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カテゴリ:遊郭・花街あれこれ( 66 )

岡山 吹屋の遊郭


岡山 吹屋の遊郭_f0347663_15171368.jpg
先日、花街の成り立ちで、かつて犬山や京都の宇治に存在した花街を私は『観光地型』に分類しましたが、これは花街のみに存在し、遊郭にはないと思います。

逆に遊廓にあり、花街には無い型に『鉱山型』があると思います。

『江戸遊里盛衰記』渡辺憲司著によるとその生い立ちは古く、秋田県の銀鉱山の院内に慶長十五年(1610)頃で、これは江戸の𠮷原より古く、『院内銀山記後編』に「当山あら町といふ処に傾城、白拍子、夜発の輩二百余人ぞ徘徊す」という下りがあるそうです。

渡辺憲司氏によれば、鉱山の中には、採掘の堀子、水を取り除く水引き、大工、技術者、鍛冶屋などの職人、米屋などの商人、逃亡者、罪人、基本単身赴任の男が中心の町で、金と欲望が渦巻けば、遊女町ができる必要条件はすべて満たしている事になります。

当然佐渡の金山にもあったわけで、元和期(1615~23)に相川の遊女町が発展しました。佐渡のゴールドラッシュの繁栄は凄まじく、人口は当初の江戸の町に匹敵し、『佐渡金山』磯辺欣三著によれば歌舞伎の創始者「出雲の阿国」も相川に渡ったらしく、さらにそれ以前、天文二十二年(1553)観世元忠が一座を率いて能舞台も行われています。

遊女の最高峰である太夫職が京の島原(六条三筋)、江戸の𠮷原、大阪の新町、長崎の丸山以外、この佐渡にもいた事を考えると、その栄華はとどまる事を知らない様相でした。

その他、石川県小松の金平金山、『色道大鏡』にも顔を出す薩摩、山カ野の金山で、ここの遊女の最高位は太夫に次ぐ天神でした。

さて、今回訪れたのは、祇園や金沢のお茶屋の壁に用いられることで有名な弁柄の産地岡山県の吹屋です。このベンガラは吉岡銅山の捨石から発見されたもので、この人里はなれた吉岡銅山に遊廓は無かったか?と以前から考えていたものの、成羽の郷土史なども見当たらず、直接訪ねてみようという事での訪問です。

この里をよくご存じの方にお聞きすると、やはり口伝になりますが遊女町はあったという事で、その方が推測する場所も聞き取りできました。

さて、今回吹屋訪問の副産物として『備中吹屋 吉岡鉱山』西本清治著の中での「むかしばなし」に明治36年に鉱山に電気が引かれた際、成羽から4~5人の芸者が呼ばれ電気の開通を祝ったとあるので、当時成羽に小規模であろう花街があったと考えられることです。




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by gionchoubu | 2021-02-23 15:18 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

遊廓の遊興費に於ける楼主と娼妓の利益配分

遊廓の遊興費に於ける楼主と娼妓の利益配分_f0347663_14054486.jpg
『公娼と私娼』に貸座敷営業者と娼妓の間に於ける客の遊興費の利益分配の項があり、結髪、入浴、客席用着物、化粧品等、又病気になった場合の負担分配がどちらか分からないのでその部分は差し置いて、と前置きしつつ、各道府県の比率をみていくと、営業者が六割、娼妓が四割や五分五分といった比率が多い用です。

ただし、青森県のように月給制の県があったり、富山県や石川県の様に、年期制で歩合制は無い、といった県もいくつかありました。

不思議に思うのは東京府で、他の遊廓では、六割を営業者が四割を娼妓が習得するのに対して、吉原遊廓は七割五分を営業者、二割五分が娼妓という以上な数値を出しています。揚げ代は他の東京の遊廓に対して著しく高い訳でもないので不思議です。

