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カテゴリ:パンパン、赤線( 69 )

勅令九号

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旧五番町辺り

昭和22年1月14日 吉田茂総理大臣の元、ポツダム宣言の受諾に伴い内務大臣によって公布されたのが勅令9号です。

第1条 暴行又は脅迫によらないで婦女を困惑させて売淫をさせた者は、これを3年以下の懲役又は1万円以下の罰金に処する。

第2条 婦女に売淫させることを内容とする契約をした者は、これを1年以下の懲役又は5千円以下の罰金に処する。

第3条 前2条の未遂罪は、これを罰する。

『日本売春史・考』吉田秀弘著によると北海道と関西ではこの条例による検挙・裁判は多いいものの、他はきわめて少なかったとの事です。

なんだか良く分からない勅令で、単純売春は構わないが管理売春は駄目、という事なのでしょうが、婦女と契約をせず、婦女を困惑させなければ管理売春もOKのようにも私には受け取れます。

京都では何度も摘発が行われました。売春の温床は勅令九号だけで取り締まるのでなく、たとえば昭和25年9月には貸席に酌婦として五番町に女を斡旋した二人を職業安定法違反と詐欺容疑で逮捕する事により、水際で食い止める努力がなされていたものの誠に氷山の一角で正にいたちごっこの感があります。

又、女が赤線で働くとき、未成年なら斡旋した者には児童福祉法違反が有効でやはり昭和二十六年、福岡から都会生活にあこがれ家出してきた十五と十七の未成年を同じく五番町に斡旋したとして貸席業の女が取り調べを受けています。

同じく昭和二十六年、伏見の女が同じく伏見の女二人を北海道によい働き口があると言葉巧みに話しかけ、つれだそうとした所、婦女誘拐容疑で捕まっています。

同年、祗園の旅館の女は自ら三人の女を抱えていた上、女学生やオフィスガールを客席にはべらせ、住込女中に売淫を強いていたとして勅令九号とあわせ風俗営業取締法違反容疑で検挙されていました。

昭和二十七年の新聞を読むと、西陣貸席組合が五都市で接客婦の募集広告を出し、その内名古屋市では“女子接客係募集。十八歳から二十八歳まで。収入最高。写真同封紹介を乞う”の募集を出したのを問題視した西陣商業安定所が労基局に連絡したものの、接客婦は労働者でなく、自前業者であるとしてお咎め無しになりました。

当局は接客婦が実態は殆ど労働者であるのは分かっていても、募集広告を直接労基法で取り締まる事は出来なかったのです。

ただし、婦女子をこういった職場に就かせた場合、労基法第六条、中間窃取排除での取り締まりは可能のようでした。

同年、京都市警保安課はポン引、街路婦、貸席、旅館業者を京都風紀取締条例施行後初の取り締まりで、悪質な十九人を同条例、勅令九号、性病予防法、風俗営業取締法などで書類送庁しました。

勅令九号は売春撲滅が目的なら現場にとって不備な法律であった観は否めません。





by gionchoubu | 2018-10-08 12:15 | パンパン、赤線 | Comments(0)

赤線、青線、白線

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           五条楽園で人を圧倒する雰囲気のあった木造三層楼、新浅とみ

『日本売春史・考―変換とその背景―』吉田秀弘著の“終戦後の売春実態”を見ると、

赤線―以前の遊郭免許地で特殊飲食店街いわゆる特飲街を赤線地域と言う。警視庁にて吉原、新宿、州崎など都内の集娼地域十六カ所を指定地域として赤線で囲んだことから「赤線」と呼ばれるようになった。

特殊飲料店では娼婦は全て個人的任意的な売春婦「私娼」となり、売春は黙認されました。あくまで黙認で、昭和二十二年の勅令九号の第二条で「婦女に売淫をさせることを内容とする契約をした者は一年以下の懲役は・・・」の条項があるので、赤線での売春も合法の解釈は無理が有ります。

青線―赤線地域の周辺に旅館、料理店の名目で、事実上は飲食店の営業許可だけで娼家経営を行っていた地域を青線地域という。この地域を警察が青鉛筆で線を引いたのが語原。

青線での売春は黙認されず、完全な非合法になります。

広辞苑で赤線は(警察などで地図引いて示したことから)売春が公認されている地域。売春防止法で廃止された。「―地帯」とありますが、青線は載っていませんでした。広辞林には赤線、青線ともに載ります。

