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洛中、洛外半ば皆妓院なり その六

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                        巽橋
                   
祗園は多くの遊所の集合体です。以下纏めてみました。

* 祗園町 四条通りを挟んだ北側と南側で一番歴史がある。一力、井筒、扇九などの格式ある茶屋街だった。

* 祗園新地 祗園町内六町(1713)が開かれる。富永町、末吉町、元吉町など。祇園町に次ぐ格式があった。

* 縄手 三条四条間、蛍茶屋の異名、「祇園町縄手打ちつゞきて色茶屋あり」『好色旅日記』貞享四(1687)年

* 膳所裏 膳所藩の周辺、明治になって祗園乙部、現在祗園東

*  藪の下、八軒 現在の四条東大路下がる。「祗園藪の下の色茶屋」『軽口ばなし』元禄十四(1701)年。八軒には明治になって二条新地の業者が移る。

*  祗園新地団の辻 江戸期から最近まで散娼の地

* 下河原 山根子と呼ばれた格式のあった芸妓を輩出。明治十九年に祗園に組み込まれる。さらに二条新地の業者が移る。

* 四条花見小路下ル、今多くの御茶屋が立ち並ぶ。江戸時代は建仁寺の敷地。

『諸国遊所競』による天保の遊所整理以前の京都の遊里の内、祗園山と高台寺前は下河原と私は考えます。八阪前は『私娼取締考』では巽新地としています。

又、祗園以外で『諸国遊所競』で既出の遊所を省くと、

* 東石垣(とうせき)四条川端東下がる。現在は川端通り。

* 西石垣(さいせき)四条川端西下がる。鴨川を挟んだ向かい。斉藤町

* 今出川 『私娼取締考』では上七軒の近くとある。畠山図子?

* 六波羅 六波羅密寺附近

* 山王裏 不明、東山区、清閑寺境内にかつて山王神社あり。

* 三韓寺 全く分からず

三韓寺は以前から調べておりますものの手掛かりすら掴めておりません。

『私娼取締考』で、天保元年の京都大震災で嶋原廓の多くの建物が破壊されたので、一時的に祗園あたりでの営業を許されました。既出の遊所以外で、

* 毘沙門町(安井金比羅前)を一時的な遊所として挙げる事が出来ます。


by gionchoubu | 2016-09-30 12:45 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)

洛中、洛外半ば皆妓院なり その五

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    伏見稲荷

江戸時代 『洛中洛外図』など

* 薬師辻子、哥比丘尼(遊女)『人倫訓蒙図彙』

* 山崎町、勧進比丘尼(遊女)『京雀跡追』

『色道大鏡』では建仁寺町に周慶、周峯という比丘尼の棟梁がいたと記されています。上記の二箇所と思われます。

* 鳥辺野、『睡余小録』『守貞謾稿』に鳥辺野の芳という高名な比丘尼

三都の比丘尼は安永・天明(1772~1788)には廃絶したとの事

* 九軒町、天明〜明治五年、下級の遊廓あり。『京都坊目誌』、白梅辻子の南

* 畠山辻子、『洛中洛外図』(上杉本)

* 四条通下がる、室町西あたり『洛中洛外図』(町田本)辻君

* 河原町荒神口

* 三条、四条の樵町、四条の樵町は前述

* 下粟田口の松坂、松坂は日ノ岡峠の西側、東西線、御陵駅の近く

以上三箇所は『よう州府志』

* 藤森稲荷、藤森稲荷=伏見稲荷辺り、『好色旅日記』

『羇旅漫録』享和二(1802)年、滝沢馬琴より、前術、後術と重ならない遊女町

* 七番町 五番町遊廓に南接

* 寺の前 五番町か下の森の一部と思われます。

* 御霊うら 下御霊神社,退隠したお局などが遊女化 『京都府私娼取締考』

* 檀王うら 檀王寺 縄手蛍茶屋の北の延長上と考えてよいと思います。





by gionchoubu | 2016-09-24 11:18 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)