『聞書 遊廓成駒屋』神崎宣武著を読むと、上の比率は実際表向きのもので、楼主は、商売上必要最小限の衣装や小道具類と、三食の食事以外は娼妓に与えませんでした。

彼女たちは、最小限の外出しか許されず、市中の小売店に出向いて衣料や食器などをゆっくり選んで買うことなど出来ませんでした。

かといって、大門の内には彼女たちの欲求を満たすような売店は皆無に等しかったといいます。

娼妓たちは、それ以外の日常に必要なものは楼主と通じた持ち込み行商に頼らざるをえなく、毎日稼いでも借金は減るどころか増える傾向にありました。

出入り商人の証言によれば、娼妓から例えば瀬戸物の注文が入ると、業者は相場の二倍から三倍で売り、利ざやを主人や番頭と折半しました。

着物にしても、下駄、手ぬぐい、チリ紙、楼主は喜んで立て替え、さらに、そのたてかえ金で娼妓身を縛ったのです。

布団以外の暖房具も娼妓持ち、湯たんぽの湯まで湯つぎ屋から購入させる徹底ぶりで、これは赤線時代も同じ、昭和二十年代の後半で、湯たんぽ一杯の湯が10円もしたといいます。

娼妓がこの世界から抜け出す一番の方法は、自分の身請けをしてくれる男に出会う事。ですから彼女達が入れ込む相手は、二号さんでもいいから自分をこの世界から連れ出してくれる人でした。



by gionchoubu | 2020-11-29 14:06 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(2)

遊郭における廻しに関する一考察 その六

遊郭における廻しに関する一考察 その六_f0347663_17022599.jpg
『公娼と私娼』に娼妓廻し制に関する部分があるので全文紹介します。

「所謂廻し制度は、理論上からいえば、娼妓の肉体上精神上に不良な影響を与えるから避くべきことであろう。可及的(できるだけ)に娼妓数を少なくし、而も、其の揚代金の多さを期するが為には廻し制を採らなければならない。

斯くして揚代金取得の増加を図ることは、貸座敷業者の利益であるのみならず、娼妓自らも有利である。

歩合制、年期歩合折衷制のものは勿論、年期制、月給制等の契約を為すに当たってもその揚代金が標準となるのであるから、揚代金が多ければ多いだけ家業を廃止する時機が早く到来する。

曽て、或る地方に於て、娼妓優遇の意味で月経時に於ける休養案を出したところが、娼妓がこれに反対した。

其の理由は極めて簡単である。娼妓稼を廃める日が遅れると、斯ういうのである。

廻し制を娼妓自身が苦痛とするか否か、まことに痛ましいことではあるが、恐らく局外者が考えるが如く、苦痛を感じていないのではないかと思う。

廻し制は経済的に有利であるべきであるが、地方によっては、多年の習俗上之を行えば、却って事実場反対の結果を招く。廻し制が全国斉しく行われないのは之が為である。

廻し制を斉しく採用している道府県は、北海道、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、茨城県、千葉県、東京府、神奈川県、長野県、静岡県の一道一府十県である。

全然廻しを採って居ない府県は、富山県、石川県、福井県、山梨県、岐阜県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県、高知県、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県の二府十六県の多数に上っている。

廻し制の遊廓と否らざる遊廓とが存ずる県は、青森県、栃木県、新潟県、愛知県及三重県の五県に過ぎない。
廻し制の利害損失については、議論があろうが、人道上深く考えなければならぬ問題であると思う。」

私は以前より廻しを採る所は遊女の供給が需要に対して少ないのが大きな理由と考えていました。廻しを採った箇所をみると、

まず、江戸は人工的に形成されたため、徹底的に職工人に対し遊女が少なかったろうし、北海道全土も矢張り開拓、屯田兵事業を行うため遊女の確保に苦労したでしょう。伊勢の古市も伊勢参りの精進落としの名目で無増減に訪れた遊客に対し遊女の数は追いついて居なかったと推測されます。

一番分かりやすいのは廻し制の境界線辺り、大井川の川渡しのある静岡県で、川をはさんだ金谷と島田の遊廓は川止めがあると、何もすることが無い男たちは游所に群がったに違いないと考えました。

掲載の地図で、オレンジが廻しをとった所、白は廻しを取らなかった所、赤は取る遊廓と取らぬ遊廓が混在、緑は廃娼県です。

廻しを取るのを東京式、取らぬのを大阪式といいましたが見事に東と西に分かれています。





by gionchoubu | 2020-11-18 17:07 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

写真式と陰店と廻し制度

写真式と陰店と廻し制度_f0347663_12284110.jpg
『公娼と私娼』昭和六年は内務省警保局の資料でその信頼性は揺るぎません。今回は当時も全国の遊廓で娼妓数が百人を超えた遊廓を選び、『全国遊廓案内』昭和五年を参照、娼妓を選ぶのが写真式なら〇、陰店なら●、写真式と陰店なら△で表しました。

