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京都パンパン赤線時代 四十四

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松本佐多のお茶屋杏花。佐多没後親族の方がお茶屋を継ぎました。さらにその後は舞妓変身処になりましたが、現在空き家のようです。ちなみに杏花は左団次の号にちなんだもの。なにぶん芸に対して厳しい人でしたので、芸舞妓は声を潜め、恐る恐る通り過ぎたとの事・・・


昭和27年1月31日 京都新聞

『名優左団次をしのぶ 杏花思い出話』

名優左団次逝いて十三年、南座如月の舞台にその追善の幕が開く。明治、大正、昭和の三代にわたって歌舞伎界の革新児として新劇に純歌舞伎に活躍した丈の面影をしのびながら故人とゆかりの深い祗園の松本さださんと劇評家三周太郎氏にその芸と人について語ってもらった「杏花思い出話」を夕べの読物として送ろう。

『京舞にポンと八千円 不評判から評判へのし上がった人』

三宅 高島屋の追善を前にこうしてあなたと向かい会いますと、まず第一番に思い出されるのは、あなたが東京三越で井上流の舞の会をやられたことがありましたね。

松本 昭和九年どすな。先生、笹川臨風さんに頼まれまして東京で初めて京舞を舞いましたが、おかげさんでえらいにぎやかどした。

三宅 そうでしたよ。大へんな盛会で招待をうけて行った私が、席がなくて立見したという有様でした。あれはなんでしたかね。ツマをこうとったあなたのポーズが残んの色香をにおわせてすばらしかったのが印象にのこっていますが

松本 「菊の露」の“庭の小菊の・・・・”というところどっしゃろ。それと「葵の上」とが秋ですので出ました。あの時はうちの高橋さん(左団次)がほんまに何から何までようしてくれはりました。なんでも八千円から使わはったということです。

三宅 それは大変だ。当時の八千円といったら今じゃ千万円の値打ちですよ。えらいものでしたね。あなたがはじめて左団次におあいになりましたのは?

松本 高橋さんの二十六の時どした。まだ延升で京都の明治座へかかっていた時に、川上音二郎さんの紹介で中村楼でおおたのがはじめてどす。その時分はパッとしませんどした。東京歌舞伎座でも見物が「次なんや、あの左団次の演じ物か、まま食べてこ」というて席を立つ人が多かったのが、ちょっとの間に人気が出てきて“高島屋!”と声がかかり羽左衛門が機げんをそこねはったという事でした。

『稲荷さんが好き 礼儀正しかった』

三宅 この辺で人間高島屋のおもかげを語ってもらいましょうか。

松本 ちょっと変った人どしたえ。唐桟や紺がすりの着物に小倉のハカマでリキュウはいて、よう来やはりました。伏見のお稲荷さんが好きで暇さえあれば参けいし、その帰り途には必ずよって行かれました。若王子の滝が好きで一しょによう行きましたし、晩は京極へ遊びに行ったりして・・・・。プラチナの腕時計をはじめてしてはったのを部屋でこの腕にはめてもらい、肩をこらしたという思い出もおす。お座敷へは一ぺんも出たことがおへんでしたが、私が切符を買うてもろうてる先などへは進んであいさつに行ってくれましたし、義理を立ててわざわざ高島屋へ呉服をあつらえてりもして、礼儀正しいきちんとしたところのある人どした。私が胸をわずろうている時も舞台からおくすりまでおくってくれ、五千円のお見舞までもらいました。

三宅 いま生きていたら七十三ですね・・・

松本 そうどす。二十八歳で南座で「大杯」をしてから・・・早いもんどすな。最後に会うたのが昭和十四年の顔見世で、その翌年の二月二十三日に亡くなりました。危篤という電報をみて発ちましたが、記者の中で死んだ事を知り死に目にあえなかったのが心残りどした・・・。ちょっとも来てくれというたよりがなく、どんな工合やろと思っている間に死んでしまはって・・・。

三宅 ひいきにしたあなたにも頭がさがるが、それに答えた左団次もえらかったと思いますねえ。

『スカッとしていた芸 舞台に匂う情けと色気』

三宅 高島屋という俳優は大正の中ごろ、震災の前あたりからぐっとよくなったひとでしたよ。不評判から評判へ、底からぐっとのしあがったひとでしたね。

松本 ちょっと妙な人どした。

三宅 若いころから新しい書物にとっくみ、三回も洋行を重ねて革新の気風を舞台にもった開拓者としても彼の右に出るものはありませんよ。ところ失敗におわったけど、高島屋というと一番問題になるペーゼントのことをきかして下さい。

