピカ光った自動車を見たり、たまにもらったチョコレートや聞き慣れぬ言葉に好奇心にかられてのぞきに行く子供が大部分で大人が心配する程のことはない。」とする見方もある。

結局RRセンターの移転に大反対ののろしをあげた地元の人も、パンパン宿が隣近所の知合いというだけに真向から反対することも出来ず止む無く子供の行動に注意するより仕方がないというのが実情のようだ。

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

関係者の声から二つだけ紹介すると・・・

中川皇子山小学校=私達の学区に進駐軍のキャンプがあるのは教育的立場からみて遺憾だ。この問題は国家的取引で解決すべきで、学校としては女に部屋を貸す家をなくするよう、また女たちにも生徒たちに悪影響のないように自覚を促している。

川端志賀小学校校長=子供におよぼす影響うんぬんについては最近あまり耳にしなくなったが、パンパンの存在を認めるのならバラバラに散在させて置かずに一定の区内に収容する以外に解決の途はないと思う








by gionchoubu | 2018-03-29 16:17 | パンパン、赤線 | Comments(0)

中村遊郭ぞめき 稲本楼

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             松岡ディサービスセンターの二階からの稲本楼(稲本別館)

昭和八年発行『郷土風景』の“中京中村 中村遊廓 高原栓市”筆によると

「中村情緒を味わうには小店でプロ階級が速成モダンで安価な近代生活を享楽するよりか、矢張一流店で名古屋独特の気分を吟味するに越したことはない。

先に云った日吉町の稲本楼、本家長壽楼、四海波と云った大店で時間を超越して、しとやかな相手と三味線で歌って夜を明かし果ては結ぶ色の夢と、旅の労れをさっぱりと朝湯でなかしていそいそと帰ったほうがいゝです。

この中村で群を抜いている店がある。稲本別館といって、東海道は静岡の蓬来楼。岐阜の浅野屋と並称されている中村の大御所で、店も一流なら客も一流、廓が名古屋の名所とさへ云はれている。

二、三年前に火災に会ったと云ふが気の香りの抜けきらぬ広間で、金箔の格天井や襖の扇面は主人が知己の読書家の作と聞くが、よく蒐集したのをうち見つゝ一献かたむけるのも格別、各室の造作、調度の快よい事、主人が趣味の程知れて奥ゆかしい。

娼妓は全部東京の一流芸妓落ちばかりとて、日頃は茶花、その他芸事に余念がないというのはうれしいかぎり。」

1990(平成2)年発行『黄金伝説』荒俣宏著

著者が執筆当時料亭になっていた旧稲本楼(稲本別館)で、八十歳を過ぎた大旦那に話を聞くと、大旦那のお父さんが客の目を惹かせるため、趣向をこらせて建築したものだという事が書いてあります。

一部屋、一部屋にテーマがあり、竜宮城を思わせる中国風の部屋は上海の売り物の物件を買い込み、舟で運ばせたもの。

養老の間はガラス戸が古風な、大正時代の民芸好きが建てそうな素朴な書斎づくり。

伊吹の間は八角天井で全体が丸い、大きな傘をさしかけたような部屋で、絵天井にはアイヌの文様がついた服地が貼り付けてある。

雨月の間は息子である大旦那の趣味で誂えた部屋で、本格的な網代天井をもつ。

その他、山時代のお城の大広間を思わせる大宴会場、田舎の民家をそっくり運んできた様な民芸風の居間、兎に角息を呑むすばらしさだったといいます。

さて、ある時代、ある場所、ある人にでしか生むことができなかったこの稲本さんが取り壊されようとしているとお聞きしました。

これといった観光名所はなく、訪れる魅力は低いと言われ続ける名古屋・・・

東洋一の遊郭といわれ贅を尽くした中村遊郭でもナンバーワンの建物と言われた別館稲本があるじゃないですか!