洛中、洛外半ば皆妓院なり その四

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                     夜の祇園

江戸時代 『京都府下遊廓由緒』より

# 祗園町八阪新地・・・多くの遊所が混在していたので後述

* 二条新地(新生洲町、新先斗町、大文字町、灘波町、中川町、杉本町)

* 北野上七軒(真盛町、社家長屋町、鳥居前町)

* 北野下之森(東町、西町、三軒町、新建町)

前述の北野六軒町、北野れいしょうとの関連は不明

* 七条新地(上二之宮町、下二之宮町、上三之宮町、下三之宮町、十禅師町
岩滝町、早尾町、波止士濃町、八ツ柳町、聖奥子町)

* 先斗町(橋下町、若松町、梅木町、松本町、柏屋町、材木町、下樵町、鍋屋町、斉藤町)
前述の、四条こりき町は先斗町の魁と思われる。

* 内野 四番町、五番町

* 宮川町(一町目〜七町目、新宮川筋西御門町)

* 五条橋下(都市町、平居町、南京極町)後の五条楽園

* 新三本木(上之町、中之町、南町)

* 下河原(下河原町、鷲尾町、上弁天町、月見町)

* 清水(清水三町目、清水四町目)

* 白梅図子(新夷町)

* 辰巳新地(八坂上町、金園町、南町、桝屋町、清水三町目)

* 壬生

* 伏水中書島(東柳町、西柳町)
前述の伏見の木濱、柳町、西柳町、南浜の遊女屋を集積

* 伏水撞木町(恵美酒町)

* 伏見墨染(南新町、七軒町、墨染横町)







by gionchoubu | 2016-09-18 12:55 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)

洛中、洛外半ば皆妓院なり その三


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                        八坂の塔      

江戸時代直前〜江戸時代初期、

*二条柳町(冷泉万里小路) 天正十七(1589)年、秀吉の許可を得た原三郎左衛門が林又一郎と傾城町を開く。

*六条三筋町 慶長七年(1602) 二条柳町より移転、後年西側に西洞院の上下太夫町を増設。

六条三筋町より、公許の遊廓があるのにも関わらず、以下の処に遊女屋があると告発。『京都府下遊廓由緒』

*四条河原町 又市、林又一郎がここで遊女歌舞伎を主催していた関係と思われます遊廓作りのプロ中のプロ。京都、伏見以外、大阪、名古屋の遊廓にも関った可能性あり。

* 四条ていあんのうしろ 貞安前之町、高島屋の裏あたり

* 四条こりき町 四条木屋町上ルあたり、現在も下樵木町がある

* 四条中島 三条河原町東に中島町があり嘗て宿屋街。関連は不明

* 四条ますや町 中京区だけで桝屋町は四箇所あるが、多分屋町錦小路下る    
の桝屋町

* とひ小路通 下記の近くと思われる。しっか太夫がいたとの事

*とひ小路通高宮町 富小路通蛸薬師下るの高宮町と思われる

* たこやくし 上記の近くと思われる ゑいらくやという見世があったとの       事

* 二条たわらちょう 俵屋町は現在八箇所あり。かつて夷川新町西に俵町があ     
 りましたので、たぶんここ。たまかつら、の記述あり。

*こうしんのうしろ 京都に庚申堂は青蓮院のすぐ西にあった金蔵寺の境内と
 八坂の塔の庚申堂(現存)があります。(京都坊目誌では八坂庚申堂と断定しています。)

* 北野六軒町 特定できず。

* 北野れいしょう 特定できず。

* 大仏こも町 豊国神社あたり。かつて大仏があった。

----------------------------------------------------------------------------------------------------------

*中堂寺 壬生の南の中堂寺村の住よしや太兵衛が、島原に迎え入れられる。中堂寺町が名残。

*島原 寛永十七(1640) 六条三筋より移転。


by gionchoubu | 2016-09-16 12:44 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)

洛中、洛外半ば皆妓院なり その二

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                         桂川

江戸時代以前

*小幡 

*淀   

*竹田

* 小椋姫町(小椋=巨椋?)