松本 それはえらいことどした。毎晩おけい古があってかがり火をたいてしてしてはりました。おふとん持っていって石段のところで見ていましたがよろしおした。うちの高橋さんは「山門へ上って芝居したのはよかったけど立って見得をきった時にはぞっとした」というてはりました。当時はものすごい人出で、どうにもこうにもならないさわぎどした。それが馬があばれだしてさわぎが起こっていたんどす。怪我人は出ませんどしたが。

三宅 忘れもしません大正十一年の十月でしたね。丁度近松の二百年祭が大阪中座にあり、岡さん(鬼太郎氏)ら先ぱいと見に行ってました。そこへペーセントをすまして小山内先生もこられましたが、みんなが「どうでした」と伺っても、すっかりしょげられて「きかないでくれ」とお気の毒でした。

“敗軍の将兵を語らず”というところでした。ところであなたは高島屋のどの舞台がお好きでしたか。

松本 スカッとしていた芸が好きどした。南郷もよろしおした。富樫も好きどした。成駒屋の富樫をお師匠さんと見た時でした。

弁慶が勧進帳を読む件で、えろう富樫がにじりよってのぞきに行かはりますが、高橋さんのはちょっとものぞかはらんので「どっちがええのか」と聞いたら「富樫はなにもかも知っているのやからそんなにのぞき込まんでもええ」というので一ぺんに好きになりました。

茨木の綱もよろしおしたな。ある人がいわはりました。成駒屋は町人の色気を出すのが上手で、高島屋は武士の情と色気を舞台ににおわせた人やと・・・こんなとこも好きどした。






by gionchoubu | 2017-10-31 12:07 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 四十三

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                      当日の京都新聞


昭和26年11月12日 京都新聞

『“感じは悪くないネ”これは京のトルコ娘テスト風景』

東京温泉の向うを張って京都人の商魂を見せようというわけでもあるまいが、近く京都トルコ温泉なるものが名乗りを上げることとなった。

トルコブロとあればやはりお客にアッピールするのはミストルコこと女三助、その応募者の審査が十一日午前十時から下京区島原西新屋敷太夫町の同温泉事務所で行なわれ、妙齢の乙女が八十人も応募したのだからいやはやものすごい。

ズラリと並んだ審査員の視線を機関銃のごとく浴びながら集った女性たち初冬というのに海水着一枚、手をふったり、足をあげたり。

“審査の主眼は曲線とハダどす”と審査員はニヤニヤ笑いながらの答弁だが、来るクリスマスに開業、ゆくゆくは大衆食堂をも併設、おいらんと太夫の古い伝統を打ち破り歓楽街島原センターを作りあげるというのだから鼻息は荒い。

ちなみにフロ代は東京の半額で二百円とのこと。

昭和27年1月9日 京都新聞

『新京都名所 島原にトルコブロ 店開前に府は頭ひねる』

さる八月ごろから話題をふりまいている“トルコブロ”がいよいよこの月末ごろから店開くことになり府衛生部に正式営業の許可申請が出されたので、七日太田黒環境衛生課長、市今村衛生局長らが初調査を行なった。

場所は下京区島原西屋敷太夫町の木造二階建の建物で経営主は一谷浩子さん(32)名付けて“京都トルコ温泉”初めは百万円の予定だったが実際は五百五十万円かかったという。

浴室はミルクブロが男女とも四・一七坪、トルコブロは一・八四坪のものが三室、一・四三坪のものが男女用各々二室、すでにミス・トルコ四十四人もきまりいまや遅しと店開きを待ち、前景気は上々初物食いの連中が自動車で乗り付けているという。

しかし府衛生部の方ではまだ正式には許可したわけでなく浴場業法に照らして規格に合っているかどうか頭をひねっているところだが、こういう特殊なものは法にも規定がないのでいよいよ難しい。

しかし結果は条件付許可にでもせねばならないだろうと見ている。

******************

『戦後性風俗大系 わが女神たち』広岡敬一著によると、東京・東銀座にトルコ温泉の元祖とされる「東京温泉」が誕生したのが昭和26年四月一日でその内容は健全至極、折から特需景気の成金に大モテだったとのこと。