それでは青線より認知度が低い白線について見ていきます。

売春防止法実施前夜、京都新聞や滋賀日日新聞で見かける白線(ぱいせん、ばいせん)とはなんでしょう。赤線が売春防止法後の白線化を懸念、という様な表現で使われています。

『日本売春史・考』では「ポン引と組んで彼女らを旅館等に派遣する業者」で都内盛場周辺に約八百箇所あったとしております。

この白線はいつから存在していたのでしょうか?昭和三十二年の二月に封切られ、七条新地を描いた映画「女だけの街」文句に“近く廃業をひかえた赤線地帯の女たち!ボスは白線に切り替えて骨のズイまでしゃぶろうとする!初めてのキャメラが持ち込まれた京都七条新地の花街にロケ敢行!浮き彫りにする肉体の街の哀歓!・・・”つまり白線の存在は売春防止法完全施行の一年半年前には世間に認識されていと考えていいはずです。

新聞でも白線に対する説明も、注釈もありません。

それにしても白線のネーミングは言い得て妙としか言い様がありません。

ポン引きのねぐらは何処でもいいわけで、旅館は日本全国どこにでもあります。

赤線、青線は特定の区域で赤鉛筆、青鉛筆で囲むことができます。

白鉛筆で地図にいくら書きこんでも実態は何も見えてきません。


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                 玄関には見事な彫りがありました・・・


by gionchoubu | 2018-09-30 15:03 | パンパン、赤線 | Comments(3)

京都パンパン赤線時代 六十七

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城南高校は現在の京都府立宇治支援学校です。西側に確かに記述の区域らしきところが確認できました。

昭和28年9月17日、京都新聞

「パンパンに悩む城南高校」

学校の教育環境浄化が問題になっている時、宇治市大久保の府立城南高校敷地内の民家に特殊な女が下宿し進駐軍が出入りしているとの風評があり、学校当局、PTA関係者間に波紋を投げ、さらに同民家は府教委から移転料さえ支払えば移転することにまでなっていることから府教委の怠慢が指摘されており、二十一日大久保PTA会長らが強力に善処方の陳情を行うことになった。

「敷地内民家に下宿 PTA府教委へ善処方要望」

同校は昭和十八年四月女学校として誕生したが、同校グラウンド西側敷地内にYKさん(四十)らの民家三戸(約百坪)が入りこんでおり、その当時すでに移転契約が結ばれ移転の敷地まで他に与えたが、その後移転料が支払われないため、そのままに放置の形となっていた。

ところが付近に駐留軍大久保キャンプが出来、最近同民家の中には特殊な女を下宿させ駐留軍が出入りしているのが見られるとのうわさから学校関係者間の話題にのぼり、最近府教委が教育環境浄化を問題にしながらこうした点を放置しているむじゅんを指摘、速やかな解決を府教委に要請することになったものである。


ここで全国のパンパンの動向を吉田秀弘著『日本売春史・考』と広岡敬一著『戦後性風俗体系 わが女神たち』で見てみると

終戦後、連合軍兵士に対する公認の遊興所が全国の進駐軍相手に誕生したが、連合軍兵士に性病が広がった為、設立後三年でGHQ(連合軍司令部)からオフリミッツ(立入禁止処分)が為された。

進駐軍基地周辺は兵士目当ての娼婦(パンパン)が集り、特に千歳、仙台、立川、横須賀、呉、板付、佐世保に国中極度の食糧難、生活物資の欠乏を背景に闇の女が増え、日本人を相手にせず、虚栄を満たしてくれる外国人兵士相手のみのパンパンも多数現われた。所謂オンリーといわれた女達で、日本人と違うフェミニストの外国人の態度にほれ込んだインテリ女性が多かったといいます。


ただし相手の帰国で次第に転落の速度も増しました。

昭和二十五年朝鮮戦争の勃発で洋娼が激増し全国で70万を超える。都内に存在する連合軍施設は約七十カ所。都下の基地は十一箇所を数え、全国では約千四百箇所。

昭和二十八年、関東の米軍基地周辺で、洋娼に部屋を貸す農家が急増、この年七月二十八日朝鮮戦争も休戦。上記大久保のパンパン宿も休戦直後の事を考え合わすと、前回の藤森キャンプの外人目当てのポン引きもあわせ、パンパン最後の特需だった訳です。