以上『雲萍雑誌』柳沢淇園(天保十四年)(1843)・・・昔遊女多くあった、多くは水辺。これらの遊女町は、平安時代の浪華の遊里、江口、神崎、蟹島の流を汲むものと思われます。

*桂、桂女
『畠山記』に「此間公方の御慰に参舞歌などしける桂の遊女」
以前このブログで九条の里との関連を書きました。

* 下北小路、西洞院

『師守記』中原師守(暦応二年〜貞和五年)(1337~1349)・・・貞和三年(1347)傾城町焼ける

 
* 安寧坊(西洞院、六条と七条間)
 
* 地獄

* 加世(かせぎヶ辻?)

上記三箇所は『狂雲集』(作者、年代不明)
今出川七本松に「地ごく辻子」があったが、これは「地奥辻子」から転化したもので無関係と思われます。

『浮世物語』寛文初年(1661)刊に「京の傾城町は六条の三筋町、西洞院・中堂寺とてありしを・・・」とあり。加世はどこか分からず。

* 五条東洞院

『猿源氏草紙』(ましらげんじそうし)室町時代、桂花、薄雲、春雨其他遊君十人許が、家の前を通る人を座敷に引き入れる、といった記述あり。
『日本遊里史』

* 九条の里

『灰屋紹益と吉野太夫』「応永四年(1392)頃、東洞院七条下ル辺に傾城町を免許されたる」

*?

大永八年(1528)幕府、傾城局設置、傾城補任状発行・・・どこか不明

伏見

木濱(舟戸)

『住吉物語』「遊女の事は住吉物語に遊びもの共あまた舟につきてと云ひ」
『撰集抄』「旅人の往来の船をしたふ遊女」

*田町

『山州名跡志』正徳元年(1711)林又一郎、撞木町の西に慶長元年(1596)遊女町を開く。(間も無く消滅)

* 柳町(泥町)

『嬉遊笑覧』「船人馬借の類入遊て興ずる風俗をいふにたらず、されども元祖の薫、また八千代配抔は此地より出たり」

* 西柳町(阿波橋)

*南浜

以上二箇所『京都遊廓見聞録』




by gionchoubu | 2016-09-09 12:47 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)

洛中、洛外半ば皆妓院なり その一

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祇園白川

享和二年(1802)、滝沢馬琴は『羇旅漫録』で当時の京都の官許、非官許の遊女町を挙げ連ね、「凡そ洛中半ば皆妓院なり」と、嘆じて見せました。

又、『日本花街史』によると、幕末の二鐘亭半山が『見た京物語』で

「京は砂糖漬けのやうなる所なり」

「夜も若き女ひとり歩く。男女連立て歩行くを少しも悪る口いふもなし」

「遊女町を出家のそゝりありく事、少しも遠慮の躰なし」などと書きながら

不思議そうに都人を眺めていました。

江戸時代初期の、洛外洛中図の幾つかで、遊里に僧侶が通う様子が堂々と映し出されているのを見ると、都人の遊女に対する気分というものは、武家文化の江戸のそれとは随分違っていたのでしょう。

私がこのブログを始めた目的は、歴史に埋もれてしまった「祗園ねりもの」を一人でも多くの人に知って頂き、僥倖これあれば手弁当で復興のお手伝いをしたい、もう一つは、日頃自分の仕事の一環として関わらせて頂いている花街、花柳界の素晴らしさを知って頂きたい・・・というのは確かにあります。