名古屋の人達へ・・・レプリカの名古屋城をいくつ建てても人は寄ってきませんよ。

今、稲本さんの中にどれほどの部屋があるか私は知りません。しかしこの文化財的なな建物が壊されるのに何の手立てもとらぬなら、名古屋市は自ら観光客を呼ぶ事を拒否しているとしか私には思えません。





by gionchoubu | 2018-03-24 12:37 | Comments(0)

中村遊郭ぞめき 名楽園

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戦災を免れた旧色里のうち、主だったもので残ったのは京都、奈良、金沢、新潟、米子、釧路、室蘭、札幌、仙台、そして名古屋ぐらいでしょうか。

その名古屋では昭和二十年八月旭郭貸座敷組合を名楽園組合と改称、特殊飲料店となり娼妓を芸妓と改めました。さらに同二十一年特殊カフェーと改め、女は給仕婦になりました。所謂赤線です。

名古屋市には名楽園以外に旧八幡連の中川区八幡町の八幡園、北区長田区の城東園、港区港陽町一帯の港陽園がありました。

東海の歓楽街の組合に、一ノ宮の花岡園、犬山の櫻楽園、豊橋の遊楽荘など〜園、〜荘と名付けたのは当時の慣わしで、今でも岐阜市の金津園に当時の名残を留めています。

昭和二十五年発行の『東海北陸社交歓楽街 有名舗 電話早見表』の特殊カフェー名楽園をみると名楽園事務所は日吉町にありカフェーはアイウエオ順に

あさひ、あさ乃、赤ペン、アズマ、一富士、稲本、一萬、入船、泉千寿、牛若、加茂川、開運、金鳩、金牡丹、銀波、金波、金龍、金華、クラブ、橘、久米長壽、鳳、幸楽、佐竹、栄千壽、新井筒、四海波、新壽、新壽別館、新金波、シスター、新宿、柴本、新星、鈴本、千波、千壽、青々、雪月、大一、宝千壽、太陽、第一園、第二園、第二トヨタ、第二松岡、ダイヤ、天龍閣、天龍閣別館、豊稲、豊田、豊岡、成駒、梅月本館、ハート、春福、白馬、パラダイス、羽衣、ハッピー、久松、日の出、福扇、福岡本館、福岡別館、福住、福船、弁天、紅屋、本家一徳、松島、万波、松岡、美園、美濃長、名月園、本松島、和合、岩波

さて、戦前十七連あった名古屋の花街も売防法発令直前の時には名妓連、浪越連、中券番、美遊喜連、吾妻連の六つに縮小され、名楽園も青楼八十八軒、給仕婦八百四十三名に縮小されました。

神崎宣武『聞書き 遊廓成駒屋』によると昭和三十三年売春防止法施行のあと三ヶ月過ぎたとき、名楽園の八十二軒の中で費用も少なく転業できる旅館業の許可をとって看板を上げた四十軒の旅館には、一ヶ月に十人から十五人の客しかつかず、八軒のトルコ風呂も正月の内だけ、バーもだめとあって、せっかくとった旅館許可を返上したり、許可はそもままでも営業を控えたり、早くも転業の声をあげたりする始末でした。

解散した組合にかわり六十二軒をまとめて誕生した新名楽園組合(野田東二組合長)も、ダンスホール、温泉プール、コマ劇場設置等いろんな案はでるものの費用や方法で足ふみ状態でした。

そして中村遊郭を象徴した大門もとりはらわれ、もとの遊郭四軒分の駐車場にこれまた四軒分のスーパーが建ち、かつては足を踏み入れることが無かった主婦や子供が行きかう場所になりました。




by gionchoubu | 2018-03-20 12:50 | Comments(0)