北海道 札幌市      〇
    函館市大森町   〇
    上川郡氷山村   『公娼と私娼』該当無し
    廣尾郡廣尾村   〇
釧路市大字米町  〇
根室郡根室町   〇
宮城  仙台市小田原   ●
山形  酒田町      ●
栃木  宇都宮市河原町  〇
東京  新宿二丁目    〇
    新𠮷原      〇
    洲崎       〇(制度は新𠮷原と同じ)
    品川       〇
    千住       〇
    八王子市田町   ●
神奈川 永楽町、真金町  △
    青木町、宇反町  △
    川崎南町     ●
    横須賀市     △
    平塚町      △
新潟  新潟市十四番町  ● 一部張店
    新発田町     ●
    長岡市文治町   ●
    高田市榮町    ●
富山  富山市      ●
福井  福井市      〇
山梨  山梨市穴切    ●
長野  筑摩郡本郷村   『公娼と私娼』該当無し
    長野市東鶴賀町  ●
岐阜  大字上加納村   『公娼と私娼』該当無し
    大垣市藤江町   〇
静岡  静岡市安倍川   〇
     浜松市二葉新地  〇
愛知   旭遊廓      〇
     稲永遊廓     〇
     豊橋東田町    △
     岡崎市中町    〇
三重   桑名町      △
     長島村      〇
     古市       〇(制度は新古市と同じ)
滋賀   下馬場      ●

京都   祇園乙部     記述無し
     宮川町      ●
     七条新地     『全国遊廓案内』該当無し
     北新地      『全国遊廓案内』該当無し
     島原       ●
     中書島      〇陰店も少しあり
     橋本       ●
     
大阪   新町       甲は記述無し、乙は〇
     貝塚       ●
     飛田       〇
     松島       〇
     南五花街     写真でも陰店でもない
     堺市栄橋     〇
     枚方桜新地    ●
兵庫   福原       〇
     新川       〇
西宮       〇
奈良   木辻       〇
     郡山町東岡    記述なし
     郡山町洞泉寺   〇
鳥取   衆楽園      〇
岡山   西中島、東中島  △
広島   下柳町薬研堀   △
     舟入町      〇一部陰店
     呉市朝日町    △
     尾道市久保町   〇
山口    都濃郡徳山町  〇
      宇部市     〇
徳島    冨田浦町堀南  『全国遊廓案内』記述無し
香川    東浜町(八重垣)●
      琴平町     ●
愛媛    三津浜町    ●  
高知    玉水新地    〇
      下知新地    『全国遊廓案内』記述無し
福岡市   福岡市住吉   ●
      大川町     『全国遊廓案内』記述無し
      若松市     ●
      小倉市     ●
      門司市     ●
      八幡市     ●
      久留米市    ●
      直方市     記述無し
      大牟田市    ●
佐賀市   今宿      ●
長崎    佐世保市 花園  ● 
           勝富町 ●
      長崎市 丸山   △          
稲佐   △
          戸町   △
          﨑戸村  『全国遊廓案内』記述無し
熊本    二本木      △
大分    大分市      〇
      別府       〇
鹿児島            ●
沖縄    那覇市辻町    記述無し

これを作成して、写真式と陰店と、居稼ぎと送り込み、廻し制度の関連性は見えてきません。ただ都道府県でだいたい写真式か陰店か決まっているのは条例があったためだと思います。これは廻し制度も同じで全国遊廓案内をみると、三重県と新潟県以外は都道府県で
取るか取らないか決まっていたので条例にあったはずです。

ただ、東京(良く独自の道を進む八王子を省く)名古屋、大阪、札幌、広島、神戸などに陰店が無いのは、明治の初めに人道上の理由で張店が禁止されたのと同じ理由が考えられます。

当時の内務省の指針がはいっていたのだと思います。

『文芸春秋』25の「飛田新地と山王町」竹島昌威知にこの写真式のやりとりがあるので紹介します。

いつの頃からか本人は姿を見せず、全て写真を玄関わきに掲げるようになった。~略~赫ら顔でやりてばばに食いつく偉丈夫も、後ろからポンと突かれると、ひとたまりもなく玄関先へスイと飛びこむやさ男も、敷居を跨ぐと意を決したかのように、慣れた目つきで写真の娼妓を物色し、やおら登楼となる。

やりてばばが茶を運んでくると、はやる胸を抑えに抑え茶を啜るうちに、やがてひきつれられてきた娼妓が、なんとなんと、写真とは似つかぬ芋娘?ならぬ芋ばばであったりして、意気消沈したものである。

