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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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温泉芸者のすべて その十

売春防止法が昭和31年4月1日に施工されて以来、トルコ、旧赤線、温泉マーク旅館とポン引等色んな形で売春は引き継がれましたが、その大きな受け皿になったのが、温泉地です。

これは、温泉地の業者は運命共同体であり、住人も何らかの形での共同体の一員である故、住民による告発が少なかった事が考えられるのと、警察も都市部の取り締まりを第一義と考え、温泉の取り締まりが当初、おざなりになった事も挙げられると思います。

ただ、そのあたりの温泉の風俗の状況は、現在となっては風俗雑誌に頼るしかありません。

全国を又にかけて調べるライターの取材費はどこから出てくるか、という疑問もでてきます。

温泉芸者のすべて その十_f0347663_21592974.jpg
檸檬社『別冊プレイパンチ』昭和45年3月号の記事「全国温泉芸者名まえと値段オール・ガイド」を書いた江見仙吉氏の記事は、双葉社『小説劇場』昭和45年2月1日発行の「温泉芸者ピンク度全調査」(著者名無し)と酷似しており、同じソースを基にしたのは間違いありません。同じ著者が情報を提供して報酬を得たものと考えますが、業界に疎い私には、その辺りの事情もよく分からないというのが正直な所です。

この号の別冊プレイパンチに「芸を売らずに肉体を売る若い芸者たち」三戸部輝氏の記事に都市部を含む芸者遊びの流れがでてきますので、今回は当時の温泉芸者遊びを紹介します。

当時の芸者には、子供の頃から芸を仕込まれ、唄う、踊る、弾く、芸者と違い、「第二芸者」格好のみ芸者で色を売る専門で、特に温泉に沢山いらっしゃいました。


皆生温泉では、芸を見せる芸者の芸妓組合以外に、第二芸者の共立検番があり、コツとしては、検番を通さず、内湯旅館という連れ込み専門旅館に、宿の女中さんを通して手配してもらうという事でした。

時々、花街跡や温泉を訪れて聞き込みをすると、検番が二つあったという話を聞くことがありますが。この第二芸者の検番を疑った方がいいかもしれません。

新潟の月岡温泉に至っては、旅館三十軒そこそこに、芸妓置屋が四十軒もあり、ヌード劇場も、パチンコもバーもない田んぼの中に検番すらない温泉芸者、そこに芸を求める客など居なかったのは想像に難くはありません。

浜松のステッキ・ガールも赤線終了後は、第二芸者の呼び名で四百五十人も在籍しており、タクシーの運転手を介在して旅館に呼べたとの事でした。


by gionchoubu | 2021-10-27 22:00 | Comments(0)