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加古川関根新地 四

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                関根新地近くの王子荘、昭和48年の住宅地図に載ります

「昨年の三月までは国鉄駅前の白線地帯、同市平野、関根新地の二ヶ所で売春が行なわれていたが、同法施行後関根新地十五軒の特飲店は料理、旅館に完全に転業、当時働いていた接客婦八十五人のうち十人ほど残って大半は帰郷したといわれている。(加古川署調べ)

しかしその実態について糟谷市婦人相談員は“せっかく帰郷しても世間の目は冷たく約半数は再び舞い戻り白線地帯に流れこんでいる。しかも三千円~四千円の収入ではどうしても生活できず売春をしなければ彼女らはいきる道がない。”とその間の事情を物語っている

その方法は売防法の盲点をついたなかなか巧妙なもので、加古川署の話によると、酒を飲みながら相手と交渉し時間をみはからって旅館で落合うという方法を取っているという。

しかしそういった場合

一、 業者がピンはねする管理売春。

二、 恋愛感情によるものか―

三、 単純売春か―

この三つの認定は非常にむずかしいといれ、同法第四条にこの法律の適用には国民の権利を不当に侵害してはならない―と規定されているようにただ“怪しい”というだけでは取締りができず結局地味な張込み以外に方法がない。

それを裏書するように同法施工後検挙したのはわずか七、八件でいかに同法による取締りが困難であるかを物語っている。

しかし一番恐ろしいのは性病で昨年三月までの定期検診で十人近く発見されていたものが、その後全く野放しの状態。

市婦人相談所に持込まれた一例をあげると関根新地で働いていたA子さん(24)は同法施行後、市内の白線地帯に残ったが、性病が悪化したため業者が同相談所に相談して神戸の婦人寮に入寮させた。

ところがわずか一週間でまいもどってきたので、こんどは姫路の婦人寮にいれた。

これも長続きせずふたたび市内にもどり売春を続けており、最近やっと神戸の生田病院に強制収容させたという例がある。」

////////////////////////////////////////////////////////

それから19年後、昭和48年の『ゼンリン 住宅地図』で確認するとまだ旧関根新地には*三日月、*百万両、*にしき(錦)*大門、スタンド和、一竜、鹿島、カナリヤ、*新月、*第一文福、寿荘、クロバー、クラウン、スタンドソラ、松竹、*第二文福、スタンド園の名が連なっており、一体どういう生業をしていたのか興味はあれど実態は不明です。

尚、*は解散時の特飲店の店名と同じままで御商売されていました。

さらに昭和62年の地図を見ますとスナック和、スタンドすみれのみで面影も殆どなくなっていたと思います。



# by gionchoubu | 2019-09-19 14:26 | 亡くなった兵庫の游所 | Comments(0)

赤線、青線、白線、紫線


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                      姫路城

昭和33年2月21日の神戸新聞に「転廃へあえぐ売春業者」の記事があり昭和32年12月31年の兵庫県警調べの表があります。


赤線        軒数     従業婦

神戸福原     232     810

神戸二葉新地    42     102

明石新地      14      57

高砂新地       1       6

姫路梅ケ枝     16     110

姫路湛保       5      23

相生川尻       6      31

洲本        17      68

西宮戸田町     27     103

篠山八上新地    10      17

青線

春日野新地      9      30

尼崎初島新地    10      32

尼崎神崎新地    61     220

伊丹新地      65     305

加古川関根新地   17     102

姫路夢前新地    15      94

城崎新地      14      52

白線

神戸市内     279     890
阪神地区      59     190
摂丹地区       4       5
東播地区      42     105
西播地区      97     250
淡路地区      17      40
但馬地区      10      18

赤線に分類されている箇所の中、神戸二葉新地と相生川尻以外は全て前身に遊郭時代を持っています。

神戸二葉新地は昭和二十年の空襲で神戸福原、新川の両所が移って出来た特飲街として赤線は納得いきます。(『神戸市史 第三集 社会文化編』)

相生川尻もネット情報(出典は明らかにされていません)ながら、古い遊郭地の室津から業者が移ってきたとあり、しかも、朝日新聞、兵庫版に昭和33年2月11日に大島町の特飲街と書かれているので、赤線の辻褄はとれます。

ここで考えてみたいのは特飲街(特殊飲食店街)が赤線、飲食店の営業許可のみで娼家経営を行なっていた地区が青線 ,定説と言っていい赤線の定義です。

しかし昭和33年3月23日の神戸新聞の阪神版の『いさぎよく解散 伊丹新地』に伊丹新地特飲街と書かれており、当初十三軒の内、神戸福原や大阪の飛田の業者の誘致があったというので、伊丹新地が青線に分類され、相生川尻が赤線に入っている根拠が分かりません。伊丹新地は工場跡を買い取ったもので塀に囲まれており、六軒の業者が他の家に混じって経つ相生川尻(=大島)新地よりはるかに赤線らしい様相でした。上記の統計ではその規模は赤線・青線の中でも二番目の業者数を抱えています。