以前載せた滋賀県大津山上町に出現した五十軒のパンパン宿(昭和二十八年5月9日付け京都新聞)もこの流れでつながり、朝鮮戦争終盤の需要と考える事ができます。



by gionchoubu | 2018-09-28 11:42 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 六十六


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         右が藤森神社突き当たりが藤森米軍キャンプ跡(現京都教育大学)


昭和28年8月6日京都新聞夕刊に『藤森米軍キャンプ周辺の嘆き ポン引きごっこ流行 駐車禁止も何のその相争
タクシー』の記事が載りました。

「伏見区深草十九軒町と直違橋片町の一部藤森米軍キャンプの出入口付近の住民は最近とみに多くなった朝鮮からの帰還米兵とポン引、この間をひっきりなしに往来する大型米軍トラックの振動、壊れた道路のホコリに悩まされ続けているが、更に付近の子供の遊びまで“ポン引ごっこ”という遊戯がはやりだし子を持つ親、指導当局もこの問題に深い関心を寄せはじめた。〜略〜」とあります。

京都教育大学の前が米軍キャンプ、さらにその前が陸軍の歩兵第九連隊で、その名残として現在も師団街道や軍人湯という銭湯があります。近所の方にお聞き取りさせていただくと、米軍キャンプ時代、藤森神社の北にもアメリカ兵相手のおみやげ物屋が数軒あったとのことです。

さらに駐車禁止にもかかわらず、各タクシー会社は駐留軍の客を乗せるためこぞって付近に集り頻繁な交通量のため、子供たちにとっては危険区域になり、付近の住民は朝も五時ごろから夜半一時近くまで眠られぬ人が続出しました。

キャンプ横町IKさん(67)談

「私の家はこわれた道路の横に建っているものですから大型トラックが通るトまるで地震のようにゆれます。

息子など昼の勤めで疲れた体をゆっくり休める睡眠時間もなく近ごろでは身体がすっかり弱りこれ以上続いたら神経衰弱になりそうだといってうます。

家にいるものは出来るだけ昼間寝るようにして体を休めていますが全くやりきれません。

そのうえ夜になれば多数のポン引達と夜の女が集り夜遅くまで兵隊相手に騒がれるのでかないません。」

同町藤森郵便局長NO氏(64)

「ひるはホコリ、夜はポン引と女のさわぎでやり切れません。しかも三ヶ月程前から駐車場が出来たので一層交通量がふえました。

ホコリと振動のためにこの郵便局のカワラもずり落ちる始末です。神社の境内は夜ともなれば目をおおいたくなるような有様で子供の教育上からも非常に困っています。

近いうちに近所の人達の嘆願書を持ってせめて道路だけでも直すよう市建設局に頼む積りでいます」

宮崎伏見署長談

「あの付近の治安には全く手を焼いている。ポン引き狩りもしばしば行って悪質なものはどしどし送丁しているが駐留軍にいる間この種の犯罪はつきないでしょう。道路の問題も私から市当局へ話を進めて何とか直してもらうように相談してみます。」

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by gionchoubu | 2018-09-26 12:35 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 六十五

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  ごく普通の街並みの山上町でした。

今回は昭和二十八年の奈良と大津のパンパン事情を見て見ましょう。

昭和28年2月18日、京都新聞夕刊

『夜の女が多くて困る“基地の子ら”深刻な訴え』の冒頭記事を紹介

「奈良の町ではパンパンが多くなってかないません、近くのちかちゃん(四つ)とのりちゃん(四つ)とりつ子ちゃん(五つ)がパンパンのまねをします。パンパンの名前をたくさん知っています。(小学二年大西奈保子)」

昭和28年5月9日、京都新聞

『流行るパンパン遊び 夏を控え親はビクビク』

「私達のこんな姿を子供たちにみられることは食わんがためとはいえ誠に申訳ないと心を痛めています」、大津市内のある小学校の目と鼻の先を根城としていた進駐軍相手の街路婦が学校を訪づれこうもらしていた。

遅まきながら純潔教育がやかましく叫ばれる最近、街をゆく進駐軍相手の街路婦の姿態は依然教育界の大きな悩みの種である。

このような環境の中にあって子供たちの小さな夢は果たしてゆがめられないだろうか、児童福祉週間にあたり進駐軍の街大津市内の実態を探ってみた。

大津市内の進駐軍相手の街路婦はザッと百五十人、このうち専業?は百人そこそこで残り五十人程度は昼はオフィスガールやタイピストとして勤めているいわゆるヨルバイト組(大津市警調べ)といわれる。