京都トルコ温泉も女性用の風呂があったり、ミス・トルコの応募状況が新聞に堂々と載っているところを見ると、後年のトルコ風呂のイメージとはずい分違った印象を受けます。

昭和27年になると福岡・中州にトルコ風呂第二号の「博多温泉トルコ」ついで東京。浅草のひさご通りに「新世界トルコ」、札幌・ススキノに「ススキノ・トルコ・センター」などが相次いで開店しました。

昭和28年に全国の風呂軒数は70軒(内東京都内に20軒)所謂“オスペ”という男性に対するサービスが定着するものの、経営者はその排除に懸命だったといいます。

『トルコロジー トルコ風呂専門記者の報告』広岡敬一著によると、東京都内のトルコ風呂で、売春が行なわれている、という評判になりはじめたのが、売春防止法が交付された昭和三十一年以降(完全実施は昭和三十三年)だったとのことです。





by gionchoubu | 2017-10-24 12:29 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 四十二

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                     飛田新地、今は無き建物

昭和26年11月1日 京都新聞

『バイブル片手に女を売り飛ばす 夫婦きどりで投宿の誘カイ魔捕る』
この記事を要約しますと、七条署に「宿費を払ってくれません」の寺町五条下ルの旅館の届出を受け調べて見ると、大分県出身のM(24)と妻(17)とで夫婦を名乗っていた二人は岡山県の病院で知り合い、Mが「私はキリスト教徒で人助けのためだ、よい勤め先を紹介しよう」と聖書等で信用させ、岡山の旅館で結婚しようと関係を結び、京都に来て上記の旅館に泊り、この女を下京区西木屋町六軒下ルの貸席にしゃく婦として二万円で売り飛ばそうとした疑い。

このMは本年五月から前後十数回にわたり同様聖書一冊をもとに中国、九州の女を騙し、七条新地、大阪飛田遊廓へ売り飛ばしていた。

昭和26年11月3日 京都新聞

『偽証明で援護費詐取 婦女売買に前民生委員一役買う』

福井市署では二日、わが子を接客婦に身売りした京都市下京区東九条岩本町無職KYを(34)を詐欺、児童福祉法違反容疑で逮捕したが、その裏には下京区東九条北河原町、前民生委員HT(40)が介在している疑いが濃いのでHTの逮捕状を請求、二日朝署員が京都に向かった。

KYは要援護者で、女工として働き家計を助けていた養女A子さんを七月馬町某の世話で前貸三万円で身売りし、福井県有楽町貸席業むつみことTG方で接客婦としてかせいでいたもので、九月末福井署の取締りで明るみに出たもの。

身売りの際A子さんは満十八歳になっていないため前記HTが昭和六年生まれと年齢をいつわり身許証明書を作成、さらにA子さんの在宅しているごとくニセ証明書も作って援護費の継続支給を受けていたもの。

A子さんは県中央児童相談所で保護を受けているが“家を助けたい一心でウソをいっていた。まだ一万円以上の前借が残っている”と語っている

昭和26年 11月6日 京都新聞

『貞操奪い売飛ばす 家出娘サンザン、23歳の色魔挙る』

五条署では去る十月二十五日午後十時ごろ小学校時代の同級生中京区小川通三条上ルHT氏(24)方を訪れ、ふとんを運ぶのに自転車を貸して欲しいと自転車を詐取逃走していた中京生れYK(23)を詐欺取調べていたが、同人はこのほか九月二十七日に西陣劇場内で知り合った中京区西ノ京円町A子さん(19)と話し合っているうち、同女が家出中で九千円の貯金通帳を持っており、働き口を探して欲しいといったので、かねて島原遊郭某楼で知り合った大阪市西区九条北通二丁目二三貸席美鈴ことYS(37)に売ってやろう計画、同夜は左京区銀閣寺山ノ家旅館に連れ込んで貞操を奪い、翌日同女の貯金通帳から六千円を引き出し三千円をA子さんに渡しただけで旅館の支払いを済ませ、その足でYS方へ連れて行き、YSから三千円の世話代を受取っていたことを自供したので同署ではYKを詐欺、営利誘拐、YSを勅令九号違反容疑で送丁する。



by gionchoubu | 2017-10-21 11:32 | パンパン、赤線 | Comments(0)