中村遊郭ぞめき 旭連

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  貸座敷の中に坪庭がある中村遊郭独特の構造

中村遊郭に“廻し制度”がなかった事に関する逸話を『聞書き 遊廓成駒屋』より紹介させて頂きます。

関東大震災のとき、吉原を焼け出された女郎が中村に流れてきて遊郭に吸収されました。

吉原の太鼓もちも四人ばかりやってきたものの、名古屋には廻しであぶれた客が出ないのでそもそも太鼓もちの需要がないという事になり帰した、とあります。

同じく廻し制度のない関西では太鼓もち(幇間)は芸妓の補佐としての役割がつよいのですが、東京の太鼓持ちには宴席に出るだけでなく、遊郭で部屋に上がったものの女が来ないので時間をもてあました客のため太鼓もちが送り込まれたという事になります。

さて、昭和八年四月号の『郷土風景』によると、中村遊郭は全国一の代遊郭で規模の広大な点では他の追従を許さない。移転当時各戸が争って普請に金をかけたので東京や大阪に見るこせこせしたインチキ建築とは比べ物にならない。

内部の間取りもゆったり出来ていて落ち着いて遊ぶ事が出来る。中村は遊興費が高い事も日本一だと云われるが娼妓の前借金に金をかけ、美人を揃えてゆっくり遊べる点で文句が云えない。

娼妓の現在数が千五、六百人いて妓楼が百四十軒余り、娼妓は主に関東者で約六割、関西者の二割他は全国から集まった程の美人揃い。長唄や清元が盛んで土地の西川流の舞踊も心得て居り、下手な市中の芸者も近づけない気品をもっていたとのこと。

これは即ち他の一流芸妓が何らかの理由で芸妓を辞め、中村遊郭に来て娼妓をやっている事を示唆しています。

昭和四年刊『全国花街めぐり』によれば、名古屋市には当時「五連妓」と称す盛栄連、浪越(なっこし)連、中券、廓連、睦連の五花街があり東京で言えば新橋、柳橋といった一流所、広小路を挟んで市街の中央部を占めていました。

これに続いたのが浅遊連、善遊喜(みゆき)連、美波連、熱田連、和合連、吾妻連、八幡連そして中村遊郭の芸妓で構成された旭連でこれら八連妓を加え、先の五連とあわせ十三連妓と呼ばれていました。

さらに場末の蝶遊連、枇杷島連、築地連、南連を合せると十七連妓になり、名古屋市には十七花街があったことになります。ちなみに廓連が中村と思い込みそうですが、中村遊郭移転前の地区にあったことから起こった名で、新地連とも呼ばれました。






by gionchoubu | 2018-03-14 12:02 | Comments(0)

中村遊郭ぞめき 遊興制度


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                嘗て通りから拝見できた長寿庵(千壽)の妓女

昭和五年刊『全国遊郭案内』の名古屋市旭廓(中村遊郭)見ると

現在貸座敷は百三十九軒あって娼妓は千六百五十人居る愛知県の女が最も多く、三重県の女は此れに次ぐ。

店は*写真制で陰店は張って無い。

娼妓は*居稼ぎ制で送り込みはやらない。

遊興は総て時間性で*廻しは絶対に取らない。

費用は家によって異るが大体に於て一時間一円二十銭、十二時以後翌朝六時迄は五、六円見当である。

祝儀及*台の物は別だ。

『聞書 遊郭成駒屋』神崎宣武著も含めて説明させていただくと、

写真制・・・直接表の格子の中の女を指名する張店、店の中で女を選ぶ陰店に対し、旭郭では、日本の他の遊郭がほとんどそうだった様に写真で敵女を選びました。名古屋では、中村に遊郭が移った大正末期にはまだ張店が存在したが、昭和五、六年ごろから、看板写真を掲げる娼家が増えだし、看板写真だけでなく、アルバム形式の写真長を使うところも出てきました。中にはだいぶ修正されている写真や若い時代の写真もあり、部屋で対面してびっくりという事もあったようです。旭郭の場合はじめて店に出る娼妓(こども)の写真には初見世という札を書いて貼っていました。初見世の娼妓は廓働きが初めての場合もあるものの、よその土地から流れてきたのや、出戻ったのも含まれていました。この場合床花という祝儀を客はつけますが、娼妓の懐にはいるわけではなく店の収入になりました。