客はしきりに登楼したことを反省するが、やりてばばに「醜女のふかなさけとか言いまっせ」などと耳もとで囁かれると、「それもそうや、今日は運が悪かったんや」諦めとも悟りともつかぬ顔で、芋ばばのあとから部屋に消えていく。

写真式と陰店と廻し制度_f0347663_12292436.jpg

by gionchoubu | 2020-11-12 12:29 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

送り込みで陰店

送り込みで陰店_f0347663_12250743.jpg
                              郡山町洞泉寺にあった貸座敷

『全国遊廓案内』で、陰店、写真式と送り込み、居稼ぎの両方を書かれている箇所を以下に纏めました


送り込みで陰店・・・宮川町、福知山、宮津、中舞鶴町、彦根町、八日市延命新地、大津市上柴屋町、枚方町


送り込みで写真式・・・郡山町洞泉寺


居稼で写真式・・・伏見橦木町、新舞鶴町龍宮、大阪市松島、大阪市飛田、堺市、奈良市木辻、新宮町浮島、大島村、西ノ宮、神戸市福原、神戸市兵庫新川、明石市東本町、高砂町、姫路町梅ケ枝、飾磨町、


居稼で陰店・・・八幡町、草津町、長濱町、室津


送り込みで陰店でも写真式でもない・・・大阪南五花街、

同書に「居稼ぎ」は芸娼妓が、抱え主の家で客を取って稼ぐこと、一方「送り込み制」は関西方面に多く、置屋は置屋、揚屋は揚屋と、各専門的に営業して居る所で、娼妓は置屋から揚屋へ送り込まれて行くので此の称がある。

まずなぜ送り込みが関西に多いのか考えてみます。『全国遊廓案内』に送り込みを古式豊か、の様な表現がありますので、著者は古い制度と認識しているのが分かります。

「四方の花」をみると一つの置屋に太夫も芸子も女郎も属している事が分かります。又祇園乙部の戦前の名簿を見ても、芸妓だけ、娼妓だけの置屋もありますが、一つの置屋に芸妓と娼妓が同居している所も多くあります。

つまり芸妓、娼妓の属している家に客が入る居稼ぎはできず、それぞれが、お茶屋、揚屋に送り込まざるを得ないということになります。

ただし、ひとつ疑問ができてしまいました。それはなぜ送り込みで陰店の箇所(それも沢山)存在するか、という事です。遊客が写真で選んだ娼妓が送り込まれるなら理に叶いますが、なぜ陰店に溜まる必要があるかという事です。

ほぼ同時期に出版された松川二郎の『全国花街めぐり』に宮川町や祇乙の貸席から娼妓を呼ぶのに、写真がないので、呼んだ妓が気にいらない場合、送り花を払うと、所謂チェンジできるという記述があり、陰店の存在は当然でてきませんでした。




by gionchoubu | 2020-11-07 12:23 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

大阪の盆屋


大阪の盆屋_f0347663_17363080.jpg
ファッションホテル、ラブホテル、連れ込み宿、温泉マークの元祖は江戸期の出会い茶屋にあると思うのですか、関西ではその間に盆屋があり、当ブログでも二回書きました。

今回は『大阪春秋 第5号』の「ミナミ夜話」でこの盆屋に触れていますので纏めてみます。

大阪では芝居小屋のそばに必ず「ぼんや」があり、御霊の文楽の傍にも、自安寺の裏手、新金毘羅さんの裏にもありました。

男女が間口二間の暖簾を分けて入るとすぐ階段があって、二階に上がって行くと、顔を合わせないタイミング女の子が上がってきて、お茶をのせたお盆をもってくる。

部屋の壁に料金が書いてあって、客は逢瀬を楽しんだあと、お茶を出した盆にお金を置いて帰る・・・盆屋の由来になります。

盆屋の外には芝居茶屋とそっくりの行燈がかけてあり、井筒屋とか渡辺とか屋号が書いてあり、布団は敷布団に木の枕が二つ縫いつけてありました。

たまに、この顔を合わさぬシステムを悪用して、料金を払わず去る客があっても、女中が追いかけて料金を受け取りました。顔は見ないが、下駄や鼻緒の特徴を覚えていたのです。