島原、輪違屋太夫 賛姿語録 その一

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                    如月太夫 輪違屋

太夫職 傾国において、最おもんずべき職なり。唐位にても、正議太夫・通議太夫は、和朝の正四位の上下に当たれ。

大中太夫・中太夫は従四位の上下に当れり。

中散太夫・朝議太夫は、正五位の上下に当れり。

朝請太夫・朝散太夫は、従五位の上下に当れり。

慈性院殿義政公、申楽の能を好ませ給ひて、観世を太夫と称ぜられる、是諸太夫に比するが故也。

其外、保生・金剛・金春・各太夫と称し、彼等一座の棟梁として、今に至り連綿す。

然るに中比、出雲巫といふもの京に来り、僧衣を着て鉦(どら)をうち、念仏躍といふことをせしに、其後男の装束し、刀を横へ、歌舞を尽せり。

俗に是を哥舞伎といひしなり。

是より事起りて、元和年中より、女哥舞伎はじまり、其後傾城の能をも催せり。

先(まづ)佐渡嶋が大哥舞伎、道喜・若女郎などいふ座あり。

其中の傾城に、芸の堪能なる者を選み出して太夫と称せり、しかしよりこのかた、傾城に太夫の号今にたえず。

しかりといへども、昔の太夫は、芸に堪能ならば、貌(かたち)はいたくすぐれずとも、太夫に称すべきが、近代の傾城は、芸堪能なりとても、容貌抜群にすぐれされば、太夫とは定めず。

百人が中を十人すぐり、十人が中より一人えらみ出す程ならでは、太夫といひがたし。

当時は芸をはげまずして太夫となれば、奏せずして位階五位に准じ、氏性を改めずして上職にいたる、最たうとむべき事なり。


『色道大鏡』藤本箕山より



by gionchoubu | 2017-10-19 11:13 | 島原、輪違屋太夫 賛姿語録 | Comments(2)

京都パンパン赤線時代 四十一

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      五番町

昭和26年10月10日 京都新聞

『玄人女を食う男 オトリ電報で誘い客とらす』

西陣署保安少年係では堺市龍神橋通一丁目十五FIを婦女誘かい容疑で逮捕、取調べている。

同人は大阪龍神でカフェー名義で“三日月”という貸席屋を開いているが「この商売は京都で磨きをかけた女に限る」と去る二日よる上京区仁和寺街道千本西入ル貸席業“万年”のしゃく婦勝巳ことMYさん(23)の客とし同家に上がりこみ「おれの家にくればいまの数倍のもうけになる」と引抜話を進めたうえ翌三日住吉局発信で「オバキトクスグカエレ」のニセの電報を打ち、大阪の叔母宅に呼びよせ巧みに自宅に連れ込んで客をとらせたほか、下長者町通六軒町西入ル貸席業“静風荘”しゃく婦力彌ことMA(30)さんにも同様手段で一万円の借金、借着ごと引抜いて客をとらせていたが四日午後九時半ごろこれに味をしめ更に仁和寺街道六軒町西入ル“星座”しゃく婦るり子ことCK(21)さんをくどいてはねつかられ、同店主人からこれを西陣署に届出たので前記犯行がばれたもの。

************

戦前遊廓の娼妓の引き抜きに、娼妓が必ず検診に訪れる検黴所で引き抜く側が待ち構えるとうい話をかいたことがありますが、こんな引き抜き法もあった事が分かります。

ちなみに、上記の引き抜きが行なわれたのは五番町(北新地、西陣新地)のことでありました。

赤線時代に葬祭の時はしゃく婦も出席する慣わしであったことが読みとれます。遊廓時代に娼妓はどうだったか・・・書かれた既述に出会った事はありません。

昭和26年10月11日 京都新聞

『巣食う「夜の女」祗園一帯の旅館を急襲』

京都市警保安部では八、九両日祗園一帯の旅館を一せい臨検、東山区花実小路旅館つね家ことTY(42)、同区大和大路四条下ル松倉旅館SM(42)、同区祗園花町ひさご旅館CN(41)を勅令九号ならびに風俗営業取締法違反容疑で検挙した。

同旅館などでは二、三人の女を抱えているほか通勤で五、六人の女と契約を結び女学生、オフィス・ガールらお好み次第に客にふれこみ、あるいは電話で呼び出したりして一時間五百円ぐらいで客席にはべらせ、旅館、ポン引らがその分け前にあずかっていた。