居稼ぎ・・・芸娼妓が抱え主の家で客を取ってかせぐこと。これに対し、置               
屋は置屋、揚屋は揚屋と、各専門的に営業しており、娼妓は置屋から揚屋に送
りこまれる、関西方面に多い。

廻し・・・一人の娼妓が同時に二人以上の客をとって、順繰りに客の相手をしていく接客システムで関東ではこれが通例でした。吉原の場合、廻し部屋という、待たされる客が案内される座敷が有りました。この部屋は一時間遊びの客にも使われ、たいてい三畳一間で電気が二室に一個という陰気な空間で、布団は不潔で夏は汗でぬるぬるし、冬はこびりついた垢で襟のあたりが冷たく感じられる。こんな布団に寝た客はしばしば梅毒にに感染しました。中村遊郭はこの廻しがなく、娼妓はおのおの一部屋をあてがわれており自分についた客はかならずその部屋に通し、先客がうれば次の客は登楼できませんでした。このシステムは中村遊郭がとくに東京の遊郭に対してみせるプライドのひとつになっていました。

台の物・・・遊郭で客席に出す酒、肴、茶菓等、旭郭でこれは別会計という事






by gionchoubu | 2018-03-11 12:13 | Comments(0)

中村遊郭ぞめき 歴史

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鎌倉街道の萱津(中村)の東宿で旅人相手の遊女がいた。

1610(慶長15)年 
家康が名古屋築城に際し大工や町人相手の飛田屋町郭(旧蒲焼町)を許す
(*1)

築城が終わると初代義直はこれを禁止

1731(享保16)年
異端の殿様、宗春が九月に西小路(山王橋付近)に許可(*2)

1732(享保17)年
富士見郭が出来る

同年
町郭が出来る

1735(享保20)年
西小路郭の一箇所に限定

1736(元文元)年
宗春が失脚全て禁止される

この後百花(もか)とよばれる私娼がはびこる(*3)

明治維新後北野新地(大須観音墓地北)に遊女が置かれる(*4)

1875(明治8)年
北野新地を廃し、大須以西堀川以東に旭郭(*5)ができる

1923(大正12)年四月一日
旭郭が現中村区の日吉・寺・大門・羽衣・賑の五箇所に移転して営業開始

1937(昭和11)年前後、
中村遊郭が全盛を迎える。貸座敷140軒、娼妓約2000人

1943(昭和18)年以降
戦時体制に入ると妓楼は三菱航空や大同製鋼の寄宿舎に転用

1945(昭和20)年八月
旭郭貸座敷組合を名楽園組合と改称、貸座敷を特殊飲食店と改称

1946(昭和21)年
特殊飲食店を特殊カフェーに、娼妓を給仕婦に改める

1955(昭和30)年
四海波、稲本、大観荘等が中京温泉株式会社を発足

1957(昭和32)年12月27日
名楽園は年内廃業を決め275人の従業員全員を解雇、旅館に転業したところが約40軒、特殊浴場(トルコ風呂)に転業したのが役10軒、飲食店に転業したのが約20軒

以上ほぼ横地清著『中村区の歴史』愛知県郷土資料刊行会の抜粋

*1 名古屋初の遊郭造りに林又一郎が拘ったという説があります。天正二(1589)年に柳町二条の郭、その後伏見田町の郭、六条三筋時代の四条河原町での非合法の遊女屋など遊郭造りのプロフェッショナルが名古屋でも寄与したのは時代的にも充分考えられると思います。

*2 『伊勢古市考』野村可通によれば、この時京都、大阪の大楼も支店を出しまいたが、伊勢の古市遊郭からも宇佐美屋(中之地蔵町)、備前屋、中村屋、千歳屋(この三軒は古市遊郭)の四大楼が支店を出したとの事