前回紹介した加古川関根新地も特飲街で、決められた敷地に15軒の業者がひしめき合って建っており、解散式には加古川警察署長(青線なら警察は営業許可にからんでいません)まで出席しているので赤線か,と思いきや青線になっています。

そして、昭和33年3月10日の神戸新聞『赤線は消えるか・・・』の記事の中で加古川の関根新地と相生の那波川新地(=川尻新地=大島新地)を赤線として分類されており、同時代でも赤線と青線の定義がはっきりしていない事が分かります。以前当ブログで書いた『占領と平和運動』佐藤公次著でも伊丹新地を赤線と書いていました。

つまり、当時遊郭時代の過去を持ち特飲街に生まれ変わった所は間違いなく赤線、戦後特飲街として誕生した、伊丹新地、相生大島新地、加古川関根新地のように赤と青が混じった、どっちとも取れる紫線のような特飲街が存在した事になります・・・

今後色んな新地を見ていくうえで、一応の答えがだせれば、と考えています。


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# by gionchoubu | 2019-09-15 11:18 | 亡くなった兵庫の游所 | Comments(0)

加古川 関根新地 三

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朝日新聞 播州版 昭和33年2月11日に『売春業者と従業婦の動向』の記事に

「売春防止法の完全施行はいよいよあと二ヶ月たらず。播州地方からもやがて特飲店が姿を消すが、業者はいま転廃業の厳しい現実にさらされている。次に業者や従業婦の近況を探って見た。」

姫路市、高砂市、相生市と並んで加古川市の欄があります。

「平野新地(注、関根新地のこと)は十五戸の業者があり、従業婦八十余人が働いている、加古川署は六日業者に対し、

1  料理旅館の兼業は許さない

2  現在の従業婦の継続雇用は認めない

3  芸者検番やヤトナクラブの併設は認めない

4  新規の収入で生活が安定するようにし、住居の制限(たとえば寄宿舎)などしないことなどの方針を示した。

業者は当初旅館、料理兼業への転業を計画していたが、取締当局の方針がはっきりしたので、近く総会を開いて態度を決める。

いまのところ料理店十、旅館五へ転業する方針らしい。

当局も許可の場合は“売春はさせない”という誓約書をいれさせて、保健所などと協議して許可するといっている。

しかし旅館料理店に転業するにしても、店舗の改造に資金がいるだけに、業者も大きい悩みとなっている。」

/////////////////////////////////////////////////////////

加古川市関根新地の特異性はまず三年前に開業した新しい新地であると云うこと。業者が農地を買い上げ田んぼ中に誕生した事があげられましょう。

相生大島新地も戦後に誕生しましたが、業者六軒と最小規模であるものの、相生港の船運がありますし、同じく兵庫県に戦後誕生した伊丹新地には自衛隊があります。

関根新地は近くに観光する所はなく、大企業の工場があるわけでもなく、温泉や集客のある神社仏閣も無く、さらに加古川駅、繁華街からも離れています。

料理屋、素泊まり、半泊まりの転業旅館、商人宿として生き残りの道はほぼ閉ざされた情況でした。

料理旅館が禁じられたのは、座敷でお客を遊ばすという目論見を閉ざしたことになります。

ただし芸者検番を立ち上げ花街の道を目指すといっても、芸者の着物、小物、お稽古だけをとっても莫大な資本が必要で、一番ありえない選択といってよいでしょう。

旦那衆は駅すぐ近くの検番筋を支えるはずです。

一縷の望みはそれまでの従業婦をヤトナクラブで身をやつし、復活の機会を待つという方法ですが、これも認められませんでした。

この八方塞がりの情況が、誰からも過去を振り替えさせず、静かな住宅街で平和に過ごすという、現在の一番良い情況に誘ったのかもしれません。



# by gionchoubu | 2019-09-12 11:43 | 亡くなった兵庫の游所 | Comments(0)

加古川 関根新地 二

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朝日新聞 播州版 昭和33年3月1日に『大詰迎えた赤線地帯 当局と懇談会』の記事の「20日に廃業 加古川市の平野新地」を見ると、

「売春防止法が四月一日から実施されるので、県売春防止本部主催で四日午後二時から加古川中央公民館で、加古川、高砂両市の業者と従業婦ら約四十人を招いて懇談会が開かれた。

県から藤井民生部長、吉良山保安課長はじめ警察署、福祉事務所、職業安定所の係員らも出席、加古川平野新地組合(岡本務組合長)は二十日で転廃業すると報告した。

岡本組合長の話 従業婦は現在六十余人だが、うち十余人が結婚残りは郷里に帰るだろう。

中には女中、仲居などで残りたいという希望者があり、また転業に必要だといって三味線や踊りを習っている人もある。

業者は三十年五月、駅前から集団移転したが当時二百万から三百五十万円の借金で、二、三は払っているが、大部分が二、三十万円の借金を残しており、転業するにも資金がなくて困っている。