市内でも最も多い山上町は全戸数の三分の一に当る葯五十軒がこれらの宿で、志賀方面はわざわざ新築した家を二軒も提供して荒かせぎをやっているところもあって子を持つ親たちをハラハラさせている。

一時は空け放しの室を子供がのぞいたとかで親がびっくり、青少年問題対策協議会に持込み、家主に抗議お申込んだ結果、カーテンまたはすだれをつけることを条件にやっと話合いがついた(滋賀里)や、札束を型取った新聞紙片を男の子と女の子が取引一定数に達するとOKと来るパンパン遊びやお医者ごっこと称する裸遊びも流行した(長等校管内)事例もあって、夏を控えてまたまた父兄たちの関心を高めている。

「小学校の場合は中、高校生に比べて影響は少ない、世間で騒ぐ程のことはない」というある小学校長のように楽観論もあるが、一主婦の如きは「夏になると山辺などに子供を連れてうっかり散歩もできない。子供の教育という立場から考えると思わずリツ然とする」と顔をしかめ、また一面ある小学校の女教師のいうように「パンパンそのものよりピカピカ光った自動車を見たり、たまにもらったチョコレートや聞き慣れぬ言葉に好奇心にかられてのぞきに行く子供が大部分で大人が心配する程のことはない。」とする見方もある。

結局RRセンターの移転に大反対ののろしをあげた地元の人も、パンパン宿が隣近所の知合いというだけに真向から反対することも出来ず止む無く子供の行動に注意するより仕方がないというのが実情のようだ。

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

関係者の声から二つだけ紹介すると・・・

中川皇子山小学校=私達の学区に進駐軍のキャンプがあるのは教育的立場からみて遺憾だ。この問題は国家的取引で解決すべきで、学校としては女に部屋を貸す家をなくするよう、また女たちにも生徒たちに悪影響のないように自覚を促している。

川端志賀小学校校長=子供におよぼす影響うんぬんについては最近あまり耳にしなくなったが、パンパンの存在を認めるのならバラバラに散在させて置かずに一定の区内に収容する以外に解決の途はないと思う








by gionchoubu | 2018-03-29 16:17 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 六十四

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昭和28年1月18日、京都新聞夕刊

『造反の17人を検挙 昨夜木屋町で“夜の女狩り”』

市警保安課では全課員を動員、十六日午後七時から十二時まで木屋町一帯にわたって街路婦、ポン引きの一せい取締りを行い、貸席業者、リンタク運転手、ポン引き、売イン婦など十七人の違反者を検挙、悪質者とみられる下京区西木屋町通仏光寺上ル貸席業コトヤことKS(63)を勅令九号、風俗営業取締法、京都市風紀条例違反各容疑で書類送丁、中京区姉小路通堀川東入リンタク業ST(52)を市風ク条例違反各容疑で書類送丁、その他は訓戒処分とすることになった。

同署の調べによれば同日午後九時ごろ、STが通行中の下京区松原寺町某氏(33)
を“よい所へ案内する”と前記貸席業KS方に連れこみ、KSが住み込ませている松原宮子さん(24)―仮名―と一時間五百円の契約をして同家客室で遊ばせていたもの。

『四人を検束 伏見署でも夜の女狩り』

伏見署では十六日よる六時から十時ごろまでの間に伏見区山藤ノ森米軍キャンプ付近にたむろする街路婦、ポンビキの一せい取締りを行い中京区西ノ京小倉町A子(24)ほか二人、ポンビキ東山三条大橋東三丁目TY(24)をそれぞれ風紀条例違反容疑で同行を求め取調べたがA子ほか二人を同夜平安病院に入院させた。

昭和28年2月6日、京都新聞

『京都駅前を明朗化 街路婦徹底取締り 市警フ少佐ら打合わせ』

ホテル・ラクヨーウが駐留軍人の専用宿舎となってから京都駅前は街路婦の巣くつとなり風紀上面白くないと各方面のヒンシュクを買っているが、一方宿舎側も兵隊から多額な金をまきあげる街路婦や悪質キャバレーを追放して京都の良い所を見せたいとの要望もあるので五日、横井市警保安部長、福武産観局長が同ホテルにフロトー少佐を訪れ、街路婦問題や兵隊の娯楽施設などについて懇談した結果、駅前にたむろする街路婦を徹底的に追放するとともに良心的な施設を紹介するよう三者間に話がまとまった。