* 3 『猥褻風俗辞典』宮本外骨(大正八年刊)によると
「今より二百年程以前、名古屋の公娼を厳禁されし時、初めて起こりし下等淫売の名にして、その頃熱田より藻冠(もかぶ)りと言いて、新鮮の魚に藻を冠ぶせて売りしが、味良く廉価なりしより転じて売女の称となれり。その後略して“もか”といい“百花”と書くに至れり〜略〜」

* 4 安政年間に旭郭が誕生と記された本が複数以上ありますが、北野新地の生みの親、玉屋町の宿屋笹野屋庄兵衛が上願したのは俳優などの寄宿する地としてであり、私娼は別として、遊郭が許可されたわけではありません。

* 5 旭遊郭の旭は日出町近郊が遊郭の区画になった為

中村遊郭の歴史の既述がある本はほぼ『中村区史』中村区制十五周年記念協賛会編にあるようですが、私は今の所拝見しておりません。











by gionchoubu | 2018-03-09 15:42 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 六十四

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昭和28年1月18日、京都新聞夕刊

『造反の17人を検挙 昨夜木屋町で“夜の女狩り”』

市警保安課では全課員を動員、十六日午後七時から十二時まで木屋町一帯にわたって街路婦、ポン引きの一せい取締りを行い、貸席業者、リンタク運転手、ポン引き、売イン婦など十七人の違反者を検挙、悪質者とみられる下京区西木屋町通仏光寺上ル貸席業コトヤことKS(63)を勅令九号、風俗営業取締法、京都市風紀条例違反各容疑で書類送丁、中京区姉小路通堀川東入リンタク業ST(52)を市風ク条例違反各容疑で書類送丁、その他は訓戒処分とすることになった。

同署の調べによれば同日午後九時ごろ、STが通行中の下京区松原寺町某氏(33)
を“よい所へ案内する”と前記貸席業KS方に連れこみ、KSが住み込ませている松原宮子さん(24)―仮名―と一時間五百円の契約をして同家客室で遊ばせていたもの。

『四人を検束 伏見署でも夜の女狩り』

伏見署では十六日よる六時から十時ごろまでの間に伏見区山藤ノ森米軍キャンプ付近にたむろする街路婦、ポンビキの一せい取締りを行い中京区西ノ京小倉町A子(24)ほか二人、ポンビキ東山三条大橋東三丁目TY(24)をそれぞれ風紀条例違反容疑で同行を求め取調べたがA子ほか二人を同夜平安病院に入院させた。

昭和28年2月6日、京都新聞

『京都駅前を明朗化 街路婦徹底取締り 市警フ少佐ら打合わせ』

ホテル・ラクヨーウが駐留軍人の専用宿舎となってから京都駅前は街路婦の巣くつとなり風紀上面白くないと各方面のヒンシュクを買っているが、一方宿舎側も兵隊から多額な金をまきあげる街路婦や悪質キャバレーを追放して京都の良い所を見せたいとの要望もあるので五日、横井市警保安部長、福武産観局長が同ホテルにフロトー少佐を訪れ、街路婦問題や兵隊の娯楽施設などについて懇談した結果、駅前にたむろする街路婦を徹底的に追放するとともに良心的な施設を紹介するよう三者間に話がまとまった。

同ホテルが駐留軍宿舎となった昨年十二月以来同ホテルやステーションホテル、駅前などには連夜数十人の街路婦、ポン引がたむろし朝鮮戦争から休暇で入洛した兵隊相手にいかかがわしい行為に及んだり、兵隊から巨利をむさぼっていており、所轄七条署でも毎日取締りを行い一月中に百三十六人を検挙うち十四人を風紀条例違反容疑で送庁している。

これら兵隊が京都に落す金は月に五千万円を下らないといわれるがこの金の大部分はポン引き、街路婦や悪質キャバレーなどに吸いとられ、はては無一文で帰ってくる兵隊も少なくないといわれるほどでホテル側では“これでは兵隊に京都の悪い印象を与えるだけでもっと良い面や良心的な施設を紹介して欲しい”とかねてから要望していたもの。