また松倉方では十六歳の可愛らしい住込女中に売いんを強いていたことも判明、女らの中には街頭に立って客を求めるよりは一定の旅館と契約を結ぶ方が楽だと前記旅館に出入りしているものがある。

『大津で42人検挙』

大津市警では県衛生生活予防課と協力、九日夜七時から九時までの間に夜の魔くつとみられる同市浜大津北保町を急襲、逃げまどう売しょう婦四十二人を検挙、大津市立病院に収容した。

ほとんど京都市からの出かせぎ者で、年齢的にみると二十五歳未満が三十二人で大多数を占め、学歴別は小卒二十、中高卒十人、新中、高校各五人となっており虚栄心を満たすため転落したものである。

同時に検挙された同市漣町SK(21)は覚せい剤メチルプロパミン、ネオアゴチン十本を発見され、覚せい剤取締法違反容疑で近く送庁される。


by gionchoubu | 2017-10-16 11:23 | パンパン、赤線 | Comments(0)

島原ぞめき 島原太夫


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                       輪違屋 如月太夫

              


大変無責任な立場から申し上げると、芸能などの世界で、公的機関からそれなくしては維持できない額の補助がでると、その芸能は形骸化してしまうと私は思っています。

大変残酷ですが、これは芸能に限りません。

一時火が消えかけた上方落語に、もし当時お上から多額な公的資金が流れていたら、自助努力はなされず、現在の復活は有りえなかったと思います。

現在の隆盛の礎を築いた四天王をはじめ関係者の方々の血のにじむ様な努力が現在の繁栄に繋がったのだと思います。

この努力には芸を磨く努力と同じ位の営業努力が必要となります。この二つを同じ人に求めるのはなかなか難しく、矢張り、その芸能を愛する有能な営業部員を抱えるのが必要です。

昭和十一年三月一日発行の『技芸倶楽部』の『島原廓としては太夫を養成せよ 何よりもそれが肝腎』東山正著を読むと、

島原廓の太夫なるものは、矢張り相当貫目のあるものでなくてはならぬ。

左ればつまらぬものを、是が島原廓の太夫さんで候のと人前へ出したとて、「何だコリャ猿芝居の太夫見たいな」と、只だ笑われるまでのこと、幾多苦しい関を乗越へて、仮令少数ながらも、貫目のある太夫を絶へず養ふて来た島原廓の業者は同廓の為め大なる功績者である。

日本全国遊廓の創業地ともいふべき島原廓の名を、仮令昔ほどの旺盛さは無いにしても、此セチ辛い世に斯くも維持して来った事は大いに多とすべきである。

此は全く太夫そのものがあればこそで、太夫がなく単に普通の娼妓丈だけであったならば、迚も迚もこゝまで島原廓の名声は続き得ず、維持はできなかったであろう。

仮に島原廓を維持し得られたにしても、言ふにはいはれぬ島原廓古来の沽券は何処かへ消え失せてゐたかも知れぬ、其処に至ると島原廓と太夫、これのは特別の因果関係が刻まれてあるものと思はなければならぬ。

島原廓の貸座敷業者は直接太夫に関係のあると無いとを問わず、島原廓に太夫を養成するといふ事に就ては相倶に大に力を致さなければならぬ筈、そして太夫の貫目のドシドシ向上する事に盡さなければなるまいかと思う。

さうあってこそますます島原廓が世に知られ島原廓が繁盛するのである。若し過って島原廓に一人も太夫が居らないとしたならば、夫こそ古来世に知らされ来った、而も京都著名の古名所たる島原廓は自然廃滅して終ひ、古来幾多の難関を乗越し、こヽまで維持し来った先輩に対しても相済まない次第。

だから其の処を能く熟慮あって、島原廓の業者諸君は直接間接を問はず太夫の養成に協力一致、ますます土地繁栄に努むるの心掛けが肝要であるかと思う。

***********************

この記事から八十年経ちました。今でも島原の輪違屋に太夫の伝統を遺すには、人に言えぬ苦労があったことでしょう。

左ればつまらぬものを、是が島原廓の太夫さんで候のと人前へ出したとて、「何だコリャ猿芝居の太夫見たいな」と、只だ笑われるまでのこと・・・

幸いな事に、輪違屋さんお抱えの太夫さんは、この言葉の正反対にいらっしゃいます。


by gionchoubu | 2017-10-11 16:22 | 島原遊郭 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 四十