同ホテルが駐留軍宿舎となった昨年十二月以来同ホテルやステーションホテル、駅前などには連夜数十人の街路婦、ポン引がたむろし朝鮮戦争から休暇で入洛した兵隊相手にいかかがわしい行為に及んだり、兵隊から巨利をむさぼっていており、所轄七条署でも毎日取締りを行い一月中に百三十六人を検挙うち十四人を風紀条例違反容疑で送庁している。

これら兵隊が京都に落す金は月に五千万円を下らないといわれるがこの金の大部分はポン引き、街路婦や悪質キャバレーなどに吸いとられ、はては無一文で帰ってくる兵隊も少なくないといわれるほどでホテル側では“これでは兵隊に京都の悪い印象を与えるだけでもっと良い面や良心的な施設を紹介して欲しい”とかねてから要望していたもの。

同日の三者の打合わせでこれらの問題について協力していくよう話合いがつき、街路婦やポン引の取締りは市警が徹底的に行い、また施設や案内面では市産観局がパンフレットなどを発行して積極的に乗り出すことになった。





by gionchoubu | 2018-03-08 14:23 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 六十三

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                        白浜

昭和27年 12月23日 夕刊

『温泉へ連れ出し裸ショー』
『貧困家庭の娘使いシルを吸う一味』

堀川署では西ノ京付近に住む貧困家庭の子女を和歌山県白浜の温泉町に連れ出して、白昼、海岸あるいは旅館の密室でストリップを演じさせるやら、ヌード写真を撮影するなどして遊覧客の興を?いているもののある事を聞込み、捜査の結果和歌山県白浜町三幸通写真業OH(55)中京区西ノ京伯楽町十四無職NR(37)同区同笠殿町無職IS(60)同区同町ダ菓子商FT(58)同区同町無職SY(65)らを公然ワイセツ並びに職安法各容疑で身柄不拘束のまま取調べている。

去る九月上旬、NRがIS、FT、SYらの口利きでOHに中京区西ノ京某町A子(17)をストリッパーとして紹介、白浜温泉を訪れる遊覧客に一回二十分位二百―三百円の料金をとり、ストリップを演じさせ好評を博したのに味をしめ、同区同町B子(15)C子(17)などを同温泉に送り、前後三十回四百余人に上る遊覧客に裸ショー、ヌード写真などをとらしていたもので、これらの女の子達は一日五百円位もらっただけで、ボロいもうけはブローカ達が摂取していた疑い。

昭和28年1月8日 京都新聞 夕刊

『どん底の少女しぼる 花街に世話、周旋料かせぎ』

六日堀川署では中京区西ノ京平町測量士NI(24)を職安法違反容疑で身柄不拘束のまま取調べている。同人は去る十二月上旬同区西ノ京笠殿町無職前田よし子(18)石川とし子(16)―いずれも仮名―が和歌山県白浜温泉にストリッパーとして売りこまれたことが堀川署の知るところとなって親もとへ連れもどされ、近ごろではその日の暮らしにも困っているのをききこみ、金になる途を探してやろうと去る二十四日両人を上京区仁和寺街道六軒町下ル五番町松竹楼へ一人五千円の前借で接客婦に売りこみ周旋料として四千円を受取っていた疑い。

昭和28年1月14日 京都新聞夕刊

『紅燈へ売込む 職求む娘さんに魔手 寸前失敗』

十三日九条署では下京区鴨川筋六軒下ル貸席業MJ(38)中京区壬生下溝町五条クツ商TK(55)下京区西九条針小路町六仲居MT(49)らを職安法違反容疑で身柄不拘束のまま調べている。

去る十二月五日ごろ下京区八条某町下松トン子さん(17)−仮名―はが顔見知りの下京区東九条岩本町西町無職吉田某(43)逃走中―を訪れ、働き口を頼んだところかねてTKから頼まれていた吉田は“舞妓”に世話しようと言葉巧みに同女をいいくるめ、翌六日夜MTとの間に一万円で売込む話を結び、七条新町へトン子さんを連れ込み客をとらせようとしたが、話の違うのに気付いた同女は機をみて裏口から飛出し自宅に逃げ帰ったため危ういところで難を免れたもので付近住民の投書から九条署が探知したもの。
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白浜、当時を彷彿させる一帯


by gionchoubu | 2018-02-26 14:34 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 六十二