五、六人は別に加古川市の中心部でバー、スタンドなどを経営するということだ。従業婦の前借金は二十日限りで棒引にすることを決めている。

///////////////////////////////////////////////////////////////

今度は同年3月6日、読売新聞播磨版をみると『発足時の借金残る 20日解散 従業婦は棒引き』の見出しで、

「加古川 四日午後、加古川市中央公民館で、藤井県民生部長、吉良山県本部保安課長、兵藤加古川署長、日笠加古川保健所長、岸本加古川職安業務課長、泉市福祉事務所次長、糟谷、大内両相談員ら十八人、岡本組合長ら業者代表六人A子さん(二一)ら従業婦十八人が出席して懇談会を開いた。

関根新地は終戦後、国鉄加古川駅前裏通のマーケット、ヤミ市場内にあった白線業者が、さる三十年五月、自主的に関根地区の農地千三百坪を購入、十五軒の特飲店街にまとめ、従業婦八十人をかかえてスタートした。

この移転で各業者は三百五十万円から二百万円の資金を借りた。全返済したものは三、四軒。残りはいずれも三、四十万円の未済分を抱え、こんどの転廃業を迎えた。

組合では三日夜、協議会を開いてこんどの対策を話合い、二十日に解散、十五軒のうち五軒が料理業、九軒が旅館に転業することを決めた。のこり一軒は“一力”でさきに経営者がピストルで射殺された為未定。~以下略」

//////////////////////////////////////////////////

加古川の平野にあった関根新地は平野新地の呼び名があった事が分かります。また移転の経緯や、そこに警察を含め市の各機関が係っていたことも読み取れます。

営業期間は三年にも満たない薄命の新地でした。



# by gionchoubu | 2019-09-08 11:00 | 亡くなった兵庫の游所 | Comments(0)

加古川 関根新地と検番筋

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                        一番手前が一力               

短命だった加古川の平野の関根新地を訪ねてみました。現在関根の文字を平野で見ることはありません。

『古地名新解 加古川おもしろ誌』編者 石見完次に

関根 一里塚のあった辺で、旅客の関所であったか。また水路の集まった地点だから堰の根ということか。古老も言わず推量するほかない。

となんとも頼りありません。このレアな地名を新地にもってきた名付け親にどんな拘りがあったのでしょうか。

昭和33年の3月2日の神戸新聞に『ようやく転業へ踏切る 加古川関根新地 料理屋と旅館に 従業婦の大半は帰郷』の見出しがあります。

これによると、転業対象十五軒のうち料理屋に転業するのが「新月」「大門」「百万両」「白牡丹」「都」の五軒、旅館に転業するのが「三日月」「第一文福」「錦」「第二文福」「鈴峯」「二鶴」「一力」「八千代」「常盤」「寿」十業者あります。

この新地は田の真ん中にあり、不利な条件の為日常の商売には向かず、旅館や料理屋以外の転業は難しかったようです。

紙上では関根新地を赤線と位置づけておりますが実際は赤線と何ら変らない青線のはずです。(理由は近ゞ述べます。)

読売新聞の兵庫版、昭和33年3月16日によると、3月15日に新地会事務所で加古川保健所予防課長、糟谷市夫人相談員らも出席した解散式があり、組合長は

「みなさんのためにもっと盛大なお別れの会をしたかったのですが、移転で借りた借金がまだ残っている現状、なにもしてあげられなく申しわけない。これからさき身体に気をつけて元気でくらしてください。」と挨拶しました。

発足して三年しか経って新地で、たぶん兵庫の他の赤線から移転してきた業者も、大きな借金が残したままの解散という嘘偽りのない挨拶だったのでしょう。

さて、神戸新聞に戻ると、新地に残って働く意思のあるものは検番筋から師匠を呼び、三味線などの芸を身につけさせ、一応の体裁を整えてから芸者として席に出す予定、と書いてあります。

加古川駅の南に検番筋はいまでもありますが、聞き取りによると昭和四十年代には検番もなくなり加古川の花街も終焉を迎えたようです。

かつて検番筋には芸妓置屋が並んでいたそうです。

ただ調べた限り、加古川の花街に関する記述は得られませんでした。

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                  この区画に十五軒あったはずです。面影ゼロです。

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行き止まりです。新地として孤立させる意思が読み取れます。

 

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昭和二十五年ごろの検番筋
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                  多分ここかと
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検番筋
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    加古川検番筋の看板
f0347663_18302297.jpg
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検番筋から抜ける道
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                       繁の家
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                        スナック街


# by gionchoubu | 2019-09-03 18:06 | 亡くなった兵庫の游所 | Comments(0)