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                       林下町の路地

昭和26年8月14日 夕刊京都新聞

『19娘から甘い汁 肉体売らして強欲婆がピンはね』

伏見区深草極楽町STは刑法一八二条違反反容疑で十二日伏見署員に逮捕された。

同人は本年四月十五日ごろ同区深草直橋三丁目某女(19)を親に内緒で呼び出し、よい働き口があるから世話すると東山区三条東入るI某方に連れ込み、同人及びIが共謀のうえ営利の目的で十数回にわたり客をとらせ、STはIから世話料として五百円を取り、Iは某女から客のある毎に半分をとっており、更にSTはIから世話料として五百円を取り、Iは某女から客のある毎に半分をとっており、更にSTは本年三月ごろ前国立京都病院看護婦をI方に世話し、三百円の手数料をとっていたもの。

『二少女売飛す寸前 これは婦女誘かい容疑で捕る』

伏見区両替町十三丁目KM(41)を婦女誘拐容疑で十二日自宅で逮捕、取調べを進めている。

同人は同区成町A子さん(16)や同区下鳥羽B子さん(16)によい働き口があると言葉巧みに話しかけ、十日あさ自宅に二人を招き北海道の方が金回りがよいと北海道行きをすすめ、支度金として千五百円から三千円を渡し十一日の夜行で行こうと用品を買わせ、京都駅で二人を待合わせ中、警察にしられたからその日は帰ったところ、かねてから北海道方面に女をつれ出している疑いで捜査中の伏見職員に逮捕されたもので余罪取調中。

昭和26年9月21日 京都新聞

『京の花街へ流す ヤミ覚せい剤もつ男ご用』

松原署保安係では十九日午後東山区団栗橋新道付近をうろついていた神戸市長田区五番町五丁目七二AA(25)が無印覚せい剤千五十本を所持していたので、所持違反現行犯で逮捕取調べていたが、同人は去る八月十五日から七回にわたり神戸市元町三丁目カフェー初恋ことYSさん(31)方KM(26)から覚せい剤四千五十本を一本四円で買付け京都へ運んでは色街に一本五円で売却していた事を自供、二十日午後送丁すると共にKMを神戸で逮捕した。

また同日午前十時半ごろには東山区祇園町北側林下町をヒロポン百本をもってうろついていいた中京区衣棚三条上ルMM(29)を?署員が同所持法違反で逮捕したが、同署では最近大掛かりなこの種覚せい剤ブローカーのリストを作成、近く大規模な密造所摘発の計画を練っている。

昭和26年 9月23日 夕刊京都新聞

『ヤミ覚せい剤売る しゃく婦相手にかせぐ悪薬剤師ご用』

七条署では二十一日下京区七条三ノ宮東入薬剤師KM(24)を覚せい剤取締法違反容疑で逮捕した。同人は昨年十月から大阪市東区道修町東邦製薬会社で密造されたニセネオバミンを前後約十回にわたり五千本を一本十円の割りで同会社の販売人から仕入れ、一本十五円で七新、島原、宮川町のしゃく婦に販売していた疑い。



by gionchoubu | 2017-10-10 11:28 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 三十九

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昭和26年7月31日 京都新聞

『私は売られゆく 婦人少年局京都の調べ 人身売買盛り返す・親も認証済』

かつては東北方面の女性の身売りが大きな社会問題となったが、最近になり再び人身売買が盛んとなり、関係者の注意をひいている。

そのうち年少者(十八歳未満)について婦人少年局京都職員室が二十五年七月一日から二十六年六月三十日までの一ヵ年について調査したところによると、表面的に表れたのだけで二十九件(男一件、女二十八件)である。

原因は1、甘言につられて六件 2、家出六件 3、家庭貧困三件 4、虚栄一件 5、不明十三件となっており、売買あっせん者の巧妙なわなが至る所にはられて、遠くは東京、長野からも売られてきている。

学歴については1、小卒十八 2、高小卒二 3、高女中退一 4、高女卒一、5、不就学二 6、不明五となっている。

一例をみるとNさん(十七)は前借金一万円で売インを内容として富山市の飲食業S方にかかえられており、保護者もこれを承認している。仲介業者のXは仲介料として九千円を受けている。