なぜ芝居小屋の近くにあるかというと、当時は幕間が長く、金のあるものは芝居茶屋に行くが、そうでない物が利用したのが盆屋というわけでした。

高津の石ノ鳥居の右にも五軒ほどありましたが、この石段が三下り半になっていたので、女と別れたいと思うものが、よく利用したとの事です。

京都や大阪のラブホテル街の源流の一つにこの盆屋があると私はみています。


by gionchoubu | 2020-10-29 17:38 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

声色遣い


声色遣い_f0347663_10153628.jpg
       祇園 白川

博望子の『洛陽勝覧』(1737)に役者物真似の部に大津屋平五郎や、大津屋平助などの名が見えますので、座敷の座興に物真似の芸で客を沸かせていたのだと思います。

祗園には大津屋とか鳥羽屋と言う幇間の見世があり、馬琴によれば、幇間は無芸大食、無用の長物と手厳しく扱っていました。

大正三年刊『東京の表裏八百八卦』杉韻居士によると、何時から声色遣いがいたか分からないとしながらも、風来山人(平賀源内、1728~1780)が「我が飯を食って人の声色を遣り」という詞を残しているので、その時代には流行していたのではないか、と推察しています。

昔劇場には木戸芸人と言うのがおり、大名題、小名題の役割で役者の声色をやり、客を呼んだのが声色使いの濫觴としています。

明治十七、八年頃には東京だけで声色遣いが七、八十人おりましたが、大正になると不景気もあり下火になり、東京と横浜併せても僅か二十四、五人になったと書かれています。

声色使いは専業とするのでは無く、昼は別の職業についていました。実際の稽古は先輩に便宜を図ってもらい、裏木戸から入れてもらい、適当な場所で見物し俳優の癖をとりました。

平素は矢場、銘酒屋、待合、料理屋、株式、米商、魚市場などで、正月や残暑の頃が収入の多い時でした。

声色するのにも縄張りがあり、他の縄張りでの仕事はご法度でした。

彼らは、自分の縄張りの得意を『穴』料理屋を『ヤチャ』祭礼を『ツリメ』銭遣い良きを『ハクイ』銭遣いの悪いのを『スッパイ』先方から断わられるのを『電話』などの通り言葉を遣いました。

『電話』は話中で駄目という意味でした。

声色を落語でやる事も昔からあり、或る説では江戸中期の立川焉馬が創意とし、三代目のしん生も声色で真打になったと云われており、昔は軒先に立って声色を遣っていたので『ボラ岩と』というあだ名が有りました。



by gionchoubu | 2020-03-13 10:16 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

祇園節分おばけ、ひょっとこ踊り


2020年の祇園ひょっとこ踊りです。
途中で芸妓さんとすれ違います。
明るいバージョンもありますが、
どうしても見物の人が映りこんでしまいます。



https://www.youtube.com/watch?v=ggVL8blNKVY&t=51s
by gionchoubu | 2020-02-09 14:36 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

結婚するなら芸妓?女給?それとも娼妓?

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    福原遊郭隣の新開地、グランドカフェー マルタマ、昭和10年4月開業

戦前の福原遊廓の思い出を書いた本に、当時福原周辺にいた女の中で、女房にするならどの職業が一番よいか?という話が若い衆の間で出たそうです。

私は現代の感覚からいって、美しくて芸、行儀、接客にも長けた芸妓が一番、つづいて気はしが利く仲居が二番、擬似芸妓である雇仲居(やとな)が三番、続いて自由気ままなカフェーの女給、女郎さんである娼妓が一番人気が無いと何となく思いましたが、当時の見解では「女郎が一番よくて、一番カスは女給だな」という事になりました。

「娼妓というのは、一人の主人に仕えるということだけが最大の希望である上に、狭いながらも自分の部屋をあてがわれているので、その部屋の掃除から活花まで自分でやっている。その上、自由を束縛され、粗食に耐えてきているから、少々の貧乏暮らしは何とも思っていないから・・・」

「次は芸者だろうが、これは永持ちさせようと思えば相当金を持っとらんと、向こうから逃げ出すやろう。仲居や雇仲居の方が一寸ましかいな」

「女給というのは、昼間はのらりくらりしていて、夜はあっちのテーブル、こっちのテーブルを蝶のように飛び回って、ビールや酒を飲んでいるだけで、三味線一つ弾けるではなし、唄一つ歌えるでなし、だらしのないことおびただしい」

