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横浜 真金町 赤線

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『危険な毒花』常盤とよ子著、37ページ、真金町夕暮、昭和28年撮影


曙町のすぐ側を流れている河を渡ると、こヽはまた有名な真金町。その昔の遊廓である。

かつて女郎衆の名で通った女達は特殊カフェーの女給さん。それが店のホールから「ちょっとちょっと。お眼鏡さん・・・」と呼びかけているのだが、その脇にデンと腰を降ろしているのは、ギュウ太郎に取って代わったヤリ手婆ア。

これを除いたら、昔の面影らしいところはミジンも見られない。ヤリテ婆こそ今日の女郎屋を象徴するものだ。

女郎衆ならぬ女給さんは、洋装、和装いろとりどりで、どれも劣らぬ美人ぞろい。おまけにこヽは戦後復興が遅れており、最近になってポツリポツリと建ち始めた家ばかりだから、ホの香もかぐわしい本建築。設備も整っているし、間取りも良いから、ぐっしょり濡れるにはもって来いだ。

マワシは取るには取るが、余程売れる女以外は殆どなく、客足の低調なところから、女は一人でも余計ひきつけようと、サービス本位。これは店も同じである。

店の数は大体五・六十軒。女は百四・五十名で、さして活況ないものヽ、常連を擁して堅い稼ぎをしている。

そのなかには嫁入り道具も一揃い持っているし、貯金も三十万からあるという豪華な女もいるから、いまどき女郎衆などといってアナドルことは出来ない。

料金はショートタイムが三百円〜七百円、泊まりは八百〜千五百円見当だ。こヽも曙町と同じように、不夜城であることは変わりがなく、中華ソバ屋の淋しいチャルメラの音を聞いているうちに、いつしか朝になってしまう。

女中さん、女給さん入用、衣服貸与高級優遇す、貼紙が至るところに見られる。(これは曙町も同じ)が、これはひと皮むけば女郎衆希望者を募っている貼札、昨今女郎衆僅少の折柄、経営者が考えた窮余の一策。

ひっかかったが最後、はてしない泥沼が大きく口を開けて待っているのだ。淪落の女性は、こうしたところから芽生え、外見華やかに装っているに過ぎない。

参照:『青春タイムス 新日本艶笑地図』青春タイムス社、昭和二十六年七月号『新日本艶笑案内ヨコハマの巻』より



by gionchoubu | 2019-05-26 11:23 | Comments(0)

神戸RRセンター

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神戸RRセンター

昭和二十七年六月奈良県ユネスコ協会がRRC反対を結託して県会・市会に呼びかけ、代表を陳情に上京させました。

これを契機に九月には、労組、宗教団体、学生、婦人、青年団体等地元六十数団体がRRC廃止期成同盟が廃止を叫び、活発な大衆運動に発展していきました。

これに対する特飲業者、売春業者による妨害と脅迫も激しくなり、このため特に廃止同盟の責任者の二人にはゆすりと脅迫状だけでも十五通に及んだといいます。

しかし新聞、ラジオなどあらゆる報道機関がいっせいにこの問題を取り上げ全国民の世論に大きくクローズアップされるに及び、ついに米軍も二十八年五月、まず京都に申し入れし市長に断わられると、大阪府下に移転を申し込みました。

大津の西南軍指令部は府知事、大阪市長、大阪商工会議所会頭に対しRRCの候補地を依頼したものの、大阪市内に適当な場所は無く、布施、堺、茨木に打診、ことごとく反対運動に合い頓挫しました。

そうこうするうち、八月十二日突然神戸の神港ビルに移転すると新聞に発表されました。

九月十二日には湊川公園で労組、民主団体、婦人会など六十団体、三千人が集まり反対を決議、引越しが予想された九月二十二日には二百人の教員が神港ビル前に座り込みしましたが、警察の干渉で中断。そして翌日の九月二十三日にRRセンターは神戸移りました。

このゲリラ的な移転には、神戸市長や県知事の認証なしには不可能で、裏工作があったのは間違いないでしょう。

新しい神戸RRセンターは奈良の二、三倍の収容能力があり、二、三千人が収容できるものでした。

結局神戸に移ったものの、奈良RCCとおなじく大阪のG組が暗躍、大掛かりな資金を背景に一千万円の買収資金をばら撒き神戸の業者に対抗、RRセンターの従業院から警察、米軍関係者まで抱きこんでいるとされていました。