“封建的な考えすてよ”前田婦人少年局京都職員室主任談=私の方でもいろいろ耳にして、かつての人身売買の復活として大変心配している。

なかににはまだ、封建的な“子は親のもの”といった考えで、親を助けるためにはどうでもいいと、子供自身も親も思っている人があるが、早くこのような考えはやめて欲しい。

私たちとしては調査権のみで行政権はないので、監督署と協力して出来るだけ防止したい。表面に現れた以外にもっと多くの人が苦しい日を送っていると思うが、私たちにいってくだされれば出来るだけの手は尽くしたいと思っています。

昭和26年8月6日 夕刊京都新聞

『家出娘を食う女 誘い込んで客をとらす』

四日午後十一時四十分ごろ、伏見区京町二丁目Y(36)を窃盗及び売イン勧誘罪容疑で伏見署員が逮捕、同人は七月四日ごろ、大阪府枚方市岡新町山田花江(19)―仮名―が京都で働くと家出、京阪電鉄七条駅付近をはいかいしていたとき、Yがよい金もうけの口があると言葉巧みに連れ帰り、自宅や付近の家で客を取らせ、その都度部屋代、食事代と三千二百円を取り、山田が同月十日平安病院に入院中に、預ったトランクを無断でこじあけ、女物衣類ほか七点を入質、薬代と称してまきあげていた強か者で、二十四年九月政令三百八十九号違反として取調べを受けたが保釈となり、裁判所から再三の呼出しにも応ぜず、常習的に売イン勧誘を行なっていたもの。



by gionchoubu | 2017-10-07 11:50 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 三十八



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昭和26年7月4日夕刊京都新聞

『医者呼び女体調査 年齢が判らず 全スト嬢取調べに手続きが進まぬ』

公然ワイセツ容疑で検挙されたお座敷ストリッパーの年齢がはっきりせず、果して未成年か成年か、書類送丁を前に、手続き上の問題もからんで京都市警保安部で頭を悩ましている―。

問題のストリッパーは東山区宮川町四丁目、中菊ことNさん方シャク婦竹田梅子―仮名―で本年五月のはじめから月末までの間に、市内数ヶ所で二十三回にわたり全裸のストリップ一人一時間あたり六百円をかせいでいた疑いだが、取調べに当り、同女は二十一歳と申立てたので成年者として事件を処理送庁する予定になっていたところ、このほど戸籍面では昭和十年生れ十六歳となっていることが判明。

その後本人もこれを認めたものの、第一回の本人の陳述が本当か戸籍に既述された年齢が正しいか「成年者」「未成年者」のどちらかに取扱うかの重要な問題だけに同部では同日梅子を招致、再び取調べを行なうとともに富山県から養母キンさん(51)の出頭を求めることになった。

家庭的に相当複雑な事情があるらしいので、医師の鑑定を求め慎重を期するといっている。

夕刊京都新聞 昭和27年7月6日

『女性案内 夜に来る布教師“貴方はアキレタ奥さん”』

 私は四十九歳の人妻ですが、主人はインテリで会社の重役や団体の役員などして私には身に余るほどの夫です。

先妻に先立たれ孫が一人ある主人の所へ私は後妻にきたのです。私はふとした機会から○○教の信者になりましたところ、そこの布教師の方が私の家に来ていろいろ教えの有難さを説いてくれていますが、その布教師はいつも主人の宿直の夜をねらったように参ります。

ところがある夜のこと私はこの布教師と道ならぬ仲になってしまいました。

この布教師は私より十歳も齢下で美しい男なのです。布教師は妻と三人の子供がある人ですが私はこの男の顔の美しさについフラフラしてしまって何時も理性を失ってしまうのです。

最近は主人も私の秘密を知っているらしいのですが、老人なので黙っていまのまま布教師と関係を続けてもようものでしょうか。(上京・U子)