との事、嫁にするなら、娼妓、仲居と雇仲居、芸妓、ぶっちぎりで女給が最下位ということになりました。

とにかく女給さんの評判の悪い事、『神戸又新日報』昭和四年三月十四日に「赤裸々裏面 女給おとりの日記」が載りました。

「兎に角もこの近代文化の生んだグロテスクな生物・・・女給は、職業夫人として、社会の第一線へ進出して来たことは事実だ。女給だと一概に軽蔑出来なくなった女給・・・果してこのグロテスクな生物は何を考え、そしてどんな生活をしてゐるだろうか?」

えらい見出しで紹介されたのが、紙面によると男から男へ、刺激から刺激へ、自己の肉体をたよりに生きていく女給の見本のような女、神戸花隈玉川楼のお酉の日記でありました。

女給の日記

二月二十七日水曜日

十一時半・・・・早出だ。もう起きなくちゃならない時刻、でも寒い。

寝床の中で煙草を吹かしながら、ぼんやりと、色んな事を考えてゐると、どうも床がはなれにくい。

昨夜の鬼瓦みたいなおやじさん。馬鹿に面食ひだ。顔でゆけばナンバーワンたる若いKちゃんに大分思召しがあるらしい。

「おとり、たのむよ、うまくゆけば、コンミッションは出すからね」

「えヽ、コンミッション次第では一肌脱がないこともないわ・・・」と云ってやったら、好い気になって

「うまくゆけば二十円だすよ」って云ふから「ぢゃ前金でどう」って云ってやったら

「出来てからだ間違ひはないよ」と云いやがった。馬鹿々々しくてものも云へない。(つヾく)

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お酉さんの日記がどういう経路で新聞紙上に連載でのり得たかは置いておいて、女給の需要を生んだ男共の方にも大きな問題があります。

客も女給もどっちもどっち、という感じです。女給を責める前に足元を見ろ、と思います。

花街周辺の女性は、群がる男の鏡だと私には思えるのです。


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   新開地



by gionchoubu | 2020-02-08 11:13 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)

名妓

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大正五年ごろ大和屋芸妓学校生徒たちの写真。後列中央が大和屋女将阪口ゆき前列左端が上方舞の名手、竹原はん


花街史における昭和の巨人、大阪南地大和屋の主人、阪口祐三郎は自伝で芸妓の心得を書いております。その一部を紹介させていただくと

『お花に行く心得』

「往来にはドンな人が歩いていられるか判りません、将来大切なお客さんになられる方もまじっていられます、また一人を全体の芸妓さんの見本のように見られる時もありますから、往来を歩くときは廓の全権のつもりでいて下さい。さればとて、威張れというのではありません、“ツンとするな、シャンとせよ“です、あれでも芸妓かと後指をさゝれないようにして下さい」

『お座敷のつとめ方』

「ご挨拶が済んだら、まづ主客の別を見定め、客人を待遇することを忘れてはなりません。また同じお客さんの側でも上座のお客さんと、下座のお客さんがあります。この場合上座のお客さんを大切にすることは勿論ですが、同時に下座のお客さんをテラさぬように特に心懸けねばなりません。」

「お座敷の性質が判らねば充分なお取持は出来ません、自分で判らぬときはお茶屋さんでお聞きなさい、大体見知らぬお客から話かけ、見知りのお客を後廻しにするのが要領です。下座のお客さんを大切におもてなしすることは特に肝要です、これは将来大切なお客さんになられる方でもあり、また人気も下座のお方から出る場合も沢山あります。」

「勝手にお客さんを他所へお連れ出してはいけません、また芝居行、活動写真、買物などを、おねだりするのもいけません、殊に食べ物をおねだりするのは芸妓さんの一番の恥になります。」

「お客さんにお茶屋さんの道具を毀されるのは芸妓さんの落度です。酔うたお客さんのお世話をすることも勤めのうちです。朋輩の方がもて余すようなお客さんを上手に扱うことが出来れば一人前です。」

「正直ゆえに流行らぬお茶屋さんもなく、実意ある故に売れぬ芸妓さんもありません。小刀細工は長続きのしないものです。」

そして最後に

「名妓とは顔がよいだけでもなし、芸が出来るだけでもなし、お花を沢山売るだけでもなし、引いてからお客さんに惜しまれ、扱店(置屋)に惜しまれ、お茶屋さんに惜しまれ、朋輩衆に惜しまれるような人であります。」

蓋し、名言です。


by gionchoubu | 2019-02-21 11:04 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)