このため外出した兵隊は、ポン引きによってタクシーに乗せられ、神戸市警の担当区域外である芦屋川、住吉川まで運ばれ、ここで別の高級自動車でリレーして大阪におくられるか、あるいは三宮駅から大阪、奈良、京都方面に向かいました。

参照:『占領と平和運動』佐藤公次著


by gionchoubu | 2019-05-22 12:39 | Comments(0)

Lui ルーシー&伊藤久順

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以前からランチで、最近は夜もおいしい料理旨ーいお酒を頂いている古川町商店街の万両さんで昨日ライブがありました。

Lui・・・ボーカルのルーシーさんとギターの伊藤久順さんのユニットで関西を中心に活躍をされており、私自身、ひさびさにグルービーな歌と演奏を堪能しました。

今後のスケジュールは...
http://lui-music.com/でみれます。

また行こーと。

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by gionchoubu | 2019-05-18 12:23 | Comments(0)

花街ぞめき 2

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       昨日、宮川町駒屋のとし菜穂ちゃんと写真に納まりました。
        東京出身の舞妓さんです。

by gionchoubu | 2019-05-15 11:44 | Comments(0)

横浜、曙町、赤線、青線

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カストリ出版の渡辺豪さんが復刻した『青春タイムス 新日本艶笑地図』(じゃぱん・えろちっく・びゅーろー)昭和二十六年七月号『新日本艶笑案内 ヨコハマの巷』の記事が以下の文章、そしてその二年後の曙町の様子を捕らえたのが女流写真家、常盤とよ子著『危瞼な毒花』の二枚の写真です。

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名高い曙町は、中郵便局の脇をちょっと入ったところ。戦前からあったところに、戦災後逸早く名乗りをあげただけあって、建物はおそまつだが、女とこヽに漂う雰囲気はいっぱし。

しかし、一時は二千四、五百名からいた女が、昨年の九月には百数十名に減ったというさびれ方で、このうちには

「パンパンの方がよっぽど稼げるわ」といって出ていったものも少なくないという。

そこで彼女達は、

「あたしたちは週二回キチンと検診を受けいろいろ取締りも激しく、かえってお客の病気を心配するくらいです。パンパンの人たちは随分と病気で病院に送られると聞いています。同じ境遇の女としてあたしたちは何も敵視するわけではありませんが、病気は結局他人ばかりでなく、自分自身を破滅させるものです。そうした無自覚な人たちがあたしたちの職場近く、ひどいのになると、なかまで入ってお客をひっぱるに至っては言語道断です。パンパンの人たちにもっと徹底した衛生的な取締りをすると共に、地域的な制限を加えるか、さもなければあたしたちの地域的な制限を解いてほしいと思います。」

と、生活権をかけて当局の善処方を要望したものだ。が、それから間もなく風紀取締条例が出たものヽ、一向に変化はなく依然としてパンパンガールに食われ放し。その数はいままで百五、六十名。店はざっと六十軒位である。

ネオンサイン、蛍光燈の下でさんざめく彼女達は、平均二十才前後、その大半は家庭の事情から、こヽに来たのだという高女卒はざら、なかには専門学校出のインテリ女もいて、うかつに口を利いたらボロが出るし、それにサッソウと通勤で稼ぎに来ている女もあるというから、世の中変われば変わるものだ。

料金はショートタイム四百円〜七百円、泊りは千二百円〜千九百円で絶対マワシを取らないというのがその昔からのシキタリ。

その代り朝は九時〜十時になるとベルが鳴るか、バアサンに嫌応なしに起こされるから、この店ちょっと味気ない。

明るいうちの五時頃から、明方の二時、三時頃まで店を開けているところがあるから、酔っぱらいやアんちゃんの良い遊び場になっており、終夜女の黄色い声と、男の怒号が聞こえ、それがハタと止んだときは既に朝であるが、そのためか、こヽばかりはコリントゲーム屋、射的屋などが殊のほか繁盛している。

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by gionchoubu | 2019-05-09 12:08 | Comments(0)

逆さ言葉

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                        島原太夫

『嬉遊笑覧』喜多村?庭著に「逆こと葉」の説明があり、『本朝俗諺誌』延亨3年(1746)菊岡沾涼著の入間ことばを紹介し、これは例えば、かわゆき(可愛い)をにくい(憎い)と言う様に言葉に逆の意味を持たすとの説明があります。

