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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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新居、芸妓置屋小松楼

新居、芸妓置屋小松楼_f0347663_10580973.jpg



傀儡(くぐつ)は日本の遊女の原型の一つとみる事ができます。

平安時代に京と東国を結ぶ東山道の宿駅には、宿泊者に売色する傀儡女(くぐつめ)がいました。流浪の民であり、人形遣いであり、芸能集団でもあり、売色もした傀儡の拠点の一つであった、橋本宿の游君に建久六(1195)年三月、源頼朝が「橋本の君に何かを渡すべき」というと梶原平三景時が「ただ杣山のくれであらばや」とつけたという話があります。

この橋本と京都府の京阪橋本と混合された人もいますが、この橋本は静岡県新居宿の橋本であります。

浜名湖の南端、太平洋に接するのが、東海道五十三次の宿駅であった新居宿で、この一部の橋本の名は浜名に架かっていた橋が由来と言われています。

鎌倉時代には遊女も沢山いた繁華の宿駅で、江戸期にも、飯盛女の名で遊女がいたのは、『艶本紀行東海道五十三次』林美一著に、「新居宿も諸艶本にも飯盛なしと記す。しかし一枚摺りの直段附類にはどれも四百文として出ているから、いたに違いない」の記述で分かります。

ただ、大変盛んであった浜松や吉田(豊橋)に挟まれ、舞阪、新居、白須賀、二川の宿駅では、ごく限られた遊女渡世を営んでいた、と言った所だったのでしょう。

この新居宿跡に現在見学可能な新居関跡、旅籠紀伊国屋資料館と並んで国登録文化財、芸妓置屋小松楼が小松楼まちづくり交流館として無料で見学できます。

新居の花街は明治の後期から昭和二十年代前半まであったようで、最盛期には芸妓置屋十一軒、カフェー・バーもあり、芸妓も五十人~八十人を数え、それを支える、養鰻、製紙業、漁師、網元らによって支えられ、さらに中央官庁街のすぐ近くの警察署、郵便局、法務局の人たちも上客として花街は盛り上がった事でしょう。

この規模の町としては最大級の花街と思われますが、浜名湖、太平洋、東西大動脈陸路の中央とすれば、富も蓄積され、その条件は整っていたと言えるでしょう。

小松楼は新居の花街の歴史といってよいと思われ、松井米吉が元紀伊国屋の裏手にあった建物を買収し置屋を開業し、大正期に現在地に移転をし、二階部分はお座敷、稽古場、離れに二階建ての置屋を併設し、小料理屋も営み、お茶屋兼置屋(寮)の構造を持ちましたが、お座敷の料理は、自前でなく、流石に仕出しだった様です。

この規模の花街では、芸妓は旅館や料理屋に入るのが多く、これだけのお茶屋(待合)機能を備えた建物があったのは全国規模で見ても珍しかったのではないかと思います。

聞き取りによると、検番(花街事務所)の確認は出来ておらず、全くの想像ですが、小松楼以外の置屋は、芸妓が営む小規模の置屋で、小松楼が江戸期の祇園の店、大阪の席のような、検番機能、お茶屋機能を備えた大店だったのかもしれません。

平成十八年に、空き家であった小松楼を町の有志が清掃、修繕を行い一般公開を行い、地域の福祉活動、町を訪れる人の交流場、市民ギャラリーとしても利用されており、花街に興味のある方や、建築に興味のある方にも是非訪れて頂きたい場所です。

小松楼の記述は、頂いたリーフレットを参照にしました。

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二階芸妓の稽古場スペース

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松井米吉
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ここは一階
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                              芸妓寮があった場所


by gionchoubu | 2023-01-11 11:10 | 亡くなった東海の花街 | Comments(0)