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                     かつての中書島花街の風景

昭和28年12月22日 京都新聞

『V・Dパトロール同行記』

師走の街に『夜の女』を追って

ホテルで

車がカードを持たぬ女達で一ぱいになると病院に送った上でまた街へ引返す。
女は京都ばかりでない。大津や大阪、宝塚からも流れてきている。

ミヤコとステーションの二つのホテルはGIが泊るので女の出入りが多い。ホテルのデスクでパンパンを連れ込んだGIの部屋番号を調べるのだ。その間にも女を連れて帰ってくるGIは多い。

その度に検診カードを調べるが、ホテルに入ったとたんにカードなしと判ってジープへ乗せられる女を離そうとせぬGIには一同大弱りだ。

課長とC軍曹が交互になだめても一にきき入れず、遂に電話までするさわぎ、“カードをもって女の人は出てきてください”と英語で呼びかける。

カギのかかった部屋はなかなかあける気配もない。やっと開いて半裸のGIがビックリ顔をだすのもあれば、またかといった風にカードをさし出す練乱れ姿の女もある。

午前零時をすぎると声をかけたぐらいでは起きないからドアをたたくのにもつい力が入る。“今夜はじめてなのでカードなんてもってません”という女もあり結局両方のホテルでキャッチされた女は九人。

時間はもう一時半すぎ。ホテルを出ると京の底冷えが身にしみる。

平安病院

キャッチは週に一度の割りであるが、午後七時から翌日の二時、三時ごろまでかかるという重労働だ。

享楽の最中をたたき起こし、ドアをあけるまで外で待っているなんて、考えてみればダテや酔興でできるものじゃなかろう。集った女性の検査を終えるころに疲れがドッと出てきた。

ストーヴにあたりながら彼女達と語り合う。写真を撮られて平気なのはもう世をすねた?感じ。サッとオーヴァーで顔を隠すのは近所の人に内緒か家を飛び出し親に内緒の娘さん達だろう。

早く帰りたいと泣くのは家に家族が帰りを待ちわびている境遇だろうか、“あなたの健康のためにもなるのだから・・・”と説いてきかせるのに泣きじゃくりながらうなずいていた。

“少なくとも月に五万円ぐらいの実収入になるのでしょうね。女ひとりで食ってゆけぬ世の中が続く限りあの人達はなくなりませんよ”と矢野課長のシンミリ語る口はいかにも重かった。




by gionchoubu | 2018-02-17 14:43 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 六十一

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                       中書島 新地湯

昭和12年12月22日 京都新聞

『V・Dパトロール同行記』

『秘路も調査ずみ』『寝乱れ姿で“はいカード”』

旧式の中型ジープが破けたホロをバタバタいわせながら夜の街を行く。古びた緑の車体にドロがこびりついた代物だが、これを見たらポン引やパンパン嬢が一せいに姿を消してしまう。

彼女らの仲間ではだれ知らぬ者のないV・D・パトロール・カーだ。府衛生部の矢野予防課長以下職員が四、五人オーバーにくるまっている。

夜の女達の間から性病患者を一掃するのが仕事だ。記者は一夜そのV・D・パトロールに同行してその活動をながめた。

出発まで 府の予防課員には性病予防吏員の資格が与えられる。街の流しパンパンは市警でも取締れるが家屋内に立入権があるのはこの予防吏員だけだ。

相手は駐留軍が多いので、衛生担当のC軍曹が同行してGIの方のカタをつけてくれる。行動は絶対に秘密だ。業者の間にはチャンと情報網ができているからだ。

伏見へ!