これは現在のヤバイという言葉が本来の否定的なニュアンスから、凄い・・・というほめ言葉として使うルーツになります。

この感性は日本独特の物ではなく、例えばアメリカの正月のローズパレードや年末のディズニーランドで、殆ど女子で編成されている京都の橘高校のマーチングバンドがオレンジ色のミニスカートコスチュームで圧倒的なパーフォーマンスを披露してアメリカ人がつけたあだ名がオレンジデビル・・・その驚きを逆さ言葉で表現しています。

また、ハナ肇とクレージーキャッツもキューバンキャッツ時代、進駐軍相手のステージでのギャグが受けに受け、「なんてぶっ飛んだ奴らだ」からネーミングされたといいます。

ですからこのクレージーは賞賛に近い言葉なのです。

もう一つ、女をナオン、サングラスをグラサン、素人をトーシロー、おっぱいをパイオツなどの言葉を入れ替える逆さ言葉もあります。

こちらは戦後の日本のジャズミュージシャン達が使い始めたのがテレビ界などの業界語となったと言われています。

大橋巨泉さんなどが盛んにテレビ番組で使っており、一般人が使うこともありました。

『嬉遊笑覧』によるとこの言葉の入れ替えの起源は江戸期以前にあり、我々の文化の中の“しゃれ”遊びの一種といえると思います。

その部分を紹介すると、

『立圃(りゅうほ)が発句』に「蛤のぐりはまとこそ水の月」。今も倒なることに、ぐりはまといへり。

『不角点付合』、「虹梁(こうりょう)を息ともいはむ、蛙股、蜃蛤のぐりはま」

『元禄曾我物語』堺町の処、「ありゃありゃ三番叟じゃ、頭坊雲楽じゃ、弥之助踊りじゃ、初り初りといふ声云々」。雲楽は誰にか。そのかみの小兵衛を学びて、坊主といひしものなるべし。坊主を倒に頭坊といふは、今もざれていふ言也。

蛤をぐりはま、坊主をずぼう・・・まいうーのルーツは以外に古いのです。


by gionchoubu | 2019-03-30 11:29 | Comments(0)

地蔵盆と槙村正直

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                       祇園新橋火除け地蔵

昭和26年8月24日の夕刊京都新聞に載る田中緑江さんによる『地蔵盆の由来』を読むと、京都で今も盛んに催される地蔵盆がもっぱら子供たちによって行われるのは、地蔵菩薩が賽の河原に遊ぶ子供たちの保護にまで心を配る大慈悲心に対し、子供の方から慈愛の情をささげることに始まるといわれています。

ただし、そのことは文献にもなく確かな説ではないようです。

地蔵盆の起源は空也上人がつくった「地蔵和讃」が大人から子供に広がり、子供がこれを好んで称えたところから、地蔵そのものが子供の心にとりついていたものらしいとの事、地蔵盆の行事が始まったのは幕末から明治にかけてはじまったとも書かれています。

そして明治初年ごろ当時の京都府知事が迷信打破のため市内にある地蔵さんを全部うずめたのを後に水道工事、電車路線工事のとき掘り起こして各町内に配置したのが現在の地蔵さんでこれが約五千体とのこと。

果たしてこんな事があるのでしょうか?当時の知事というと槙村正直、『維新 京都を救った豪腕知事』明田鉄男著によるとこれは全くの事実でした。

槙村は明治五年七月、お盆行事は「文明の敵」とし、「お盆の行事は禁止」という布令をだしました。

知事によれば「七月十五日前後を以って盂蘭盆会(うらぼんえ)と称し、精霊迎(しょうりょうむかえ)、霊祭(みたままつり)などとして、未だ熟せざる菓穀をとりて仏に供し、腐敗し易き飲食を作て人に施し、或は送り火と号して無用の火をながし・・・」

大文字送り火を無用の火と決め付け、地蔵を全部埋めるなど、信心深くない京都の人さえ震え上がった事でしょう。信心深い大多数の都人にとって槙村正直は魔王のように映ったにちがいありません。

知事の考えによるとこれらの旧習は弊害であり「文明に進歩する児童の迷い」 を生ずる原因となるのです。

そのすこし前、明治四年一月の社寺上知令により、大寺院は境内地を除く大部分を失いました。清水寺にいたっては十五万六千坪のうち十四万三千坪が寺側に一銭の補償もなく取り上げられたのです。

