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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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温泉芸者のすべて その三

温泉芸者のすべて その三_f0347663_16250934.jpg
                               坪内逍遥作 熱海の栄

熱海で長らく芸者が禁止されたのは、温泉地として、静かな環境で長逗留の湯治客をターゲットに営業戦略を組んでいたのに、間違いは無いと思います。

『歓楽郷めぐり』大正十一年発行で松川二郎は、熱海は町是に依って芸妓営業を許可しない、で芸妓は一人も居ないが遊芸師匠と名づくる若い美しい女がいて、料理屋などにも盛んに出入りする。イヤ寧ろそれが目的であるかもしれぬ、と書きました。

熱海は当時、芸者はご法度、松川二郎の言う遊芸師匠が宴席を盛り上げる様子は大正九年『熱海と五十名家』斎藤要人著に収録された『熱海是非』で坪内逍遥が書き留めています。

明治十二年から兄の湯治の看護、そして結婚した明治十九年、さらに明治三十年から度々療養で訪れ、明治四十四年頃からは九年もの間、荒宿に年間百日以上住んでおり、いわば熱海を知り尽くした文士が、大正の三年~四年に日記の余白に書いた熱海に関する会心、不会心の一つに

「名称は料理屋にして其実は然らざる家々、呼名は遊芸の師匠又は料理の女中にて其の職業は必ずしも然らざる若き女供の、年毎に増加し行くのはまだしも、それらの営業の特質上、とかく、夜に入りて、人の寝鎮まらんとする頃より、おのおの専ら活動を始め、無関係者の安眠を驚かす事。」、と記しています。

『風流抄』で、矢張り明治の末年頃から熱海を知る作家、舟橋聖一は、熱海の大旅館が衰亡したのは、滞在の長い湯治客を最上の顧客と考えて、国鉄熱海線敷説に反対したためと言われていると、述べています。

二、三日、或いは土曜日だけやって来る客は経済の余裕のない客に違いなく、交通が便利になると、そういう客が押し寄せ、経営上思わしくないというのが理由でした。

こういう状況では、とても芸妓が旅館に入るという環境は生まれることがないのは想像に難くありません。

しかし、大正九年に国鉄熱海線が開通すると、湯治場温泉熱海は、娯楽場温泉に変貌、熱海へ来る客は長くても三泊、長期客を追い払う事になる事になりましたが、その代わり、「肺患療養」の熱海と云う暗い印象を払拭する事もできました。

熱海に於ける芸者の始まりは大正初期で、当初は遊芸出稼ぎ人と半々ぐらい、人によれば二枚鑑札で働きました。

之が昭和三十年頃には芸者四百人以上の大所帯となりました。
大正中期以後、熱海に二業組合が誕生しましたので、その年こそ熱海温泉芸者時代元年と言えるでしょう。

そして、昭和四十一年、十二月の熱海芸妓置屋連合組合蔵、置屋芸妓一覧表を見ると六百八十人程の芸妓が確認され、この頃から数年が熱海花街のピークと思われます。

参照:『熱海温泉誌 熱海芸妓の歴史』松田法子著、『温泉場の私娼とその空間』松田法子著


by gionchoubu | 2021-06-19 16:29 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)