しかし書いいて面白いのは、遊廓、散娼地、赤線、遊女屋など凡そ自分の日常とは随分離れた処です。

さらに、その遊所が現在の私たちの倫理とか男女関係にどのような影響を与え、我々の現在の社会の仕組みにどんな形で入り込んでいるか、だんだん興味がでてきたのです。

というのは全くの嘘で、別に深い気持ちが有るわけでもなく、全くの興味本位から、面白そうだから、探っているに過ぎません。

この野次馬根性は直せるものではなく、時には他人を不快にさせてきたと自覚しております、申し訳なく思いつつも、全く反省はしておりません。

さて、とりあえず、現在の京都市の範疇で、この二年調べ続けた公許、非公許の遊女町は勿論、売春が行われた所を纏めていきます。

私がブログを書くにあたって、字の間違えは別にして、過去の自分の文章を修正する場合は、出きるだけその旨注釈する、を一応自分に課しています。

併し、今回のテーマに限り、注釈なしに修正、追加はどんどんしていきます。何年か修正を続けた後、より正確な物が出来ると思います。

そのテーマとは・・・洛中、洛外半ば皆妓院なり!






by gionchoubu | 2016-09-04 11:42 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)

辰巳新地

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                       花洛細見図

辰巳新地は八坂の塔の北の桝屋町、八坂の塔のある八坂上町、塔の南の金園町、南町から成ります。

遊所の誕生は清水新地と良く似ており、応仁の乱で八坂の塔以外が焼け、その周辺は荒地となり盗賊の巣となりました。

元和五年(1619)所司代板倉伊賀守は盗賊を捕らえ茶屋を許したので、茶立女が現れました。その後、この塔を中心に踊りが盛んに行われ、ここのお姐さんたちと無料で踊れるのが人気を呼び、彼女達が遊女渡世をしました。如何にこの踊りが評判を呼んだかは、『花洛細見図』に載る事からも察せられます。

寛政二年には、八坂上町、金園町の芸者共、建仁寺、恵比寿神社の裏、下柳町(現在の宮川町歌舞練場の裏)に出見世をしています。

島原を根本において、その支配を受けた二条新地の出稼地であったのが清水新地でした。一方辰巳新地はやはり島原を根本に置いた下河原の出稼地でありました。明治五年ごろには茶屋、芸者置屋二十軒の地図が『京都府下遊廓由緒 附図』で確認できます。

この辰巳新地は明治七年ごろ自然消滅したらしいのですが、田中緑江さんの『京の怪談』に「白蛇のたたり、辰巳新地は滅ぶ」があるので紹介させて戴きます。

この地に浅井柳塘という画家が住んでおり美しい娘がおりました。この娘に画家の門下生のYが恋をし、娘もまんざらで有りませんでしたので、娘が大変信仰していた町内の弁財天の堂守に占ってもらった処、「白蛇さんが悪縁だから、深入りするな」というお告げ、

Yは白蛇が恋の邪魔をしたとして、この白蛇を見つけると棒で殴りつけました。すると白蛇は白髪白衣の老人の姿になり消えました。

その後、どこへ行ってもあの白蛇がジーッと睨んできます。Yは娘に一緒に逃げて欲しいと頼みますが、娘は承諾しません。怒り狂ったYは手に持った短刀で娘を刺し殺し、悲鳴を聞いて駆けつけた母親までも切り殺しました。

Yは自分の手に白蛇がまといついたので、驚いて振り放そうとして行灯を倒して逃げ出しました。この火が辰巳新地を焼き尽くし、辰巳新地は消滅したとの事です。

後日談があります。Yは故郷に逃げ帰る途中、近江石部の宿に腰を降ろすと、夕食が三つ運ばれてきます。Yが質すと女中は、「お着きの時には女の方二人と三人連れじゃありませんか」

翌日も関に泊まると、お膳が三つ出てきます。二人の怨霊はどこまでも付きまといます。

Yは霊に招かれるまま叢の池に引き込まれとうとう絶息しました。そしてそこには見た事のない白蛇が横たわっていました。

さて、辰巳のつく場所は、何処からか辰巳の方向にある場合が多いようです。明田鉄男さんも『日本花街史』で、新地は御所から辰巳の方向にあると述べられております。一つ付け加えさせてもらうと、その線上には、つまり御所と辰巳新地の間には、祗園の辰巳神社と巽橋があります。



by gionchoubu | 2016-09-02 14:19 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)