このとき誓願寺、誠心院など多くの寺の領地を削りとって強引な工事で出来上がったのが新京極であり、健仁寺の.北側の土地を取り上げ祇園花街にただ同然のお金で渡したのが現在の花見小路四条南側の祇園なのです。

ですから花見小路の名づけ親も槙村正直をとされている所以となります。



by gionchoubu | 2019-02-26 15:05 | Comments(0)

とし桃、とし愛、とし真菜、とし夏菜、君とよ、小よし


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2014、宮川町、とし
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もちゃんすぐ目を瞑っちゃうのね・・・・
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2014、宮川町、とし愛
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2014、宮川町、とし真菜
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2014、宮川町、とし夏菜
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2014、甲部のまめ藤
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2014、宮川町、小よし

by gionchoubu | 2018-10-27 12:30 | Comments(2)

米子灘町遊廓ぞめき 四

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                  これと同じ大黒さんを福知山の?崎新地で見ました。

鳥取県は、昭和二年、明治三十三年以来の娼妓取締規則施行細目を改正し、娼妓は昼間行き先を明示すれば外出自由になりました。

昭和五年刊『全国遊廓案内』の米子市灘町遊郭の欄には貸座敷三十三軒、娼妓は五十三人、陰店制で娼妓は送り込み制、そして三十三軒の貸座敷の名を記しています。

この中には『改訂米子の伝承と歴史』で料亭として書かれていた、田村、梅田、沖半が含まれておりますので、貸座敷の数から考えて娼妓と同じ位の芸妓がいたと考えられるので、この三軒は所謂お茶屋さんだったのかもしれません。

『公娼と私娼』昭和五年六月末の「貸座敷指定地調」でも貸座敷三十三軒、娼妓数五十六人とほぼ『全国遊廓案内』とほぼ同数を示しています。

昭和九年、鳥取県では明治三十八年の境、大正末年に倉吉の越殿町に続き米子も昭和十三年娼妓制から酌婦制に移行しました。

本来鳥取県の酌婦は「宴席に侍し、杯盤の斡旋をなすことを業とし、かつ歌舞音曲等、芸妓にまぎらわし所業をなすことを得ず」、というもの、文字通り考えると、世間話でもしながら只々お酌だけする職業という事になります。

しかし遊郭の中で芸妓と酌婦しか居ないなら酌婦に与えられた仕事は歴然としています。鳥取県は酌婦の名にかくれて、事実上は売春営業することを警察が黙認していました。

明治二十六年に公娼を廃止した群馬県でも、昭和五年六月現在、同県下に五十二箇所の乙種料理店(通称だるま屋)を指定地域として、乙種料理店三百四十八軒の中で私娼八百五十五人が酌婦の名目で客をとるのを県も警察も黙認していたのです。(『公娼と私娼』)

戦前、隠れ娼妓として酌婦が売春をしていたのは、遊郭指定地でない温泉地でも盛んに行われていた様で『湯河原温泉芸者一代記』井田真木子著にその様子が書いています。

『鳥取県史』では恐慌の影響とカフェーの発達に押されたことを、娼妓から酌婦に変えた理由に数えています。確かに昭和十一年に米子にカフェーが五十六軒、女給は百四十七人の記録がありますが、これには所謂喫茶店も含まれただろうし、恐慌とカフェーの蔓延は米子に限ったことではありません。

さらに酌婦への以降の理由は裏日本ならではの事情でした。それは表日本の遊郭が高い前貸金で裏日本の娼妓を取り込むことに対する対抗手段で地元保護政策だったというのです。

娼妓の年齢は十八歳以上と規定されたが、酌婦は十六歳からなれるので、年の若さで誘客を引き寄せることが出来る。さらに前借金が少なくすもので経営がやりやすかったから、と言われていました。

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by gionchoubu | 2018-10-26 16:18 | Comments(0)

とし愛、とし真菜、とし夏菜、とし純、とし智

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                     2014 とし愛
この頃ようやく外付のフラッシュライトを購入してバウンス撮影(フラッシュを天井に当て光が上から被写体に降りるので自然な被写体の撮影ができるようになりました。
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                    2014 とし愛
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                    2014 とし真菜
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                   2014 とし真菜
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                  2014 とし夏菜 襟替の日でした。
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                   2014 とし純
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                 2014 とし純、とし智

by gionchoubu | 2018-10-24 12:30 | Comments(0)