 アキレタ奥さんですね、あなたは世界中で一番ばかな一番恥知らずの女ですよ。

自分にも過ぎた夫だと思っていられるぐらいりっぱな人の所へ後妻にもらっていただいてほんとに罰当りな人です。

毎日を感謝で送り、良き妻になるために信仰にお入りになったのではないのでしょうか。それをこんなことになってしまって見下げた女です。

それにその布教師の人格たるやこれも零点です。いやしくも教えを説く人間が、人妻と道ならぬ仲になるとは言語道断です。

あなたのように夫のある身でフラフラと他の男と関係するようなバカな女を相手にして、だまし歩く男なのです。

その信仰を捨てよと今日限りキッパリとお断りになりなさい。あなたからいえないのなら御主人からいってもらいなさい。

御主人はあなたの秘密を知っても黙っていらっしゃるのはあなたを愛し、あなたを傷つけないために黙っていて、あなたが反省し後悔されるのを待っていらっしゃるのです。(評論家 北沢秋子)



by gionchoubu | 2017-10-04 15:16 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 三十七

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                     七条新地(五条楽園)

昭和26年6月26日 京都新聞

『人の娘を色街へ 人妻・家出のダ賃に連れ出し醜聞』

西陣署では上京区仁和寺街道千本西入ル貸席業天楽ことHT(60)を児童福祉法違反容疑で、同接客婦八千代ことNK(20)を職業安定法違反で取り調べている。

二十四日正午ごろ福岡県田川郡香春町下河原一七一四運搬業NM氏(28)と同郡行橋田町SFさん(40)が同署を訪れ、NMさんが“家出した妻が働いているらしいのですが、五番町遊郭はどこですか”と訪ねたので事情を聞いたところ、八千代はNMさんの妻で、去る五月十九日夕家出したが、そのときSFさんの長女雪子さん(15)とその従姉冬子さん(17)―何れも仮名―がかねて都会生活にあこがれているのを知って、自分が以前勤めていた京都駅前の喫茶店に世話してやるとあざむいて連れ出し、二十日入洛、その足で以前の勤め先である天楽を訪れ、三人一緒に働いていたもの。

八千代は平凡な家庭生活がイヤになり元の生活に帰ったものだが、だまされた娘たちは家出しても勝手にわからぬというので、働いていたものだと語っている。

続きの紙面で

『花街に狂う高校生 母校荒しや万引き勉強』

中立売署保安少年係では鴨沂高校軟式野球部三年生A(18)BC、―何れも十七歳―軽音楽部C(17)の四人を窃盗容疑で取調べていたが二十五日あさ送丁した。

去る三月下旬から四月はじめまでの間、同校三階講堂の屋根ぶき銅版二十五貫(一万七千円)を外し、野球用のボストンバックにつめて盗み出しては古物商に売り飛ばしたほか、同下旬から今日まで大丸、高島屋などでズボン、クツ下などを万引、金のほとんどを山分けして七条新地貸席「キング」ほか数軒で遊興していた疑い。

何れも中流以上の家庭の子息で、自家の品物を持出して、色街遊びに足をそめたのが悪の始まりである。



昭和26年7月1日 夕刊京都新聞

『女性案内 心に「鉄の貞操帯」水商売でも必ず守り通せます』

 私は市内某料理店に勤めている十九歳の女です。料理店のことですのでお酒の相手をしなければなりませんが、この商売では貞操を守るのにたいへんな努力がいります。

このままの調子で行きますと私にはとても貞操を守っていく自身がありません。毎晩毎晩“今夜こそは”との危険にさらされていますが、いつか雑誌で“鉄の貞操帯”を身につけておくと大丈夫だと書いてありましたがどこで売っていて、値段はいくらぐらいのものでしょうか。お知らせ下さい。(東山・K子)

 あなたの悩みはお察しいたします。十九歳の身で料理店でお働きになっていられると、今まで全然知らなかった世の中の、特に男性の裏表が分かって驚かれることでしょうと思います。

“鉄の貞操帯”でも身につけて貞操を守ろうとされるお気持は感心の至りです。

あなたがお読みになったと言う“鉄の貞操帯”は十万金を出してもお金では買えないものなのです。

あなたがどんなことがあっても、貞操を守り抜こうとしておられるその決心が、りっぱな“鉄の貞操帯”になるわけです。“鉄の貞操帯”はあなた自身の胸の中にあるものです。

よく客商売のコツを教えてもらってりっぱにお勤めになる事を祈ってます。

評論家 北沢秋子

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夕刊京都新聞攻めてますね・・・K子さん、鉄の貞操帯が売っていれば、本当に買って、着用の上お酒の相手をしたのでしょうか?

現在までの新聞紙史上の最強の質問であり、ベストアンサーでは無いでしょうか?





by gionchoubu | 2017-10-01 11:40 | パンパン、赤線 | Comments(0)