伏見には駐留軍相手が多い。赤いカーテンを張り、部屋いっぱいのダブル・ベッドには派手な毛布がかかっている等おきまりの装飾だがやはりなまめかしいものだ。

このあたりはオンリーが多い“今晩はこちらは女の人三人でしたね”と声をかけると、トントンと階段を降りてくるのはシュミーズ一枚の女。上からはジャズが聞えGIらしい男の声もする。

“予防課ですがカードをみせて下さい”もうなれたもので係員とは顔なじみだ。写真をはった小さなカードには平安病院でペニシリンをうってもらった日付が記入されている。

一週間以内ならOKだが、それ以上だと病院に入らねばならぬ。ペニシリンの効果は一週間だからだ。

松原付近

日本人相手のパンパン宿には逃げ道がある。玄関から入ったらもう秘密の通路も調べがついている。二手に分かれて戸をあけるのだ。

カードを持たぬ女に説明して同行を求めるのに一苦労する時もある。事をあらたてぬのが矢野課長の方針で半時間でも一時間でも説得を続ける。病院ではパンパンを常習していると判ればカードを渡す。

週に一度検査を受けていればキャッチにあっても平気で商売できる。最近では彼女達の七割までがカードを持っているそうだ。

平安病院には毎日約八十人が注射を受けにくるから既に五百人ぐらいが登録ずみという事になる。


by gionchoubu | 2018-02-13 14:09 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 六十

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“今晩は、お花買って・・・”と軒から軒へ回るいたいけな花売娘=新京極所見

昭和27年11月5日 京都新聞夕刊

『年少者保護運動によせて 花売娘の巻−終−』
『しがない収入求め 汚れた夜の歓楽街へ』
『名ばかり児童憲章・福祉法』

―生活が苦しいというのは決定的な打撃なのだ。どんな保護法があろうと、生きるためにはすべて無視される。児童福祉法も児童憲章もそんな場合には無視されるものの一つなので。夜の盛り場に咲く“花売娘”達は体をはったギリギリの生活をやっている。恵まれた子供には考えられぬ世界だろう。記者は風の冷たい土曜日の夜彼女達の生態を探ろうと新京極へペンのレンズを向けてみた―


午後十時、寺町四条の角に立つ。家路へ急ぐ映画帰りの雑踏が通り去ったあとに、サロンの入口へ首を突っ込んでいるクツみがきの少年をみつけた。

“どうや?”と話したら私服と間違えたのか“今日はアカンもう帰る”とソソクサと立ち去った。たしか児童福祉法では未成年者の街頭労働を十時以後は禁止していたはず。逃げるのも道理なわけ。

いたいた。小学校を出ばかり位の可愛い子だ。“あと一本残ったのよ、買って・・・”と、声は明るいが手は冷たそうに口にあてている。

事情を聞いたら北鮮から引揚げたが、父が病気で母と兄は働きに、彼女も昼は看病、夜は花売りをしているのだという。

一日の収入は二百円どまりだが、全部母親へ渡しているとか“パンパンになったらいかんてお父ちゃんやかましいのよ”と何事もないように平気で答える。名はK子十四歳だ。家に帰るという彼女に分かれたのは十時半。

仲見世で二人連少女達に会う。“まだ三本しか売れてヘン”という。取締り人達にきくと、年に応じて二人、三人が組になって働いているのだそうだ。四条小橋では大きなカゴを抱えた三十五、六のひねた?花売娘にも出会う。

花がよく売れるのは春から夏にかけてだが、買手は酔客とはものもあるとか。一本売って二十円から四十年の利益になる。

十一時を過ぎた木屋町筋を、さっき分かれたK子が仲間と組んでまた売り歩いている。まだ時間があるのでもう一度仕入れてきたと弁解めいた答えをする。

もう一人はT子といい同じ年。K子のサッパリしたチェッックのコートと違って汚れたセーラーにズボンをはいている。K子が話してくれたT子の家庭というのは・・・

無職で働かない父は、日雇いでかせいだ母から金を奪っていく。三人兄妹で兄は京極でクツ磨き。姉のS子とT子が春から花売りをして家計を助けていたのだが、十七になったS子はバーの女給達とつきあっているうちに口紅を塗ることを覚えてとうとう三日前からGIさんと遊ぶようになった。

「児童はよい環境の中でそだてられる」と児童憲章はいうけれど、そして「午後十時以後盛り場に出入りさせてはならない」と福祉法を決めたけれど生きてゆけぬ彼女達に与えられた何物があろうか。

新京極にいる花売娘は二十七人、ツジ占い売二人、紙売六人、それにクツみがきは七人といった顔ぶれだ。わずかな収入を求めている彼等を本当に保護できる法律がいつしなったらできるだろうか。



by gionchoubu | 2018-01-25 15:52 | パンパン、赤線 | Comments(0)