同日の三者の打合わせでこれらの問題について協力していくよう話合いがつき、街路婦やポン引の取締りは市警が徹底的に行い、また施設や案内面では市産観局がパンフレットなどを発行して積極的に乗り出すことになった。





by gionchoubu | 2018-03-08 14:23 | パンパン、赤線 | Comments(0)

中村遊郭ぞめき 一徳

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                     さあ中に入りましょう

先日、阪急交通社トラピックス中部主催 【名古屋裏散歩〜裏路地・裏話・地元めし〜】第1回駅西・大門〜昭和・大正レトロ哀愁すぎる街〜日帰り

に参加させて頂き、旧貸座敷の中を見せて頂きましたので、手元の資料とあわせ、中村遊郭の簡略史みたいな物を書いてみます。

以前三度ほど中村遊郭跡を歩いた時、圧倒的な存在感をもつ建物の一つ現デイサービスセンターの松岡健遊館を外からのみ見させていただいており、是非中も拝見したいと思っていたので、八年間の思いをつめて京都から日帰りでツアーに参加させて頂きました。

松岡旅館の物語はガイドさんの説明とMOYAKO MAGAZINEというサイトを参考にさせて書かせて頂きます。

この建物は大正12年に建てられた青楼、一徳がベイスにあり、昭和35年、売防法施行を受け、松欅殿という大宴会場を供えた松岡西館の名の料理旅館として改装され、さらに平成十三年廃業後、一階を再改装して、片側が松岡健友館になりました。

一徳時代、他の店が置屋、貸席、仕出の三業地の機能の中、店は置屋から芸妓や娼妓を呼び、仕出屋から料理を取るのに対し、一徳ではずっと店内で調理をしていました

売防法施行昭和33年以前の地図によれば、一徳には他の店と同じく特飲の文字が当てられています。特飲は、昭和二十年に遊郭制度そのものは無くなったものも、売春自体は取り締られず、旧妓楼は特殊飲料店のカテゴリーに入れられ、娼妓は制度上無くなり、男の相手をする女は酌婦等の名前で呼ばれたのです。所謂赤線地帯です。

渡辺寛著『全国女性街ガイド』によれば、八十八軒の青楼の中、国宝級な妓楼、四海波を初め代表的な建物に稲本、一徳、豊稲を挙げています。

ですから一徳のお客さんが所謂上客だったのはうなずけます。

荒俣宏著『黄金伝説』で、筆者は松岡旅館のご主人にお話を伺い、遊郭時代には特にこのあたりは光の城と言われるくらい夜でも明るく、電灯が街路を埋めて、名古屋駅のほうから眺めると、ここだけ浮き上がっており、夜に路上でキャッチボールをやっていました、との話を載せています。

同書には湯船の上に半裸の西洋風の姿が見える、黄金の豆タイルが散りばめられた風呂のカラー写真が載り、まさに息を呑む思いです。

トイレもカラー写真こそ無いものの、贅沢をきわめたトイレはモダンデザインを入れ込んだ磨りガラスに、床が色タイル。天井から葡萄房の彫刻が垂れ下がっていたと書かれています。

別世界での歓楽中、夢心地の男でもトイレに入ればふと吾に帰るものです。そのトイレの中でも里心を持たせない工夫を持たせたのは、現代人では思いつかない遊郭時代の残像を見る思いです。
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                          玄関
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                          松欅殿
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                    舞台を広げると神棚が現れます
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                        廊下は一枚板
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                          客室
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                        人魚か乙姫様か
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                    他の客と顔を合わさぬよう階段は二つ
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               トイレ、一徳時代の物、入口から見ると孔雀、こちらから見るとフクロウ
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                         松岡健遊館


by gionchoubu | 2018-03-01 15:07 | Comments(0)